この古いSONY製トランジスタラジオ TR-63の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理(1/6) 修理(2/6) 修理(3/6) 修理(4/6)
修理(5/6) 修理(6/6)
ようやく、このラジオの修理が終わります。ラジオの修理と言うと、回路的な故障個所を発見して電子部品を交換するなどして正常に放送を受信ように直すことを言うと思います。しかし、私はただ動作すれば良いのではなく外観も直す必要があると思います。つまり、限りなく販売当時の姿に戻すことだと思います。積年の汚れが溜まっていれば綺麗に取り除きます。
穴が開いた革 裏地を当てて接着 穴をふさいで目立たなく
このため、電子的な修理が終わると、必ずラジオのすみずみを水やアルコールなどで汚れをふき取ります。しかし、一番厄介なのはラジオを納めていた革の修理です。革は時間と共に必ず傷んできます。カバンの革のように、メンテナンスすることが無いため傷みが顕著です。傷んでいる革ではありますが、私は素人ながら革を直すように心がけています。今回のSONY製ラジオTR-63の革も何とか修理してみました。
破れてしまった、SONY製ラジオTR-63を納める革
一番良い方法は新たに革を購入して加工することです。しかし、私は革の加工や修理の技術を持っていません。このため、同じ色の布を革の裏地に当てる方法で修理しています。これならば、表から布が見えません。長持ちはしませんが、時々動作させたり、展示する程度ならがこれで十分だと思います。
接着剤を付けた裏地布 片方に裏地布を接着 裏地布が見えないよう接着完
このラジオは、戦後日本の高度成長のスタートラインにあった製品だと思います。これらのトランジスタラジオ製造は、その後テレビ製造へと引継ぎれました。私が就職した昭和50年、100m近いベルトコンベアでテレビが製造されていました。今でも、ベルトコンベアを流れる製造中のテレビを思い出します。また、当時同じベルトコンベアで働いていた第一製造ラインの仲間達を思い出します。ほとんどが17歳位の若い人達で、中学校を卒業してすぐに働き始め夜間高校に通っていました。午後5時になると、一斉にセーラー服に着替えて高校に通っていたのです。かつての仲間達も、私のようにこの工場を思い出すことはあるのでしょうか。
日立製作所岐阜工場テレビ製造部の昼休み 第1製造ラインの仲間達 1975.6.28
さて、革を二日がかりで修理しました。そして、革を納めてラジオを鳴らしてみました。今から60年近く前の昭和32年当時、購入した人達はこのようにラジオを聴いていたのではないかと思います。真空管ラジオからトランジスタラジオへ転換した最初のラジオではないかと思います。また、日本が輸出で外貨を稼ぐように成った製品の走りではないでしょうか。また、SONYの名前を世界の名ブランドにしたラジオです。これで、このラジオの修理を終わります。
修理した革に納めた、SONY製トランジスタラジオTR-63