数年前に、種で育てるカンナがあることを知りました。今年、そのカンナの種を柳井園芸でたまたま購入することができました。茶色で大豆ほどの大きさの種です。私がカンナに引かれるのは、私が東京にいた頃に精神障害者のためのホームヘルパーをしていた時の思い出があるからです。
私は、東京に住んでいた頃にホームヘルパーとして精神障害のある方の生活支援をしていました。その方と一緒に家庭ゴミを捨てていた場所に、毎年枯れそうな真っ赤なカンナが咲いていました。その方は、私が来るのを毎回楽しみにしていた方でした。
種から育てたカンナ、ピンク,黄色,そして赤色
しかしある時、私が山口県に帰らなければならないと知ってがっかりしていました。そして、私が山口県に帰った約1ヶ月後に亡くなったのです。精神障害のある方で、何度かそのために入院歴がありました。もしかしてと思っています。家内にその話をすると、とても嫌がります。ゴミを捨てていた場所にあった枯れそうだったカンナ、山口県で元気に咲いています。
きれいな黄色とピンクの花 ゴミ捨て場に生えていた真っ赤なカンナ
我家の多色カンナが開花、カンナの悲しい思い出
お腹が大きなカマキリ、産卵場所さがし?
このところ、お腹が大きいカマキリをよく見ます。猫のリンちゃんも、そんなカマキリを見付けては玄関前に並べています。寒くなったためか、動作がのろくてすぐに捕まえることができます。おそらく産卵場所を探しているのでしょう。もしかして、春に生まれたたくさんのカマキリの一匹かも知れません。
お腹がふくらんだカマキリがたくさんいる我家の庭や山
あまりに動作が遅いので、あるカマキリはスズメバチに襲われていました。また、黒い大きなハチがカマキリをせっせ運んでいました。針で刺されて麻酔されたのかカマキリはピクリとも動きません。おそらくハチが作った穴の中に運び入れられるのてしょう。そして、ハチが卵を産みつけるのだと思います。カマキリがたくさんいる我家の畑や山、虫がたくさん住めるほど自然がたくさんあるのだと思います。
弱々しくカマを振り上げるカマキリ 卵がたくさん入ったカマキリのお腹
半野生化した小松菜を、毎日収穫
このところ、飽きるほどに小松菜を収穫しています。そして、毎日炒めては食べています。面白いのは、去年小松菜を栽培した後にほったらかしにしていた畝です。花が咲いて種が自然に落ちて次々に育っているのです。
この小松菜、今年もほったらかしにして花を咲かせたら種が自然に落ちるでしょう。そして、また来年も芽が出て食べることができるはずです。種をまかなくてよいし虫もつかないし世話いらずの半野生の小松菜です。
自然に落ちた種から芽生えた半野生化した小松菜
そろそろ収穫時期のサトウキビと砂糖モロコシ
秋も深まり、春に植えた二種類のサトウキビが収穫時期を迎えました。1つは、沖縄で主に栽培されている普通のサトウキビです。去年から今春にかけて冬越しに成功した、茎が1本だけありましまた。その一本が分げつして大株に育ったものです。汁を絞ると黒砂糖を作ることができます。その茎を何本も冬越しさせて、来年は沢山育てて黒砂糖作りに挑戦しようと思います。そして、和三盆のような自家製砂糖作りをしようと思っています。
1本の茎から大きく育ったサトウキビの株
もう一種類のサトウキビは、正確には砂糖モロコシと言っているものです。瀬戸内ではこれをサトウキビと呼んでいるようです。私の祖母もサトウキビと呼んでいました。この茎をかじると、とても甘い汁を楽しむことができます。昔は子供おやつの一つだったそうです。お祭りでこの茎を子供が売って、おこずかいにしたとの話を聞いたことがあります。汁を煮詰めるとシロップができます。さらに煮詰めると水飴のようになります。ただ、やや草の味が残ります。この草味を取り除くことができれば、ご当地シロップとして市販できるのではないかと思っています。その草味を取り除く方法をいろいろ探しています。
なお、砂糖モロコシの穂は箒(ほうき)に加工できます。実は粉にすると食べることができます。さらに、乾いた茎は薪の代わりにすることができます。山口県で昔から穂モロコシを育ててきた理由は、そのような多目的に使うことができたからではないかと思います。
穂が茶色く染まって、そろそろ収穫時期の砂糖モロコシ、3m近い高さ
七宝焼のような柿の枯葉
我家の柿の葉っぱが次々に落ちています。その柿の葉の模様は、どれ一つとして同じものがありません。七宝焼きのようです。押し花を作るように、暑い紙に挟んでおくとドライフラワーのように色が残ります。一枚の落葉した柿の葉を見ると、一匹のカネタタキと思われる虫がいました。虫も柿の葉が好きなのでしょうか?
