私が勤める田布施町郷土館では、10月から「冨永有隣と明治維新に関わる人達」と題して展示会をします。N館長さんなどと協力して、館内にある該当資料を整理したり、資料を所蔵している方々の家を訪れたり、展示スペースのレイアウトなどを考えたり、そして展示資料を解説するパネルを作ったり、と大忙しです。一週間後には展示しなければならず、この連休は郷土館は休館でしたがそのすべての日に出て資料作りをしました。
展示スペースの中央に置く衝立
幕末、冨永有隣は吉田松陰の盟友でした。野山獄での松陰との出会いは劇的でした。吉田松陰亡きあと、松下村塾に招聘されて塾生を教えたこともありました。しかし、すぐに松下村塾を去りました。俗論派や正義派などの争いなどに嫌気がさしたのか、彼の性格上塾生とうまが合わなかったのかも知れません。その後、奇兵緒隊に関わり幕長戦争を戦いました。明治初期、脱退事件を指導したとの嫌疑をかけられ、土佐に逃亡していましたがついに捕まりました。
第二奇兵隊の教科書 有隣使用の易道具 有隣への葉書
捕まった後、石川獄に入りました。その裁判を担当した判事が、有隣と共に幕長戦争を戦った盟友だったことは不思議な巡りあわせです。その後、特赦で許されました。晩年は佐藤信寛(岸信介,佐藤栄作の曾祖父)との関わりで田布施町城南で晩年を過ごしました。有隣と信寛の親密さを思わせる資料も展示します。
有隣は易をしていたようで、易の結果を毎日記録していました。そうした晩年の有隣の日常が分かる遺品や、盟友たちから送られた手紙なども展示します。また、奇兵隊士が使っていた教科書や、戦闘で使っていたと思われる銃や槍なども展示する方向で検討しています。
有隣の遺品の数々 有隣への手紙類 日清戦争に関わる手紙
田布施町の幕末史跡を地図上で分かりやく表示したり、奇兵緒隊の統合や改名などの図を歴史の流れで表してみたり、人物相関図を表してみたりしました。新しい試みですので疲れます。展示会初日までは気が抜けません。展示会場の模型を作って、パネル、展示ケース、掛け軸などの最適なレイアウトを検討しています。今後の進捗によっては徹夜も覚悟しなければなりません。
展示会場の配置模型、展示ケースやパネルの位置をこれでイメージ
↧
田布施町 郷土館 冨永有隣に関わる展示会の準備
↧