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Channel: 東京里山農業日誌
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しいたけ(椎茸)の収穫、真っ盛り

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 しいたけの収穫が真っ盛りです。特に雨が降った次の日などは、にょきにょきとほだ木から生えています。このシイタケは私が、約3年前(2012.12)に伐採したこならを、90cmごとに輪切りにし、菌を植え付けたほだ木から生えてきたものです。毎年のように伐採と植菌を繰り返しているため、今後は毎年のように春と秋に山のように収穫できます。

              3年前に伐採し菌を植えたこならの木に生えたしいたけ


 しかしながら、我家は2人しかいません。毎日のようにしいたけを食べていますが、全然減りません。笠が開く直前のしいたけを収穫しては食べています。
 この時期はあまりに多く収穫できるため、我家ですべてを消費できません。このため、知人にしいたけを分けて食べてもらっています。せっかく食べてもらうならばと、前日遅くかその日に収穫したてのものを差し上げています。

     霧に濡れてつやつやのシイタケ          籠に入りきらないシイタケ
 


3ヶ月ぶり、東京の我家に帰る

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 3年前に東京からUターンして帰ってきましたが、東京には家内がおり我家もあるため年に4回ほど定期的に帰っています。この3月も東京に帰ってきました。山口が我家なのか、東京が我家なのかよく分からない吾輩です。住んだ年数だけを考えると、東京が我家と言えるかも知れませんが。

麦畑を過ぎ田布施駅へ3/25    徳山から新幹線         3ヶ月ぶりの富士山
  

 今回上京したメインイベントは娘の結婚式です。府中市にある大国魂神社での神前結婚式です。神前結婚式は甥の結婚式以来です。大国魂神社は、古代において武蔵国を治めていた国府があった場所に建つ由緒ある神社です。時代は過ぎて国府は無くなりましたが、この大国魂神社だけは古代からずっと建っているとのこと。神社前から続くケヤキ並木の大通りは古代道の名残と言われています。

                  3/28に神前結婚式をあげる大国魂神社


 東京に着いた次の3/26、私は自動車に家内と娘を乗せて八王子の我家から大国魂神社に向かいました。去年大国魂神社に来て神前結婚予約をしましたが、その予約の確認と家内や家内の妹達が着る和服などの荷物を神社に運搬しました。久しぶりに都内を運転しました。甲州街道を通ったのですが、府中市付近は道が狭いので大型トラックが隣りに来ると少しばかりひやひやします。

  大国魂神社のしだれ桜   イタリヤ料理店で時間調整     和服などを運び込む
  

 結婚式前日の3/27日は快晴でした。午前中は時間が空いたため我家付近をウォーキングしました。最初に行ったのはクジラ像がある海公園,続いて夾竹桃公園,そして団地の北側にある山を散策しました。快晴で暖かかったため一部の桜が咲き始めていました。

   クジラがいる海公園        夾竹桃公園           裏山から見た団地
  

 そして3/27日夕方、娘の旦那様のご両親に渡すプレゼントを持って家内と新宿に行きました。途中、京王線北野駅に立ち寄りました。新宿駅に着くと、先方家族が宿泊しているホテル近くのレストランで待ち合わせしました。ちょうどその頃、息子が中国から帰国して合流しました。息子達は英語や中国語を流暢に操って先方家族と楽しそうに会話していました。それを聞いていると、時代が変わったことや世界がグローバル化していることをひしひしと感じました。プレゼントを交換後、おごそかに結納をいただきました。ありがとうございます。やれやれ、緊張しました。

     立ち寄った京王北野駅                人通りが激しい新宿駅界隈
 

東京府中市 大國魂神社、娘の神前結婚式

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 待ちかねた大國魂神社での神前結婚式の日となりました。早朝、私は娘と和服に着替えた家内を車に乗せて府中市の大國魂神社に向かいました。そして、会場の専用駐車場に車を停めました。待合室でのんびり過ごしていると、神前結婚式をあげる別の新郎新婦とその家族がいました。これから式のようでした。

   着替えた新郎方家族       直前の練習       雅楽を先頭に拝殿に向かう
  

 しばらく歓談していると、我々を担当する神社のスタッフから着替えのお知らせがありました。女性陣は時間がかかるため、先に着替えです。男はモーニングに着替えるだけですので後です。そのうち、男性にもお呼びがかかりました。私と新郎の父親が一緒に着替えルームへ案内されました。そして、正装であるモーニングに着替えました。私はじっとしているだけで、指示されるとおり着替えました。

               神前結婚式の始まり、三々九度の杯


 そのうち女性陣は全員和服に着替えて出てきました。写真を撮ったりしながら談笑していると、呼び出しの声がかかりました。これから神前結婚式の始まりです。控室で新郎新婦を先頭に並んでいると、神主さんがやってきました。その神主に付いて行きました。建物の外に出ると、雅楽の皆さんと大きな和笠の方が待っていました。そして、演奏する雅楽の方々や神主さんなどに続いて拝殿に向かいました。

    夫婦の誓いを読む    巫女さんによる「浦安の舞」     結婚指輪の交換
  

 参道の白砂を踏みしめながら歩いていると、観光客の方々がたくさん寄ってきました。中には「おめでとうございます。」と声をかけてくれる人もいました。ちょっと照れくさいですが、一生に何度もある行事ではないので我慢です。見守る観光客の隙間を抜けるように、拝殿に入りました。さあ、これから神前結婚式の始まりです。

      式後に、食事の宴での挨拶              集まった親族と歓談
 

 神主さんのお言葉に従い、次々に式が進行しました。中でも巫女さんが舞う「浦安の舞」の鈴舞がとても良かったように思います。全国的に神社でよく踊られているようです。式の終わりに、家族全員がお神酒をいただきました。
 私はこれまで結婚式には何度も出ましたが、キリスト教式が比較的多かったように思います。やはり、神前結婚式は日本らしい奥ゆかしさがあってとても良いと思いました。息子は将来どの結婚式を選ぶのでしょうか。とは言え、そもそもお相手がいなければ選べませんが。