七宝焼きのような柿の葉と、その葉にとまった虫
だいぶ葉が落ちた柿の葉ですが、先端が丸まった葉がありました。丸まった葉をほどくと、中に虫がいました。柿の葉を器用にくるくると丸めて自分の部屋にしているようです。柿の葉は撥水性があり丈夫ですので、虫の部屋には最適なのでしょう。秋になると、春にそなえて卵を産む昆虫や、冬越しに備える虫をたくさん見かけます。どんな虫が我家周辺にいるのか一度よーく調べてみたいものです。
先端が丸まった柿の葉 葉をほどくと、中には虫が
秋、大きなクモの巣を張るジョロウグモ
秋になると、畑や山で大きなクモの巣をよく見かけます。この時期に山を歩いていると、そのクモの巣が顔などにかかることがよくあります。そのクモの巣は、たいがいジョロウグモの雌の巣です。腹が赤く黒と黄色が交互になった色をしているのでとても目立ちます。
腹が赤く黒と黄色が交互になった色をしているジョロウグモの雌
脚が欠損しているクモが時々います。獲物と格闘している時に、噛まれたのではないかと思います。クモも生きるのに一生懸命なのです。昆虫界は100個卵を産んでも、生き残るのは1個あるかないかだそうです。過酷な生存競争なのです。
人間は生物界では稀有な存在だとのことで、生物的にとても弱いそうです。例えば、ネコ科はトラ,ライオン,ジャガー,山猫など近縁種がたくさんいます。しかし、人間はたった1種だけです。数万年前、ネアンデルタール人がいましたが絶滅してしまいました。少なく生んですべて育てようとするのは、生物的に異例なのかも知れません。
足が7本のジョロウグモの雌、足が1本欠損
ジョロウグモの雌はとても大きく、雄は子供かと思うくらいに小さいです。昆虫界は人間と違って、雌の方が大きな体をしています。雄が不用意に雌に近づくと、餌と間違えられて食べられてしまいます。このため、雄としては「雌と交尾したい。だけど、食べれられるのは嫌だ」の心境でしょう。雌は秋にたっぷり餌を食べて、冬に入る前に白い綿でくるんだような卵嚢を作ります。
上の丸は小さな雄、下の丸は大きな雌。雄は交尾のチャンスを辛抱強く待つ
今年は豊作、サツマイモ(安納イモ)の収穫 2014
5月上旬に植え付けたサツマイモ(安納イモ)を収穫する日がやってきました。これまで、7月と9月に草刈りするなど、いろいろ世話をしながら育ててきました。ようやく美味しいサツマイモを食べることができます。
サツマイモを掘る前に、生い茂ったサツマイモの蔓を取り除きました。そして、一度草刈機で周りの雑草を綺麗に刈り取りました。これで、芋掘りの作業がしやすくなります。
生い茂った蔓を取り除く 黒マルチを綺麗に外す
次に、畝を覆っていた黒マルチを三本クワを使って外しました。黒マルチは、綺麗に外すと来年も使うことができます。しかし、土を寄せ過ぎたのかなかなか外れません。何ヵ所も破れてしまったため、再利用できそうもありません。
黒マルチをすべて取り外したサツマイモの畝
試しに1株のサツマイモを掘ってみました。すると、たくさんの芋がずるずると出てきました。去年は、黒マルチを使わなかったため雑草が生い茂ってしまいました。そして、近くに木が生えており日陰だったことなどが原因で、良いサツマイモを収穫することができませんでした。この反省点を元に、今年は、日当たりが良い場所でサツマイモを育て、雑草対策として黒マルチを使用しました。さらに、葉が茂らないように無肥料としました。
1株目をスコップで掘る 根本を引っ張ると芋がずるずると
植えつけたサツマイモの品種は安納イモです。とても甘く美味しいのですが、欠点は収量が少ないことです。ベニアズマのような新しい品種のサツマイモは、人の脚ほどの大きさに太りますが、安納イモはそれほど大きくなりません。それでも、今年はどのイモも牛乳瓶以上の大きさでした。大きすぎず、ほど良い大きさでした。
どのイモも、ほど良い大きさの安納イモ
今回収穫したサツマイモのほとんどは、麻郷公民館祭り(11月2日)の焼き芋用にするつもりです。去年は不作のため公民館祭りに出せませんでした。今回は、ほど良い大きさのイモばかりで良かったです。
傷つけないないように1株ずつ丁寧に掘り上げたサツマイモ
サツマイモは、掘り上げる時や水で洗う時に微妙に表面に傷がついてしまいます。このため、掘り上げる時は株のまま丁寧に掘り上げました。そして、株からイモを切り落とさないようにしました。そして今、我家の倉庫で乾かしています。泥付きのまま、麻郷公民館祭りの前日か当日の早朝に持っていこうと思います。この安納イモ達、綺麗に洗われた後に焼き芋になります。
祭り当日、私は郷土館に勤めなければならず、今年の公民館祭りに参加できません。この芋達がどのように焼かれて、どのように買われて、どのように食べられ、そして評価がどうか知ることができません。皆さんに美味しく食べていただけるでしょうか、気になります。
1輪車、山盛りの安納イモ 我家倉庫の日陰で乾燥中
田布施町郷土館 「写真に見る岸宰相と故郷田布施」企画展の準備
先日から、田布施町郷土館での「写真に見る岸宰相と故郷田布施」企画展の準備をしています。去年の同じ頃に佐藤宰相展をしましたが、今年は岸宰相に関わる展示をします。何百枚もある岸宰相の中から数十枚を選びました。そして、来館の方々に見ていただくため、それらの写真を拡大印刷しました。
「写真に見る岸宰相と故郷田布施」企画展のポスター
郷土館1Fの田布施町を紹介する部屋の内装を、今回の企画展用に少しばかり変えました。最初、たくさんの写真を展示できるように専用ボードを倉庫から運び込みました。一番往生したのは、岸宰相の銅像です。いつもは2Fに置いてあるのですが、今回の企画展のため1Fに降ろしました。ところが、銅製のためとても重く4人がかりで降ろしました。
写真を展示するボードを並べる 展示する写真の順番を検討中
今回の企画展テーマは岸宰相のお国入りです。このため、岸元首相のたくさんの写真のうち、生まれ故郷である田布施町での写真ばかりを抽出しました。田布施駅,岸邸,田布施町民の出迎えやお祝いなどの写真です。それらの写真の中に、現首相である安倍晋三氏が子供の頃に岸元宰相と一緒に写った写真があります。
数々の写真を展示開始 岸宰相を取り上げた新聞も展示
企画展の準備をしたのは、現館長のNさん,前館長のSさん,Hさん,そして私の4人です。私以外の方は、去年の佐藤宰相企画展の経験があります。私は無いので、いろいろと教えていただきながら作業を進めました。ボードの設置は午前中に済ませ、写真や新聞は午後に展示しました。午後4時頃にすべての展示を済ませました。これで、明日1日から安心して来館者の方々に見ていただけます。
