下見1と下見2で考えていた大波野ウォーキングのコースを少し変更しました。それは、先日の平生町佐賀ウォーキングの下見時にたまたまマムシに遭遇したためです。万が一の事故を考えて、マムシやダニが出るリスクが高い惣津の金毘羅社や妙見社を避けることにしました。そのため、スタートする直前に変更後のコースをざっと下見しておきました。
秩父宮殿下台臨記念碑 八幡八幡宮の石階段 八幡八幡宮に到着
集合した東田布施公民館をスタートした後、最初に東田布施小学校に行きました。そして、校庭脇の秩父宮殿下台臨記念碑を見学しました。その時、校庭でグランドゴルフを楽しんでいる方々がおられました。その方々の競技を邪魔をしないように、そろりと校庭脇を通って石碑に行きました。石碑を見学後、校門入口傍にある金星健児の石碑を説明しました。その時、東田布施小学校卒業生や在校生により校歌を斉唱していただきました。ありがとうございました。
八幡八幡宮に置かれた砲弾について説明
東田布施小学校を出ると、八幡八幡宮に向かいました。田布施町で、石ノ口八幡宮,八尋石八幡宮に続いて高松八幡宮などと同じ位古くからある由緒ある神社です。今でも氏子さん達がこの神社を綺麗に保っています。この神社に到着すると、本殿脇に置いてある二個の砲弾について説明しました。八幡八幡宮を見学すると、次に南平和十五番札所である観音様に行きました。屋根に草が茂っているなど建物はだいぶ傷んでいますが、四年後に建て替える計画があるとのことです。
南平和十五番札所 八和田のお地蔵様 八和田から坪曽へ
南平和十五番札所の観音様を過ぎると、のんびりと坪曽方面に向かって歩きました。途中、八和田のお地蔵様を見ました。地元から大切にされているのでしよう、屋根があるお地蔵様です。お地蔵様を過ぎて、竹林のやや暗い小道を通り過ぎると、急に視界が明るくなります。正面に広々とした田んぼや稲荷神社がある小山が見えてきました。
竹林の小道を過ぎて稲荷神社に向かう
稲荷神社に向かう道すがら、広々とした田んぼがありました。田植えが終わった田んぼを覗くといろいろな小動物がいました。一番目につくのはオタマジャクシです。次にゲンゴロウの仲間です。ヒルもゆらゆらと動いていました。田んぼを見ていると、久しぶりにトノサマガエルを発見しました。我家近くは田んぼが少なくなったためか、土ガエルはたくさんいますがトノサマガエルは近年見ません。
稲荷神社への小道 稲荷神社に到着 地元のお地蔵様
竹藪に囲まれた稲荷神社に着きました。そして、神社前の広場でわずかな休憩をしました。この神社前広場で大波野神舞を披露するそうです。次に、これまで知らなかった地元で大切にされているお地蔵様を拝見させていただきました。このお地蔵様を拝ませていただいた後、坪曽に入りました。
寺子屋跡の石碑 薬師堂傍に木像 誓立寺に到着
そして、道端にある寺子屋跡の石碑を見学した後、近くにある薬師堂に行きました。下見では気が付かなかったのですが、傍に野ざらしにされ朽ちかけた木像がありました。雨風にさらされ、あと数年後には土に返るのではないかと思います。薬師堂の見学が終わると、小道を通って舗装道路に出ました。途中、タケノコの皮がたくさん落ちていた暗い下りの小道を通りました。数名がその皮に滑ってよろめいたそうです。
ウォーキングに参加した元気な子供達、楽しかったかな?
その後、天王社を経由して天王原遺跡を見学しました。そして、大昔に船が流れないように縄を結んだと言われる縦長の船止め石を見ました。そして、道脇に建てられた石の道しるべを見ました。その後、近くの誓立寺に向かいました。時間が無かったため、下見時のように本殿には上がらずトイレ休憩だけにしました。トイレを使わせていただき、ありがとうございました。続いて、お昼休憩をする納蔵地区農村公園に向かいました。
今回ウォーキングした大波野地区のルート
田布施町 楽しかった大波野ウォーキング(1/3)
田布施町 楽しかった大波野ウォーキング(2/3)
納蔵地区農村公園では、40分程度昼食休憩をとりました。各自好きな場所に陣取ってシートを広げました。私は、先ほどまで歩いていた坪曽方面を見下ろせる場所に座りました。日差しは柔らかく適度な風が吹く中、談笑しながら楽しく昼食を取りました。
ベンチに座って昼食 美味しそうなお弁当 ベンチで談笑しつつ
お昼休憩が終わる頃、子供達はブランコなどの遊具を見つけて遊んでいました。子供達にとって、お寺や神社の話は退屈なのでしょう。
ブランコで遊んでいる子供達を見ながら、コースを間違えないように次の史跡までの道筋を反芻しました。納蔵地区農村公園を出発するにあたって、コース変更のお話をしました。予定では、金毘羅社や妙見社に行く予定だったのですが止めました。今の時期、マムシやダニのリスクを避けるためです。
納蔵地区農村公園を出発する前に、21名の参加者
昼食後、最初に訪れたのは納蔵原古墳です。5世紀頃に作られた小型の古墳です。当時の古墳形状が比較的よく保たれた円墳です。近くにある石城山の神籠石(壮大な石垣)は7世紀頃に作られました。古代朝鮮由来と考えられるその石積み工法は、納蔵原古墳の石室の石積みとよく似た組み方をしています。何らかの関係性があるのではないでしょうか。