               食事の宴での新郎新婦、どんな家庭を築くのでしょう。


 式が終わると、普通ならば親戚一同,会社の仲間,学校の同窓生などが集まる披露宴が始まります。しかし、そのような披露宴はせず食事を中心にした静かな宴にしました。来ていただいたのは、家内の姉妹家族と新郎の父母です。私の母親や妹家族とは、新ためて山口県で宴を催すことにしています。しかしながら、国境を超えての結婚は日本での常識が通用しません。疲れることばかりでしたが、10年も経てば良き思い出となることでしょう。

    しだれ桜の下で         新郎新婦と従妹        金の屏風前で披露
  

 ところで、私が二十代の頃は今のようなデジカメなどありませんでした。友達の結婚式などで、よく頼まれて写真を撮りました。当時は35mmフイルムでした。枚数が限られていたため、一発勝負で気が抜けませんでした。また、動画も8mmフイルムでした。しかし、一本たったの3分しか撮影できないのです。式が始まる前に、3分にどう納めるかイメージしながら撮影したものでした。

                     神前結婚式に参加した女性陣


 昔は、式が終わってからの焼き増しや編集が大変でした。今のように簡単にコピーできなかったのです。写真は必要な各コマごとに枚数を数えて写真店に頼んで焼き増ししていました。8mmフイルムはハサミで切りながら編集しました。文字を入れるためアニメーションを1コマ1コマ入れたこともありました。当時使用していた8mm映写機がまだ使えることが先日分かりました。当時8mmカメラでいろいろ撮影しましたが、結婚式の映像は全てお祝いとして渡したため手元にはありません。
 今回の結婚式で撮影した画像や映像は、クラウド上に各人がアップロードします。そして、各人が欲しいものだけをダウンロードします。時代は変わりました。

       今回参加した娘の従妹達             娘と家内の姉妹達
 

 結婚式は午後早くからでしたが、気が付くと外は暗くなっていました。楽しい歓談が済むと、着替えて大國魂神社の外に出ました。この日は晴天の暖かい日でしたので、一気に桜が咲いていました。みんなで夜桜を楽しみました。そして、私は家内と娘を乗せて、車で八王子の我家に帰りました。疲れましたが、良い結婚式だったように思いました。あとは、式を挙げた夫婦が仲良い家庭を築いてくれることを願うだけです。

   外は七部咲きの夜桜        夜桜と家内           お疲れ、新郎新婦
  

人間ドッグ、そして脳神経外科病院でMRI検査

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 3/28の結婚式が終わって少々疲れたため、以後数日は自分の癒しタイムとすることにしました。29日は町田市に行って電子部品を購入後、ウォーキングするつもりでした。しかし、電子部品購入後、雨が降ってきたため昼食を食べただけで八王子の我家に戻りました。

   お茶の水の三楽病院   JRお茶の水駅で中央特快に    JR八王子駅に到着
  

 そして、その次の30日は、お茶の水の三楽病院で人間ドッグでした。朝8時までに病院に行って、いろいろと検査しました。去年指摘された中性脂肪の値が改善されていました。なぜ、改善したのかまったく分かりません。最近とみに歩いているので、ウォーキングが良かったのでしょうか。

                    八王子市内のしだれ桜が満開


 人間ドッグが終わると、御茶ノ水駅から中央特快で八王子に行きました。八王子駅を降りると時間が余っていたため、以前よく行っていた元ダイエーに行きました。すると、ビルが閉鎖されていました。解体するか改築するのでしょうか。
 本屋などで時間調整後、脳神経外科病院に行ってMRIの検査を受けました。1月に片頭痛で検査を受けたのですが、今回はもう少し精密な検査を受けました。脳の血管を中心に精密検査を受けましたが、血管に異常は見つかりませんでした。少し安心しました。その後、長沼公園をのんびりウォーキングしながら我家に帰りました。

   閉鎖中の元ダイエー   MRI検査した脳神経外科病院    桜咲く都立長沼公園
  

田布施町 第45回たぶせ桜まつり 2015

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 第45回たぶせ桜まつり、朝雨が降っていました。そのため、もしかして中止になるのかと心配していました。一昨年昨年も天候が思わしくありませんでしたが開催できました。今年は連日雨でしたので私はやきもきしました。桜まつりり担当の方々は、私以上に胃が傷むような日々ではなかったかと思います。それでも開催できて、しかも少しばかり天候が回復してとても良かったです。

    郷土館玄関前の娘    意外や、民具に興味を持つ   たぶせ桜まつり会場へ
  

 今回の桜まつり、私は帰国中の娘と楽しみました。最初郷土館に寄って挨拶し、民具などを娘に見せました。ところが、古いものには全く興味がない娘のはずだったのに、なぜか古い民具に興味を示しました。おかげで桜まつり会場に行くのが1時間ばかり遅れてしまいました。
 都心にある資料館は、展示してあるだけで触って見ることがあまりできません。このため田布施郷土館のように触ることができる民具館は珍しいようです。民具を触って見ることができることは意外に大切のようです。

        桜まつり会場に着いた頃、お腹が空いたので肉まきおにぎりを購入


 11時頃に桜まつり会場に着きました。その頃お腹が空いてきたため、会場を見回って食べるものを探しました。たまたま並んでいる列を見ると、肉まきおにぎりを売っていました。この列に並んで買うことにしました。肉まきおにぎりを購入すると、腰をおろして食べるため川辺に移動して桜の下に座ることにしました。いつもの桜まつりでは、桜の下はシートがたくさん敷いてあり座る場所がなかなか見つかりません。今年は探す必要が無いほど、桜の下は空いていました。

  牡蠣の蒸し焼き販売     田布施農工高校の広場   どの桜の下で休憩しようかな
  

 広場を通り抜けている時、ちょうどフラダンスを上演していました。今年はステージが東側の川沿いです。ゆっくりと見学したかったのですが、午後からひらお邦楽朋の会の発表会に行く予定だったので足早にステージ前を通り過ぎました。そして、さくら橋を渡ってサリジェ側へ行きました。そして、川岸の桜の下で休憩しました。

               少し晴れてきたステージ北側交流館近く


 サリジェ付近を歩いている頃から、空に晴れ間が見えてきました。朝は雨でしたが、晴れて本当に良かったです。春の今頃は、前線がよく通過して天気が崩れやすい季節です。来年はぜひ快晴になって欲しいものです。今年の田布施川は濁っており、カヌーは早々と中止となってしまいました。釣り堀も中止です。今年は、少しばかり寂しい川岸でした。

