田布施町内の防陽八十八ヶ所霊場もあと三ヵ所です。今回は、松尾にある第四十三霊場である瑞松庵を訪れました。この瑞松庵は田布施町地方史にもたびたび出てくる、比較的知られた庵です。かつては尼僧が住んでいたとのことでした。瑞松庵を訪れると、今は松尾の集会所として使われているそうです。住むことができるほど、綺麗に手入れされていました。
綺麗に手入れされている瑞松庵 防陽43?番霊場、平和34ヶ番霊場
瑞松庵をよく見ると、防陽霊場と平和霊場の二つの霊場の木札が飾ってありました。ところが、木札をよく確認すると防陽霊場は四十三霊場ではなく四十四霊場となっています。どこかで1か所ずれているようです。不思議なことです。ところで木札の古さから判断すると、防陽霊場が先で平和霊場が後に指定されてように見えます。
瑞小庵は、庵の形態が比較的良く保存されいます。なお、寺,院,庵,そしてお堂の順に規模が小さくなり。人が住める一番規模が小さな建物が庵だそうです。
麻里府上組にある、石垣がとても立派な大泉寺
瑞松庵を見学し終わると、次に第四十四霊場である麻里府の大泉寺に向かいました。このお寺も防陽霊場と平和霊場の二つの霊場を兼ねています。ただ、大師堂には霊場の番号が書かれた木札がないため、霊場番号を確認することはできませんでした。巡礼の順番からして、防陽四十四番霊場と平和三十五番霊場に間違いないと思います。
大泉寺の本尊 境内北側にある大師堂
続いて第四十五番霊場の龍泉寺に向かいました。このお寺は、先日の田布施町観光協会の観光名所探訪の時に行きました。このお寺は何と言っても、楼門が立派です。今回下から見上げると、霧が太陽で放射状に光っていました。なかなかの素晴らしい光景でした。田布施町でもトップと言っても良い立派なお寺ではないかと思います。私が来たとき、拝観者が二名来ておられました。
霧が太陽で放射状に光っていた、とても立派に見える赤の楼門
ご住職さんに巡礼についてお話しを伺いました。すると、数年前まででしょうか巡礼で来られていた方々がいたそうです。巡礼者が拝む大師堂を見させていただました。その大師堂の柱に巡礼を示す木札が掲げられていました。木札に書かれた字が読めず困っていると、ご住職が水を入れたバケツと雑巾を持ってこられました。水を染み込ませた雑巾で、その木札を拭くと、なんと薄いながらもくっきりと字が浮き上がってしました。
その木札には、「霊場四十六番」と書かれており、その木札の下に「防陽霊場・印」書いてありました。なお、瑞松庵と同じように、防陽霊場の番号が一つずれていました。不思議です。かつて田布施町に幻の防陽霊場があったに違いありません。もう1つの木札には「平和三番霊場」と書かれていました。
ところで、何かごりごり音がするので、耳をそばだてました。すると、ご住職さんが「ムササビが木をかじっている音です。鐘突き堂の屋根をふさいだので、中に入ろうとかじっているようです。」とのことでした。初耳なのですが、龍泉寺を取り巻くように八十八のお地蔵様が安置されているとのこと。そして毎年、総代の方に草を刈り取っていただいているそうです。
龍泉寺境内のハガキの木 「霊場第四十六番 防陽霊場」の木札
防陽霊場は、43番の瑞松庵から、44番の大泉寺を経由して、45番の龍泉寺に行きます。ところが、平和霊場は、平和霊場1番の千坊山光福寺から、下図Bの平和霊場2番の竹尾観音様から、平和霊場3番(防陽霊場45番)の龍泉寺を経由して、平和霊場4番(防陽霊場44番)の大泉寺へ行きます。なお、瑞松庵は防陽霊場43番で、かつ平和霊場34番です。
下図の黄緑線は、竹尾地区(11月)の平和巡りコースの一部です。Bが集合場所です。一昨年まで、車で巡礼が行われていました。昔は、歩いて巡礼していました。
これで、田布施地区を通る防陽霊場巡礼コース(26番〜45番)の実踏調査を終わります。残る、柳井市,平生町,そして光市の防陽八十八ヶ所巡礼コースは、これから時間をかけて地道に調べようと思います。
防陽八十八箇所 43〜45番霊場(御札所)
43番霊場:松尾 瑞松庵 44番霊場:大泉寺
45番霊場:竹尾 龍泉寺
A:千坊山光福寺 B:竹尾の観音様
黄色線は防陽巡礼コース 黄緑色は竹尾地区の平和霊場巡礼一部コース
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防陽八十八ヶ所霊場の実踏調査 43番〜45番霊場 田布施町編(5/5)
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