楽しいブランコ 納蔵原古墳に到着 納蔵原古墳の石室
納蔵原古墳を過ぎると、惣津(そうづ)地区を通って上段(かみだん)地区に向かいました。適度な風が吹いていたため、夏にしては涼しく快適なウォーキングをすることができました。また車があまり通らない小道を選んだため、子供達も安心して田んぼや道端の動植物を観察できたようです。
眩しいほどのカンナの赤、のんびりと小道をウォーキング
上段地区に着くと、田布施町の名木の一つである大波野柿の巨木を説明しました。大波野柿は江戸時代から明治にかけて干し柿にした渋柿です。干し柿は、当時地元の名物だったそうです。品種的には、渋柿で有名な西條柿の一種とのこと。
大波野柿の巨木 慶長二十年と刻まれた祠 日光寺内のお地蔵様
続いて、日光寺に行きました。このお寺は江戸時代は日光坊と呼ばれる尼寺でした。今は廃寺となり、上段地区の集会所として使われています。このお寺は、享保9年(1724年)に無くなった尼僧まで辿ることができます。傍に慶長二十年と刻まれた石の祠があります。慶長二十年は大阪夏の陣があった年です。
続いて、山を登って女体社に行きました。
今回ウォーキングした大波野地区のルート
田布施町 楽しかった大波野ウォーキング(3/3)
日光寺からは急な登り坂を歩きました。登っていると、家々が広く見渡せるようになります。この登り坂の途中に上段地区の墓地があります。ここからは、亡くなった方々が生まれ育ったであろう家々がよく見渡せます。お墓からこの村を見守りたい気持ちにさせられる場所です。江戸時代の年号が刻まれた墓石がたくさん並んでいました。
坂道を登り女体社へ到着 天神社への石鳥居 天神社に到着
しばらく山道を登っていると、女体社に到着しました。不思議な名前のお社です。すぐ下の日光寺が尼寺であることと関係があるのでしょうか。今、その由来を知っている古老は誰もいません。永遠に謎です。女体社のさらに上に天神社があります。近くにある立派な石鳥居をくぐって、長い長い石階段を登り終えた場所に天神社があります。この石鳥居や石段は、すぐ近くの岩永地区の採石場から運んできたとの言い伝えがあります。
天神社傍の開けた場所から、子供達が「ヤッホー!」
天神社前の広場は最近手入れがされていないのでしょうか、だいぶ草木が茂っていました。かつては、ここから九州が見えたそうです。いまは灌木にさえぎられて見えません。次に天神社傍の開けた場所にいきました。そこでしばし休憩です。その間、子供達は大声で遠くに向かって「ヤッホー!、、、ヤッホー!、、、」と叫んでいました。天真爛漫な子供達を見ていると心が和みます。
天神社から山道を下る 地元上段の祠に向かう 上段の祠の到着
しばらく休憩後、山を下りました。ひざ下まで伸びた雑草をかき分けながら、のんびりと下りました。少し降りると、舗装道路に出ました。予定では、江戸時代にら作られ、昭和初期に整備された溜池まで行く予定でした。しかし、日差しが強くなり時間もそれなりに過ぎていたためコース変更し、ここからスタート地点に戻ることにしました。
明地遺跡へ向かう 岩永地区のお地蔵様 防陽八十四番札所の人丸坊
上段からスタート地点の東田布施公民館にただ戻るのではなく、明地遺跡やお地蔵さんを訪ねながら戻りました。上段地区から岩永地区に入ると、南に広々とした田んぼを見ながら歩きました。最初、岩永集落の道端に安置されたお地蔵様を見学しました。続いて、田んぼのど真ん中を通る真っ直ぐな道路を通りました。
岩永地区の田んぼのど真ん中の道を進む
田んぼを左右に見ながら進むと、ポツンと安置された人丸坊に着きました。このお地蔵様は防陽八十八ヶ所霊場の八十四番札所です。かつては沢山の人が巡礼したのではないかと思います。その人丸坊周辺は広い田んぼが続いていますが、約二千年前は海岸線でした。そして、海岸に沿って集落(明地遺跡)があったのです。分銅型土製品が出土するなど、縄文時代から弥生時代にかけての住居跡が見つかりました。
明地遺跡を説明 東田布施小学校を通過 東田布施公民館に到着
明地遺跡を過ぎて、どんどん歩いて東田布施公民館に向かいました。途中、最後の史跡として有田翁の石碑を訪れました。石碑前で、明治時代にこの周辺を開拓した有田翁の説明をしました。その説明を終えると、今回の史跡巡りは終わりです。しばらくして、東田布施小学校傍を通過しました。東田布施小学校の国旗掲揚のためのポールは、東京オリンピック時(1964年)に使われたものの一つを運良くいただいて移設したものだそうです。そのポールを見ながら、スタート地点の東田布施公民館に戻りました。
ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
今回ウォーキングした大波野地区のルート
今日も、婆様のアッシーさん
我家の婆様(私の母親)は、時々図書館や買い物に出かけます。そんな時、私はいつも車を運転するアッシーさんをしています。婆様は本を読むことが好きなので、最初に図書館に行きました。字が大きくて読みやすい歴史本がお気に入りです。今回はどんな本を借りたのでしょうか。次に田布施交流館に行きました。
