天津橋を見終わると、いったんゲートボール練習場に戻りました。ちょうどお昼時でしたので、ゲートボール会員のY君の了解を得てここで昼食休憩を取りました。空気は冷たかったものの、暖かい日差しでポカポカしながら昼食を取ることができました。昼食後、Y君よりゲートボールのルールについて少し教わりました。柳井市のゲートボール「般若姫チーム」は全国レベルのとのこと。ぜひ今年は全国優勝を果たして欲しいと思います。
高潮に備えたとても高い防潮堤内を散策
ゲートボール場を後にすると、桜土手にお別れして干拓地跡の堤防に沿ってぐるりと歩きました。ゴミ焼却場の高い煙突周辺を歩きました。この場所は今から70年ほど前は塩田地帯でした。しかし、塩田を思わせるような跡は残っていません。続いて、国道188号線を歩いて元オートレース場跡地に向かいました。
ゲートボールの玉 ゴミ焼却場の煙突 連路脇のお地蔵様
元オートレース場は卸団地になっていました。私が幼児の頃、親戚が経営をまかされていたようで、祖母などはアイスクリームを売っていました。売れ残りのアイスクリームは子供達のおやつになりました。今でも、楕円状のコース,観客台,たくさんのオートバイなどを覚えています。子供だったからでしょう、競技中は中に入れてもらえませんでした。
国木田独歩の居住跡 三角餅の藤坂屋本店跡
オートレース場跡地を過ぎると、山陽本線をまたぎました。しばらく歩いて、国木田独歩が一時居住した家を見学しました。道の向かい側に、国木田独歩の小説に出てくる三角餅の藤坂屋跡がありました。私は藤坂屋の三角餅が好きだったですが、もう食べることはできません。少し歩いて、代田八幡宮と宮本大師堂に寄りました。そして、菅原天神社に向かいました。
代田八幡宮 宮本大師堂 菅原天神の延命地蔵
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柳井市 干拓の史跡を巡るウォーキングの下見(2/3)
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