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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施町 楽しかった麻里府中郷周辺ウォーキング(2/3)

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 明楽寺を出ると、中郷のあつまんだ地蔵尊に行きました。このお地蔵様はかつて、西側の古道にありました。江戸時代、亡くなった庄屋の息子を弔うため安置されと言い伝えられています。時代は移り変わり昭和の時代になって、車を通すためにその古道の道路幅を拡張した時、今の場所に移動とのことです。

   中郷の坂道を登る        里山Kからの景観        里山Kの展望台
  

 このお地蔵様は「あつまんだ地蔵」と言うそうですが、かつてこの場所一体を八幡田と言いました。なまって「あつまんだ」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。そのお地蔵様はかつては南平和10番ヶ所霊場でした。打ちつけられた板に、そのことがかすかに読み取れます。巡礼は途絶えましたが、今でも8月にはお祭りが催されています。

            素晴らしい中郷の眺めを、里山K展望台から望む

 あつまんだ地蔵尊を見学すると、すぐ近くの北側の山道を登りました。しばらく急な坂を登ると、里山Kと書かれた板がありました。Kの意味は、計画,公園.又は作った人の名前とのことです。里山K内にある展望台をめざして、さらに急な道を登りました。展望台から見下ろす中郷の景色は素晴らしものです。ここで、しばし休憩をしました。

籠部屋跡 〇は籠の背負い棒    村の境界を表す石碑    やっと見つけた竈の神様
  

 続いて、展望台の上にある籠部屋跡まで行き、念願の竈の神様を探しました。籠部屋跡から藪の中を進みました。そして、山の頂上にたどり付くと面白いものを見つけました。石碑のようが横たわっていたのです。その石碑には「マリフ村境界」と刻んでありました。明治22年の麻里府村の開村時、麻郷村との境界の印として置いたのでしょう。

 竈の神様を見た後、下山      Kさんが置いた地蔵       雨乞い岩へ向かう
  

 この石碑はあきらかに竈の神様ではありません。最初、その石碑の東側の藪の中を探しましたが、何も見つかりません。次に、西側の藪の中を探してみました。すると藪の20m位先に黒っぽい塊が見えました。もしやと思って近づくと、竈の神様(火の神様)の祠です。大声でみんなを呼びました。祠は傾いており、中には文字も何も読めないほど朽ちた板片がありました。この祠、数十年前に忘れ去られたようです。お年寄りが登ることができないほど高い場所に祠はあります。そのため、御神体を中郷公民館に降ろして、今は地鎮様として祀っているとのこと。

                   雨乞い岩の前で説明を聞く


 竈の神様を発見すると、山を下りました。しばらく歩いて、住吉神社の前身である明神様跡を遠望しました。この明神様跡は、来年の上郷ウォーキング時に訪れる予定です。次に明楽寺の前身と言い伝えがある十心庵前を通りました。そして、雨乞い岩がある山に登りました。これまた急な上り坂ですので、数名の方は下で待ちました。

            今回ウォーキングした麻里府中郷と尾津西周辺ルート


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