  晴れ間の見えた空と桜      川岸でちょいと休憩    合唱中の少年少女合唱団
  

 3年前(2012年)は快晴で桜まつりはとても賑やかで、田布施川には色とりどりのカヌーが浮かんでいました。来年こそは、快晴になって欲しいものです。郷土館にいると、観光協会や役場などの方々が事前の天候不順に頭を悩ましている姿をよくお見かけしました。田布施町の一大イベントであるたぶせ桜まつり、天候不順の中、スタッフの方々本当にお疲れ様でした。
 午後13時頃、ひらお邦楽朋の会発表会がある平生町の武道館に向かいました。

          桜が満開の田布施川の岸辺、今年は天候不順のため人が少な目

平生町 ひらお邦楽朋の会発表会を鑑賞 2015

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 5日、たぶせ桜まつりで昼食などをたべながら休憩し終わると、平生町の武道館に行きました。ひらお邦楽朋の会の発表会を見るためです。去年は、田布施町城南の呉麓山から下山した後に発表会に行きました。このため、発表会の後半を鑑賞することしかできませんでした。今年はたぶせ桜まつりを早々に見終わって行ったため、発表会にぎりぎり間に合いました。

                   立ち方三人による舞踊:武田節


 武道館に到着すると、開演直前のためか駐車場には誰もいませんでした。そして、入口にも誰もおらずすぐに会場に入りました。たまたま、前の方の席が空いていたため娘と座って鑑賞しました。ちょうと゜、一番目演目の羽衣が始まる直前でした。今年はぎりぎり開演に間に合いました。

          舞踊:千日草           独吟:百萬           舞踊:一世一代
  

 開演からしばらくして周りを振り返ると、同級生をはじめとする知人がたくさんいることに気が付きました。一番驚いたのは、右隣の車椅子で鑑賞しておられたお年寄りの方です。どこかでお見かけしたことがあるので、お声をおかけしました。すると、私の保育園時代の同級生のお母さんで、しかも今回踊っているT1さんの義母?さんでした。しかし、いつどこでお見かけしたのかどうしても思い出せました。T1さんのお宅で会ったのでしょうか?

             ひらお邦楽朋の会の発表会を鑑賞している方々     


 その他の知人は、小学校,中学校,または高校時代の同級生達です。右前席付近に陣取っていました。みんな、同級生であるT1やT2さんの踊りを見るための来場です。ところで今年はたぶせ桜まつりなどの行事と重なったためか、鑑賞する方がやや少なかったように思いました。しかし個人的には今回、最初から最後まで鑑賞することができたのでとても良かったです。意外や、娘も喜んでいました。

    舞踊:じょんがら女節       独吟:船弁慶          舞踊:白鷺の城
  

 独吟を聞いていて、平生に住んでいた叔父(故人)が詩吟を教えていたことを思い出しました。国鉄に永く勤めた後、詩吟を教えていました。教えるからには師範の免状を持っていたのではないかと思います。家にはよく生徒さん達が来ていました。年に一度は発表会を開いていたのでしょうか。

      仕舞:松風             仕舞:屋島          舞踊:大河の流れ
  

 ところで、この発表会がある武道館の場所ですが、かつて平生国保病院があった場所ではないかと思います。私の祖母が入院したことがあり、当時小学生だった私は妹を連れてお見舞いに行ったことがあります。木造平屋の一つ部屋に、6人位の方がベッドに寝ていました。当時は平生の海辺に入浜式塩田があり、その塩田を横目に見ながら平生国保病院を往復しました。その平生国保病院は、昭和43年頃に周東病院が柳井港付近から移設された頃に無くなりました。周東病院に吸収合併されたとのこと。

                      舞踊:雪の連れ舞


 平生国保病院にはもう一つ思い出があります。私が小学6年生の秋、とある神社の境内で遊んでいた時に灯篭の下敷きになって瀕死状態になったことがあります。すぐに、平生国保病院に行きました。この時に初めてレントゲンにかかったのです。恐ろしく大きな金属の塊のようなレントゲン装置に驚きました。その時に初めて自分の骨の写真を見ました。

      仕舞:桜川              仕舞:巻絹           舞踊:清盛残照
  

 最後は、藤光会の方々のよる河内おとこ節の舞でした。皆さんの絶え間ない練習成果のたまものでしょう、息が揃っており楽しく見ることができました。また、赤と青の和服のコントラストがとても引き立っていました。会場の方々から手拍子が入り、会場みんなが楽しく最後の舞踊を鑑賞できました。ありがとうございました。 

       会場の手拍子に合わせるように、河内おとこ節を踊る藤光会一同の方々


 発表会が終わると、同級生同士が集まって談笑をしました。舞ったT1さんもT2さんは顔中が汗いっぱいでした。踊りも結構な運動量だと思います。T1さんもT2も、高校時代はバレーボール選手でした。日頃の運動が踊りに生きていると思います。これからも舞踊を頑張ってください。応援しています。そして、時々ウォーキングも。お疲れ様でした。

             小学校,中学校,または高校時代の同級生達

娘の結婚祝いに、桜の苗木二本を植える

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 6日、娘と昼食をとるために田布施町内のフランス食堂に行きました。フランス食堂に来たのは、12月に田布施街内の波野市や天神周辺ウォーキングの調査時以来です。次に、国木の喫茶店「のも」に行きました。混んでいたため30分程度待って、私はアイスコーヒーを娘は豆乳ジュースを頼みました。
 その喫茶店を出ると、少しばかり時間が空いていたため、近くにある戸倉神社へ行ってみました。急斜面で長い石階段を登りました。境内の桜は散りかけていました。石階段を降りると、竹尾を越えて麻里府方面を通って帰りました。

  レストラン「フランス食堂」     白身魚のムニエル      戸倉神社の急階段
  

 ところで、私が結婚した30年前、今は亡き父親は新郎新婦に見立てた二本の桜の苗を30cm離して植えたのです。夫婦仲良く一体になれるように、との思いだったそうです。その桜は今、根元が一体化して元気に今年も花を咲かせました。

