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Channel: 東京里山農業日誌
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茨城県 水戸偕楽園を散策(4/4)

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  中門を過ぎると、右手に好文亭が見えてきました。この付近は意外に人が多く、好文亭は混んでいるようでした。時間が遅くなったこともあり好文亭に行かなことにしました。次回の楽しみに取っておくことにしました。芝前門を出て見晴広場に出ました。出てすぐの所に偕楽園記碑がありました。

 芝前門から見晴広場に     偕楽園記碑       見晴広場からの好文亭
  

 見晴広場を散策していると北側に好文亭が見えました。たくさんの人が好文亭の2階を歩き回っているのが見えました。好文亭の2階は高い位置にあるため展望が良いのでしょう。さて、今はまだ冬のため芝生はまだ茶色でした。春には一斉に緑になるのでしょう。ここからは千波湖が見下ろせる絶好の場所です。見晴広場は、千波湖が偕楽園の池に見立てていることの意味が良く分かる場所です。

           偕楽園の見晴広場から見下ろした千波湖


 それにしても穏やかな日々でした。曇り空ではなかったのですが、風もおだやかで楽しい偕楽園でした。偕楽園に入った東口から外に出ると、お土産や甘酒のお店に行きました。そこで座って甘酒をすすりながら休憩しました。

           穏やかな天候の中、千波湖をバックに


 偕楽園から千波湖に戻りました。そして、同じ道を通らないで水戸駅に戻ることにしました。千波湖の南側の道です。途中、巨大な水戸黄門の銅像がありました。この場所がマラソンなどのスタートラインになることが多いそうです。このところの鳥インフルエンザのためか、白鳥などの鳥に餌をあげている人がいませんでした。鳥がいない千波湖は少し寂しげでした。

 これから見ごろの梅林      偕楽園東門を出る    静かな東門付近通路
  

 ところで今は穏やかな水戸ですが、幕末水戸藩内で凄惨な事件がとても多かったことをどれだけの人が知っているでしょうか。桜田門外の変,天狗党事件,そして内部の粛清などで多くの人材が失われました。明治維新後に水戸藩から人材を出せなかったのはこれらの影響があるのです。
 私個人の意見ですが、戦国時代は部下を助けるために主君自ら亡くなることが少なくありませんでした。しかし、その侍の理想が江戸時代の間に変質してしまいました。つまり、主君のために部下が亡くなることが理想となったのです。この忠義の亡霊、明治以降は尽くす相手が主君から「国」に入れ替わり、戦後は「会社」に入れ替わって密かに生き残っているのではと思うのは考えすぎでしょうか。

            偕楽園東門付近のお土産や甘酒などのお店

 千波湖を歩いていると雨が降ってきました。傘をさして水戸駅に急ぎました。水戸駅での昼食休憩後お土産を買いました。そして帰りの電車に乗りました。家内の妹家族とは上野駅で別れ、私と家内は八王子の我家に帰りました。充実した水戸偕楽園でした。

千波湖の水戸黄門巨大像    小雨の千波湖を散策     駅ビルでお昼休憩
  


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