写真や新聞などの展示が終わった企画展会場
なお、岸宰相が存命時の映像を見ていただけるように映像装置も設置しました。岸宰相の生い立ちや日米安保などの懐かしくも歴史的な映像です。そして、首相就任時などの音声も聞いていただけるよう、音声テープ装置(ヘッドホン)も設置しました。さらに、岸宰相について書かれた本や雑誌も一部置きました。さて、何人くらいの方が来館されるでしょうか。
岸宰相の生い立ちなどを紹介する映像 岸宰相についての本や音声テープ
府中市 大國魂神社 結婚式場の下見、及び府中市の祭り
先月19日、私,家内,娘,娘の彼氏と一緒に東京都府中市にある大国魂神社に行きました。目的は、神前結婚式の下見と衣裳合わせです。府中駅を降りると、4人で歩いて大国魂神社に向かいました。娘が神前結婚式をしたいとの希望で、いろいろ探した結果この神社ですることにほぼ決めました。今回は、その下見をした結果、良ければこの神社に決め、ついでに衣裳合せをします。
大国魂神社参道でお浄め 大国魂神社の拝殿に向かう
府中市は、名前の由来のとおり古代日本において関東地域を治める政庁が置かれていた場所です。府中駅から伸びる広い道は古代道の跡とのこと。道の両脇には、巨大な樹木が何本も植えられています。その道を進むと、突き当りに大国魂神社があります。拝殿に到着すると、予め予約していた結婚式相談室に行きました。
木々に囲まれた、とても厳かな大国魂神社の拝殿
相談室では、何組ものカップルが結婚式に関わるアドバイスを受けていました。私の娘のように、親子で相談を受ける組は少なかったです。私は主に聞き役でしたが、いろいろアドバイスを受けました。シンガポールで仕事をしている娘と彼氏は、日本に何度も帰国できません。このため、即決でこの神社に決めました。そして、日取り,会場,衣装などをすべて予約しました。さらに、費用を節約するため披露宴ではなく食事会にしました。そして、司会は私の息子が引き受けることになりました。
アドバイスを受ける娘達 食事会会場の下見
食事会をする会場を下見した後、新郎新婦の衣裳合わせをしました。私は、神前結婚式で着る和服のことは分かりません。娘と家内が、あれやこれやと話し込みながら衣裳を試着していました。キリスト教の教会で行う結婚式は世界中どこでも見られるがゆえに、日本の神前結婚式は貴重で新鮮なんだそうです。
衣裳合わせを始める娘と彼氏 色々な和服を試着
私の甥が2年前に神前結婚式をしました。その時に見た、巫女舞いや雅楽がとても雅らかで好きになりました。この大国魂神社の結婚式でも見ることができるそうで、とても楽しみです。衣裳合わせが終わると、髪型合せをしました。いわゆる角隠しなのですが、いろいろ種類があります。一番最初の髪型は、あんみつ姫のようで少し笑ってしまいました。
どれも立派で迷ってしまう 彼氏の紋付きはかま
大国魂神社での神前結婚式の見積もりや衣装合わせが終わると、神社の外に出ました。すると、とても賑やかな太鼓の音が響いていました。この日は、府中市制60周年記念の大パレードがあるとのこと。道には巨大な太鼓がたくさん並んでいました。1番大きな太鼓は直径2mあるそうです。そのような巨大な太鼓が何台も台車に乗せられて動いていました。歩道はいろいろな露店で賑わっていました。太鼓の大きな低音とそれを見る人々のざわめきが街中に響いていました。
道の中を台車に乗せられ、ゆっくりと動いている巨大な太鼓
巨大な太鼓の音を聞きながら、府中市内の寿司店に入りました。久しぶりの美味しいお寿司でした。お寿司を食べた後、食材などを買い求めました。私は、大好きな鞍掛豆を買いました。家に帰り着くと、少しばかり休息を取りました。しばらくすると、家内と娘が夕食を作り始めました。アジの刺身を作っているようで、娘はアジのさばき方を家内に習っていました。
久しぶりに食べた美味しい寿司 アジのさばき方を習っている娘
東京都 高尾山日帰りウォーキング(1/2)
10月19日、娘と彼氏と私の3人で高尾山に日帰りハイキングに行ってきました。天気が良く、のんびり散策するとができました。娘が子供の頃、歩いて麓から登ったことがあります。今回はどうしてもリフトに乗って登りたいとのこと。子供の頃は平気で歩いて登ったのにやれやれ。彼氏はリフトに乗るのが初めてとのことで、乗った直後は少し怖かったそうです。
20年ぶりにリフトに乗って高尾山を目指す
リフトを降りると、近くにお団子屋さんがありました。高尾山は山と言うよりも、今や山全体がレジャー施設のようです。いたるところに、お土産や記念品などのお店があります。お団子屋さんもその一つです。都心を見下ろしながら、お団子を一つ食べてみました。
リフトを降りた場所から都心を見下ろして 長い参道をすたすたと歩く
お団子屋さんからの緩い上り坂を登ると、ケーブルカーの駅がありました。さらに進むと、タコ杉の穴がありました。かつて触ることができましたが、今は保護のため金網で保護されていました。娘が、「子供の頃にこの穴にお金を入れたことがある。」と言っていました。
凱旋門のような立派な楼門 天狗のうちわを扇ぐ
さらに歩いて、仏舎利塔に行きました。私がボーイスカウトの指導者をしていた頃、毎年春にこの仏舎利塔前に子供達を連れて来て式典に参加しました。この仏舎利塔内には、日本のボーイスカウトが昔インドに行っていただいてきたお釈迦様のお骨が納められています。
この階段を登りきると薬王院、お坊さんの念仏やほら貝の音が聞こえる
しばらく歩くと、念仏を唱える声やほら貝の音が聞こえ始めました。長い階段を登りきると薬王院です。この薬王院の中から、お坊さんたちが念仏を唱えたりほら貝を吹く音が聞こえました。中を見ると、たくさんのお坊さん達が向かい合う様に念仏を唱えていました。そして、たくさんの人がそれを取り囲むようにして座りお祈りをしていました。
念仏の声がする薬王院 線香の煙を浴びる
薬王院の宗派は真言宗とのことで、護摩焚きがされていました。そして、ときおり小さく切った薪木が炎の中に放り込まれていました。その昔、修行する人達はほら貝を吹き鳴らし各地を巡礼しながら修行していたようです。私は仏教の宗派については無知なのですが、四国八十八ヶ所巡りのように各地を巡礼しながら修行して悟りをひらくのでしょう。
薬王院を拝観した後、坂道を登りつめると頂上に着きました。平日だったので、それほど混んではいませんでした。ただ、晴天ならば見えるはずの富士山は見えなかったのは残念!
