八幡寺を出ると、小雨の中を長くなだらかな登り坂の石ノ口八幡宮の参道を進みました。田布施の中では一番長い参道だと思います。その参道の途中に、平成21年春の御式年祭で使った大きな張子の鯛などの神輿などが置いてある小屋がありました。そして、すぐ近くに忠魂碑がありました。
小雨の中、長い参道を進む 石の口八幡宮に到着 荒神社お社の軒下
長い参道を進むと、石ノ口八幡宮に到着しました。石ノ口八幡宮はお正月に参拝して以来です。この八幡宮は養老三年(719年)に九州の宇佐八幡宮より勧請されたと石碑に刻んであります。田布施を含む近隣で一番古い神社です。ところで、石城山の神籠石は7世紀に作られました。この神籠石が作られてから50~100年後にこの神社が作られたことになります。石ノ口八幡宮と神籠石には関連性はないのでしょうか。
石ノ口八幡宮の本殿周辺を見学
石ノ口八幡宮境内に荒神社のお社が二つあります。不思議なことに、そのお社の軒下ににたくさんの神社や祠らしき名前を書いた板が打ち付けてありました。明治初期の神社統一政策によって、この石ノ口八幡宮に集められたのではないかと思います。防長注進案によると、江戸時代には石ノ口,犬田,吉水にたくさんの神社や祠がありました。それらが石ノ口八幡宮に合祀されたのではないでしょうか。
吉水付近の道を散策 犬田付近のお地蔵様 ハゼの木のお地蔵様
石ノ口八幡宮を出ると、光市方面に向かって舗装道路を進みました。そして、吉水に差し掛かると道を逸れて、城南公民館方面に向かって道をどんどん下って行きました。途中、吉水集会所を通りました。この集会所前の道を北西に向かうと、田布施川沿い史跡巡りウォーキング(その7)で通った石城苑や大和中学校に出ます。城南公民館に向かって歩く途中、ある集落に立ち寄ってお地蔵様を見学しました。その後、ハゼの大木の下に出ました。
ハゼの大木の下を通過、根元のお地蔵様を拝む
ハゼの木は、江戸時代に盛んに育てられました。その理由は、その実からロウソクを作るためです。防長四白政策の一つがハゼの実ろうなのです。防長四白とは、米,塩,紙,そしてハゼの実ろうです。明治以降ハゼの木はほとんど伐採されましたが、このハゼだけは根元にお地蔵様があったため保存されたのです。このハゼの木は、防長四白政策の生き証人なのです。ハゼの木を見終わると、ひたすら城南公民館に向かいました。本番のウォーキングは10月の第三日曜日の予定です。今回の下見ウォーキングに参加された方々、雨の中お疲れ様でした。
今回下見した、城南石ノ口方面
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田布施町 城南 石ノ口方面ウォーキングの下見(3/3)
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