回天記念館へは緩やかな坂を登ります。坂を登っていると、坂に覆いかぶさるように満開の桜が咲いていました。春の日差しが、桜の花を通して道に影を作っていました。今回訪れた日は、一年でも一番素晴らしい一日ではなかったかと思います。桜の木漏れ日の中を、回天記念館に向かって進みました。
満開の桜の下を、のんびりと回天記念館に向かう
回天記念館に向かって坂を進んでいると、坂の上から回天を組み立てたり修理した小屋の跡が見えてきました。その小屋は手入れされているのか、それほど傷んでいるようには見えません。周りで咲いている桜と古い小屋跡が対象でした。75年前の小屋はどんなだったのだろうと思います。たくさんの人々が住みこんでいたのでしようが、どんな思いで働いていたのか知りたいところです。
満開の桜にかこまれた小屋跡 空を覆うように咲く桜
私が住んでいるところは、戦時中に太刀洗飛行場の燃料倉庫が立ち並んでいました。米軍が空から撮影した航空写真がありますが、細長い小屋が30ばかりランダムに並んでいます。その燃料倉庫を監視するために憲兵が巡回していたとの記録があります。今回訪れた回天記念館も当時、たくさんの人が働いており、重要機密を扱うそれらの方々を監視する憲兵がいたことが想像されます。
もうすぐ回天記念館 回天記念館に到着 見学中の回天記念館内
回天記念館に到着すると館内を静かに見学しました。大津島よりは規模が小さいのですが、平生町にも回天の訓練場がありました。また大津島と同じように、阿多田交流館内に回天の遺物や実物大の回天が展示されています。どなたもそうでしょうが、回天記念館内を見学しているとどうしても重苦しい気持ちになります。私の父親や母親も体験した悲惨な戦争、なぜ、どうして・・と思わずにはいられません。
記念館前に置かれた回天 亡くなった方々の名碑に囲まれた道
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周南市 大津島 史跡巡り下見ウォーキング(2/x)
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