土穂石川に寝そべっているように見える土穂石を見終わると、しばらく上流に歩いて橋を渡りました。そして、反対側の川岸に行って、下流に向かって20m位歩きました。そこには、かつて営業していた石風呂の屋敷がありました。裏口になるのでしょうか、入ると左手にお堂がありました。そして、屋根下に入ると営業時の石風呂の写真が展示してありました。周防大島などに石風呂跡がありますが、人々が石風呂を楽しんでいる写真を展示しているのはここしかないと思います。
古い看板に「石風呂」 展示中の石風呂の写真 土穂石神社
石風呂は一種のサウナです。熱くなったドームのような石風呂に入って、湿った海藻を体にたたきつけるのではないでしょうか。田布施町麻郷の鳥越に石風呂と呼ばれる地区があると聞きました。その昔、田布施にも石風呂があったのでしょう。ちょっとした港には石風呂があったのではないでしょうか。
今、お風呂と言うと湯船に入ることを指します。火を風呂底に当てて湯を沸かすためにはどうしても鉄板が必要です。昔は鉄板は貴重でした。せいぜい盥に湯を入れてつかっていたのではないでしょうか。大勢が湯船につかりだしたのは、江戸のような都市が始めだと思います。一般に普及するようになったのは明治以降のことではないかと思います。それまでは、石風呂が一般だったのではないかと思います。湯船は意外と歴史が浅いようです。
防陽八十八ヶ所霊場の第八十七カ所札所の欣慶寺
石風呂屋敷を見終わると、小高い丘に登りました。そこには土穂石八幡宮があります。神社に土穂石の名前が付いていることから、神社が建立される前から土穂石が知られていたようです。つまり、古代にはすでに土穂石があって、石に神様が宿っているとされたのでしょう。土穂「つつぼ」の意味は何なのでしょうか。柳井一番の不思議な石です。意外にも、石と神社は関係があります。例えば、田布施の石ノ口八幡宮や八尋石八幡宮も石に関わりがあるのです。はるか古代の岩信仰が神社になったのではないでしょうか。
大師堂への石段 防陽,平和,周陽霊場 賑やかな新庄保育園
土穂石八幡宮の隣りに欣慶寺があります。このお寺は、防陽八十八ヶ所霊場の第八十七番札所,平和八十八ヶ所霊場の第四十九番札所,そして周陽八十八ヶ所霊場の第四番札所となっています。これらの巡礼ルートは、元々は防陽八十八ヶ所霊場が基礎になっているようです。その順番を辿ると、真言宗のご住職が自分のお寺を一番札所として巡礼していたことが分かります。例えば、平和霊場は千坊山光福寺が第一番札所です。千坊山光福寺の先代のご住職が始められたようです。
土穂石八幡宮の巨大な石鳥居、工事で石脚が少し破損したため補強中
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欣慶寺を出ると、新庄保育園横を通りました。保育園の園児達に手を振ると、園児達がニコニコして手を振ってくれました。少し歩くと土穂石八幡宮の巨大な石鳥居に着きました。倒壊した田布施宿井の石鳥居以上の大きさのようです。工事で石脚が破損したそうで、石脚2本共に支えがしてありました。
こんな巨大な鳥居をどうして立てたのでしょうか。重機がない昔は大変な工事だったと思います。が実は簡単で、最初に土を山のように盛ってから鳥居を構成する石を運び込み、組み立て終わると土を取り除いたとのこと。この方法ならば簡単です。古墳の巨大な石室も同じ方法で作られました。古代から受け継がれた知恵が使われていたのです。
今回再下見した、田布路木~土穂石川の史跡コース
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平生町 沼~宇佐木~田布路木方面ウォーキングの再下見(2/3)
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