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Channel: 東京里山農業日誌
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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(2/4)

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 柳井商業工業高校跡地は以前、広い空地でした。ところが、今回行ってみると新しい図書館の建設中でした。以前、図書館を新設するかしないかで議会がもめていたように思います。その後、新設することに決まったのでしょう。おそらく駐車場が広く、喫茶店などがある総合施設に近い図書館ができるのではないでしょうか。
 その建設現場入口の門には覆いがしてありました。その門は、柳井商業工業高校を示す立派な門です。図書館が完成した後、その門はどうなるのでしょうか。気になるところです。私としては柳井商業工業高校跡地記念碑として残して欲しいと思っています。

     柳井高等女学校跡地にかつて2年間だけあった戦時保育園跡碑


 建設中の図書館を出ると、柳井川を渡って柳井学園方面に歩きました。そして、十字路に今でもある美幸食堂に行きました。この食堂は昭和の雰囲気が漂います。数年前に行った時、婆様が一人で調理していました。懐かしいお好み焼きの味がしました。地元に愛されているようで、次々に地元の方が食べに来ていました。続いて、旧斎藤道場横を通りました。斎藤道場は今、姫田川沿いに移っています。

   建設中の図書館     懐かしい美幸食堂     旧斎藤道場の建物
  

 旧斎藤道場前の通りは昭和を思わせる建物が多くあります。また、昭和の時代に信仰されていたであろう不動堂跡がありました。しかし、お堂の中を覗いてみると何もありませんでした。信仰を支えたであろうお地蔵様もありませんでした。この周辺は静かに変わりつつあるようです。文具を売っていた藤坂屋は看板が外されて、文具が見えたショーウィンドウは全て雨戸に変わっていました。

  部屋の中に何もなかった不動堂    看板が無くなっていた文具店藤坂屋
 

 次に、柳井高等女学校(現柳井高校)跡地に行きました。そして、その傍にある柳井戦時保育園ほまれ園(昭和19.2~21.3)跡地を訪れました。ちなみに、うちの婆様は昭和19年3月に同女学校を卒業しました。婆様に聞いてみると、この保育園のことは覚えていないのでしょう。卒業する直前に開設されたため覚えていないとのこと。婆様の一つ後輩達が児童を世話したのでしょう。
 婆様は卒業後の4月からすぐに、当時の馬皿尋常高等小学校(現柳北小学校)に18歳で教諭として勤め始めました。次の年の終戦時、アメリカ軍が来たそうです。最初怖かったそうですが、実際のアメリカ兵は礼儀正しかったとのことです。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース


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