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Channel: 東京里山農業日誌
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光市 田布施町 石城山神籠石など史跡巡りウォーキング(2/2)

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 日本(やまと)神社のさざれ石や四季桜を見学すると、石城山で一番高い高日ヶ峰に向かいました。日本神社から15分位登ると、高日ヶ峰にある高日神社に到着します。この場所は柳井側が開けており、なかなかの景色が広がっています。この絶景を眼下に昼食休憩を取りました。健康ウォーキングクラブは6年前にも石城山に来ました。この時も高日ヶ峰で昼食休憩をとりました。

         眼前に広がる柳井方面を眼下に昼食休憩


 昼食休憩が終わると、石城山一番の史跡である神籠石を巡りました。山道を降りる途中に「東坊跡」と書かれた半ば朽ちた木柱がありました。幕末まで、この石城山には神護寺を中心にした僧坊がたくさんありました。今は亡き谷さん(三国志城主)は、元々は石城山の山本坊の出身です。山本坊は薬草を担当する僧坊でした。

  高日ヶ峰に向かう    高日ヶ峰の高日神社     神籠石を巡る
  

 神籠石の東水門に着いた時、山姥のお話をしました。山姥のお話は、田布施町の紙芝居に出てきます。この山姥は元々は千坊山に住んでいましたが、手狭になったため東水門に引っ越したそうです。引っ越している時に休憩したのが田布施町竹尾の「姥ケ盥」とのこと。姥ヶ盥は2段になった滝です。その2段が山姥が休んだ椅子に見えたのでしょう。竹尾にはその他、山姥が蹴った大岩があるそうですが私は見たことがありません。その山姥は元々は優しいお婆さんでしたが、里人の裏切りにあいました。そのため、今では怖い山姥伝説になっています。

  石城神社の山門      石城神社を参拝    三鍛冶屋口と伊賀口の分岐
  

 石城山には山姥伝説の他にいろいろな伝説が言い伝えられています。例えば龍石や夜泣き石などです。神籠石の途中にあるちょっとした奇岩です。それらの言い伝えは、石城山周辺に人が住んでいた痕跡なのではないかと思います。神籠石は発掘調査されて、今では古代朝鮮式山城が正しい呼び名のようです。しかし、長い間「神籠石」と呼ばれていたため、石城山周辺に住んでいる人には「神籠石」の方がなじみがあります。

 荒れた竹藪の連続、三鍛冶屋口登山道     三鍛冶屋口登山口に到着
 

 神籠石を巡った後、城門の礎石にした二つの巨大な沓石を見学しました。その後、石城神社をお詣りしてから三鍛冶屋口方面に下山しました。竹が生い茂った荒れた道でしたが、下見で一度通っていたため楽に下ることができました。ふだんは車で行く石城山ですが、今回は古来たくさんの人々が往来していた古道を通りました。快晴で展望がきいた楽しいウォーキングでした。参加された方々、お疲れ様でした。次回は田布施町波野の木地の古戦場などの史跡を巡ります。

   石城山神籠石等史跡巡り、登り降りした石ノ口古道と三鍛冶屋口古道


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