今年も田布施町麻郷にある高松八幡宮の秋祭りの日がやってきました。秋祭りなどの時、神社には地区に住む人々にとって価値ある物が奉納されます。例えば、今年収穫したお米や野菜などです。そして、人々が大切に守ってきた踊りなどの無形文化財も奉納されます。麻郷の場合、室町時代に京都嵯峨から伝わってきたとされる麻郷嵯峨音頭を奉納します。私も麻郷ふるさとの会の末席ながら、そのお手伝いをしました。
麻郷公民館から太鼓などを搬出 境内に並んだたくさんの露店
秋祭りの前、麻郷ふるさとの会の方々はいったん麻郷公民館に集まりました。そして、麻郷嵯峨音頭を奉納する高松八幡宮に太鼓などを運びました。そして、拝殿に向くように、そして叩きやすいように太鼓などを整列させて設置しました。去年の高松八幡宮 秋の大祭とほぼ同じ場所に設置しました。設置が終わると、いったん麻郷公民館に戻って大祭の開始時間までお昼休憩を取り待機しました。
高松八幡宮の拝殿にて、私も含め地元の方々がお祓いを受ける
秋の大祭開始の時間がやってくると、再び高松八幡宮に向かいました。最初、拝殿内でお祓いを受けました。笛や太鼓の中、玉串奉奠の儀や巫女さんの舞いなどが執り行われました。お祓いが終わると、いよいよ麻郷嵯峨音頭の奉納です。麻郷ふるさとの会の子供達は、くどきに合わせて元気いっぱい太鼓を叩きました。
厳かな巫女さん達の舞い お神酒を配る氏子の方々
麻郷ふるさとの会が結成された直後に、私も微力ながらお手伝いすることになりました。麻郷嵯峨音頭の練習にも去年初めて参加しました。かつて音楽を演奏していた私ですが、太鼓,歌(くどき),そして踊りはなかなか覚えられません。時間がかってもよいので、あせらず覚えていこうと思っています。なお、納涼盆踊り大会や小学校の運動会で披露する踊りは、この秋祭りや麻郷公民館祭りでは披露しません。
高松八幡宮の拝殿を向いて、麻郷嵯峨音頭を奉納
郷土館に勤めて田布施の近代史などを調査している関係で、少しずつ田布施の今昔が分かってきました。この麻郷嵯峨音頭や大波野神舞のような伝統芸能は、明治や大正時代には各地区でさかんに行われていました。しかし、その後どんどん衰退しました。今でも衰退に歯止めはかかっていません。その衰退の大きな原因を考えると、太平洋戦争と戦後の高度経済成長の二つにあると思われます。両者共に、若者の地方流出です。前者で若者は戦争に駆り出され、後者では日本の高度経済成長で都会に流出しました。若者がいなくなれば当然、伝統芸能は継承できません。
太鼓を元気よく叩く男の子 女の子も元気に太鼓を叩く
少子高齢化が進みお年寄りばかりとなった地元が、伝統芸能を伝承するには無理があります。先日麻郷三宅地区を調査した時、思いがけず昭和30年代初めまで嵯峨音頭が毘沙門様で踊られていたことが分かりました。今、この田布施だけでなく、かつて会場だったはずの観音堂などがどんどん朽ちており、それに比例して神楽や神舞などの伝統芸能もどんどん失われています。あの山口県指定無形民俗文化財の大波野神舞すら踊り手が少なく、田布施町以外にも募集しているそうです。
伝統芸能の継承は、少子高齢化が進む中、麻郷ふるさとの会のような保存組織や伝統芸能に特化したNPOなどに頼るほかないように思われます。これらの無形民俗文化財は子供の頃からの関わりが特に重要です。小学校の郊外学習などに取り入れたり、ある程度公費支援したりすることも必要かと思われます。そして、もっとも大切なことは地元の伝統を残したいと思う熱意と実行力だと思います。
雑貨を売っている賑やかな露店 奉納が終わり太鼓を公民館に戻す
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田布施町 高松八幡宮 秋の大祭で麻郷嵯峨音頭を奉納
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