車に乗り込む婆様 図書館で本を借りる すり足でなんとか交流館へ
私が運転する車は、3年前に亡くなった父親の形見です。かつて父親が元気だった頃、この車であちこちを旅行したそうです。さて、交流館に着くと、婆様はキャベツ,イチゴ,パン,そして刺身などを選んでいました。婆様の後ろに付いた私は、それを籠に入れます。そして、最後にレジで支払いを済ませます。婆様は、私の支払いが終わるまで外のベンチに坐って待っています。
このように、婆様は私がアッシーさんとなって時々外出します。なんせ足腰が悪いため、少し歩いただけで膝や腰が痛くなるからです。
※25日から1日まで、東京に行きます。
田布施交流館でパンを選んでいる婆様
今年もクワガタムシが飛来
夜中、本を読んでいました。蒸し暑いため窓を開けていると、ブーンと言う音と共に黒い虫が入っていました。またカミキリムシが入ってきたのかと思っていたら、違いました。クワガタムシAでした。去年は、クワガタムシに加えてカブトムシも部屋に入ってきました。今年はまだカブトムシはやって来ません。山に囲まれている我家には、夏いろんな虫がやってきます。
我家にやってきたクワガタムシA(怒って威嚇している)
別の日にもまた、クワガタムシBがやって来ました。こちらの方がややハサミが大きく乱暴者のようです。ところかわまずハサミで咬むのです。ラジオのボリュームを咬んだまま離しません。私が子供の頃にクワガタムシに咬まれたことがあります。指の動きに合わせて咬む力を加減しているようでした。少しでも動くと強く咬むのです。そんな時、痛いのなんのって!カブトムシより人気がある虫でした。その後、雌のクワガタムシもやってきました。
怒りっぽいクワガタムシB お腹を見るものの暴れる
春に植え付けたジャガイモ(シンシア)の掘り上げ
春に種芋を植え付けたジャガイモ(品種:シンシア)を、先日少し掘り上げました。私はこの品種のジャガイモがとても好きです。その理由は、ジャガイモの茎下にまとまって芋ができるため、掘るときに間違って芋を傷つけることが少ないからです。また、男爵のように芽が深くないため調理するときの皮むきがとても楽なのです。男爵は皮をむいた後、芽を欠く必要がありますが、シンシアはそれが無いのです。
フォークを使って、ジャガイモ(品種:シンシア)を掘り上げる
去年、四種類のジャガイモを食べ比べしました。その結果、シンシアは他のジャガイモと変わらず美味しいことが分かりました。先日、我家では食べきれないほど収穫したため、職場で少しおすそ分けしました。畑には、このシンシアがまだ残っています。また、収穫していないキタアカリとメークインもあります。だいぶ余らせてしまいそうですが、腐らせるのはもったいないです。どんどん掘っておすそ分けしようと思います。
今回掘り上げたジャガイモ 掘り上げたジャガイモを天日干し
我家周辺の畑や通りを草刈り
梅雨が終わっていないため、不安定な天候が続いています。その隙間をぬって我家の周りの草刈りをしています。雨が多い今、雑草はどんどん成長します。梅雨の時期にどう除草をするかで、真夏の畑作業が決まります。
雑草が生い茂った裏口の小道 除草が終わった裏口の小道
梅雨の時期に除草をさぼると、雑草はとても背が高くなります。また、茎が太く硬くなります。梅雨が過ぎていざ草を刈ろうとすると、草刈機に負担がかかる上に、真夏のため体力が削がれ、草刈りの進捗が遅れます。そうすると、草刈りに追われることになり作物の世話が後回しになるのです。結果として、良い作物を収穫することができなくなります。
除草前の、我家下の畑 除草が終わった、我家下の畑
一方で梅雨の時期にちゃんと除草を終わらせておくと、その後新たに芽生えた雑草は真夏の乾燥や暑さで勢いがありません。そのようなひょろひょろ雑草は除草が容易です。その結果として、真夏の野菜などの世話に時間をかけることができます。とにかく、6~8月は除草が農作業の中心となるのです。私は、自給用とおすそ分け用程度の作物しか作っていまん。半ば趣味の農業ですが、草刈りを面倒くさがることはできません。
青々と茂る桃園の下刈りを完了
今年も大粒のブルーベリー
一昨年近所に住むEさんから苗をいただいたブルーべりーの実が今年も成り始めました。このブルーベリーは実がとても大きく直径が1円玉位あります。実は全粒が一度に成熟せず、数粒ずつ青くなります。時々ブルーベリー畑を見回りながら、青く実っている粒があれば収穫する毎日です。今、このブルーベリーの木は5本ありますが、植えてからなかなか大きくなりません。数年後、これらの木がもっと大きなれば、より多く収穫できるのではないかと思います。
数粒ずつ成熟し始めた大粒のブルーべりー
我家周辺で、たくさんの綺麗なアジサイが満開
我家周辺は今、アジサイが満開です。我家からの通路沿いには近所に住むMさんの畑があります。その畑から垂れ下がるいろいろな品種のアジサイがとても綺麗に咲いています。朝通勤する時など我家を出る時は、いつもこのアジサイを横目で観賞しながら通っています。
