久しぶりの快晴の中、田布施町の馬島の史跡を訪ねるウォーキングをしました。馬島の呼び名は正式には「ましま」のようです。ちなみに、牛島も「うしじま」でなく「うしま」と呼ぶように。そのため船名も「ましま丸」です。去年の牛島ウォーキングでもそうですが、島を巡るウォーキング時には参加者が増えます。個人で島に渡るのは躊躇するからかも知れません。今回は、子供2人を含めて20名の参加がありました。人数が多いためどうしても、列の先頭と最後尾が開きぎみになりました。
馬島に向かうましま丸 参加した小学生2人 渡船場の馬島集会所
馬島に到着すると、馬島集会所で体を軽くしました。そして、馬島の史跡巡りに出発しました。最初に行ったのは、江戸幕末期に馬島で庄屋を務めていた伊藤家屋敷跡です。この屋敷に木戸孝允の妻である幾松を数ヶ月匿っていました。伊藤家は上方でも手広く商売をしたため保護を頼まれたのではないかと思います。奥の一室に匿われていたとのこと。今、伊藤家は馬島には居住していないようです。かつてを思わせる立派な屋敷跡だけが残っています。
馬島北端の砂浜を見学、対岸に麻里府や阿多田半島
伊藤家跡を過ぎると、馬島北端の砂浜に向かいました。地元の方々はここで泳ぐのでしょうが、正式な海水浴場ではないため遊泳禁止ではないかと思います。この砂浜に立つと、反対側に麻里府港や去年の1月にウォーキングした阿多田半島の神花山古墳がよく見えました。また、右手に平生町の佐賀地区がよく見えました。続いて、田布施町の名木の一つであるマユミの大木を見ました。この付近にはかつて学校があったそうです。馬島尋常小学校か麻里府小学校分教場がここにあったのかもかも知れません。続いて、住居跡を通り抜けて馬島八幡宮に行きました。
田布施の名木マユミを見学 住居跡に生える竹の小道を歩く
馬島八幡宮の入口近くにかつて寿命寺がありました。今はうっそうと茂った竹藪だけがあります。寿命寺の石段や石垣だけが残っています。さて、馬島八幡宮に向かう参道に石鳥居があります。その鳥居は石組が外れ気味になっているため、避けるようにして傍を通りました。近いうちに倒壊するのではないかと思います。馬島八幡宮の拝殿はとても見事です。かつて馬島には豪商が何家もあったようです。相当な資金が費やされて建築されたのに違いありません。
倒壊が心配な石鳥居 立派な馬島八幡宮拝殿 竹藪を通り要害山へ
馬島八幡宮の参拝が終わると、参道を降りて馬島小学校跡地に向かいました。かつては馬島八幡宮から直接小学校に降りることができる小道があったそうです。回り込むようにして住居跡の小道を歩くと、馬島小学校跡地に出ました。私の同級生3人がこの小学校を卒業しました。小学校跡地の説明を済ませると、深い竹藪の道を通って要害山に向かいました。
馬島史跡りのためウォーキングしたコース