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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施町 古代と中世の地形を辿るウォーキング(1/3)

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 いつもは大師堂や寺社などの史跡を巡るウォーキングをしています。しかし、10月は田布施町の古代や中世がどんな地形だったのか知るウォーキングにしました。今回その下見をしました。いつもは、下見をしてから案内ハガキを出すのですが、仕事などが忙しくて下見が後になりました。

  古代、海だった頃の田布施(田布施川はまだ無い) 赤線は今回下見したコース


 よく古代田布施の中心部は海だったとの話を聞きます。そして、その海を干拓して今の田布施ができたとの話も聞きます。そこで、海がどの範囲にあったか、中世の田布施川跡はどこかなどを知るためのウォーキングとすることにしました。古代や中世の姿を思い浮かべる想像力が試されるウォーキングです。スタートしたのは田布施町交流館です。ここから田布施川の堤防沿いに川を下りました。

  交流館に集合        流れ荒神様         火伏大権現
  

 途中砂田でお地蔵様を見学しました。一つは流れ荒神様です。田布施川の工事中に見つかったお地蔵様とのこと。そして、もう一体は江戸時代に由来があると思われる火伏大権現です。このお地蔵様はとても立派です。おそらく江戸時代の田布施大火により安置されたのではないかと思われます。

           葉がだいぶ落ちた田布施川堤防の桜


  毎年8月24日に50人位の人が集まります。大恩寺のご住職様が弔いをされ、お接待もあります。砂田地区の方々が守るお地蔵様です。柳井市にもやはり江戸時代の大火を弔うため八十八体の火伏地蔵が安置されています。

    南平和霊場一番のお大師像       田布施川から古代浮島を見て
 

 お地蔵様を過ぎて、旧関戸橋に近づきました。すると、小さな農機具様納屋があります。ここには南平和霊場一番のお大師像が安置されています。道路工事のため、一時的にここに避難されているお大師像です。近々旧関戸橋左岸に建物が再建されるそうです。続いて、古代において島だった浮島を巡りました。そして、山崎原遺跡を遠望しながら古代浮島を一周しました。

           お米の収穫まっさかりの田布施川沿いの田んぼ


 今の田布施川は、定井手から中央橋を経由、さらに関戸橋を経由して八海にに向かって真っすぐ流れています。しかし戦国時代(1585年頃)、定井手から田布施川を掘削する工事が始まりました。そして、江戸時代(1687年頃)までに関戸橋付近まで掘られました。その頃、関戸橋から熊毛南高校方面に向かって川が流れていました。さらに江戸時代(1687年頃)の工事により八海まで田布施川が延長されたと推定されます。その川は、古川とも呼ばれていました。記録にもあります。そして、その古川は地番名として今に残っています。また、航空写真を見てもその痕跡がくっきり見えます。その古川跡を横目に見ながら、灸川河口に向かってさらに田布施川を下りました。

                 古代と中世の田布施の地形を知るコース


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