次に火伏地蔵尊に行きました。坐像の地蔵尊が多い中、なかなか立派な立像のお地蔵様でした。このお地蔵様の前で、いかに昔の人は火事が怖かったかお話をしました。そして、そのついでに放火が最も重い罪であったことを説明しました。
なかなか立派な火伏地蔵尊 毘沙門堂を覗き込む
放火の罪は火で刑が実行されます。いわゆる火あぶりの刑です。数ある火あぶりの刑の中で唯一、16歳の娘が火あぶりの刑になった話を皆さんにしました。私はこの乙女の火あぶりの刑を講談か何かで知ったのですが、八百屋お七の話だとは知りませんでした。今と違い江戸時代女性の婚期は16歳だったそうで、そんな16歳の乙女が、運命の恋をして罪を犯して火あぶりになったのです。
土穂石八幡宮に到着、ここで少し休憩
そんな八百屋お七の逸話の一つに、八百屋お七が着ていた振袖があります。あるお寺に遺品として収められているその振袖、何故だかボロ雑巾のようにちぎれているのです。その理由は、八百屋お七の恋にあやかりたいと、恋する乙女達が端切れを次々に千切って持って帰ったからだそうです。恋が成就するようにと。
意外なことにこの八百屋お七が現代にも生きていることを初めて知りました。歌謡曲などで今でも歌われたり、舞踊として踊られているのです。16歳のか弱き乙女の悲恋に、人々は時代を超えて涙するのですね。
ヤマモモの実を採取 実をお土産に 石風呂の解説を受ける
火伏地蔵尊を過ぎると、土穂石川傍の毘沙門堂に行きました。お堂の中には小さなお地蔵様がありました。覗き込むようにして拝みました。続いて、土穂石八幡宮に行きました。新庄小学校の間に土穂石八幡宮の参道があります。左に新庄小学校校舎を、右に運動場を見ながら参道を通りました。この頃になると、さらに日差しが強くなったため境内に少し休憩しました。
今でも使えそうな土穂石川の石風呂を見学
土穂石八幡宮の境内にヤマモモの実が大量に赤く熟していました。私も少し取って食べてみました。甘酸っぱい美味しさが口内に広がりました。土穂石八幡宮からすぐの所に石風呂があります。今は営業していませんが、かつては一種の社交場だったようです。石が積まれたドームのような石風呂内部を見学しました。
土穂石の由来の巨岩 大師堂前に置かれた野菜
下見の時、ウォーキングで石風呂を訪れることをお話ししていました。そのため今回、石風呂について詳しい解説を伺うことができました。石風呂の説明、ありがとうございました。なお、解説していただいた奥様は、今回一緒にウォーキングした二人の高校時代の同級生とのこと。数十年ぶりの再会で、手を取り合うように喜んでいました。石風呂を出ると大師堂を見学後、出発した新庄MaValuに向かって歩きました。参加された方々、お疲れ様でした。来月は光市の島田川に沿って名所や史跡をウォーキングします。
楽しくウォーキングした柳井市新庄の史跡コース
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柳井市 楽しかった新庄史跡巡りウォーキング(2/3)
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