薬王院の建物の一つ やっと頂上に到着するも曇空
東京都 高尾山日帰りウォーキング(2/2)
高尾山山頂で昼食をとりながら休憩しようとすると、子供達のざわめき声が聞こえてきました。休日ならば一般の人が多い頂上ですが、平日の今日は幼稚園の遠足のようです。何処に行くのかなと思っていたら、我々の傍に子供達がシートを広げはじめました。そのうち保母さん達の点呼が始まりました。そして、可愛い子供達はめいめいにお弁当を食べ始めました。
あいにくの曇り空で、西側正面に見えるはずの富士山は見えず
子供達のお母さんが作ったのでしょう、かわいいお弁当でした。娘もその子供達を楽しそうに見ていました。私達は子供達の傍に座って弁当を食べることにしました。今の世の中、子供達の声は騒音だそうです。しかし今回、私は元気な子供達の声に少しばかり元気をもらったように思います。
シートを広げて座る幼稚園児達 昼食休憩後、木の階段をひたすら降りる
休憩が終わると、子供達の歓声を背中に高尾山を下山することにしました。静かな森林浴を楽しめて吊り橋がある4号路コースを下ることにしました。しかし、スズメバチがいて危険とのことで、以前通った時は無かった急な木の下り階段を降りました。途中で本来の4号路コースに合流しました。森林浴しながらのんびり山道を下っていると、吊り橋が見えてきました。
何年ぶりでしょうか、渡った吊り橋
吊り橋はそれほど高さがありません。そのため、沢山の人が橋から下を覗いていました。吊り橋を渡ると、しばらく森林浴しながらの山道が続きます。山道を歩き終えると、登っている時に通り過ぎたタコ杉近くの道に出ました。タコ杉の穴は触れませんので、近くに置かれた「ひっぱり蛸」石を触りました。そして、再びリフトに乗って高尾山の麓に降りました。
タコ杉近くの「ひっぱり蛸」石 リフトで高尾山を降りる
リフトを降りると、麓の通りに並んだお店をハシゴしてお土産を買いました。そして、名物のとろろ蕎麦を食べました。とても混んでいたのですが、時間に余裕がありましたので談笑しながら待ちました。しばらく待っていると、とろろ蕎麦で出てきました。とろろがたっぷり入っているので、するすると美味しく食べることができました。
20年位前、小さかった子供達やボーイスカウト達を連れてよく登った高尾山、とても懐かしかったです。またいつか、家族と一緒に登ってみたいものです。
お店をハシゴしてお土産を買う 美味しかったとろろ蕎麦
ぎりぎり間に合った、枝豆の収穫
ここ2,3日急激に寒くなりました。夕方から早朝にかけて、毛布やコタツが欲しくなるほどです。今日は最後の枝豆を収穫しました。たくさんあるので何度かに分けて収穫し、枝付きのまま友達に分けたり近所の方にお分けしました。
寒くなり、やや黄色くなった枝豆 最後の枝豆を畑から抜く
枝豆は、麻郷公民館まつりや高塔ふれあい祭り に出すのに合わせて8月に種まきをしました。ところが゜、麻郷公民館まつりは、サツマイモの収穫に忙しくて枝豆は出せませんでした。そして、高塔ふめあい祭りは今年は中止のようで、これまた出せませんでした。
暖かい日差しを浴びながら、枝豆の葉を取る
今回が最後の枝豆収穫です。このところの寒さで、少しばかり葉や鞘が黄色に変色していました。収穫した量も多くないため、すべて我家で食べます。枝豆は、農薬を使わず肥料も全く使っていないため背は高くありません。それでも、美味しく最後の枝豆を食べることができました。来年も作ろうと思います。
やや鞘が黄色くなるも、とても美味しかった最後の枝豆
町田市 多摩市 多摩丘陵ウォーキング(1/3)
東京に行っている間、空いている日がありました。家でぶらぶらするのは嫌いなので、近くのハイキングコースを歩いてみました。今回は、京王線のはるひ野駅から唐木田駅まで多摩丘陵です。まずは、南大沢まで行き、多摩センター駅で乗り換えて、はるひ野駅で降りました。平日のためか静かでのんびりとした駅でした。
人が少なく静かな、はるひ野駅 左手に電車を見ながら多摩丘陵に向かう
はるひ野駅の東口を出ると、ひたすら団地を北に向かって歩きました。緩い坂をのんびり登って行くと、電車が左手に走っていました。この付近は新しい団地が次々にできているようです。あちこちで大工の方がノコギリなどの音をたてながら家を建てていました。そして、幼児と一緒に散歩している若いお母さんも目につきました。若い世代が多い団地のようです。
多摩丘陵の尾根道を快適に歩く
しばらく歩いていると、多摩丘陵の尾根道(よこやまの道)の入口に着きました。歩いてすぐ、黒川よこみね緑地に着きました。少しばかり休憩後、尾根道を進みました。尾根は歩きやすい林間の木漏れ日の小道が続きます。10分位歩くと、瓜生黒川往還の分岐に着きました。
黒川よこみね緑地のイスで休憩 多摩東公園との分岐点
瓜生黒川往還の分岐からしばらく歩くと、展望広場に着きました。南側は木々に遮られて展望がありませんが、北側は広く見渡すことができます。遠くを見ると、大岳山などの奥多摩の山々が小さく見えます。手前はマンションなどのビルが林立しています。この展望広場からは、広大な多摩ニュータウンを一望に見渡すことができます。
遠くに奥多摩などの山々を広く見渡せる展望広場
この展望広場は、別名「防人見返り峠」と呼ばれています。この多摩丘陵は古代の道路が通っていた場所です。東北から防人として徴集された人々は、この峠を越えてはるか遠い九州に向かったそうです。この峠を過ぎると、故郷である東北の山々が見えなくなります。この峠で、いつ帰るとも分からない故郷を振り返ったとか。
