ほぼ下見で歩いたコースの通りに、平生町に残る昭和30年代の面影を巡るウォーキングをしました。どの町もそうでしょうが、昭和30年代は子供が多く活気がありました。その昭和30年代初め、私は当時の平生保育園に田布施町麻郷から通いました。通う道すがら、塩田の浜子さんを見たり、国道188号線の舗装工事を見たり、賑やかな平生町のお祭りを見たり、平生座で劇や映画を見たり、その平生座で演じたり、馬車を見たり、通りにいろいろなお店が立ち並んでいたのを覚えています。個人的にも懐かしい昭和30年代の平生町を思い出しながら皆さんとウォーキングしました。
久賀島神社を参拝後、平生町西部に広がる街並みを見下ろす
10:00に歩き始めました。そして、旧国道188号線に出てから平生中心部に向け街内を歩きました。最初に見たのはお地蔵様1です。このお地蔵様1、その昔は無かったように思います。昭和30年代この付近は家がぎっしり並んでいましたが、今は空き家が増えてその隙間にお地蔵様1が移ってきて安置されたのでしょう。このお地蔵様1が安置された近くに古本屋さんがあったのを覚えています。小学生だった頃、わざわざ麻郷から借りにきていました。漫画本を10~30円/週で借りたように記憶しています。
最初に訪れたお地蔵様1 幼稚園があった真覚寺 静かな聖観音菩薩堂
続いて、思いで深い平生座跡や幼稚園があった真覚寺などを回りました。そして、聖観音菩薩堂に行きました。6人位が座ることができるお堂です。今でもこのお堂を守っている方がいるようです。しかし、山門を再建する費用を捻出することは無理なのでしょう。山門の跡だけが残っています。その後、お地蔵様2を拝んだ後、久賀島神社に向かいました。久賀島神社は久賀島の名前の通り、江戸時代に干拓が始まる前は島でした。400年以上前、久賀島神社の目の前には海が広がっていたのです。
久賀島神社近くのお地蔵様2 久賀島神社の石段を登る
久賀島神社近くには、かつて麻郷に向かう道が通っていました。その道を西に辿ると、今の三新化学の工場に突き当たります。三新化学の工場が無い頃、三新化学を横切るように道が続いており、田布施川に突き当たりました。その田布施川には渡船場がありました。
その渡船場が廃止された後、初代八海橋が架橋されました。明治時代、國木田独歩はこの初代八海橋を渡って麻郷と平生を往復しました。ちなみに、今の八海橋は三代目です。
昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキングのコース
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昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキング(1/x)
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