日曜日、天神祭りの準備を見学した後、麻郷奥の尾迫にある稲荷神社に行きました。去年の初夏に麻郷をウォーキングした時に立ち寄った神社です。その時は、誰もいないとても静かな神社でした。今回は、午後1時から始まるお祭りの準備を見学しました。拝殿では担当の方々が飾り付けなどをしておられました。そして、隣りの部屋ではカラオケでしょうか準備をしている方々が忙しそうにしていました。
この神社は、寛政12年(1800) に山城国稲荷神社(京都市伏見) から分霊を勧請と伝えられています。江戸時代の麻郷の中心は、上関審判勘場(代官所)があった米出や浜城など海沿いの地域でした。海から離れた尾迫,竹重,三宅などは麻郷の奥側にあるため麻郷奥と言われたようです。今、麻郷奥はむしろ田布施の中心に近い位置にあります。隔世の感があります。
稲荷神社のお祭りの準備をしている方々
失礼ながら拝殿に入らせていただきました。そして、私が興味を持っている天井の板絵を見学させていただきました。先日、郷土館で掃除した蓮輪の金毘羅社の板絵は干支がテーマでした。稲荷神社の天井の板絵も同じように干支がテーマのようでした。しかし、干支以外の動物が書かれていました。例えば、金魚や植物の萩です。ただ、いつ頃この板絵が描かれたを示す墨書きがありませんでした。ほとんどが人の名前だけです。1つの板絵だけに「波野市 小田太助」と場所を示す波野市が書かれていました。なお、小田太助は菅原神社の馬場寄付名石柱に一円寄付で名前が刻まれています。明治か大正時代の人と思われます。このため明治以降に板絵が描かれたのではないでしょうか。実際、明治26年(1893年)4月1日に建築落成(総代人:原田宇太郎,棟梁:曽我惣二郎)しているので、この日の可能性が高いと思われます。
稲荷神社の広場 豪華な御神輿 天井に貼られた板絵
天井中央に方角を表す干支を書いた板絵がありました。東西南北がちゃんと、うさぎ・鳥・馬・ねずみに配置されていました。そして、この神社の向きが正確に、この干支方位で描かれていました。当時、干支方位に通じた学者がこの田布施にいたことが分かります。
午後は、電子録音再生機(ボイスレコーダー)を制作するため郷土館に行きました。
天井中央にはめ込まれた、方角が干支で描かれた板絵
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田布施町 麻郷 尾迫 稲荷神社の祭礼準備を見学
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