神花山をぐるりと回ると、田名地区の山側に向かって進みました。田名地区は戦前は漁港がある海側にも多く人が住んでいたようです。しかし、軍港である回天基地を作るため漁港に住んでいた人は、なかば魚見地区へ強制移転がありました。この移転のため、大波野から伝わった神舞が途絶えてしまったようです。田名地区は今、山側に住んでいる人が多いようにみえます。その田名地区の中心部に田名児童館があります。ウォーキング時にトイレを使わせてもらえないか、下見時に訪問しようと思います。
田名地区の中心にある田名児童館
児童館を過ぎると、どんどん田名地区を進みました。丸山地区に出ると、佐賀漁港が見えるようになりました。いったん県道に出て佐賀漁港に向けて行きました。そして、数百m位行ったところで、再び山に向かう道に入りました。高度を上げて振り返ると、馬島や佐合島が見下ろせるようになりました。そして、木立の間を抜けると夫婦松に着きました。
屋根がある、枯死した夫婦松 舗装道を曽根に向けて下る
夫婦松は30年位前に全国的に流行った松食い虫にやられて枯死しました。この夫婦松は曽根と佐賀の境界にあり、昔は峠を越える人達がここで休んだそうです。昔、人々は山を越える道を通って佐賀に行っていたそうです。夫婦松で少しばかり休憩すると、今度は曽根平原に向かう道に出ました。
しばらく行くと曽根の板碑の案内板がありました。案内板のある坂を数十m登ると、曽根の板碑があります。平生町の指定有形文化財で、7月のウォーキングで見学しました。この案内板近くから平生湾に向けて急な下り坂となります。
曽根平原地区付近から平生湾を見下ろす
刈り取り中の田んぼの中をどんどん下って、曽根八幡宮に行きました。八幡宮から少し下った場所にある石灯篭と思われるものはとても立派です。その後、川に沿ってどんどん下りました。途中、南陽霊場三十八番札所と書かれたお地蔵様がありました。南陽霊場の札所とはどこを巡っているのでしょう。調べてみたい霊場です。その札所をすぎてしばらくすると、平生中学校がありました。野球部員が汗を流して練習していました。そして、すぐ近くにつばさ保育園がありました。その前方に曽根公民館があり終点です。
静かな曽根八幡宮 南陽霊場三十八番札所
今回通ったルートは来年の早秋の9月が良いでしょうか。曽根八幡宮近くに広がる田んぼはとてもきれいです。9月は田んぼの土手に赤や黄色などの彼岸花が咲く季節です。今回通っていると、田んぼの土手にたくさんの彼岸花が咲いていました。
今回通った、曽根公民館〜田名〜夫婦松〜曽根公民館のルート(2/2)