般若寺十王堂の見学を終えると、大畠が眼下に見える場所に行きました。そして、腰を下ろして眼下に見える絶景を見ながら昼食休憩しました。日が照っていたため、ポカポカ陽気の中で楽しく談笑しながら休みました。昼食休憩が終わると、平生町側を見下ろせる展望台に行きました。平生町は今ではすっかり陸地になっていますが、江戸時代以前は海でした。大畠側が海であるように、その昔は平生側も海が広がっていました。古代において両側に海を見下せたのが般若寺なのです。
呼び方が分からなかった栓見神社(ごんげんじんじゃ)を参拝
般若寺を降りると、平生萩原を通り、さらに大野萩原の道をどんどん下りました。すると、舗装道路が30m位パックリと無くなっていました。道全体が土砂崩れとなって川底に落ちていました。平野部の災害と言えば浸水が多いのですが、山間部の災害は土砂崩れが代表的です。日本はどこにいても災害が絶えません。だから忍耐強い国民性が養われたのではないでしょうか。
大畠側の海を見下ろす 古代は海だった平生町 崩れて無くなった道
崩れて道が無くなった箇所は二ヶ所でした。その二ヶ所のうち一ヵ所は修復工事をしていました。工事車両の脇を避けるように歩きました。そして、ようやく平生平野が見下ろせる場所に着きました。少し歩くと、稲荷大明神の本殿が見えました。本殿前の広場で少し休憩しました。
稲荷大明神の鳥居と本殿 大野北道脇のお地蔵様
稲荷大明神を過ぎると、呼び方が分からない栓見神社に向かいました。栓見をただ単に音読みすると「せんげん」ですが、本当にそう読むのか最初さっぱり分かりませんでした。栓見神社を参拝後、お地蔵様が並んでいるのが見えました。そのお地蔵様の所にいくと、お堂があるではありませんか。しかし、名前を示すようなものがありませんでした。
寂しげな観音堂 通りすがりのお地蔵様 般若寺方面を振り返って
お地蔵様を眺めていると、通りすがりの軽トラが止まりました。軽トラから降りてきた方が言うには、栓見神社は「ごんげんじんじゃ」で、お地蔵様は観音様とのことでした。初めて栓見神社の呼び方が分かりました。さらに、同級生のTさんが偶然に通りかかりました。やはり「ごんげんじんじゃ」とのこと。栓見神社から平生町街にどんどん歩いていると、Tさんが追いかけてくるではありませんか。そのTさんから、平生町の民話集をお借りしました。その民話集を読むと、権現神社となっていました。「権現」の漢字が、地図に書き写す時に何らかの理由で「栓見」に間違えたのかもしれません。不思議です。さて、無事に下見を終えることができました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れさまでした。
平生町大野北ウォーキングの下見コース
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平生町 大野北ウォーキングの下見(2/2)
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