展望広場の防人見返り峠の碑 展望広場から東へ続く尾根道
対馬や北九州で防人としての役目を終えて、いったい何人の人がこの峠に戻ることができたでしょうか。万葉集にも悲しい防人の歌が載っています。家内と離れて親の介護で単身赴任中とも言える私にとって、次の万葉集歌「わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず」はとてもよく分かります。
今回ウォーキングした多摩丘陵のコース
町田市 多摩市 多摩丘陵ウォーキング(2/3)
展望広場(防人見返り峠)は、多摩ニュータウンの工事でだいぶ削られたようです。展望広場から少し歩いて展望広場を振り返るとそれが良く分かります。古代においては、うっそうとしていたと思われる峠は今、多摩市と町田市の境界線にあります。どういうわけか、多摩市側はぎりぎりまで開発されています。しかし、町田市側は開発されず森が残っています。
〇は展望広場(防人見返り峠)、左側は多摩市、右側は町田市
展望広場で少しばかり休息後、ウォーキングを続けました。途中、尾根幹線道路にあるトイレに行きました。しばらく歩くと、鎌倉街道に出ました。この付近は舗装道路になっており、尾根幹線の歩道橋を渡って鎌倉街道を越えました。その後歩いて、恵泉女学園大学の農場に行きました。
歩道橋を渡って鎌倉街道を超える 恵泉女学園大学の農場
この農場は、恵泉女学園大学の生徒たちが野菜などを育てる畑がたくさん並んでいます。春のスプリングフェスタか学園祭の時に、私の知っている先生にこの農場を案内していただいたことがあります。この大学に入学すると、一年生は必ずこの農場で野菜作りを体験することになっているそうです。なお、当時この農場の前にお墓ができるとのことで反対運動がありました。しかし、反対のかいなく大規模な墓地ができていました。
広々とした実験農場や地元の畑
恵泉女学園大学の農場を見終わると、大学の裏を抜ける道を歩きました。しばらくこんもりとした林が続きました。地図を見ても分かりにくい道をどんどん歩きました。一度お地蔵様前で道に迷ってしました。その時、畑で農作業していた方に聞いて道を修正しました。しばらく歩いていると、ぽっかりと広い舗装道路に出ました。
お地蔵様前で道に迷う 一本杉公園と小野路宿の道しるべ
その広い道路は、北に向かうと一本杉公園、南に向かうと小野路宿に向かいます。今回は、小野路宿里山交流館と小野神社がある小野路宿方面に向かいました。江戸時代後期、新撰組が剣術を教えていたと言われる旧宿場町の路を歩きました。15分位でしょうか、どんどん舗装道路を南に向かいました。すると、小野路宿里山交流館の立派な建物が見えてきました。この建物の中を見学してみることにしました。なお、この小野路宿は、宿場100選の一つだそうです。
門構えがとても立派な小野路宿里山交流館
中に入ると、里山交流館らしくこの付近の自然の素材を使って作られた民具などが展示されていました。また、レストランも併設されていました。今回はお腹がすいていなかったため食事はとりませんでした。外に出て、併設された施設や建物をいろいろ見学しました。立派な味噌蔵がありました。この交流館で味噌を作るのでしょうか。
自然の素材で作られた民具など 小野路宿里山交流館裏山の小野神社
小野路宿里山交流館を出ると、すぐ近くの裏山にある小野神社に行きました。小野路宿を見下ろすことができる神社でした。10世紀に建立されたとのことですので、坂東武者や鎌倉武士に厚く信仰されていたのではないかと思います。
なかなか立派な万松寺 七体あるのに、なぜか六地蔵
小野神社のある裏山を降りると、万松寺に行きました。なかなか立派なお寺でした。そのお寺からターンするようにして、ゆるい坂道を登りました。少し歩くと六地蔵がありました。ただ、六と言いながらお地蔵様は七体ありました。途中で一つ増えたのか、何か言われがあるのでしょう。六地蔵を過ぎると、牛の放牧場に向けて緩やかな坂道をどんどん登りました。
今回ウォーキングした多摩丘陵のコース
町田市 多摩市 多摩丘陵ウォーキング(3/3)
六地蔵を見終わると、緩やかな登りの舗装道路を歩きました。20年位前に一度、家内と一緒にこの道を歩いたことがあります。その当時は舗装されていませんでした。その同じ道をしばらく歩くと、牧場が見えてきました。何頭かの牛が放牧されていました。牛がやって来そうな近い距離で牛達を観察することができます。
周囲の畑や山を見渡しながら、のんびりと道を歩く
牛を眺めた後、少し行くと林の中にイスがありました。10分程度休憩しました。ここから南方面を見ると、横浜ランドマークタワー等のビルを眺めることができます。それらのビルを、持ってきた双眼鏡で確認しました。休憩していると、私と同じ位の年齢の夫婦がやってきましたので、少し会話しました。麓まで自転車がやって来たそうです。
小野小町の小野井戸 鳥居と祠がある小野路城址
続いて林の中をどんどん進むと、小野小町の井戸に着きました。せっかくの井戸、少しばかり濁っていました。その井戸を回り込むように進むと、小野路城址は目の前です。ゆるやかな道を登って行くと、鳥居がありその向こうに祠がありました。だいぶ昔に廃棄された城のようです。小野路城を見終わると、奈良ばい谷戸の炭焼き小屋に向かいました。
