猪避けの鉄柵が神社の周りに張り巡らされていました。周りに座る場所がないため、やむなく愛宕社に入らせていただきお昼ご飯にすることにしました。鉄柵をこじるようにして神社内に入りました。去年の夏か秋に集落の方々が神社を掃除したのでしょう。広場も神社内も綺麗にしてありました。そして、猪避けの鉄柵が効したのでしょう、広場は荒らされていませんでした。
愛宕社の軒下に座ってお昼休憩
お昼休憩が終わると、鉄柵を再びこじるようにして出ました。鉄柵がちゃんと閉じていることを確認して、神社の裏を回り込むようにして山道を上に向けて進みました。山道の周りはどこも竹が生い茂っていました。しばらく進むと、大きな石壁の前に出ました。
竹藪の山道を進む 次々にお地蔵様 石壁前に到着
この石壁を、EさんとEさんの妹は覚えていました。私は思い出せません。ここは沢筋の道で水がチョロチョロと流れていました。昔、ここを歩いた時に沢ガニがたくさんいたそうです。今は寒い冬のためカニはいないようです。この石壁の前に立派なお地蔵様が安置されていました。そのお地蔵様は「文殊様」と言うそうです。私の母親も知っていました。
山道を通せんぼするようそびえる石壁、下はわずかに水が流れる沢
ここで行き止まりのように思いましたが、確か上に向かう道があるはずです。そこで、私1人が上に向かう道を探しました。竹や木々がジャングルのように生えて邪魔をします。そのため、なかなか上に向かうことができません。それでも無理して進むと、うつぶせに倒れたお地蔵様が一体ありました。上に向かう道は確かにあります。しかし、このまま進むには道が荒れて危険です。残念ですが、皆の安全を考えて道を進むのは止めました。私としては、いつか必ず走破してみたい衝動にかられます。
愛宕社から原に戻る 原で見つけたお堂 お堂の前にバナナ
愛宕社を通り過ぎて、原の集落をどんどん下りました。途中にお御堂がありました。中にはお地蔵様があるはずですが、扉が閉まっていて拝顔できませんでした。この原からは海が良く見えました。
原の集落から、周防大島方面の海を遠望
昔、福井畑の人が平生に行く時は、原を通って愛宕社を経由し、山近からの山道と合流する道を歩きました。そして、尾根を乗り越し平生に行きました。この道は県道扱いでした。今の熊毛南高校の前身の一つの平生女学校に、伊保庄から通っている方がいたそうです。それだけ、人の行き来がさかんな山道だったのです。
ウォーキングした柳井市伊保庄の福井畑,畑,山近の周辺
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柳井市 伊保庄付近をウォーキング(2/3)
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