通勤時など毎日のように眺めている、とても綺麗なMさんのアジサイ
私は、それほど花のことを知りません。このため、アジサイにこれほど多くの品種があることを最近知りました。普通のアジサイ、八重のアジサイ、額アジサイなどです。また、色もさまざまです。春と夏の端境期で花の種類が少ない今は、アジサイの花がとても目立ちます。雨が多く気持ちも沈みがちになる季節ですが、満開のアジサイを見ると少し元気が出ます。
普通のアジサイ 変わった花のアジサイ 我家の額アジサイ
色とりどりのダリヤが満開、皇帝ダリヤは成長中
アジサイの季節と重なるように、我家のダリヤも元気に咲いています。このダリヤは、一昨年、種をまいて育てたものです。種から育てた後は、毎年球根で越冬して春になると芽が出てきます。世話いらずの花です。このダリヤの品種が何か知らないのですが、小さな花が次々に咲きます。ポンポンダリヤと言う品種なのではないでしょうか。
赤色が鮮やかな、小さ目のダリヤの花
種から育てたダリヤは去年、私が好きな花色を選別しました。今ある花色は、赤色,黄色,ピンク色,赤縁ピンク色です。不思議なのですが、種をまいて育てたダリヤなので、てっきり花が咲き終ると種ができるのかと思っていたら違いました。種子らしきものがまったくできないのです。1代しか種ができないように改良されているのでしょう。
赤縁ピンク色のダリヤ 黄色のダリヤ ピンク色のダリヤ
ところで、5月に苗をいただいた皇帝ダリヤは花が咲く気配がまったくありません。このダリヤは高さが2m以上にならないとつぼみができないのでしょうか。このダリヤは球根も巨大です。まるで、サツマイモほどの大きさです。サツマイモのように食べることはできないのでしょうか。それとも毒があるのでしょうか。不思議な巨大な皇帝ダリヤです。
だいぶ大きく成長するも、まだ花が咲く気配がない皇帝ダリヤ
トウモロコシとネギ畑の耕耘除草、各野菜などの間引き
梅雨の時期は雑草がとても元気です。小さなうちから除草しておかないと、すぐに大きくなってしまいます。今回は、トウモロコシとネギの畑の除草をしました。昔は平クワで土を削るようにして除草しました。しかし、平クワでは広い面積を除草するには向きません。特に真夏の除草は苦痛です。西洋ガマは効率的に除草することができますが、真夏の除草には向きません。
耕運機のロータリーで耕耘除草
そんな時、私は耕運機のロータリーを回して除草しています。いわゆる耕運除草です。カマは地上を刈ることができますが、根が残るのですぐに葉が出てしまいます。土を削り取るようにロータリー耕耘すると、効率よく根ごと除草できます。ハンマーナイフモアを使って除草するのも良いです。ただし、ハンマーナイフモアは刈り取り時間は早いのですが、やはり根まで刈り取ることができません。
マクワウリの間引き ズッキーニの間引き 普通カボチャの間引き
耕耘除草が終わると、これまで植えた野菜の間引きをしました。マクワウリ,ズッキーニ,普通のカボチャ,そしてヒマワリの間引きをしました。私は温室を使わないで適時種をまきます。そのため、苗を購入して移植して育てるより、どうしても育ちが遅くなります。梅雨が明ける7月中旬以降にぐっと育ちます。
※1日、東京から帰ってきました。少しの間の留守だったのに、雑草がだいぶ伸びていました。また、草刈りの毎日です。
間引き中のヒマワリ 間引き後のヒマワリ、一本立ち
山梨県 富岳風穴~青木ヶ原樹海~西湖ウォーキング(1/3)
6月末、約3ヶ月ぶりに東京の我家に行きました。梅雨が終わっていないため不純な天気が続いていましたが、家内と富士山麓のウォーキングに行ってきました。家内がウォーキングツアーに申し込んでいたため、そのツアーに一緒に参加したのです。そのツアーは、富士山の周辺をぐるりと17回で一周するウォーキングの15回目でした。私と家内は初参加でしたが、他の参加者のほとんどは初回から参加している方々のようでした。このため、今回の15回目に加えて残り16回目と17回目に参加すれば、富士山周辺を一周するウォーキングを完歩したことになり表彰されるそうです。
鳴沢富士山博物館 道の駅なるさわ物産館 物産館内で買物
私が二十歳代の頃は、すべて自分達で計画を立てて,自分達で用意して,自分たちで行動していました。このため、登山やハイキングにツアーで出かけるような手段があることを知りませんでした。いろいろ調べると、日本百名山登山を対象にしたツアーもあるようです。自分で全てを計画して実行するのはなかなか大変です。最近は、少しぐらい費用がかかってもツアーを利用する方が安心・安全なのでしょう。
朝は小雨でしたが、途中晴れて富士山が顔を出す
私はかつて登山が好きで、北や南アルプスなど全国の山々に登っていました。当時、神奈川県山岳連盟の岩稜山岳会に所属していました。その団体で、軽登山から始まって、縦走登山,冬山登山,ビバーク,そしてロッククライミングなどを経験しました。そして、ロープワーク,地図の見方,天気図や登山計画書の書き方などの知識も得ました。
