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Channel: 東京里山農業日誌
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昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキング(2/4)

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 お地蔵様3の隣には小川今藏旧家跡碑が建っています。現在では考えられませんが、小川今藏は平生に住んでいながら麻里府村長をしていました。当時はその地域に住んでいなくても村長になれたようです。彼は國木田独歩と関わりが深く、独歩から小川今藏宛の手紙が郷土館に残されています。また、小川家は吉見家と親戚関係があり、その縁で國木田独歩は麻郷高塔の吉見家に仮寓することができました。國木田独歩の小説「酒中日記」に彼の名前が使われています。その他、國木田独歩と関りが深かった平生町の人に画家の岡紅葉がいます。彼は今、平生町の真覚寺に眠っています。

        本堂が倒壊し、今や山門しか残っていない法輪寺



 小川今藏旧家跡碑を過ぎると、小さな丘の上にある法輪寺跡に行きました。50段位の石段を上がって山門をくぐって行きました。10年位前にも行きましたが、その時は本堂が倒壊した直後だったのか、本堂の屋根の一部がまだ残っていました。しかし、今は本堂がどこにあったのか分かないほど雑草が生い茂っていました。倒壊した本堂を解体整理したのでしょう。その更地に雑草が茂ったようです。今や門徒が誰もいない廃寺なのでしょう。

 お地蔵様3と右下石碑    小川今藏家跡碑     平生郵便局跡地碑
  

 ところで、法輪寺は防陽八十八箇所霊場の札所の一つです。その昔は巡礼者が多かったのではないかと思います。直指院から知願寺への途中の札所として巡礼していたのでしょう。祖母は私をよくお寺に連れて行きましたが、巡礼には連れて行きませんでした。巡礼するほどには仏様を信じていなかったのかも知れません。あるいは農業などの仕事で巡礼どころではなかったのでしょう。昔の話を聞くと、庄屋などのゆとりのある裕福な人だけが巡礼できたようです。

     土手地区の復元南蛮樋        土手地区のお地蔵様4
 

 次に郵便局跡に行きました。この周辺は昭和30代とても賑やかな場所でした。たくさんのお店があり、平生町で一番人通りが多かった場所でした。自転車屋、薬屋、靴屋、駄菓子屋、氷屋、旅館などが軒を並べていました。何を運んだのか、馬車が通っていたことを覚えています。当時は平生座がありました。映画や演劇が終わると、平生座から帰る人がどっとこの通りを歩いて帰っていました。私も幼児の頃、かつての平生座で演じたことがあります。さて、昔の賑わいがすっかり無くなってしまった通りを南へ行きました。途中、復元された南蛮樋やお地蔵様4を見たりして法雲寺に向かいました。

    昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキングのコース


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