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Channel: 東京里山農業日誌
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青梅,奥多摩,山梨ツーリング(5/7)

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 三頭山から下りると、深山橋を戻って丹波山村方面に向かいました。途中に留浦を通り抜けました。この留浦には、東京都最高峰の雲取山登山口があります。奥多摩駅からバスに乗ってこの留浦に降りて3時間程度歩くと雲取山頂上に着きます。横浜の山岳会に所属していた頃、この雲取山方面に何度か登り縦走しました。登山口である留浦には何度も足を運びました。

           雲取山登山口がある留浦、奥多摩湖での釣り場でもある


 留浦からしばらくバイクで走ると、所畑と呼ばれる地区を通りかかりました。この地区、山の斜面にへばりつくように民家があります。この所畑のある民家を訪ねてみました。20年ほど前、この民家には古老が住んでいました。この民家を訪問して昔の農法を聞いたり雑穀の種子をいただきました。この地域で古来から栽培されていたヒエやシコクビエの種子です。この古老、子供の頃に水車で粉を挽く仕事に出されたそうです。また戦時中は南方で苦労したとの話などを聞かせてくれました。残念ながらこの民家、今は誰も住んでいません。

       誰も住んでいない民家        古老が雑穀を栽培していた急斜面
 

 古老が住んでいた所畑は奥多摩湖に面する急斜面の上の方にあります。このため、奥多摩湖がよく見下ろせます。古来この急斜面にはいろいろな雑穀などが栽培されていました。農具もこの急斜面にあわせた独特の形をしています。刈り取ったシバを畑に埋めて土砂止め兼肥料にしていました。とにかく転がり落ちるような急斜面です。昔、冬の大雪の時には雪崩が起きたこともあったと聞きました。雪女の伝説は意外と関東由来とのこと。大昔は豪雪地帯だったであろう奥多摩地域の話かも知れません。

                  所畑地区から見下ろした奥多摩湖


 所畑を過ぎると、飛竜山へ通じる小道がある橋に着きます。この小道を登っていくと三条の湯と呼ばれる山奥の温泉がありました。雲取山や飛竜山から下山する時、この山深い温泉に浸かって下山したことがあります。あまりに山深いので利用者は少なかったように思います。今は丹波山村に移設されているのではないかと思います。この三条の湯に入る小道のはるか上に民家が一軒あります。この民家を訪問したときにもいろいろ古老にお話を伺いましたか、一番困ったのは水の確保だったそうです。子供の頃に毎日のように沢と家を往復して水を汲んだそうです。登山をしていた20年ほど前に、この地域の山奥で廃家をよく見かけました。昔、この地域の生活はとても厳しいものがあったのでしょう。

        飛竜山と雲取山への登山口の一つ、丸ははるか高い所にある民家


 しばらくバイクで走ると、道下に見える保之瀬と呼ばれる地区があります。ここでも、20年ほど前には雑穀を栽培している方がいました。道からヒエなどを栽培しているのが見えました。今は雑穀畑はありません。雑穀を栽培していた古老がいなくなったのでしょう。古来の文化が一つ消えてしまってようで、とても寂しいことです。保之瀬を過ぎると、丹波山村に着きました。3年ぶりの丹波山村です。だんだん日が陰って寒くなってきたので、道の駅に少し寄って休憩しました。

     山梨県の丹波山村街             道の駅にて少し休憩
 

 丹波山村では必ず立ち寄る所があります。それは、押垣戸(おうがいと)地区です。この地区では、以前いろいろな雑穀を栽培していました。ヒエ,アワ、シコクビエ,モロコシ,麦類などです。20年ほど前、この地区の古老に種子をもらったりお話を聞くなどしました。奥多摩は平地が無いので稲作はできません。代わりに昔はこれらの雑穀栽培が盛んでした。しかし、今回訪問した結果、栽培されていた雑穀はソバだけでした。ちょっと寂しい気持ちになりました。当時もらった種子を少し持っていますが、私一人でも作り続けようと思います。

     古来雑穀の里だった丹波山村の押垣戸(おうがいと)地区の昔雑穀畑


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