炭焼き小屋 静かな里山の田んぼ
炭焼き小屋には誰もいませんでした。今は炭焼きシーズンではないからでしょう。奈良ばい谷戸の道をどんどん進むと、稲刈りが終わった田んぼが見えてきました。脱穀する稲束が、はさに掛けられていました。里山が一番綺麗なのは、晩秋だと思います。真っ青な空と干された稲束は、まさに秋の風物詩です。
真っ青な空と干された稲束、里山を代表する景色
里山風情を楽しむと、どんどん歩いて日大三高が見える舗装道路に出ました。少し歩いて、春に歩いた小山田緑地の入口まで行ってみました。入口を確認すると、元来た道を戻り里山の出口に戻りました。あとは、ひたすら唐木田駅に向かって歩き続けました。
鶴牧東公園近くまで続くメタセコイア並木
町田~日大三高~唐木田付近の道は、かつて車やバイクで何度も往復した道なのでよく知っています。唐木田駅に近づくと、鶴牧東公園近くまで続くメタセコイア並木の歩道を歩きました。メタセコイアの並木をしばらく歩くと、唐木田駅はもうすぐです。
落葉間近の長坂公園の桜 ようやく到着した唐木田駅
途中、桜が綺麗な長坂公園を久しぶりに訪れました。今は秋、赤く色づいた桜の葉が落ちかけていました。公園で少しばかり休むと、公園から見える唐木田駅までほんの数分です。今回は、足がほかほか暖まった心地よいウォーキングをすることができました。
今回ウォーキングした多摩丘陵のコース
紫大麦の種まき、そして小麦種まきのため畑を耕耘
11月上旬は麦の種まきシーズンです。私も今日から種をまきます。今回は、変わった穂色の大麦の種をまきました。夏に八王子のあちこちを散策していた時のことです。ある畑の横を歩いていると、大麦の落穂が道に落ちていました。その穂を手に取ると、紫色をしていました。紫色の大麦があることは知っていました。もしかして、その大麦ではないかと思います。その落穂を今回蒔いてみました。どんな大麦が育つのでしょうか。楽しみです。来年は、その増えた穂をさらにまいて、再来年に自家用として製粉して食べてみたいと思っています。
今回蒔いた、紫色の大麦 約20cm間隔で種をまいた畝
次に、小麦の種を蒔くつもりの畑を耕耘機で耕しました。小さな雑草が生い茂っていたため、種まき直前にもう一度耕そうと思っています。去年は11/末に種まきしたため、発芽が遅れました。今年は、特に用事がなければ11/10~11/13に種まきをしようと思います。今年種まきする小麦の品種は、去年と同じミナミノカオリです。
耕耘機で、小麦用の畑を丁寧に耕す
町田市 八王子市 多摩丘陵ウォーキング(1/3)
10月18~27日東京にいましたが、空いた日には必ずウォーキングするようにしました。25日も空いたので、我家近くをウォーキングしました。京王線の唐木田駅をスタートして、前回歩いた多摩丘陵コースの続きを歩くことにしました。唐木田駅を降りると、大妻女子大学に向けて舗装道路を進みました。
唐木田駅から多摩丘陵方向を見て 大妻女子大学脇から散策路
大妻女子大学までは舗装道路ですが、大学脇から歩きやすい多摩丘陵コースが続いています。土地開発中のこの付近は、あちこちで建設工事の音が響いていました。開発後の荒れた土地に多い、セイタカアワダチソウの黄色の花ばかりが目立ちました。開発されていない土地はいろいろな雑草の花が混在していますが、この付近は単一の雑草が多く生えていました。
開発が進む空き地に咲き乱れていた、セイタカアワダチソウの花
セイタカアワダチソウの群生地をすぎると、今度はくずの葉がたくさん巻き付いたフェンス隣りの道を進みました。開発が進行中の荒地には、くずやセイタカアワダチソウのような単一雑草が繁茂していることが多いです。何となく違和感がある植生がしばらく続きました。
くずが巻き付くフェンス隣りの道 林から見える自動車学校
そのうち林の中に入りました。やや暗い林の隙間から自動車学校が見えました。私は以前、大型(トラック)の運転免許を取得するために自動車学校に通ったことがあります。バスの運転手になってみようかな、と思ったのが大型免許を取得したl理由でした。免許取得時、一番苦労したのは内輪差の感覚です。最初その感覚が分からなかったため、自動車学校内でよく脱輪しました。
散策道の林の中から見える町並み
いろいろ失敗しながらも、努力のかいあってなんとか大型免許を取得することができました。その後バスの運転手になることはありませんでしたが、大型免許を取得したそのおかげの一つとして、トラクターを乗せたトラックを自分で運転して山口県まで輸送することができました。900km近いトラック運転は疲れましたが、今になってみれば思い出深い運転でした。輸送したトラクターは東京の農家の方にいただいたものですが、我家で今は大活躍しています。
秋空にはためくススキの穂 散策路から南、町田方面を見て
自動車学校を見下ろした後、近くにある二輪免許取得学校が見えてきました。これまた、懐かしい風景です。やはり、中型バイクの免許を取得するときに通った学校を思い出しました。入学した時に一番困ったのは、バイクを持って動かす8の字走行です。何度かこけそうになったことを覚えています。一方、クラッチ付の原付を運転していたので中型バイクのクラッチをすぐに覚えることができました。この中型バイクのクラッチはみんな苦労しているようでした。体の小さな女の子は、バイクの重さとクラッチ苦労していました。途中で諦めてしまった女の子が少なくなかったように思います。
