極楽寺を過ぎると、近くの棚田をいろいろ散策しました。その棚田の中に、珍しい石組みを発見しました。石組の上の方に、突き出た石が並んでいるのです。なぜ、飛び出した石が並んでいるのでしょうか。おそらく、石組を管理したり石組上の畔の草などを刈りやすくするための足場ではないかと思われます。近くに地元の方が誰もいなかったので、詳細を聞くことができませんでした。
足場石が並んだ棚田の石組 山の上の方に続く古い山道跡
次に、どんどん上へと道を進めると、大星山の風車へ行く道に突き当りました。今回は、大星山に行かないで、等高線上を南へ向かう道を選びました。しばらく進むと、山頂へと向かう古い山道跡がありました。麓から山頂に向かう道の跡のようでした。昔、向こう側の伊保庄福井畑へと行く道ではないかと思われます。しばらく進むと、地元のお墓と思われる場所がありました。さらに進むと、光輝病院に向かう舗装道路に突き当たりました。
光輝病院に向かう道で、大田から魚見方面を見下ろして
光輝病院への道を逆に下りました。そして、海岸に面する魚見地区に行きました。目的は大田の大師堂を探すためです。魚見に着くと、地元の方に大田地区はどこかとお聞きしました。すると、ある方向を指差しました。それはなんと、さっき通った光輝病院に向かう道の途中でした。魚見から引き返して、その大田地区へ戻りました。
大田の大師堂 大師堂内に安置された大師像
大田地区に着くと、近くで草刈していた方に大師堂の場所を訪ねました。そして、大師堂の建物を教えていただきました。その建物は、光輝病院へ向かう道のそばにありました。ついさっき通り過ぎたばかりの建物でした。その建物は、大田の生活改善センターとしても使われていました。建物に着くと、中に安置された大師像を拝ませていただきました。なお、11月19日にお大師講があるそうです。時間があれば行ってみようと思います。
大田生活改善センターとしても使われていた大師堂
今回は、佐賀地区の防陽八十八ヶ所を探索しました。その結果、二ヶ所を確認できました。次回は、佐賀の隣りの尾国の善光庵を確認しようと思います。来年一年で、なんとか全ての防陽八十八ヶ所を確認したいと思っています。今、八十八ヶ所のうち二十七ヶ所を実際に行って確認しました。息の長い確認作業になりそうです。
今回散策した、佐賀の山側周辺