美味しい料理を食べると、今度は忌宮(いみのみや)神社に行きました。駐車場に車を置いて、広い境内を散策しながらもう一台を待ちました。しばらくすると、たくさんの鳩の群れに囲まれました。ここに住んでいる鳩はとても人慣れしているようです。餌をやるわけでもないのに、足元にやって来るのです。しばらくした後、鳩が群れて足元にやってくる理由が分かりました。
広い境内から見上げた忌宮神社
境内の広場にみんなが集合すると、忌宮神社をお詣りしました。私もお詣りして、家内安全,健康長寿などをお祈りしました。忌宮神社のお詣りを済ませて、次に乃木神社に行くことにしました。相撲史料館があったのですが、次回訪れることにしました。忌宮神社を出る頃、一人の方が鳩に餌をやっていました。餌を持った手に乗っている鳩もいました。手乗り鳩がいるようです。鳩の餌を売っているようです。餌を欲しさに、鳩が群れて寄ってくるのです。
足元に寄ってくる鳩 手を洗ってお詣り 拝殿前でお祈り
忌宮神社を出たところに、明治時代に忌宮神社に合祀された八坂神社などがありました。少し歩くと、巨大な石碑があり「繭種渡来の地」と刻まれていました。ただ、渡来した年が古すぎるように思います。続いて、保育園の横を通って乃木神社に向かいました。
「繭種渡来の地」の石碑 乃木神社の鳥居 宝物館内を兼学
乃木神社の鳥居をくぐると、最初に宝物館に行きました。乃木大将の生い立ちや遺品などが数多く陳列されていました。宝物館を出ると、乃木神社をお詣りしました。私は、乃木大将と言うと、日露戦争での203高地を思い出します。この高地をなかなか落とせず、自分の息子もここで戦死しました。日露戦争の帰趨を決めた戦いでした。
静かなたたずまいの乃木神社
日露戦争は、続く第一次、第二次世界大戦の先駆となる近代戦でした。特に日露戦争で使われて機関銃は画期的でした。この銃のため、何万もの人が亡くなりました。さらに、それまでの戦いで有効だった騎馬が無効であることが分かったのです。第一次世界大戦以降、騎馬の代わりに戦車が登場しました。騎馬は以後、儀仗のような飾りとなりました。大量殺りくの近代戦の幕開けが、日露戦争だったのです。
今回ウォーキングした下関市長府の史跡探訪ルート
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長府 功山寺,毛利邸,乃木神社などをウォーキング(3/4)
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