正覚寺を出ると、柳井南小学校に向かって歩きました。この小学校は、かつて伊保庄小学校と呼ばれていました。子供の頃、海水浴ついでに、当時木造だった伊保庄小学校の校舎でよく遊びました。ところが、阿月小学校との合併時に名前が今のようになりました。元々の名前が当たり障りのない名前になることは、個人的には残念なのですが仕方がないのでしょう。そのような話はよく聞きます。私が東京から40年ぶりに山口県に戻った時、徳山市が周南市に変わってしまったのには驚きました。今だに周南市の名前が身に付きません。
十体の閻魔様が並ぶ伊保庄の十王堂
さて、柳井南小学校に行く前に十王堂に寄りました。遠くから見ると小さな作業小屋にしか見えません。しかし、玄関を開けて中を見ると、予想と違う世界が広がっています。正面の棚には木像が安置されており、その木像の隣に十体の仁王様が安置されています。十体の仁王様が十王堂の由来です。この十王堂は防陽八十八ヶ所霊場の札所で、楠庵から続く札所です。さすがに今は巡礼する人はいませんが、地元の方々の講か集会所として使われているようです。
伊保庄海岸の砂浜 伊保庄公民館 小野の河内山神
十王堂を見学し終わると、柳井南小学校に向かいました。そして、潮の香りが強い伊保庄の海岸の波打ち際を少し歩きました。風が強いため波しぶきが顔に当たります。お昼となったため、風が弱く日差しが当たる岩を見つけて休憩しました。しかしながら、風が冷たいため15分ほどで次の史跡に向かいました。この海岸では、夏にはキス釣りができますし、砂浜ではヤドカリを捕まえて遊ぶことができます。子供が遊ぶのに最適な海岸です。
山の下の道脇にある荒神社 コンクリート壁の老猿の乳死蔵
次に、伊保庄公民館傍の河内山神の祠を見ました。塀に囲まれた畑の奥にあるため、近づくことができません。遠くから見るだけです。その後、海岸に沿った道路を柳井方面に向かって歩きました。途中、荒神社やコンクリート壁に埋まるように置かれた老猿の乳地蔵を見学しました。この周辺は老猿に関わる岩や地蔵があります。その昔、猿がたくさんいたのでしょうか。
再度歩いてみた伊保庄の史跡探索ルート
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柳井市伊保庄の山間部~海岸部の史跡事前調査ウォーキング(2/3)
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