しかし、結婚してからはすっかり登山を忘れていました。ところが最近、どういうわけか家内がウォーキングや登山に目覚めたようです。まだまだ低い山ですが、東京にいくたびにどこかの山に一緒に行くことになりそうです。
富岳風穴近くで下車 富岳風穴の入口 風穴内は気温2℃
道の駅なるさわにバスで寄った後、富岳風穴でバスを降りて風穴内を見学しました。風穴内は気温が2℃とのことで、暗い穴の中を歩くととても寒く感じました。中を歩いていると、氷柱やつららがありました。かつて、その天然の冷蔵庫を利用して氷の保存や種や繭の保存に利用していた時代があったそうです。私は以前、近くにある鳴沢氷穴に行った事があります。今回入った富岳氷穴よりも規模が大きかったように記憶しています。
氷穴内は天然冷蔵庫 保存された氷の塊 天井からぶら下がるつらら
さて、今回のウォーキングのスタート地点は富岳風穴です。富岳氷穴の見学が終わると、ウォーキングの始まりです。スタートする前に班編成をしました。私と家内は4班でした。最初1班が先頭です。そして、休憩ごとに先頭を行く班が変わりました。班編成は、特定の人が先頭や後尾に固まらないための工夫なのでしょう。この氷穴をスタートして最初に、青木ヶ原樹海内を歩きました。
樹海の中をもくもくと歩く、単調な樹林帯が続く
樹海は、いったん入り込んだら出ることができない危険な場所とばかり思っていました。しかし、違いました。樹海が危険とのイメージは松本清張の小説「波の塔」から来ているそうです。また、その小説が映画化されヒットしたことも影響あるそうです。
この樹海、ところどころにハイキングルートがあるようです。そのルートさえはみ出さなければ安全に歩くことができます。ひたすら、樹海の中を歩き続けました。単調な木々の景色が続きました。途中、中学生か高校生の団体とすれ違いました。今回歩いたコースは、学校の体育行事にも使われているようです。
富岳風穴~青木ヶ原樹海~西湖ウォーキングのコース
山梨県 富岳風穴~青木ヶ原樹海~西湖ウォーキング(2/3)
青木ヶ原樹海は、ただ木々が茂って何もない場所とばかり思っていました。しかしながら、所々にかつての住民の生活痕がありました。ひとつは氷穴(こおりあな)です。樹海を歩いていると、小さな穴がありました。英(はなぶさ)と呼ばれる氷穴(こおりあな)で、氷穴(ひょうけつ)よりも小さな穴です。かつて、この近くに住む住民は冬の間に天然の氷を運び入れていたそうです。そして、夏の間に冷蔵庫の代わりに使っていたとのことです。貯蔵した氷を夏に出して出荷したり、熱病時に体を冷やすために使ったそうです。
樹海の中で休憩 氷穴(こおりあな)の一つ 氷穴(こおりあな)の説明
ところで、樹海は富士山が噴火して出た溶岩の上にできたものです。このため、栄養分が少なく岩ばかりです。このため、樹木が育っても十分に根を張ることができません。このため、根が巨体を支えることができず、巨木になる前に倒れてしまうようです。
再び樹海で休憩 樹海を抜けて解放感 西湖いやしの里 根場
単調な樹海のウォーキングルートをもくもくと歩きましたが、どこまで行っても展望が無い同じ景色ばかり続きました。さすがに飽きてしまいました。どれだけ歩いても、全く同じ景色ばかり続くのです。気が滅入ってしまうほどです。このため、「樹海に迷い込んだ人は方向感覚が無くなりさまよう。」との話が理解できます。
西湖いやしの里 根場で昼食休憩 お蕎麦をいただく
樹海を抜けて広場に出るとほっとしました。沈んだ気持ちが明るくなりました。樹海を出ると、昼食休憩する西湖いやしの里 根場(ねんば)に向かいました。西湖いやしの里に到着するとお蕎麦屋さんに向かいました。
天ぷら蕎麦をいただく 各古民家を散策 陶芸を展示する古民家
昭和41年、この根場地区は台風による土砂崩れで壊滅的な被害を受けたそうです。被害を受けた根場の再建の一つが、この西湖いやしの里とのこと。今から8年ほど前、かつての村の姿を取り戻すため被害前の民家を再現したようです。したがって、昔から建っていた建物ではなく、古民家風に再現したものです。ただし、一番奥に建っている一軒だけは、奇跡的に被害を免れた民家を移築した本物の古民家だそうです。
災害(昭和41年)前の民家を再現した家々を散策
私が子供の頃、茅葺きの家が普通にありました。台所はカマドで、お風呂は五右衛門風呂でした。食事をしながら上を見ると、茅葺き屋根の柱やその柱に縛り付けられた茅が見えました。まるで、船の竜骨がそのまま見えるような光景でした。
今、茅葺き屋根は貴重になりました。さらに、茅葺きをする職人も貴重になり、茅そのものも少なくなりました。田布施町の麻郷では、家の茅葺き屋根の補修に使う茅を大田川からせっせと採取している方がいました。その方のお話では、川に生える茅よりも、皇座山に生える茅の方が品質が良かったそうです。
富岳風穴~青木ヶ原樹海~西湖ウォーキングのコース
山梨県 富岳風穴~青木ヶ原樹海~西湖ウォーキング(3/3)
西湖いやしの里では、昼食後の集合までにだいぶ時間が空いていました。そのため、家内とあちこちの古民家を訪れました。ほとんどがお店になっていました。ただ、絹関係のお店は近くに蚕を育てる小屋がありました。また、瀬戸物を扱っているお店には窯がありました。このように、単に売るだけのお店は少なかったように思います。末永く観光地として自立できるような生活スタイルのように思えました。