      30年前に植えた桜の苗木二本、今は一体化して一本の桜に


 今回、私は父親を真似して、田布施町まるごと公園化プロジェクト(TMKP)からいただいた桜(陽光桜)を二本植えました。シャベルを使って穴を掘り、娘に桜の苗木を植えてもらいました。30cm離して、新郎新婦に見立てた二本の桜です。30年後、どんな桜に成長しているでしょうか。おそらく、成長するにつれ20年後頃には二本の桜が一本になるでしょう。今後、この桜の成長を見守ろうと思います。

      新婦に見立てた桜を植える娘          30cm離して植えた二本の桜
 

ようやく青空、田布施川で楽しいバーベキュー大会

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 7日早朝に娘をJR田布施駅に送りだした後、少しばかり畑仕事をしました。午前中わずかに晴れ間が見えました。我家の裏山をふり返ると、桜が少しばかり散っていました。そして、花が散った枝の隙間から青空が見えました。畑仕事を休んでベランダに行き、コーヒーを飲みながら舞い落ちる桜を鑑賞しました。風が吹くたびに、そよそよと花びらが一斉に散ります。

           そよそよと散る桜と床に落ちた桜を鑑賞しながら、コーヒーを一杯


 そして、11時頃に田布施川に行きました。麻郷ふるさと会のメンバーによるバーベキュー大会です。長ネギ,キャベツ,そしてシイタケを収穫し、冷蔵庫にあったウィンナーを持って参加しました。まな板と包丁も持って行きました。バーベキュー大会に行く途中、コンビニに寄ってノンアルコールビールを買いました。田布施川に着くと、すでにメンバーは集まっておりできあがっていました。

            肉,キャベツ,そしてシイタケなどを焼く、楽しいバーベキュー


 数グループの方々が近くで、同じようにバーベキューなどを楽しんでいました。楽しく話し込んでいると、A君の教え子家族がたまたま通りかかりました。これまた楽しい出会いの談笑となりました。私は都心に勤める会社員でしたので、田布施近郊の方々との接点があまりありません。役場や教師のような仕事は、現役時代の人的ネットワークが定年後も役に立つようです。少しばかりうらやましく思いました。

     A君と教え子家族の方々と談笑        地域のいろいろな話題をネタに談笑
 


奈良の大岩の形状再調査ほか

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 先月、奈良の大岩を深針調査しましたが、深針の棒が短かったため、あまり正確に計測できませんでした。今回、長さ180cmの鉄棒と230cmの細棒を持っていきました。そして、前回より正確に大岩の形状を調査してみました。最初、より体積を正確に調べるためA君が大岩の頂上に登りました。そして、大岩の高さを計測しました。すると、3.0mの高さがあることが分かりました。

                大岩の頂上に登って、周囲を見渡すA君


 次に、大岩を取り囲む南北の長方形を計りました。すると、南と北の一辺の長さはそれぞれ650cm、東と西の一辺の長さはそれぞれ800cmでした。そして、上から見た大まかな形状をスケッチしました。その結果は下図のとおり、C~Dはほぼ直線、E~F~Gはゆるかなカーブ、そしてG~A~Bはさらにゆるいカーブであることが分かりました。将来ドローンで上から空撮すれば、より正確な形状が分るはずです。


               大岩を上から見た、おおまかな形状

 続いて、一番知りたい大岩の地下形状を調べてみました。最初、地下に垂直に岩が続いている上図のC近くを深針してみました。岩から10cmずつ離れながら、斜め約45°の角度で打ち込みました。すると、多少凸凹するもやはり地下深くにそのまま潜っていることが分かりました。山側にスカート状に繋がってはいませんでした。
 次に、上図のE地点から斜め約30°の角度で打ち込みました。すると、どこまでも刺さります。しかもほぼ30°の角度で奥深く続いています。2m以上も刺さるため、大岩の直下中心部がどうなっているかは今回も分かりませんでした。


     上図、C地点の地底図              上図、E地点の地底図

 

 これらの計測の結果、大岩の北側A~D(5m)は、地下深く続いていると思われます。また、大岩の南側は、今回の探針調査では届かないほど深くえぐれていることが分かりました。そのため、大岩中心部の直下はどのような形状になっているのかは、相変わらず謎のままとなりました。なお、大岩下のどの窪みにも廃ビニールが詰め込んでありました。この廃ビニールを全て取り除くだけでも、大岩の地下形状が少しでも分かるのではないかと思います。
 江戸や明治頃はもしかして、人が雨宿りできる程度の窪みがあったかもしれません。そして、戦後にビニールなどの廃材が詰められた結果、窪みがふさがり今は大岩があたかも地面に置かれてように見えているのではないでしょうか。
 大岩の地下形状は相変わらず分からないままですが、巨大な岩山の頂点が大岩して顔をのぞかせているのかも知れません。大岩の下は、おそらく下図のようにおおきく窪んでいることが予想されます。さらに正確な形状を調べるには、地震探査計などを使うか、スコップなどで掘るしかありません。

                     奈良の大岩の、大まかな形状


 大岩の形状を調べていると、田んぼ跡を挟んだ向かい側でTMKPの方々がラベンダーの苗を植え付けていました。大岩の調査が一区切りすると、TMKPの方々の所に行きました。そして、苗を二つだけ植える手伝いをしました。談笑していると、午前中に大岩でアルプスホルンの演奏があったことをお聞きしました。
 私は、かつてトロンボーンをはじめとするホルン類を吹いていたことがあります。ホルンは、クラリネットのような音を震わせるリードがありません。唇を震わせて鳴らすのです。35年前鳴らすことができたホルン、今の私は鳴らすことができるでしょうか。

          ラベンダーの苗を植え付けている、YさんをはじめTMKPの方々


 奈良地区の調査が他にあるため、談笑後すぐにTMKPの方々と別れました。そして、奈良地区の西福寺跡を調査しました。田布施町の記録に無い寺跡です。おそらく、他のお寺の例に漏れず、明治初頭の廃仏毀釈で廃寺になったのではないでしょうか。
 今回、悲しいことですが、この秋まで建っていた南平和第三番ヶ所霊場の三宅薬師堂が更地になっていることを確認しました。その言い伝えや記録を取っていたことだけが救いです。この薬師堂のように、次々と昔の民間信仰の証が消えていくのは悲しいものです。しかし、この現代ではやむを得ないことなのかとも思います。
 ところで、大岩の形状を調査している時、誤って自分の指をハンマーで打ち付けてしまいました。痛いし血が出るし、困りました。いつものウォーキングでは薬や包帯を持ってきているのに、今回油断して忘れてしまいました。家に帰って薬を塗りました。

