田布施から熊毛南高校近くの道を通り,赤子山北面直下に沿う山道に入り,臥龍梅に寄り,そして柳井に向けて散策しました。暇ができると、このように新しいウォーキング/ハイキングルートを考えながら散策しています。私が熊毛南高校生だった頃、赤子山北面にある学校林で授業か何かで同級生達と山の下草刈りをしたことがあります。今回は、その時に通ったはずのルートをたどって柳井方面に行ってみました。
熊毛南高校の校舎 赤子山に沿う山道に入る坂道
熊毛南高校が見えなくなってしばらくして、坂本病院手前の坂道を上りました。民家に行くような舗装した普通の坂道です。私が高校生の頃はまだ道が整備されていませんでした。坂本病院もありませんでした。今の坂本病院を過ぎた頃の坂道を上ったような記憶があります。40年も経つと、自分の記憶の曖昧さと、すっかり変わってしまった道にとまどうばかりです。
しばらく竹林の中を進む 途中、巨岩が道横に寝そべる
舗装された坂道を進むと、暗い竹林に入りました。手入れがされていない山や古民家はすぐに竹に覆われてしまいます。この竹の茂りようから判断すると、この山道が十年以上は手入れされていないことが分かります。しばらく歩くと道の横に巨岩が寝そべっていました。道しるべにちょうど良い岩です。
北側に大平山やそのふもとに柳井ウェルネスパークが見える
暗い竹林の中は全く視界がありません。どこを進んでいるかさっぱり分かりません。どんどん進んでいると、北側に視界が晴れた場所がありました。そこからは、大平山が見え、ふもとには柳井ウェルネスパークや山口フラワーランドが小さく見えました。再び視界が全くない竹林の山道を進みました。しばらく進むと、道が二つに分かれていました。どっちに行って良いか分からないため、右の登り道を進みました。すると、赤子山登山口らしいがれ場が右にあり、さらに進むと行き止まりでした。
二股に分かれた山道 赤子山への登山口らしいがれ場
行き止まりだった道を戻り、再び二股に分かれた山道に戻りしました。今度は左の山道を下りました。すると、沢らしい場所に何段にも積まれた石垣跡がありました。砂防ダムにしては、一段が長く段数も多く規模が大きいので田んぼか何かの棚田跡ではないかと思います。近くの人に聞いてみましたが分かりませんでした。相当昔に放棄されたのでしょう。
何段にも積み重ねられた石垣跡 中村林道碑、昭和50年完
古い石垣跡を過ぎてしばらくすると、中村林道碑が道横に置かれていました。昭和50年完成のようです。昭和50年と言うと私が22歳の頃です。この山道は、私が高校生以降に作られた山道です。これで、私がこの山道を知らない理由が分かりました。
広い舗装道に出る、柳井市街の向こうに三ヶ岳や琴石山がよく見える
林道碑からすぐのところが、山道の終点です。いったん広い舗装道に出ました。そこから、数百メートル先の十字路に臥龍梅の案内板が立っていました。その十字路から一路、臥龍梅に向けて進みました。臥龍梅は6月に余田や大波野を散策した時に来て以来です。
臥龍梅の案内板が立つ十字路 天然記念物の臥龍梅
臥龍梅があるこの梅園は歴史が古く、室町時代頃からあるとの話を聞いたことがあります。私の母親は「柳女時代、この臥龍梅を清掃に来たことがある。」と言っていました。昔から、地域の人に大事にされてきたからこそ、今でもこの梅園があるのでしょう。初代の臥龍梅は枯れて、その枝から分かれた二代目の臥龍梅があるそうです。そして、三代目,四代目などの臥龍梅がこの梅園のあちこちに植えられているようです。なお「臥龍梅」とは固有名詞とばかり思っていたら普通名詞でした。龍のように臥せった梅の古木とのことで、全国的に「臥龍梅」と呼ばれる梅の古木があるようです。
二代目,三代目などの臥龍梅が植えられている古い梅園
なお、今回の散策にGPS装置を持っていきました。散策から帰って今回のルートを地図上にプロットしてみました。この地図上のプロットを見ると、中村林道碑から臥龍梅までのルートは再考の余地があることが分かりました。もっと近道があったのです。次回通ることがあれば、短いルートを通ってみようと思います。
今回の臥龍梅散策ルート(地図上にGPSポイントをプロット)
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田布施〜臥龍梅〜柳井の散策
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