休憩所から見た水道塔 鶴見川の源流を示す立札
自動車学校や二輪免許取得学校を懐かしい思いで見終わった後、どんどん歩きました。この散策路の北側は八王子市で、開発されたビルや公園ばかりです。一方の南側は町田市で、開発されていない森林がうっそうとしています。町田市側の森の中に、川崎市の鶴見に流れ込んでいる鶴見川の源流があります。小さな源流が、川崎のビル街を流れる濁った川になるのです。次に長池公園に向かいました。
今回ウォーキングした多摩丘陵のコース
町田市 八王子市 多摩丘陵ウォーキング(2/3)
多摩よこやまの道を抜けると、次に長池公園に向かいました。そのため、尾根幹線道路をまたぐ陸橋を渡りました。この道路は今は都心と橋本方面を結ぶ重要な道路になっています。10年位前デイサービスなど介護施設に勤めていた頃、この道を毎日通りました。
今日もたくさんの車が通っていた尾根幹線道路
尾根幹線道路を渡ると、急に静かな林が待っていました。この道はあまり使われていないらしく、道脇にたくさんの雑草が茂っており、あまり手入れされていないように思えました。一人では歩くのが怖いように思えるさびしい長池公園に沿う道路でした。その道を数百メートル進むと、長池公園に入る入口がありました。
ようやく長池公園の入口 とても静かだった公園道
長池公園に入ると、これまた静かな道が続きました。平日のためか、散策する人が少ないようです。この静かな道は、道幅が広くバードウォッチングには良い道です。しばらく歩いていると、ようやく人に出会いました。老齢な夫婦と、子供連れの家族です。時々鳥の声がする木漏れ日ロードをのんびり歩きました。
時々鳥の声が聞こえる、静かな木漏れ日ロード
道を外れて池や湿地脇の道を歩いていると、長池公園自然館に着きました。この建物は、確か10数年前に建てられました。長池周辺の自然を守るためのNPOで、確かNPO制度ができた初めころの組織だったように思います。当時、私は長池とは別の田んぼで稲作を手伝っていました。その頃、肥料を運んだか何かで、ほんの少しばかり関わったことがありました。
長池公園自然館の入口 ここでも唐箕に出会う
この長池公園には小さな田んぼがあり、周辺の方々が毎年田植えや稲刈りをしています。私も一度参加してみたいと思いました。しかし、私も稲作をしていた関係で忙しく、一度も参加することはありませんでした。この長池公園ネイチャーセンターは、NPO関連で表彰されたように記憶しています。都会に接した地元密着型のNPOです。この公園に生えている植物や生息している生き物を、子供達にも分かりやすく解説してありました。
長池公園自然館の落ち着いた室内
室内は広く、何部屋もあります。一番大きな部屋は、各種展示会やコンサートができる大部屋です。今回訪れた時は絵画展が開催されていました。室内を見学し終わった後、外に出て木のテーブルに座って休憩しました。この自然館に来る人を見ると、近くのマンジョン街から来る人が多いようです。この付近は、この20年位の間に開発されたマンションなどが多い場所です。これらマンションなどに住む人々の憩いの場所になっているようです。
長池公園自然館前で休憩 ヨーロッパ風の長池見附橋
続いて、久しぶりに長池下流にある築池の堤防に行ってみました。この堤防からヨーロッパ風の庭園景色が広がっています。特に洋風の長池見附橋はいつ見ても綺麗です。ドラマの1シーンに使われることがよくあるそうです。一方で、築池を見ると、池の中に大きな鯉がゆうゆうと泳いでいます。そして時々、水中から亀が姿を現します。その泳ぐ姿はユーモラスです。
ヨーロッパ風の庭園景色のような長池見附橋付近
長池公園付近は、この20年の間にずいぶんと景色が変わりました。20年位前はまだ空き地が多く開発中でした。あちらこちらで新築マンションや一戸建ての建築ラッシュでした。それから20年ほど経って、今はずいぶんと落ち着いた街になっていました。長池見附橋付近は子供を連れた若夫婦がたくさん散策していました。少子高齢化はここでは当てはまりません。長池公園はNPOとして市から委託されて住民が運営しているようです。
今回ウォーキングした多摩丘陵,長池公園,南大沢周辺コース
町田市 八王子市 多摩丘陵ウォーキング(3/3)
長池公園を出ると、別所小学校に通じる道を歩きました。別所小学校に初めて行ったのは、確か息子が小学校1年生の時にサッカークラブに入った時です。そして、近年では別所小学校5年生の稲刈り体験を支援していた時です。小学生が田植えや稲刈りして作ったお米をおにぎりなどに調理する時に招待されて行きました。今回は、別所小学校方面には行かずグリーンウォーク多摩に行きました。
グリーンウォーク多摩内のいろいろなお店を散策
グリーンウォーク多摩に行ったのは、義母の一回忌と義父の七回忌のための衣装類を買うためです。購入したのは、黒の靴下,黒靴,黒ネクタイなどです。ついでに、ユニクロで季節ものの長袖シャツを買いました。このグリーンウォーク多摩には色々なお店があるため、時間をつぶせます。必要なものを購入後、小腹がすいたためラーメンを食べました。
黒靴などを購入したお店 長袖シャツを購入したユニクロ
