先日、麻郷から麻里府にかけてお地蔵様を調査しましたが、今回は竹尾方面のお地蔵様を少しばかり調べてみました。竹尾には麻郷や麻里府から岩屋に抜ける道があるため、よく通ります。その道を中心に調べてみました。すると、意外にお地蔵様が多いことが分かりました。この地域は昔、信心深い人が多かったのでしょう。
麻里府と竹尾境付近のお地蔵様 旧竹尾小学校近くの集落
まず、麻郷と麻里府境近くにある田布施・平生合同斎苑を通って竹尾に入りました。しばらく竹尾に進むと、お地蔵様がありました。台座に「法界」と刻んでありました。よく「法界(ほうかい)さま」と言われているお地蔵様です。よくは知らないのですが、「法界」とは、仏教において「すべてのものには因果があり繋がりがある。」の意味のようです。このお地蔵様から、竹尾地区の郷(ごう)じょうに入りました。なお、竹尾は大きく分けて、郷じょうと奥じょうの二つの地区からなるそうです。
旧竹尾小学校手前300m手前にある立派なお地蔵様
旧竹尾小学校の300m手前に石垣に安置された立派なお地蔵様があります。その立派なお地蔵様の傍に、七丁と刻まれた小ぶりなお地蔵様が安置されていました。七丁は番号を示しているようで、七番目を表しているようです。この地蔵様に至るまでに一~六丁のお地蔵様があるようです。
七丁と刻まれたお地蔵様 旧竹尾小学校の向田農村公園
お地蔵様を見終わると、旧竹尾小学校に行きました。旧竹尾小学校は、明治9年に開設されました。その後、国木小学校竹尾分校になったりしながら、昭和36年に田布施西小学校に統合されました。90年近い歴史があった小学校でした。今は竹尾コミュニティーセンターになっています。そして、旧校庭は向田農村公園の広場となっています。炭焼きをしているのでしょうか、広場隅に炭焼き窯があります。
90年の歴史があった旧竹尾小学校(現竹尾コミュニティーセンター)
龍泉寺まで今は舗装道路を通って車で行くことができます。舗装道路が無い昔、人々は旧竹尾小学校からの古道を歩いて龍泉寺まで行きました。さらに、その先の峰尾峠を越えて伊保木まで行っていました。かつて、竹尾と伊保木の人々は互いに、この古道を通じてさかんに行き来していたようです。竹尾にも伊保木には龍泉寺の門徒さんがたくさんいます。
古道を探して訪ねた竹尾の最奥部の民家
竹尾と伊保木の人々が行き来していた峰尾峠は、今はもう使われていません。峰尾峠近くに残る山小屋の残骸だけが往時をしのばせています。数年前までは歩くことができたようです。今通ることができるのは大城峠と大峰峠だけです。
龍泉寺までの古道を探してみました。最初、旧竹尾小学校から最奥部の民家を訪ねましたが、別の場所が入口でした。なんと、旧竹尾小学校から少し下がった所が入口でした。この古道を、龍泉寺まで歩いてみました。
竹尾地区を上から見た図(航空写真)