先月柳井市の古開作方面を下見ウォーキングして、今月史跡巡りするコースを決めました。そして今回、その決めた史跡巡りコースに沿って歩きました。下見と大きく違うのは、健康祈願をしていただくため阿弥陀寺を訪れたことです。下見時にご住職にご祈願のお願いをしていたため、今回訪れた時にはご住職が本堂を開けて待っておられました。
ご住職による健康祈願時、一人ずつ名前を呼ばれてご焼香しました。ご祈願が終わると、江戸時代(享保年間)に農民一揆のために命をささげた方の墓所を案内していただきました。ありがとうございました。
国木田独歩が歩いた田布路木峠の緩い登り坂
ところで、集合したのはJR柳井駅南側にあるMax Valueです。10:00に皆さんが集合したことを確認すると、田布路木峠に向かって歩きました。途中、左手に南陽大師堂 霊場第三十六番札所を見ながら歩きました。この大師堂でお参りする方を見かけたことがありませんでした。しかし今回、古老が一人お参りされていました。続いて、周東病院北側の山裾にある金毘羅社に行きました。江戸時代中期に建立されたようです。地元の方々がお守りしているとのことです。
Max Value 10時スタート 南陽大師堂 金毘羅社
金毘羅社を過ぎると古道を通って周東病院前に出ました。そして、田布路木峠に向かいました。国道188号線に沿って緩い坂道を登ると田布路木峠に到着です。最初、国木田独歩帰去来の石碑を見学しました。石碑の前で、国木田独歩の帰去来と高塔山などについて、私から皆さんに解説しました。さらに、国木田独歩が仮寓していた吉見家やその吉見家の由来などについて解説しました。
金毘羅社南の周東病院 国木田独歩、帰去来の石碑
国木田独歩帰去来の石碑を見学し終わると、すぐ近くにある幕末の志士白井小介の顕彰碑に行きました。白井小介は山形有朋と奇兵隊に所属していて、その後南奇兵隊に所属しました。そして、戊辰戦争で新政府のために戦い活躍しました。明治維新後は平生町の宇佐木で後身のために飯山塾を開設しました。次に周陽第十八番箇所霊場 十心庵に寄ってから飯山塾跡に行きました。
白井小介顕彰碑 飯山塾跡 飯山塾跡で休憩
周陽第十八番箇所霊場 十心庵から飯山塾跡に行く途中、国木田独歩が歩いたであろう田布路木峠を歩きました。その最も高い所で平生町側を望みました。国木田独歩は、この場所から高塔山を望んだのではないでしょうか。峠を越えて後、飯山塾に付きました。水分補給のため休憩しました。
柳井市古開作方面の史跡巡りウォーキングのコース
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柳井市 古開作方面史跡巡りウォーキング(1/x)
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