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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施町 菅原神社 天神祭りの牛車などについて

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 昨日19日の日曜日、雨天のためウォーキングが延期となったため、お祭り準備をしている菅原神社を訪れました。今年の請け町は天神とのこと。お祭りは5月2日夜と3日昼がお祭りとのことでした。
 今から50年位前のことですが、私が子供の頃は牛車がねり歩くなど豪華絢爛な天神祭りを覚えています。牛車の車輪が、ギリギリと音をたてていました。定年を迎えた2年位前のことですが、再び菅原神社のお祭りに興味を持ちました。

         菅原神社に飾る注連縄を編む前に、藁すぐりをしている方々


 そこで、2年ほど前にお祭りの顧問をしておられる方を訪れていろいろ教えていただきました。その顧問の方から聞いたお話です。

 天神祭りは、薬師川より南側の地区が担当している。薬師川より北側の地区は祇園社の祭りを担当している。天神祭りは、三つの町(天神,新町,本町)で次のように分担し、三年で一巡交代している。
  1.天神祭りの担当。
  2.巫女さんの担当。その地区の女の子が舞う。
  3.余興担当。くじ引きなどの担当。
 いつ頃からか、子供達が来れるように5月の第1日曜日に天神祭りをすると決めた。昔は、総代になることが名誉であった。平成3年にお社の修復をやって良かった。今やったら資金がなかなか集まらないのではないか。

              注連縄用の藁を綺麗に束ねている方々


 かつての天神祭りでは、神主のお祈りが終わると神輿を牛車に載せて町をねり歩いていた。牛車の車輪は黒い漆塗りで。車軸が大きくて立派だった。車輪円周には鉄板が張られていた。牛が直接牛車を引くのではなく、牛が先導し、続いて綱で誘導するように牛車を引いた。綱を引くのは牛ではなく人。祭りの前に、牛に町の周りの道を歩かせて練習した。牛に綺麗なべべ(衣裳)を着せていたが、今そのぺぺの行方は分からない。牛車を使わなくなったのは、やまとら屋で火事があった前後ではないか。牛車を処分したのは、社を改築した平成4年以前の数年前。
 今、柳井市伊陸の氷室亀山神社の天神祭りで出る牛車は、1840年頃に始まったそうである。天神祭りの牛車は伊陸より古かったのではないか。菅原神社の牛車は、最後には野ざらしにされて朽ちた。牛車を廃止した後、子供神輿を導入した。そして、樽神輿も導入して今に至っている。
 数年前に、御輿を塗り変えた。塗り替えた年に、軽トラックに乗せて町内をねり歩いた。この時、牛車を作れないか、京都にある牛車を作る店に見積もりをした。すると、400~500万円するとのこと。あまりに高価なため、牛車の再現は諦めることにした。
 
 注連縄が張られた菅原神社   かつて牛車に乗せた神輿   べべ(衣裳)を着た牛
  

 かつては、八尋石八幡宮の宮司さんがお祈りをしていた。しかし、その方が亡くなった後に引き継ぐ方がおらず、以降高松八幡宮の宮司さんにお願いしている。
 
 天神町に住んでいるある方のお話では、かつて天神様のお祭りはとても賑やかで正月よりも賑やかだったとのこと。遠くから親戚が連れ添ってきていた。昔は子供がたくさんいたため、巫女さんのなり手に不足はなかった。今、三つの町を合わせてようやく巫女さんを確保している。牛車が朽ちて無くなったのは、おそらく、お祭り担当が終わった後に牛車責任があいまいになったことが一因ではないかとのこと。
 別の方のお話では、お祭りが終わると、牛車は天神社の軒下に野ざらしになっていたとのこと。屋根付きの保管場所にちゃんと保管していれば、朽ちることは無かったのではないでしょうか。

            5月2~3日の天神祭りを待つ、今年の菅原神社


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