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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施町 大内弘直墓地、金声小学校跡地ほかを訪問

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 行こうと思って行けなかった史跡や、写真を取り損ねた史跡を訪問しました。最初に大内弘直(1336年建武の中興時の戦いで亡くなる)の墓地を訪問しました。これまで行けなかった理由は、個人の家にある史跡だからです。今回訪問するとS家の家主Sさんがご在宅でした。普段は光市にいて時々田布施町に来るとの事でした。在宅しておられ、しかもいろいろと話しを聞くことができラッキーでした。

    S氏の門前、右手は金星小学校跡地            大内弘直の墓地
 

 かつて大内公園を含む山全体がS家の所有地だったそうで、大内弘直のお墓は山の一角にあったそうです。しかし、戦前に山を軍に接収されたそうです。そのため、大内弘直のお墓を今の場所に移したとのこと。その後、軍は接収した山を公園化して忠魂碑を建てたようです。近年、道路を通すために山が深く削られ、S家と大内公園は完全に分断されました。

          S家(大内弘直居館跡)から見た金星小学校跡地、今は畑


 ついでに、S家西に隣接する金声小学校跡地(明治11年8月設立)を見学しました。当時は、金声小学校が本校で、大波野と御蔵戸に分校がありました。その後大波野と御蔵戸の分校が長合分校に統合されて桜山小学校となります。その後、その桜山小学校が金声小学校に改称。金声小学校の旧建物はその後、青少年を教育する学校として使われたとのことです。
 なお、明治19年に八和田に小学校が新築され移転し、明治34年に東田布施小学校と改称します。この時「金声」の名前は途絶えましたが、東田布施小学校校歌の中に今でも生き続けています。ちなみに、東田布施小学校校門傍の「金声健児の碑」は昭和46年5月に建てられました。ところで、東田布施に在住する方々のうちいったい何人が「金声」のことを知っているでしょうか。

  山本竹一の石碑        徳本阪次郎の石碑       長田のお地蔵様    
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 S家を出ると、大内公園に行きました。そして、写真を撮り忘れた山本竹一の石碑に行きました。山本竹一は天神の人で、大内公園を整備したり桜を植えた功績者とのこと。金声小学校となる前の長合分校が、一時的に桜山小学校と改称したのは、その功績をたたえてのことではないかと思います。次に八坂神社の徳本阪次郎の石碑の写真を撮りました。徳本阪次郎は、灸川の治水に功績がありました。

八尋石八幡宮前のお地蔵様    八尋石八幡宮の鳥居      岡村左膳の石碑
  

 続いて、長田の墓地に行きました。奇兵隊士だった平野捨五郎の墓を探しましたが見つかりませんでした。近所の方に聞いたのですが、分からないとのことでした。長田には他にも墓地があるのでしょうか。長田のお地蔵様を見た後、八尋石八幡宮に行きました。入口前のお地蔵様を見た後、境内のどこかにある幕末の教育者岡村左膳の石碑を探しました。広い境内をいろいろ探してようやく見つけました。功徳碑と大きく刻まれ、その下に小さな字で刻まれていたので、最初は分かりませんでした。岡村左膳の字を見つけて確認しました。

          今回調査した、金声小学校跡地,大内公園,八坂神社付近


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