手作り民具の展示店 実際に着れる衣裳店 上掛け式の水車小屋
古民家の最後は水車小屋を見学しました。外から水車を見ただけで、小屋の中には入りませんでした。コトコト音がしなかったため、縦杵式石臼は動かしていないようでした。回転式石臼だけを動かしていたかも知れません。昼食として食べた蕎麦は、この回転式石臼で挽いた蕎麦粉を使ったのではないでしょうか。私はかつて、山梨県上野原西原で水車を調査したことがあります。7軒位で共用していた実働水車でした。7軒の輪番性で使われていました。ある年、水害で水車小屋が壊れた時に土砂に半ば埋まった小屋や水車の修復を手伝ったことがあります。
花壇から、西湖越しにみた富士山
13:30に集合してウォーキングの再開です。私のいた4班が先頭になりました。右手に西湖や富士山を見ながら歩きました。樹海のルートと違って、舗装道路の歩道をひたすら歩きました。富士山側から西湖に突出した山がありました。その山は、富士山から流れ出て西湖畔で流れが止った溶岩だそうです。
矢印:流れが止った溶岩 西湖畔の舗装道を歩く 西湖畔の岸辺
しばらく、西湖畔に沿う道を歩いていると、湖畔で釣りをする人がいました。西湖ではどんな魚が釣れるのでしょう。さらに歩いていると、西湖畔の砂浜に出ました。そこでは、ボートやヨットを楽しんでいる人の姿がありました。海と違って湖面が静かなため、ボートやヨットを操作しやすいと思います。
いろいろな人がボートやヨット楽しんでいる西湖畔の砂浜を歩く
湖畔の砂浜では胴着を着た集団に出会いました。彼らはちょうど湖畔に列になって並んでいました。これから西湖に入るようでした。私のみたところ、柔道,合気道,拳法,またはなんらかのスポーツの集団なのではないかと思えました。これから西湖に入って気合いを入れるようでした。また、テントを張ってバーベキューを楽しんでいる家族も散見されました。
終点に到着し柔軟体操 バスに乗り込む 高速道路でトイレ休憩
西湖畔の砂浜の中ほどが終点でした。そこにはバスが待機していました。しかし、出発には時間がありました。このウォーキングに参加したほとんどの方は、近くにある温泉に入りました。私も、のんびりと温泉に浸かって疲れを癒しました。
私には物足りないウォーキングでしたが、それなりの軽い疲れは心地良いものです。1時間ほどお湯に浸かった後、バスに乗って帰りました。そして、八王子のデパートに寄って美味しそうな弁当を買って帰りました。我家に着くと、今回のウォーキングを思い出しながらその弁当を食べました。
富岳風穴~青木ヶ原樹海~西湖ウォーキングのコース
八王子市 御嶽神社~富士見台公園~南大沢ウォーキング
東京に滞在している間、時間が空くことがあります。今回、家内と八王子の我家から京王南大沢まで歩いて買物に行きました。子供が小さい時は、何気なく通っていた道でした。しかし、郷土館に勤めているためか古い建物や無人小屋が気になるようになりました。今回、いつもの道を歩いていて御嶽神社を通りました。その参道を下っていると、無人野菜販売所があることに気が付きました。
無人野菜販売所 野菜を買う家内 見せていただいた薬師堂
無人野菜販売所後ろに広がる畑で収穫された、カボチャ,小松菜,ニンジンなどの野菜が所せましと置かれていました。全て100円均一でした。家内は「安いね!」と言いながら何点か選んでいました。野菜購入後しばらく歩いていると、たくさんの人が掃除をしていました。道普請の日のようでした。薬師堂で掃除をしている方に内部を見せていただきました。この薬師堂、これまで全く気が付きませんでした。大師講などを聞いてみましたが、知っている人はいませんでした。かつての民間信仰などは完全に途絶えてしまったようです。とても残念に思います。
緑に包まれた富士見台公園
薬師堂を見学した後、子供達が卒業した由木中央小学校と由木中学校を通り過ぎました。そして、緑に包まれた富士見台公園に行きました。天気が良かったせいか、たくさんの家族連れが座っていました。そして、お弁当を食べたり、バーベキューを楽しんでいました。私も、子供が小さい頃によくこの公園に来ました。また、ボーイスカウトの活動場所の一つとしても使いました。
富士見台公園展望台から、来た道を振り返って
富士見台公園を横切ると、家内と展望台に登ってみました。展望台の周りの木がだいぶ伸びているため、あまり展望は望めませんでした。この公園の名前のとおり、天気が良ければ西の方角に富士山が見えるはずです。しかし、雲がかかっていたため見えませんでした。北の方角を見ると、今まで歩いてきた御嶽神社、薬師堂、由木中学校などが眼下にみえました。
ランドセル受付中の鞄製造所 首都大学脇の細道 首都大学からアウトレットへ
