元々は10月の予定だった石城山の神籠石を含む史跡巡りウォーキング、下見が遅れたために本番は11月上旬になってしまいました。快晴で石城山からの景色は絶景でした。17人もの参加者がわいわい言いながら、石城山の史跡を楽しむことができたと思います。ふだんの石城山は舗装道路が山頂まで続く、宿井口側からか三国志城がある側から登ります。今回は、だいぶ昔に廃道になった石ノ口古道から登り、最近登られなくなり実質廃道になった三鍛冶屋口古道に降りました。共に、竹が生い茂る古道をみなさんと登り降りしました。
日本神社本殿前の四季桜前にて、石城山史跡巡りウォーキング参加者
当日は田布施町交流館に集合して分乗し、石ノ口に住む同級生O君邸前に駐車しました。車を降りて歩いていると、中学生時代の同級生Yさんに出会いました。今の時期は農作業が忙しいのでしょう、つなぎの服を着ていました。Yさんの家からしばらく、のんびりとした里山風情がある緩い登りの田んぼ道を歩きました。イノシシが入ったのか、田んぼはだいぶ荒れていました。
里のコスモスと石城山 最初はのんびりと 石ノ口古道の入口
登ったのは、田布施町の石ノ口八幡宮近くにある石ノ口古道です。廃道になる数十年前までは、山頂付近に住んでいるTさん家族が麓との行き来に使っていました。その頃、山頂付近に住んでいた子供達は毎日のように自宅と城南小学校,田布施中学校,そして熊毛南高校に通っていたそうです。雨風の中、高度差300m以上ある山と里を往復していたことになります。昔はそのような方々が山村にたくさん住んでいたとの話を聞くことがあります。
石ノ口古道途中のお地蔵様と石柱 山頂近く、岩を乗り越えて
石ノ口古道を登っている途中に、石で囲まれた石柱とお地蔵様がありました。下見で何のお地蔵様か分からず、また石柱の文字が分かりせんでした。そこで今回、簡易拓本の道具を持っていきました。そして、石柱に掘られた文字らしきものを浮かび上がらせてみました。「南無・・」と読めるような気がしましたが、結局何の文字なのか絵なのか分かりませんでした。正式な拓本道具を持って調査しないと分からないようです。江戸の昔、旅の途中で亡くなった方か工事で亡くなった方を弔ったのでしょうか。今やそれを知っている人は誰もいません。
墓地が並ぶ幽界 木の根でできたトンネル兼橋 手入れされたT邸
石ノ口古道をどんどん登ると、幽界とも霊界とも言われる古い墓地を訪ねました。その墓地奥には、元神護寺住職と思われる墓石が何基か立っています。次に、綺麗に手入れされたT邸に行きました。その後、石城山山頂の駐車場に着きました。トイレ休憩ののち、日本神社に向かいました。この神社本殿前にはさざれ石があり、四季桜が咲いていました。
石城山神籠石等史跡巡り、登り降りした石ノ口古道と三鍛冶屋口古道