金毘羅社跡を出ると、再び新道に戻りました。しばらく歩くと再び山の中に入りました。山の中腹にある疫神社です。この神社は、かろうじて守られているため参道には草木が生えていません。そのため、行者堂跡や金毘羅社跡のような藪漕ぎするような難はありませんでした。ただ、靴が埋まるほど落葉が積もりしかも急な参道でした。とてもお年寄りが登れるような道ではありません。ハーハー言いながら息せききって登ると、やっと疫神社にたどり着きました。山深い中にポツンとある静寂な神社でした。
疫神社に向かって、落葉を踏みしめながら急坂を登る
この疫神社は今、麓に住む一人のお年寄りが守っています。このお年寄りに大事があれば、もう誰も管理することができません。そのまま、行者堂跡や金毘羅社跡のように朽ちてしまいます。神社仏閣はどんどん減っています。人口減少に加え信仰心も無くなっている時代なので仕方のないことなのでしょう。
疫神社への登り口 疫神社の石鳥居 疫神社の本殿
疫神社は田布施町などあちこちにあります。田布施町の場合、伝染病が流行ったことが創建のきっかけてす。今で言う、コレラ,疫痢,結核などが流行りたくさんの方が亡くなりました。あるいは栄養失調や寄生虫だったかも知れません。当時は科学が発達していなかったため、病気に退散してもらうよう神社を創建して祈ったのでしょう。
新道のすぐ南側のお地蔵様1,2 新道傍に安置された地蔵様3
疫神社に着くと水分補給のため休みました。しばらく休んだ後、元来た急坂を降りました。落葉に足を取られないように注意して下りました。新道に戻ると、山近に向かってどんどん緩い登り坂を歩きました。新道裏に2体のお地蔵様1,2が安置されていました。そして、またしばらく歩くと道傍に屋根付きのお地蔵様3が安置されていました。
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