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Channel: 東京里山農業日誌
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大星山で初日を拝み、神社にお詣り

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 東京で生活していた頃、日野市の高幡不動尊によく参拝しました。しかし、大晦日の夜勤やお正月勤務(2011年2012年)で、満足にお詣りできないこともありました。運良くお正月に帰省できた時は、近くの高松八幡宮や、少し遠出して防府市の防府天満宮にお詣りしました。
 今年は、最初に高松八幡宮を、明日防府天満宮にお詣りしようと思います。今回高松八幡宮に行く前に、山の上で初日を見ることにしました。そこで大星山に行ってみました。しかし、頂上には誰もいませんでした。強い寒風が吹き荒れる中、たった一人でお日様を拝みました。

              お日様がちらりとしか顔を出さない曇り空の大星山山頂


 お正月の寒い山にいると、ボーイスカウトの副隊長をしていた頃を思い出しました。毎年大晦日の深夜、子供達を連れて高尾山に登っていました。そして、初日の出と共に号令をかけて服を脱いで初日に向かってお祈りをしました。子供達のてまえ、寒いとは言えず寒さに耐えました。お祈りが済むと、すぐに服を着て子供達のお母さん方が作った暖かい朝食をとりました。お正月の懐かしい思い出です。

 光輝病院付近から周防大島を見下ろして        柳井市阿月の古い町並み
 

 大星山から下山するときは、光輝病院横を通り尾国を経由して阿月を通過しました。阿月は江戸時代に浦氏が治めていました。そして、明治維新時に活躍した赤根武人や世良修蔵三が学んだ克己堂跡が阿月小学校前にあります。赤根武人は奇兵隊総監の地位にありながら、高杉晋作と対立して無念の死を遂げました。世良修蔵は戊辰戦争時に東北の地でやはり無念の死を遂げました。世良修蔵は去年のNHKテレビドラマ「八重の桜」に出ていました。彼らが青少年時代を過ごした150年前の賑やかな阿月を思い浮かべました。

                 鎌倉時代からある伊保庄の賀茂神社


 阿月を過ぎて伊保庄に入るとすぐ、賀茂神社をお詣りしました。この神社はとても古くからありこの付近に広大な荘園を持っていました。伊保庄と言う地名も、この神社の荘園にちなんでいるようです。一時は上関半島の尾国や平生の佐賀も荘園の一部だったようです。
 ちなみに、私の母方はこの伊保庄に家がありました。そのため、母親の母,祖母,そして曾祖母の家も昔からこの賀茂神社の門徒だったそうです。母親が子供の頃、賀茂神社の賑わいは相当なものだったと言っています。

     賀茂神社の奥にある本殿          巫女さんがテントで破魔矢を販売
 

 賀茂神社のお詣りが済むと、今度は柳井市の余田に行きました。余田は私の父方の出身地です。このため、私が子供の頃よく祖母に連れられて余田小学校そばにある名合八幡宮に行きました。秋祭りが近くで催されるなど、今よりも賑やかだったように記憶しています。余田の農協近くから線路を横断して大平山方面に向かって数百メートルのところにこの神社はあります。この名合八幡宮境内の碑に、私の曾祖母の姉妹「磯中イシ」の名前が刻まれています。

                    久しぶりに参拝した余田の名合八幡宮


 名合八幡宮を参拝すると、田布施町麻郷の高松八幡宮にお参りしました。この神社は山口県に帰ってからよくお参りします。神主さんは私より数年年長でたまにお話しをします。先日田布施町天神の菅原神社について少し教わりました。正月はもちろんのこと、一昨年の10年ぶりの大祭去年の秋祭りにもお詣りに行きました。また、毎年夏に初穂料をお納めしています。この麻郷や隣の麻里府に密着した神社です。
 ところで、なぜ麻里府にも高松八幡宮の門徒の方が多いのかと思っていたところ、かつて麻里府は麻郷の一部だったことを知りました。江戸時代は麻里府も麻郷の一部で、港があり栄えた麻里府が明治時代に麻郷から独立したようです。しかし今、麻里府は人口が少なくなり、麻里府小学校が麻郷小学校と統合する話があるそうです。またコンビニが一軒もなく、コンビニが複数ある麻郷に行くそうです。

                    秋祭り以後参拝した高松八幡宮


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