大内川に架かる雁木を見終わると、橋を渡って道を右に回って法雲寺前に行きました。そして、大内川を下流に向かって数10m歩くと堤防傍に祠が見えました。この祠の周辺を見回りましたが、神様や由来などは分かりませんでした。江戸時代初期、この付近が海岸であったことを考えると海に関わる祠ではないかと思います。その祠からすぐの場所に野島神社の鳥居が見えました。お正月にはこの鳥居前で獅子舞が披露されています。
野島神社の鳥居を過ぎて、昔賑やかだった道を散策
私が平生保育園児だった頃、保母さんに連れられて皆と一緒に野島神社によく行きました。当時の平生保育園は今の教育委員会がある場所近くにありました。そのため、野島神社は幼児の足でも容易に行くことができました。野島神社拝殿には東側にある石階段から登りました。西側の石階段はとても急ですが、東側の石階段は傾斜が緩やかなため幼児にも登り降りしやすい石階段です。野島神社に登って西側を見下ろすと、当時は遠くに海が見えました。また、眼下には長屋がたくさん見えたように記憶しています。
法雲寺の山門 大内川堤防沿いの祠 野島神社の石階段
ちなみに、野島神社下の通りは今は人通りが少なく静かです。しかし、私が幼児の頃はとても人通りが多かったように思います。佐賀や曽根方面から来る人が通る道でした。しかし今、車が通るバイパス道路ができました。そして、今は歩きではなく車に乗って平生に来るようになりました。呉服屋さんや酒屋さんなどのお店が並んでいたのに、今は民家ばかりの通りになっています。
直指院の防陽霊場札所 道の外側を向いた祠
通りを歩いていると直指院前に来ました。一昨年の1月に直指院で一年の安寧祈願をしていただき、塩田にまつわるお話を拝聴しました。今回は直指院内の防陽霊場札所に行きました。少しの間、立ったまま休憩しました。そして、真っすぐな道を曽根方面に向かって歩きました。
途中、永大グラウンドを少し見学しました。このグラウンドは、かつて永大産業サッカー部の拠点でした。永大産業サッカー部は、1974年にJSL1部リーグに昇格したそうです。また、このグラウンドで少年サッカースクールを開いていたそうです。今回のウォーキング参加者の1人が子供にサッカーを習わせるためこのグラウンドに送り迎えしていたことがあったそうでです。そのため、このグラウンドを懐かしそうに見ていました。
昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキングのコース
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昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキング(3/x)
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