   西福寺の目印である大銀杏を目指す      更地になっていた三宅の薬師堂
 

シイタケ(椎茸)の伐採原木を90cmごとにカット

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 2月にシイタケ用に伐採した木がだいぶ乾いたので、90cmごとに切りそろえました。最初、根元から切り始めました。根元は幹の直径が太く重いので慎重に切りました。横にゴロンとなった木を輪切りにするのは意外に難しいものです。一番難しいのは、切っている時にチェーンソーの刃を挟まないようにすることです。幹を切る前に、どちら側に折れそうか見極めることが大切です。

   幹が折れる方向に注意して切断           1本目の木を90cmごとに切断
 

 今回切断したのはコナラの木2本で、90cmのシイタケ用原木が16個取れました。乾燥済みですので、明日にでも山からこの原木を降ろしてシイタケ菌のコマを打ち込もうと思っています。ただ、このところ毎日が忙しくてなかなか作業ができませんが、なんとか時間を見つけて作業しようと思います。

         後日この原木を山から降ろして、シイタケ菌のコマを打ち込む


 桜がだいぶ散りました。そのせいか、山はコバノミツバツツジの花で鮮やかです。もともと我家の山は、桜ではなくツツジがたくさん咲いていました。私が子供の頃は、山全体がツツジでピンクに染まっていました。ツツジは花びらが大きく、群生して咲くのでとても目立ちます。田布施町花であるコバノミツバツツジ、桜も良いですがこのツツジも増やしたいものです。

             桜が散り、代わって鮮やかに咲いているコバノミツバツツジ

楽しいミニ同窓会(50年前の少年少女達)ほか

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 4月になって忙しい日々が続いています。昨日11日は、午前中には田布施西小学校で田布施町少年少女発明クラブの開講式がありました。そして、午後は田布施町図書館で田布施地方史研究会の第49回総会があり、昨年度の事業報告や今年度の事業計画の報告がありました。そして、高松八幡宮の金長宮司より高松八幡宮の特殊神事などについて講演がありました。その後、私の方から、田布施地方史研究会誌第1号から150号までの電子化の報告しました。そして、パソコンで実演をしました。
 ところで、畑では桃の花が満開になっています。来月には袋掛けしようと思います。また、秋に種をまいた紫大麦が出穂し、禾が少しずつ色が付き始めました。

   地方史研究会の総会        満開の桃の花       色づき始めた紫大麦
  

 12日夕方、郷土館の仕事を終えるとEさんの親戚の家に行きました。集まったのは、いつもの同級生達やウォーキングの仲間達です。子供の頃の懐かしい思い出に浸りながら、お酒や美味しい料理で楽しい夕べを過ごしました。50年前、仲間達が再び集まることになるなど想像すらしませんでした。ありがたいことです。これからも、よろしくお願いします。

              楽しい夕べを過ごした、50年前の少年少女達

絹さやエンドウとグリーンピース用の支柱を立てる

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 晩秋に種をまいた絹さやエンドウとグリーピースの畝に竹枝を挿しました。これらの豆は蔓性ですので、今後成長するにつれて巻き付く枝が必要になります。私は毎年この頃、竹林に行って適当な竹の枝を切ってきます。そして、その竹枝を巻き付く支柱にしています。

  竹林から切ってきた枝     エンドウ豆の畝に刺した枝  竹枝を支柱に結び付ける
  

 必要な竹枝を畝に刺すと、風で倒れないように、そしてエンドウ豆の重みで倒れないようにします。そのため、枝の間にまっすぐな支柱を何本か挿し、竹枝の所々を支柱に結び付けて固定します。
 このまま順調にエンドウ豆が成長すれば、5月中旬には美味しい絹さやエンドウ豆を収穫したり、グリーンピースを収穫できると思います。来月の収穫が楽しみです。なお、今年はスナップエンドウ豆は作りませんでした。

                 竹枝を支柱に固定し終わったエンドウ豆の畝

収穫したタケノコと製粉した全粒粉(小麦粉)を東京に

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 今朝、東京に住む家内からCメールが届きました。「今朝タケノコ汁で美味しくいただきました。鮮度良好でした。」と。2日前、我家の竹林に生えていたものを掘って送ったタケノコです。昨日夕方にタケノコが届いて、すぐに鍋に入れてあくを取って食べたようです。
 今の時期、竹林に行くと地表にたくさんのタケノコが顔を出しています。我家では食べる量が限られていますので、ほとんどのタケノコは竹を増やさないように掘っては捨てています。

                   家内が住む東京八王子に送ったタケノコ


 東京に送ったものがもう一つあります。小麦粉です。去年の夏に収穫した小麦製粉機で粉にしたものです。しかも、ぬかも一緒に粉にした全粒粉です。一番粉は粒が荒いため、4番粉まで製粉して、ようやく小麦粉らしい微細な粉になりました。しかしながら、ぬかの部分の茶色が残るため、全体的に薄茶色の全粒小麦粉となりました。細かな網でふるうと白い小麦粉になりますが、全粒粉のまま東京にタケノコと一緒に送りました。

    一番粉の製粉中         製粉中の小麦粉    箱に入れたタケノコと小麦粉
  

やっと私もスマホデビュー、我家の庭は花盛り

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 これまで、私は携帯電話を使ってきましたが、いよいよ不便になってきました。不便な理由は、①私以外の家族はLINEで楽しくコミュニケーションしているのに私だけは蚊帳の外。②タブレットパソコンを使っているのですが、Wi-Fiルーターがある所でしか使えません。つまり、実質スタンドアロンで使っています。スマホのテザリングを使いたい。

