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東京都立埋蔵文化財センターを見学

 東京に帰ったついでに、久しぶりに東京都立埋蔵文化財センターに行ってきました。これまで、2度ばかり行ったことがあります。前回行った時は古代の食べ物を調査するために行きました。竪穴式住居内で火が炊かれ、その煙で建物をいぶしている時でした。いぶすと住居の耐久性が上がるとのこと。その火でクルミを焼いて食べました。クルミは硬くて食べるのは大変かと思っていました。しかし、火を使うといとも簡単に殻を割ることができるのです。

  東京都立埋蔵文化財センター隣の林に再現された縄文時代の竪穴式住居の一つ 
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 竪穴式住居内は意外に広くて、1家族が暮らすには十分に大きさです。また、2家族が暮らすことができる大きな住居も再現されていました。昭和30年代、私が子供の頃に茅葺屋根の天井を見上げたことがあります。天井板がない屋根は、まさに縄文時代の竪穴式住居と同じような構造をしているのです。縄文弥生時代の竪穴式住居が、その後茅葺屋根に発展したことが分かります。

  竪穴式住居の内部    屋根下の物置部分     茅葺屋根と同じ構造
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 竪穴式住居を見学した後、東京都立埋蔵文化財センターに入館しました。すると、縄文時代の展示物が所狭しと並べられていました。展示物の半分以上が縄文時代の遺物です。しかも、時代順に並べられていました。山口県にも縄文時代の遺物はあるのですが、関東や東北地方の縄文時代の方が遺物量が多いのです。しかも、大型で模様も細緻な土器ばかりで個性的なものばかりです。あきらかに、縄文時代は関東や東北地方が豊かで文化が高いのです。人口も西日本より多かったのではないでしょうか。

縄文時代の小型土器遊具   出土した石器の数々    多種多様などんぐり  
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 見学途中に学芸員の方を呼んで質問しました。すると、縄文時代は関東や東北地方は今より温暖で、どんぐり,栗,トチなどが多く生えていたそうです。そのため、定住生活することができ多くの人口を養えたとのこと。寒い青森県で発見された三内丸山遺跡はその1例で圧倒的です。縄文時代の青森県は暖かったのでしょう。栗類が主食だったようです。しかし、今から3000年位前に気候が寒くなるにつれ、栗やどんぐりが育たなくなりました。人口を養えなくなると争いも増えたようで、この時期こん棒などのような武器の遺物が増えるそうです。

            出土した焼き物の紡錘車
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 初めて知ったのですが、縄文時代の土器の底が尖っている一つの理由です。底が尖っている方が作りやすいとのこと。口の方から粘土を巻いていき、だんだん狭めるそうです。それをひっくり返すと器になるのです。先のとがった土器を土の上に差し、その周りに火をおこすのです。もう一つ気が付いたのは、紡錘車です。私が試しに作った紡錘車はどうしても焼いた後にひわってしまいます。しかし、展示品の紡錘車のようにずんぐり形にすればひわらないようです。来春に土器を作る時に、同じ形の紡錘車を試作して実際に糸を紡いでみようと思います。

          独創的な形の縄文中期前半の土器
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 縄文時代、西日本ではどんぐり類が少なく多くの人口を養えなかったようです。そのためか、西日本の縄文遺跡は貧相です。縄文時代、西日本は生活しずらかったのでしょう。しかし、東日本と西日本が逆転するのは、やはり米作りが伝わったことが大きいようです。自然に頼らない食料自給は人々の生活を一変させました。米作りにはそれなりの組織力が必要です。次第に東日本を圧倒していったのだと思います。

         当時の繊維を使って再現された縄文時代の衣服
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 縄文時代の人々は平和に暮らしており、指導者はいても王とか平民などのような身分制があまりなかったのではないかと思います。しかし、弥生文化は米作りに加えて組織が中央集権的のように思えます。そして、王などの支配階級が出現します。そして、国と国が富を巡って戦うになり、最終的に大和朝廷として統一されていったのではないかと思います。その過程で東日本は併呑される側になったようです。その頃になると西日本が中心との考えで、東日本は遠い果ての地域だったようです。ちなみに、茨城県の古い地名である「常陸」は日が登る最果ての地との意味があるそうです。

  使われた繊維の数々    石の装飾品や編まれた籠   土器に文様を付ける道具
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