富士見台公園から首都大学脇を通って南大沢駅に向かいました。しばらく大学脇の細道を通っていると、賑やかな人だかりがありました。最初、塾か何かの催しかと思っていました。すると、たまたま横を通った方が、ランドセルを個別注文している鞄製造所であることを教えてくれました。これを聞いて、鞄の製造所がここにあったことを思い出しました。普通の革製品以外にも、オーダーメイドのランドセルも製造しているようです。人気なのですね。
首都大学からアウトレット通りを散策
首都大学からアウトレットに寄りました。そして、登山用品を売るお店で上下服を購入しました。ウォーキング,ハイキング,登山向けの商品が数多く展示されていました。子供が小さかった20年位前、子供用の雨具を探すのに苦労しました。しかし今、ファッション性豊かな子供ハイキング用品が数多く売られいました。その中には色とりどりの子供用雨具もありました。
アウトレット通りの汽車 南欧風のアウトレット この一角で登山用品を購入
登山用品を購入すると、南大沢駅近くでバスタを食べました。この付近には、いろいろな食事処があるのですが競争が激しいようです。来るたびにお店が変わっていることが分かります。また、デパートにしても内装がよく変わります。
東京は数年単位で風情が変わるような気がします。例えば新宿、私が20歳代の頃は駅前は平屋が多くありました。しかし今、高層ビル街に変わりました。変わり過ぎて、今や地図がないと新宿を歩くことができません。学生時代に覚えた新宿の道筋は、全く役に立たないのです。
今回歩いた、御嶽神社から京王南大沢駅へのルート
古いクラウン製トランジスタラジオ HT-70の修理(3/x)
天気が思わしくなく、草刈りなどの農作業ができません。こんな時はいつものように、古いラジオの修理をします。ラジオそのものが好きなのではなく、あらゆる知恵を総動員して、どこが故障しているか探して直すことが好きなのです。さて、低周波増幅器が故障していることが分かっていたため、今回はこの回路を直すことにしました。
音声を増幅しない前段部の低周波増幅回路 A,B,C:電解コンデンサ
ラジオの低周波増幅回路の故障は、電解コンデンサが原因であることがほとんどです。上画像のA,B,Cが電解コンデンサです。電解コンデンサの役割を大きく分けると、結合コンデンサ,バイパスコンデンサ,そして平滑コンデンサです。今回は、結合コンデンサ(上画像のB)の容量が低下していました。そこで、このコンデンサを正常なものに取り替えました。
丸は結合コンデンサの裏側部 紐を引っ張り、基板部を全露出
コンデンサを取り替えるにあたって、チューニングダイヤルを回す紐が干渉することが分かりました。紐が干渉しないように、紐を銅線で引っ張りながら故障したコンデンサを基板から外すのです。紐に当たらないように、半田ごてを基板にあてて半田を吸収しました。そして、故障したコンデンサを取り外しました。
紐を引っ張りながら、故障したコンデンサ(B部)を基板から外す
事前に正常なコンデンサをストック品から探しておきます。なお、電子部品のストック品は私が高校生の頃から少しずつ集めていたものです。ほとんどが、古い基板から外したものです。これらの部品がいつかは役に立つだろうと、漠然とした気持ちで長年ストックしておいたものです。数十年後の今、まさに役に立っていました。
私が高校生の頃から少しずつストックし続けたコンデンサ類
さて、故障したコンデンサを取り外すと、入れ違いに正常なコンデンサを挿入して半田で固定しました。電解コンデンサの+-を間違えないように固定しました。これで、音がだいぶ大きくなりました。ただ、それでも音が小さいことに気が付きました。まだ、故障している個所があるようです。
容量低下したコンデンサ 正常なコンデンサ 交換後の増幅回路
田布施町 郷土館で江良碧松句絵手紙展、そして麻郷小学校で嵯峨音頭練習
最初、田布施町郷土館で7日から開催の江良碧松絵手紙展のお手伝いに行きました。いつもは郷土館へ行くのですが、早朝から雨が降っていましたので車で行きました。そして、皆さんが展示しやすいように展示ボードや支柱の設置をしました。去年も同じ頃に開催され、同じようにお手伝いしました。江良碧松が作った句を絵手紙にしたものを展示するのですが、ハガキ大のものから額縁大のものまで、いろいろな大きさのものを展示しました。
郷土館入口に案内 数々の絵手紙 先生と飾り場所を検討中
絵手紙で思い出すのは、10年位前に私が勤めていたデイサービスです。絵手紙のようなものをお年寄りと一緒に作ったことがあります。下書きされた下絵に色を付ける塗り絵から、自分で下絵を描いてから色を塗る絵手紙もありました。その他、焼き物,革細工,ちぎり絵,生け花,そして絵画などいろいろしました。ウォーキングが足腰の衰えに効くように、絵手紙は脳の衰えに効くのでしょうか。私が大好きなラジオや機械の修理は、脳の衰えに効くでしょうか。
江良碧松句の自作絵手紙を、賑やかに展示している方々
田布施郷土館の江良碧松句絵手紙展の準備が進行中、
今年も美味しい桃を収穫
5月に袋掛けをした桃が、ようやく収穫時期を迎えました。白い袋の外から、ほんのりと桃色に染まっていること分かります。触ると、実が少し柔らかくなっています。さらに、鼻を近づけると、美味しそうな甘い匂いが漂っていました。こうなると、収穫せずにはいられません。