  4GLTE計測用スマホ     3本以上であればまずOK           購入したスマホ
  

 ③携帯電話のスケジュール機能は貧弱。スマホやパソコン間で共用できるスケジュール管理をしたい。④携帯電話,デジカメ,GPSの三台を持ち歩いていますが、ついどれかを忘れたり、かさばり重い。などなどです。
 そこで今回、携帯電話をスマートフォンに代えました。ただ、私が欲しいと思っていたスマホ(AQUOS SERIE mini SHV31)は3Gではなく4GLTEで、田布施町の山間部には電波が入りづらい場所があるとのことでした。購入したけど使えない、では困ります。このため、電波の状況を確認するためのスマホを借りました。そして、田布施町の竹尾奥や真殿奥などの山間部を走り回って電波の入り具合を確認しました。

    ビオラが満開          紫色のビオラ           青色のパンジー
  

 すると、多少電波が弱い山間でも問題なく通話ができることが確認できました。そこで、柳井市のauショップでスマホを購入することにしました。ところが、購入する前に困ったことがおきました。私が欲しいと思っていた黒がなかったのです。そこで、数日後に入荷したら連絡してもらうことにしました。
 ところが、近くにある別のauショップを訪れると黒がありました。そのため、元のショップに戻り入荷の連絡などを断りました。そして、その近くのauショップに行って黒を購入したのです。auショップ同士で融通をきかせてくれれば、別のauショップまで行って購入しなくても良かったのですが。
 さて、このスマホに慣れるのに数日間がかかりそうです。しばらくは、マニュアルを読んでの勉強です。
 
                       満開のはなずおう、マメ科の木


 ところで、桜が散ってしまった我家ですが、いろいろな花が咲いています。山はミツバコバノツツジが花盛りで、庭でははなずおうやヤマブキが満開です。そして、去年の秋、麻郷公民館でいただいたビオラやパンジーも花盛りです。そして、私が種をまいたり球根を植えた、ラナンキュラス、キンセンカなども花盛りです。ヒナゲシ(ポピー)なども、もうすぐ咲きそうです。

    ピンクのラナンキュラス   鮮やかなキンセンカ       八重のヤマブキ 
  

柳井市 平郡島 大嶽ウォーキング(1/2)

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 来月5月は柳井市の平郡島をウォーキングします。そのため今回、数人でその下見に出かけました。いつものウォーキングは10時頃に集合です。しかし、フェリー出港時刻に合わせるため、JR田布施駅に7:50頃に集合しました。そして、JR田布施駅を7:54発の電車に乗って柳井港まで行き、8:30発のフェリーに乗船しました。

    柳井港を出港         平郡西港を経由           平郡東港で下船
  

 柳井港を出港すると、伊保庄,皇座山,そして周防大島などを船は通り過ぎます。私は周防大島,上関,祝島などを何度も訪れました。このため、地図上での平郡島の位置がだいたい分かります。しかし、初めて訪れた方はその位置関係が分かりにくいようでした。なお、平郡島は架橋されない山口県最大の島とのことです。

             島々や半島との平郡島の位置関係、黄線は今回の航跡


 フェリーは、平郡西港でいったん停船後、目的地の平郡東港に向かいました。平郡東港に着くと、今回ウォーキングする大嶽の岩が山頂に見えました。大嶽は平郡三景の一つです。一度行ってみたいと思っていました。

               平郡東港から見上げる、「大嶽」と呼ばれる巨岩


 平郡東港に着くと、周りを眺めながらしばらく大嶽に向かって歩きました。すると、大嶽ふもとの海童神社まで車に乗せていただくことになりました。海童神社に着くと、神社拝殿内を見学させていただきました。拝殿内で印象的だったのは天井周囲に飾られた板絵の数々です。板絵には「柿本人麻呂」「小野小町」「猿丸大夫」の名前が墨書きされていました。このため、百人一首がモチーフにされている板絵にちがいありません。ついでに、とても立派な御神輿を見せていただきました。そして、海童神社から大嶽までも案内していただきました。ありがとうございました

     平郡東小学校          車で海童神社へ        海童神社の拝殿
  

 海童神社から大嶽に向かいましたが、途中さまざまな棚田跡がありました。ほとんどが荒れ果てていました。この島に住む方々が、何百年に渡って汗を流しながら作りあげてきた棚田ではないかと思います。かつて多くの方々が往復していたであろう棚田を想像しながら、大嶽に登りました。

       大嶽に向かう山道    林間から見えた平郡東地区       途中で休憩    
  

 大嶽へは思ったよりも急な登りでした。歩程は1時間程度ですが、歩き慣れない方にとっては難所です。何度も休憩しながら一歩一歩登りました。数日前の雨で所々がぬかるんでいたため、注意しないと足が滑ってしまいバランスを崩してしまいます。私は案内をする方になんとか付いて行けましたが、他の方々は難渋したようです。特にA君、大変な思いをしてお疲れ様でした。しかし、大嶽の上に登り着くと、その絶景に疲れが吹っ飛びました。大気が澄んでいると四国などが目の前に見渡せるとの事です。

                 疲れが吹っ飛んだ、大嶽からの絶景


柳井市 平群島 大嶽ウォーキング(2/2)

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 大嶽の巨岩上に、ちょうど12:00に到着しました。だいたい時間通りでした。疲れを癒すため、大嶽上で昼食休憩にしました。絶景のうえに風がとても心地よく感じられました。昼食をとっているとミサゴが飛んでいるのを発見しました。腹が白く頭が白いのですぐに分かりました。いつもは地上から見上げるミサゴですが、上から飛んでいるのを見たのは初めてです。休憩タイムは20分位でしたが、あっと言う間に時間が過ぎました。

                 眼下に平郡東地区を見下ろしながら、大嶽上で


 休憩が終わると、もと来た道を下りました。下りは登り以上に危険です。ぬかるんでいる上に、蔓が道にたくさん這っています。私は油断して一度つんのめって膝を着いてしまいました。Y君は足を不用意にねじってしまったようで、膝が少し痛たそうでした。登りの半分位の時間で海童神社に着きました。

    下りの途中で休憩     崩れた山道をそろそろと       海童神社に到着
  

 海童神社に到着すると、少しばかり休憩しました。再び車に乗せていただくと、一気に海岸に着きました。時間が余ったため、地元に住んでおられる松川さんと藤川さんの釣り船でしょうか、その船の近くで海産物を購入しました。私は、婆様から地元の物産の購入を頼まれていたため、魚籠に入っていたあわび、そして青海苔,ヒジキなどを購入しました。この頃になると、すっかり疲れが取れました。

