30日、麻郷公民館館長のA君が運転する防犯パトロール車に同乗させていただきました。車の上にはスピーカーがあり、田布施町の宣伝などの声が響きます。なお、麻郷鳥越地区のKさんも防犯担当として同乗しました。
私が中学生時代、田布施農工高等学校(当時、下松工業高等学校田布施分校)が建築中でした。学校からの帰り道、A君と私はその工事現場で遊んだ事がありました。パトロール中、そんな話などをしました。
電柱の海抜2m表示(八海地区) 出発地点の中央公民館に帰着
A君は麻郷公民館の館長を5年近く勤め、今回の防犯パトロールが最後の仕事とのことです。パトロールしながら地域の方々から声をかけられたり手を振られたりする様子から、地域のために頑張ってきたことがよく分かります。これまで本当にご苦労様でした。
ここ数日、退職する同級生を数名訪ねました。役場勤務の人,保育園の園長先生,学校の先生など・・・・それぞれ「ご苦労さんじゃったね。」と声をかけました。
防犯パトロールした道を思い出しながら、バイクで走った麻郷の道(GPS)
防犯パトロールは午前中に終わりました。私は昼食後、パトロールした順路を思い出しながらもう一度そのルートをバイクで辿ってみました。山口県に帰ってから1年も経っておらず、まだまだ麻郷の道を思い出せません。古い記憶をたどりながら、バイクで同じ道を走ってみました。
辿る途中、A君から聞いた「大岩」を見学することにしました。竹重地区のお地蔵様傍にある大岩の案内表示をたどって大岩まで行きました。この大岩、私が小学生の頃に一度見たかも知れません。竹重地区の友達の家に遊びに来た時、畑の隅にとても大きな丸い岩があったことをかすかに覚えています。
お地蔵様傍の大岩への案内表示 畑の向こうに見える丸い大きな岩
この大岩、見た感じでは硬い花崗岩です。不思議なことに、地面に接している部分が削れています。古代この地域は海岸でしたので、波で侵食されたのかも知れません。柳井の伊保庄の黒島海岸にこの岩に似た形状の岩がありますので、そうかもしれません。それとも津波?
ただ、皇座山の山頂にもこれに似た丸い花崗岩の大岩がいくつかあります。皇座山頂の丸い岩は、その高度(527m)から波で侵食されたとは考えられません。津波はまず考えられません。一方、ニューヨークには氷河で運ばれた丸い巨岩(迷子石)が所々にあります。この竹重地区が数万年前氷河に覆われていたのでしょうか?・・・・まったくの謎です。
この大岩の100m近くにも、丸い巨岩が半ば露出しています。私の想像ですが、この地域には花崗岩が何万年もかけて風化してできた砂が多いことから考えて、より固い花崗岩が風化せずに岩として残ったのかも知れません。地下がどうなっているのか知りたいところです。氷山のように、先頭のほんの一部がこの大岩かも知れません。麻郷の第一の不思議だと思います。
地面に接する部分が削れた丸く巨大な岩、なぜここに?
巡回パトロールで、ほとんどすべての麻郷地区を回りました。回ったコースの中に、去年の田布施川沿い史跡めぐりウォーキングで歩いたコースの一部がありました。麻郷小学校の前身である成器堂跡の正面を通る道です。
防犯パトロールの後半、蓮輪地区から鳥越地区に向かう途中、耕作放棄された田んぼがたくさんありました。その耕作放棄された田んぼには一面雑草が生い茂っていました。その雑草の向こうに真新しい麻郷小学校の校舎が見えました。立派な校舎とたくさんの耕作放棄田、は真逆の光景です。
麻郷小学校の前身、成器堂跡 耕作放棄田の向こうに新しい麻郷小学校
ところで、お昼に妹夫婦と姪がやって来ました。そして、久しぶりに談笑しました。妹の夫は県職員で、この4月から徳山に転勤とのこと。あと2年で定年です。一緒に来た姪(末子)は、この4月から仕事に就きます。妹夫婦は、これで子供達3人全員を社会に送り出すことになります。これまでの子育て、ご苦労様でした。年齢的にも、今までのようには無理がきかなくなります。これからは、健康を第一にして仕事をして欲しいと思います。
久しぶりに会って談笑した、私の母親,妹夫婦,そして姪
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田布施町 麻郷の防犯パトロールに同行,大岩の見学,妹夫婦来訪
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