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Channel: 東京里山農業日誌
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周防大島町 庄地古墳や棚田等の史跡巡り(1/2)

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 田布施町から少し離れた周防大島の古墳などの史跡を訪れました。最初、庄地古墳群を訪れました。古墳の紹介板を見ると、古墳後期(7世紀)の古墳とのことです。田布施町の後井古墳や石走山古墳が作られた頃です。このため、大和朝廷がほぼ日本を統一した時代の古墳ではないかと思われます。

                     庄地古墳群について書かれた説明版


 庄地古墳群には1〜7号古墳があります。最初1号古墳を見ました。この付近は古墳が作られて以降、周辺は棚田として利用されたようです。竹藪の中にたくさんの棚田跡がたくさんありました。また、斜面に作られているためか、墳墓の形がよく分かりません。おそらく円墳ではないかと思われます。なお、4〜6号古墳は、今は見ることができないようです。今回見学したのは、1,2,3,7号古墳です。そして、石室の大きさは田布施町の石走山古墳や稲荷山古墳と同じ位です。

        竹藪内の庄地1号古墳             少し離れた場所の庄地7号古墳
 

 庄地古墳近くから久賀町を見下ろすことができます。この古墳に葬られた人は、この集落の族長ではなかったかと思います。近くにいくつも同じような古墳があることから、代々の族長が葬られたのではないでしょうか。

                   庄地古墳群から見下ろした久賀町


 庄地古墳群前の道をそのまま進むと、手入れされた棚田や庄地水洞があります。古墳近くの棚田は放棄されていますが、ここの棚田だけは綺麗に手入れされています。定期的に手入れしているようです。
 昔は、海で漁労生活をする一方で、棚田で農作業もしていたのでしょう。山の上部まで棚田がずっと続いていたそうです。

       庄地古墳近くの道端で涼む            庄地の棚田を見学
 

 数日前、祝島の平さんの棚田を見学しましたが、庄地の棚田も水が流れる水洞が石組みの下を抜けるように作られていました。実際に、その水洞内を水が流れていました。久賀町の方々が何百年もかけて作り上げてきた、貴重な財産ではないかと思います。

                 棚田の石組みの水洞、今でも水が流れる


 いつもは田布施町か近隣の史跡を訪れることが多いのですが、今回は少し離れた周防大島の古墳などの史跡を訪ねました。周防大島は田布施町などのような平野部が少ないので、古代は住む人の数も限られると思います。それでも、古墳に葬られるような支配階級層がいたようです。

                 周防大島久賀町の庄地古墳群や棚田


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