                  地元の方から、魚籠に入った海産物を購入


 海産物の購入を済ませる頃、フェリーの出港時刻が迫ってきました。リュックを背に、急いで平郡東港に向かいました。途中、デイサービス,平郡東小学校,そして平郡出張所などを見ながら歩きました。出港10分位前に船に乗りました。柳井港に到着までの1時間半、疲れと心地よい風のため、うとうと眠ってしまいました。

  平郡東港に向かう        10分前フェリーに乗船    島を離れる船上からの島影
  

 今回の下見ではたくさんの反省点がありました。一番の反省点は、私が行ってみたい場所と皆さんが行ける場所の食い違いです。5月の平群島ウォーキングでは大嶽を外すことにしました。そのため、23日再度平郡東を下見します。今度は平郡東港から五十谷三島方面をウォーキングして付近の海岸を下見します。
 少しばかり疲れた大嶽でしたが、その絶景はとても良かったです。今回、下見に参加された方々も同じだと思います。今回、平郡東地区に住んでおられる松川さんと藤川さんに平郡島東地区を案内していただきました。ありがとうございました。特に、大嶽まで案内していただいた藤川さんには感謝いたします。心地よい疲れが残った平郡東大嶽ウォーキングでした。

                平郡東港から大嶽までのウォーキングルート

しいたけ(椎茸)菌の植え付け作業

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 先日輪切りにしたしいたけ用の原木に、しいたけの菌を植え付けました。毎年の作業ですが、冬の間に何本かのしいたけ用の木を伐採します。しいたけ用の木は、ほとんどがナラかクヌギです。伐採した木は1~2ヶ月山に放置して乾燥させます。その乾燥させた木を90cmごとに輪切りにした原木にしいたけの菌を植え付けるのです。

              私が使っている、しいたけの菌を植え付けるための道具


 私がしいたけの菌を植え付けるために使っているのは上図のような道具です。1:原木を移動したり転がすための鳶,2:手で叩き込んでしいたけ菌を植え付ける穴を開けたり、菌を穴に叩き込む道具,3:しいたけ菌,4:しいたけ菌を植え付ける穴を開ける電動ドリル,5:延長コード,そして6:原木が転がらないように支える脚です。なお、画像に写っているしいたけ菌は、発明クラブなどでお世話になっている大波野のTさんにいただいたものです。ありがとうございました。

 手で打ち込んで穴開け      電動ドリルで穴開け       しいたけ菌を打ち込む
  

 しいたけ菌を植え付けるためには、原木に穴をあけます。最初は手で打ち込んで穴を開けていましたが疲れてしまいました。100V電源がない山奥ではこの方法でします。しかし、私は農作業小屋の近くで作業します。手が疲れてくると、しいたけ専用のドリルチップを取り付けてた電動ドリルで穴を開けます。

                  穴を開け終ると、しいたけ菌を穴に打ち込む


 全ての原木にしいたけ菌を打ち込み終わると、一年間ほど仮伏せします。去年仮伏せした原木を伏せ場に移動した後、その場所に仮伏せしました。原木を重ねおわると、その上に日が当たらないように黒いシートを被せます。浸透性のある遮光シートです。原木を何本も移動したので、腰がとても疲れました。しいたけ作業以外の農作業もしようと思いましたが、疲れたので止めました。花畑の雑草を少し抜いただけでした。

     原木を仮伏せ         積み重ねた原木        遮光浸透シートを被覆
  

電子録音再生機(ボイスレコーダー)の制作(1/x)

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 田布施郷土館の1階には、田布施町の観光名所などを声で案内するコーナーがあります。しかしながら、今ある装置はテープレコーダーを使用する装置のようです。機械的な装置ですので、だんだん不具合が出るようになりました。そのため、電子的に同じ機能を実現する装置を試作することにしました。たまたま、今日は雨でウォーキングが延期になったため、郷土館に籠ってこの装置を作りました。

               装置を作る前の、電子部品や必要な工具


 工作に使用した備品は上の画像で、1:電子録音再生装置のための電子部品,2:半田吸い取り器,3:糸半田,4:半田こて掃除用スポンジ,5:半田こて。電子部品キット一式は1,831円で、通販で購入しました。10分程度録音再生できるので機能的には問題はありません。ただ、音質が良いかどうかだけが心配です。本装置が実用に耐えうるかどうか試してみるため、おこずかいで部品を購入して工作することにしました。

    ケースを組み立て      基板にSWを組込み      全てのSWを組込み完了
  

 自宅で工作しても良かったのですが、気分転換の意味でも郷土館の一室に籠って工作しました。最初にケースを組み立てました。このケースは元々ラジオ工作用ですが、今回作る電子録音再生装置に流用しました。続いて、回路図やマニュアルを見ながら電子基板を作りました。とても小さな部品ばかりですので、メガネは必須です。半田付け作業は、昔真空管ラジオを作っていた頃からお手の物です。

              電子基板に、細かな電子部品を半田付け固定


 私が中学生頃の電子部品は真空管用でしたので、手で楽々摘まめる大きさでした。しかし、今は超LSI時代です。SW,抵抗,コンデンサーなどは、昔と比べてやっと指先で摘まむことができる小ささです。年のせいか、昔のように機敏に部品を摘まむことができません。時々ポロリと落としてしまうので、歯がゆいばかりです。

   電子基板組み立て中      抵抗を基板穴に挿入    余分な線をニツパでカット
  

 電子部品を全て電子基板に乗せ終りましたが、コンデンサマイクだけは基板に取り付けませんでした。マイクは話者の口元に近づけたいため、別に線を引っ張って取り付けようと思います。今回の作業はこれでおしまいにしました。次回はケースに穴開け加工して、今回作った電子基板を乗せようと思います。そして、マイクに向かって喋って、録音と再生がちゃんとできるかどうかテストしようと思います。