白い袋をかけた桃 ほんのりとピンク色 袋を外すと美味しそうな桃
今回は三つ桃を収穫しました。残りの桃は、ここ一週間位の間に少しずつ収穫しようと思います。桃の収穫が難しいのは、熟すと昆虫などが袋を破って中に入ることです。熟していると判断したら、すぐに収穫しなければなりません。今回収穫した三つのうち一つは、わずかに虫に食べられていました。虫食いの桃は、我家で食べることにしまた。
今回一番美味しそうで、色も申し分ない桃
去年は、桃,スモモ,そしてビワが同時に収穫できる日がありました。今年は、どういう訳かバラバラの収穫です。ただ今年は、桃に合わせるようにブルーベリーが同時に収穫できています。また、ブラックベリーが一週間後頃には収穫できそうです。
桃は樹勢が弱いそうです。今ある桃は、20年位前に苗を植え付けたものです。その前は、別の畑に桃の木がありました。しかし病気で枯れたために、今の場所に新しく苗を植えたものなのです。今の桃は、枝をよく観察するとあちこちに病気の兆候があります。場所によっては木屑のようにものが枝からこぼれています。この冬、別の畑に新しい桃の苗を植えようかと思っています。
立派なお尻の美人桃 今回は三個の桃を収穫
我家の裏山などの草刈り
このところ、毎日のように草刈りをしています。今回は、我家の裏山を中心に草刈りをしました。畑の草との一番の違いは、山は草と言うよりも笹です。私は紐を使って草刈りをするのが好きです。このため、茎が柔らかい今の時期は、笹であってもなるべく紐を使って刈り取っています。
小道が見えないほど笹がびっしり 小道に沿って笹を刈り取り
私は山の笹を刈り取る時は、最初に小道を刈り取ります。紐やガソリンを補充する特に、小道を先に刈り取っておくと移動が楽だからです。尾根に向かう小道と、尾根伝いの小道を先に刈り取ります。小道の刈り取りが終わると、その小道に沿うように刈り取り幅を広げていきます。
尾根の小道を先に刈り取り、これで山を行き来できる
日当たりが良い場所の笹は茎が太くなっています。そのような笹は、紐では刈り取りすることができません。できたとしても紐を大量に消費してしまいます。そんな時は、刃を適時チップソーに取り替えて刈り取りします。今回は、一部の場所だけチップソーに代えました。時間が多少かかるものの、ほとんどが紐での刈り取りで十分でした。
刈り取り前の山の頂上 刈り取り後の山の頂上
笹を刈りとっていると、ネムノキに花が咲いているのに気がつきました。去年は咲いていませんでした。今年は花が咲く大きさに育ったようです。さて、午後は郷土館に雑穀の苗を植えに行きました。そして帰宅後、涼しくなる午後5時から草刈りを再開しました。
綺麗なネムノキの花 びっしり生えた水路脇の雑草 きれいになった水路脇
今度の日曜日はクリーン作戦の日です。その日は郷土館勤務のため、30分程度しかクリーン作戦にいられません。そのため、あらかじめ我家周辺の草刈りを済ませておくことにしました。水路に沿う場所も草刈りしましたが、深い水路のため落ちないように細心の注意をはらって草刈りをしました。草刈りが終わったのは午後6時頃でした。腕や手に小石があたって赤くなっていました。毎年のことですが、夏の草刈りは汗だくで大変です。
草刈りをして綺麗になった、水路向こう側の土手
八王子市 一駅ウォーキング(南大沢~堀之内) 1/2
東京にいる間、八王子市の京王南大沢から一駅の同堀之内駅までウォーキングしました。とても天気が良くて、歩いていると汗ばんできました。舗装された道路ばかりを歩いたため、日差しの照り返しが強かったのが原因だと思います。久しぶりに暑い日を歩きました。
京王南大沢駅近くの南大沢橋から東側を見て
南大沢駅をスタートして最初に南大沢橋を渡りました。この橋の袂から、これから歩く道筋が見えます。橋を渡り終えてから西側を見ると、高台に首都大学の建物が見えるようになりました。この周辺は、アウトレットで買物をするための駐車場があります。このため、ひっきりなしに駐車場を出入する車が通っていました。しばらく歩くと、歩道横に首都大学の池が垣根越しにみえます。この池はモリアオガエルが卵を産むことが知られています。こんな都会、今でも産卵しているのでしょうか。
高台の首都大学 モリアオガエルの産卵池 八幡神社の境内
その後、首都大学横の下り坂を歩くと八幡神社が見えてきました。隣りに末廣稲荷大明神のお社があります。この八幡神社は、元は九州の宇佐神宮だそうです。田布施の神社は全て宇佐神宮ですので、この八幡神社とは遠い昔に繋がりがあったようです。
静かな林の中の八幡神社
この神社の境内を散策すると、樹齢600年位のオオツクバネガシの巨木が目に入ります。この巨木、明治13年の神社火災時に一度焼けたそうです。この木は生命力があるのでしょう、幹の中心が朽ちて空洞になっているにもかかわらず今でも生きています。
幹が朽ちて空洞の巨木 庚申塔などの石碑 溝のような大田川
また、境内内の隅に庚申塔が置かれていました。この神社は、いにしえの時代に坂東武者から信仰されていたのでしょう。
南大沢駅から堀之内までのウォーキングルートの一つ