グリーンウォーク多摩を出ると、懐かしの南大沢界隈の道をのんびりと歩きました。ある大手電機メーカーでコンピューター開発を担当していた時のことです。その頃は、小型のオンラインシステムを開発していました。そして、開発したシステムを使っていただいているユーザを訪問したことがあります。その会社は、このグリーンウォーク多摩近くにありました。システムに対する不満,使い勝手,改善点などをお聞きするための訪問です。その会社入口の独特な玄関が今でもありました。その会社はその後移転して、今は別会社の情報センターになっていました。
訪問した企業の独特な玄関 葉が落ち始めた街路樹
しばらく歩いて、別所公園を歩きました。この公園は広々とした芝生が広がっています。天気が良い日、寝転がって空を見上げるとさわやかな気分になります。空を流れる雲,飛行機,渡り鳥などを観察できます。ビルの明かりが無ければ、夜は星を観察するにも適していると思います。今回は寝ころばないでスタスタ歩きました。紅葉しかけた街路樹と青空が綺麗でした。
広々とした芝生が広がる別所公園
別所公園を歩き終ると、堀之内駅に向かって歩きました。この付近のマンション街の街路樹がとても綺麗でした。もうすぐ赤く紅葉するはずで、晩秋になるといっせいに葉が散ります。すると、それまで葉にさえぎられていた太陽の日差しが直接地上に差し込むようなります。今度は、寒い冬でもポカポカ日向ぼっこできるようになるのです。
もう少しで紅く紅葉する街路樹と白いマンション
これらマンションの中で、思い出深いのはコリナス長池です。このマンションの一室で、会議をよく開いていました。私が、数年前まで長年にわたって所属していたユギ・ファーマーズクラブの事務局会議です。年に一度忘年会もしていました。美味しい料理に加え、各人マジックや草笛などの芸を披露して楽しんだものでした。
コリナス長池付近の街路樹 堀之内駅の不思議なモニュメント
堀之内駅に着くと、今回の多摩丘陵のウォーキングは終わりです。次1月に東京に来る予定です。その時は、南大沢から散策できる小山内裏公園などを訪れようと思います。
今回ウォーキングした多摩丘陵,長池公園,南大沢周辺コース
義理母一回忌、そして義理父七回忌の法要
山口県に帰る前の26日、義母一回忌と義父七回忌の法要でした。家内と結婚してから約30年です。いろいろあったため、私が義母と義父の家に行くのはつらいものがありました。気楽に行けず、行ったとしても毎回針のむしろに座っているようでした。義母と最後に会話したのは、辻堂の病院に入院している義母のお見舞いの時でした。
お墓に手向ける花を購入 家内とお墓に花を手向ける
法要に先だって、私と家内がお墓にお花を手向けてお寺に行きました。そして、後から来る親族を待ちました。結婚した30年位前、私よりはるかな年長者が法要などを仕切っていました。ところで、私はいつの間にかこれら親族一番の年長になってしまいました。当時、あやされていた赤ん坊達はみんな自立した大人になりました。今回参加した親族を見ていると、世代交代の早さに不思議な気持ちが湧きあがりました。
今回出席した男性親族、皆私より年下
30年位前、何十人も親族が集まっていました。ひい婆さんまでさかのぼる親族まで参加していたのです。昔は遠い親族まで声をかけて集まるのが普通だったようです。そのため、私の知らない親族ばかりでした。隔世の感があります。今の時代、普段親しい従兄弟程度の範囲でしか付き合いがなくなりました。少子高齢化の影響もあって、今後はさらに付き合いも狭くなっていくのでしょうか。
今回出席した女性親族、皆私より年下
法要が無事終わると、親族みんなであらためてお墓をお参りしました。私が幼児の頃、お婆さんに誘われてお墓を一つ一つ回ったことがあります。行きたくなかったのですが、お菓子を買ってあげるとの甘い言葉に誘われて仕方なく行ったものでした。それが今度は、子供達を誘う立場になってしまいました。今回集まった親族は、まだ孫はいません。いずれ、今回の親族に将来生まれるだろう孫が加わると思います。こうして、世代が一つ一つ交代していくことをひしひしと感じました。
お寺の法要会場 あらためてお墓詣り
今回の法要に外国籍の人が一人加わりました。シンガポールに住む娘の夫E君です。日本語がそれほど堪能ではありませんが、違和感なく溶け込んでいました。娘がしっかりと教えたのでしょう。銀行のIT部門で働いているE君、日本の古いしきたりにさぞかし戸惑ったことでしょう。今、海外の人が親族に加わるのは珍しくありません。時代の変わり目なのでしょう。
お墓を水をかけている家内の末妹 E君と家内の妹の娘Mちゃん
今回来た親族の中で若いMちゃんやH君、13年前は可愛い女の子と男の子でしたがずいぶんと大きくなりました。Mチャンは今、来春の国家資格取得に向けて猛勉強中です。家内の妹であるお母さんは看護師です。お母さんを見習って立派なリハビリの専門家になって欲しいと思います。20年位後には、私もMちゃんのお世話になるかも知れません。
参加した親族、今回から私が一番の年長者とは、やれやれ!
法要が済みお墓参りを済ませると、全員で近くの練馬駅に行き電車に乗りました。そして隣りの駅で降り、みんなで昼食をとりました。そう言えば、30年位前は食事を取るにも大勢だったため、まるでお祭りのようでした。私もまだ若く、知らない方ばかりだったので、食事を楽しめませんでした。しかし、今回集まった親族は、みんな知っている人ばかりです。しかも、話しかけやすい距離に座り、わきあいあいに語り合いました。これくらいの人数が一番落ち付くことができるように思いました。
わきあいあいに語り合い、食事を楽しむ親族