       コンデンサマイクを除くすべての電子部品を乗せ終わった電子基板

田布施町 菅原神社 天神祭りの牛車などについて

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 昨日19日の日曜日、雨天のためウォーキングが延期となったため、お祭り準備をしている菅原神社を訪れました。今年の請け町は天神とのこと。お祭りは5月2日夜と3日昼がお祭りとのことでした。
 今から50年位前のことですが、私が子供の頃は牛車がねり歩くなど豪華絢爛な天神祭りを覚えています。牛車の車輪が、ギリギリと音をたてていました。定年を迎えた2年位前のことですが、再び菅原神社のお祭りに興味を持ちました。

         菅原神社に飾る注連縄を編む前に、藁すぐりをしている方々


 そこで、2年ほど前にお祭りの顧問をしておられる方を訪れていろいろ教えていただきました。その顧問の方から聞いたお話です。

 天神祭りは、薬師川より南側の地区が担当している。薬師川より北側の地区は祇園社の祭りを担当している。天神祭りは、三つの町(天神,新町,本町)で次のように分担し、三年で一巡交代している。
  1.天神祭りの担当。
  2.巫女さんの担当。その地区の女の子が舞う。
  3.余興担当。くじ引きなどの担当。
 いつ頃からか、子供達が来れるように5月の第1日曜日に天神祭りをすると決めた。昔は、総代になることが名誉であった。平成3年にお社の修復をやって良かった。今やったら資金がなかなか集まらないのではないか。

              注連縄用の藁を綺麗に束ねている方々


 かつての天神祭りでは、神主のお祈りが終わると神輿を牛車に載せて町をねり歩いていた。牛車の車輪は黒い漆塗りで。車軸が大きくて立派だった。車輪円周には鉄板が張られていた。牛が直接牛車を引くのではなく、牛が先導し、続いて綱で誘導するように牛車を引いた。綱を引くのは牛ではなく人。祭りの前に、牛に町の周りの道を歩かせて練習した。牛に綺麗なべべ(衣裳)を着せていたが、今そのぺぺの行方は分からない。牛車を使わなくなったのは、やまとら屋で火事があった前後ではないか。牛車を処分したのは、社を改築した平成4年以前の数年前。
 今、柳井市伊陸の氷室亀山神社の天神祭りで出る牛車は、1840年頃に始まったそうである。天神祭りの牛車は伊陸より古かったのではないか。菅原神社の牛車は、最後には野ざらしにされて朽ちた。牛車を廃止した後、子供神輿を導入した。そして、樽神輿も導入して今に至っている。
 数年前に、御輿を塗り変えた。塗り替えた年に、軽トラックに乗せて町内をねり歩いた。この時、牛車を作れないか、京都にある牛車を作る店に見積もりをした。すると、400~500万円するとのこと。あまりに高価なため、牛車の再現は諦めることにした。
 
 注連縄が張られた菅原神社   かつて牛車に乗せた神輿   べべ(衣裳)を着た牛
  

 かつては、八尋石八幡宮の宮司さんがお祈りをしていた。しかし、その方が亡くなった後に引き継ぐ方がおらず、以降高松八幡宮の宮司さんにお願いしている。
 
 天神町に住んでいるある方のお話では、かつて天神様のお祭りはとても賑やかで正月よりも賑やかだったとのこと。遠くから親戚が連れ添ってきていた。昔は子供がたくさんいたため、巫女さんのなり手に不足はなかった。今、三つの町を合わせてようやく巫女さんを確保している。牛車が朽ちて無くなったのは、おそらく、お祭り担当が終わった後に牛車責任があいまいになったことが一因ではないかとのこと。
 別の方のお話では、お祭りが終わると、牛車は天神社の軒下に野ざらしになっていたとのこと。屋根付きの保管場所にちゃんと保管していれば、朽ちることは無かったのではないでしょうか。

            5月2~3日の天神祭りを待つ、今年の菅原神社

田布施町 麻郷 尾迫 稲荷神社の祭礼準備を見学

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 日曜日、天神祭りの準備を見学した後、麻郷奥の尾迫にある稲荷神社に行きました。去年の初夏に麻郷をウォーキングした時に立ち寄った神社です。その時は、誰もいないとても静かな神社でした。今回は、午後1時から始まるお祭りの準備を見学しました。拝殿では担当の方々が飾り付けなどをしておられました。そして、隣りの部屋ではカラオケでしょうか準備をしている方々が忙しそうにしていました。
 この神社は、寛政12年(1800) に山城国稲荷神社(京都市伏見) から分霊を勧請と伝えられています。江戸時代の麻郷の中心は、上関審判勘場(代官所)があった米出や浜城など海沿いの地域でした。海から離れた尾迫,竹重,三宅などは麻郷の奥側にあるため麻郷奥と言われたようです。今、麻郷奥はむしろ田布施の中心に近い位置にあります。隔世の感があります。

                 稲荷神社のお祭りの準備をしている方々


 失礼ながら拝殿に入らせていただきました。そして、私が興味を持っている天井の板絵を見学させていただきました。先日、郷土館で掃除した蓮輪の金毘羅社の板絵は干支がテーマでした。稲荷神社の天井の板絵も同じように干支がテーマのようでした。しかし、干支以外の動物が書かれていました。例えば、金魚や植物の萩です。ただ、いつ頃この板絵が描かれたを示す墨書きがありませんでした。ほとんどが人の名前だけです。1つの板絵だけに「波野市 小田太助」と場所を示す波野市が書かれていました。なお、小田太助は菅原神社の馬場寄付名石柱に一円寄付で名前が刻まれています。明治か大正時代の人と思われます。このため明治以降に板絵が描かれたのではないでしょうか。実際、明治26年(1893年)4月1日に建築落成(総代人:原田宇太郎,棟梁:曽我惣二郎)しているので、この日の可能性が高いと思われます。

    稲荷神社の広場        豪華な御神輿          天井に貼られた板絵
  

 天井中央に方角を表す干支を書いた板絵がありました。東西南北がちゃんと、うさぎ・鳥・馬・ねずみに配置されていました。そして、この神社の向きが正確に、この干支方位で描かれていました。当時、干支方位に通じた学者がこの田布施にいたことが分かります。
 午後は、電子録音再生機(ボイスレコーダー)を制作するため郷土館に行きました。

             天井中央にはめ込まれた、方角が干支で描かれた板絵

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