次の朝、昨日庭で見た建物が食堂であることに気が付きました。朝食はバイキング形式かと思っていたら、案内された席に朝食が配膳されていました。窓の外に広がる庭をめでながら食事を楽しむことができました。
庭をめでながら朝食 今回の朝食、どれから食べようか
朝食が終わると、北門屋敷のレンタサイクルを無料で借りました。ちなみに、昨日借りた自転車は有料でした。昨日それを知っていれば、と少々後悔しました。
最初訪れた場所は、高杉晋作が生まれた家屋です。普通の武家屋敷でした。この時、先日田布施町郷土館に来られたTさんに電話しました。すると、萩市内を案内するとのことで、わざわざ自転車で高杉晋作の家屋までみえました。私,息子,Tさんの3人で萩市内を自転車で散策しました。
高杉晋作が生まれた武家屋敷 萩市内を流れる運河の船まわし
萩市内を自転車で巡っている時に、意外なものを発見しました。それは、萩市内を縦横に走る運河(クリーク)の所々にある船回しです。この船回しで船の舳先を回転させて、船の向きを変えるのです。この船回しは、かつて江戸時代から明治にかけて田布施町にもありました。上ゲの法寺坊付近にあったと言われる船回しです。その船回しの実物を見て嬉しくなりました。かつて田布施町にあった船回しもこのようではなかったかと思います。
最古級プール脇に建てられた、明倫館小学校の新しい建物
あちこちを散策しながら、長井雅楽碑などに行き、明倫館小学校に立ち寄りました。この小学校の卒業生であるTさんに、この小学校内の敷地を案内してもらいました。最初、とても古いプールを説明していただきました。知らない人が見るとただの四角形の池ですが、これは日本最古級のプールとのことです。四隅は石で囲まれていました。少し濁っていましたが、綺麗な水で満たされていたならば今でも泳げそうです。
Tさんに案内されて萩市内を散策 日新館から贈られた木を説明するTさん
続いて、明倫館小学校の校庭でとても珍しい樹木を見ました。この樹木は、大正時代に会津藩の日新館から贈られたものだそうです。この頃はすでに廃藩置県で、会津藩は福島県に、長州藩は山口県になっていました。その樹木が贈られてきたことにより、両藩は名目上は和解が成立したのでしょう。
校内をあちこち見学し、最後に明倫館小学校の玄関を見学しました。皇室の方が来ることがあるらしく、とても立派で威厳がありました。
明治建築らしく、とても威厳が感じられる明倫館小学校玄関
昼過ぎにTさんと別れました。Tさん、お忙しいところ案内していただきありがとうございました。昼食は、たまたま近くにあったお蕎麦屋さんでとりました。お蕎麦を食べ終わると、次に木戸孝允旧宅に行きました。高杉晋作生家と同じような武家屋敷でした。
萩市内のうち、武家屋敷がある場所は碁盤の目状になっています。毛利氏がこの地に入った時、家臣達を住まわせるために人工的に作られたことが良く分かります。おおざっぱには、農民,商人,武士,そして藩主の屋敷の順に整然と作られたようです。
お蕎麦を食べた、がんこ庵 武家屋敷界隈の木戸孝允旧宅
木戸孝允旧宅の向かい側に、しゃれた喫茶店がありました。キモノスタイルカフェです。浴衣や着物のレンタルもできるそうです。私はアイスコーヒーを頼みました。息子は、ホットコーヒーに抹茶ケーキです。面白いことに、Facebookをしている方は、値引きしてくれるそうです。息子がスマートフォンでこのカフェを取り込むと、値引きしてくれました。Facebookで「このカフェに来たよ!」と表示すればいいようです。
末茶ケーキとホットコーヒー Facebookを確認中のメイドさん
キモノスタイルカフェを出ると、萩博物館に行きました。この博物館の立派な事!驚きました。敷地も広い重厚な和風建築です。私は、明治維新関連の資料を丹念に見学しました。しかし、博物館らしく維新関連以外の萩市の文化や物産についても展示してありました。ただ、古代の萩に関する資料があまりありませんでした。古代に関しては、山口県南部の瀬戸内海側の遺跡が顕著です。日本海側は古代人が住むには適していなかったのでしょうか。
木材をたくさん取り入れた、重厚な和風建築の萩博物館
萩博物館の高杉晋作関連の資料を見ていると、どんどん時間が過ぎていきます。帰る時間が迫ってきたため、今度は萩史料館に行きました。ここも幕末に関する資料がたくさん展示されていました。吉田松陰や高杉晋作の一世代前の村田清風,周布政之助,そして長井雅樂などの資料がたくさん展示されていました。
最後に立ち寄った萩史料館 村田清風などの資料を見学
萩史料館を見学していると、残念ながら時間がきました。すぐに北門屋敷に戻って自転車を返しました。そして、預けていた荷物を受け取って萩バスセンターに向かいました。途中、田中義一の銅像前で軽く休みました。そして、その前から真っ直ぐ伸びている道を進みました。
バスに乗り込むと、疲れがたまっていたのか寝込んでしまいました。眠りから覚めると、もうすぐ新山口駅でした。ここで息子と別れました。息子は大阪に、私はこだまで徳山駅に行き田布施の我家に帰りました。我家に帰った後、半年前の会津旅行を思い出しました。幕末当時、会津と長州は対局な立場にあり、両藩の苦難に思いをはせました。
今回も良かった萩市でした。
26日、あちこち回った萩市内のコース
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萩市 明治維新史跡を訪ねて(2/2)
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