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Channel: 東京里山農業日誌
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奈良天王大巖(通称:奈良の大岩)の重さを計測し形状探針調査

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 田布施町麻郷には通称「奈良の大岩」と呼ばれる巨大な岩があります。また、その大岩の近くに山から露出した大きな岩もあります。
 先月2月、田布施町郷土館で周防三羽ガラス展を開催した時に、ある写真を見つけました。その写真は昭和49年に撮影されたものです。それは江良碧松が松吹く風句集を出した時に、この大岩の前で記念撮影した写真です。この写真に、「奈良天王大巖」と記載されていました。これにより、当時は「奈良天王大巖」と呼ばれていたことが分かります。大岩の東約300mにある天王社祠と何か関係あるのでしょうか。
 7日、この大岩の重さを計測し、地下の大まかな形状を探針調査してみました。

          巻尺を使って大岩の外周の長さを計測、20.4m


 まず、重さを計測することにしました。大岩の重さを計測するには、大岩の体積を求める必要があります。その体積を求めるため、大岩の外周の長さを測定します。すると体積は次の式で求めることができます。外周の長さの実測値は20.4mでした。

 半径r = L/2Π(パイ) = 20.4(外周の長さ)/(2*3.14) = 3.25m
 体積v = 4/3 *Π(パイ)*rの3乗 = 4/3*3.14*3.25の3乗 = 143.72立法m

上記の計算の結果、大岩が真球だと仮定すると体積は143.72立法mです。

その体積に石の比重をかけると重さが分かります。大岩は組成から花崗岩と考えられます。花崗岩の比重は約2.7です。ちなみに、水の比重は1.0です。

 重量トン = 体積*比重 = 143.72*2.7(花崗岩の比重) = 388.04トン

   大岩の前で(昭和49年)      露出した大きな岩        竹重の天王社祠
 〇:「奈良天王大巖」と記載
  

 大岩がやや扁平な形をしていることを考慮しても、約200トンを下らないと推定できます。ピラミッドの石の重さ2.5トン、ストーンヘンジの石の重さ50トン、そして大阪城の石垣で最も重い石が120トンであることを考えると、この大岩を人が運んでくるのはまず不可能です。
 この大岩がもし移動して来たとすれば、アメリカのセントラルバークの大岩で科学的に証明されている、氷河ぐらいしか考えられません。

     鉄棒が斜めに深く刺さらない          大岩の山側は、地下に垂直に続く
 

 次に、大岩の地下形状を調査しました。その調査方法は探針法です。細い鉄棒を地下深く差し込んで、地下形状をおおまかに掴む方法です。調査の結果、大岩の北側(山側)は地下に向かって垂直に繋がっているようです。一方、南側は大岩の真下裏に食い込んでいるようです。
 この大岩は、古代において海に面していたと考えられます。この時、山側は山際だったため浸食を受けることがなく、南側は波打ち際に面していたために浸食された、と考えるのが一番合理的です。もう少し長い鉄棒で探針調査すれば、より地下の形状を調べることができると思います。
 同7日、大岩近くに住むTさんにお話を伺いました。すると昔、大岩近くでビニールマルチを使ってタバコを栽培していたそうです。タバコの葉を収穫し終わったとき、廃ビニールマルチの処分に困ったそうです。その時、廃ビニールマルチを大岩下の穴または窪みに押し込んで捨てたとのこと。このことから当時、大岩の下に穴または窪みがあったことが分かります。今、大岩の下にはその廃ビニールマルチが半ば露出しています。
 今後は、この大岩がなぜ全体的に丸いのかなど、さらに調査しようと思います。

     大岩の真下裏に鉄棒が通る          南側は大岩の真下裏に向けて続く
 


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