昼休み休憩が終わると、峨眉山をどんどん下りました。しばらく下っているとお社が見えてきました。光峨眉山護国神社です。この神社に祀られている方で注目すべきは来島又兵衛です。久坂玄瑞と同じく、幕末(元治元年1864年)の蛤御門の戦いで亡くなりました。当時の長州藩は、朝敵の汚名を着せられ一番苦しかった時でした。この元治元年こそ、長州藩が勢いを盛り返す回天の年ではなかったかと思います。それらしても犠牲か多かった元治元年でした。
たくさんの石柱が建つ光峨眉山護国神社 慶応年間の石柱群
この光峨眉山護国神社で、最も多く祀られているのは太平洋戦争で亡くなった方々です。幕末に亡くなった方は、一つの石柱に一人記名されています。しかし、太平洋戦争で亡くなった方は、一つの石柱に8人位が記名されています。それだけ、太平洋戦争での戦没者が多かったことが分かります。麻郷護国神社は毎年4月に祭礼が行われています。この光峨眉山護国神社も、毎年祭礼が行われているのではないかと思います。
太鼓橋を渡って峨眉山下山 象鼻ヶ岬をしばらく散策
光峨眉山護国神社を過ぎると、しばらくして赤い欄干の太鼓橋をに着きました。この橋を渡り終え、象眼水井戸に行きました。そして、象鼻ヶ岬の突端に向けて、右手に海を見ながら歩きました。しばらく歩くと、150年前の幕末に築かれた室積台場(女台場)の石積みが見えてきました。萩の女台場より、石積みの構造がはっきり分かります。夫が戦場に出ている間、留守をあずかる妻達がこの台場を築いたとか。
石積みの構造がはっきりと分かる室積台場(女台場)
女台場を見学し終わると、象鼻ヶ岬突端の灯台に行きました。ここからは、千坊山尾根や田布施に行く時に越える大峰峠が良く見えます。ただ、この灯台周辺は、海流の関係でしょうか波打ち際などにたくさんのゴミが溜まっていました。景色は良いのですが、たくさんのゴミに囲まれているため、休憩しないですぐに歩きました。
千坊山尾根や大峰峠を望む、象鼻ヶ岬灯台
灯台からは象鼻ヶ岬をUターンして、内海の砂浜を歩きました。途中、大師堂に寄りました。そして、遊女の歌碑を見学後、88番ヶ所のお地蔵様が並ぶ砂浜を歩きました。そして、山大付属小中学校横の道を通りました。夏休みにも関わらず、中学校にたくさんの生徒達が来ていました。ちょうど下校時刻になったのか、下校する中学生と同じ道を歩いて普賢寺裏の駐車場に向かいました。
立ち寄った灯台近くの大師堂 山大付属小中学校
真夏の草取りなどで体力が落ちていたのか、いわゆる夏バテなのか、今回のウォーキング下見は少し疲れました。蒸し暑かったことが原因かも知れません。ところで、一番困ったのは蚊でした。蚊取り線香を持ってこなかったのは失敗でした。夏は、蚊対策が必要であることを再認識したウォーキングでした。
歩いた距離は約8kmでした。たいした距離ではありませんが、今回は少しばかり疲れました。しかし、いろいろな史跡を巡ることができて良かったです。9月の本番ウォーキングも同じコースを歩く予定です。
下見のため歩いた、峨眉山と象半ヶ岬のコース
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光市 峨眉山,象鼻ヶ岬ウォーキングの下見(2/2)
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