去年竹尾方面のお地蔵様を調査した続きです。郷じょうを過ぎて、奥じょうに行きました。私が中学生だった頃、郷じょうにバス停がありました。このバス停から南に行くと麻里府、北に行くと国木でした。バス停があった峠道をよく自転車で通りました。当時は道路が舗装されておらず竹尾川に沿った曲がりくねった道でした。当時竹尾や麻里府上組に住んでいた同級生達は、苦労して自転車通学していたことを改めて思いました。
龍泉寺への案内石柱 龍泉寺近く墓地傍のお地蔵様
北緯 33°55'40.05
東経 132°00'45.05
奥じょうに行く途中にある龍泉寺への案内石柱を左に回って龍泉寺へ行きました。そして、お地蔵様二丁の一つ前の順番であるお地蔵様一丁を探すことにしました。ところで、龍泉寺へ行く途中に墓地があり、傍に立派なお地蔵様があることに前から気が付いていました。先日たまたま龍泉寺へ行く途中、このお地蔵様を拝んでいる人がいたので声をかけました。
龍泉寺楼門下近くのお地蔵様 竹尾奥じょうの集落
北緯 33°55'35.66
東経 132°00'45.05
その拝んでいた方はなんと、中学高校の同級生Mさんではないですか。あまりの偶然に驚きました。お地蔵様の由来を聞くと、Mさんの祖母の義母が昭和11年に建立したとのことでした。今でもこのお地蔵様に関わるささやかなお祭りをしてるそうです。前々から知りたかったこのお地蔵様の由来が分かって本当に嬉しく思いました。
竹尾奥じょうの中心近くにある観音堂
龍泉寺周辺にお地蔵様一丁がないかどうか探しましたがありませんでした。再度龍泉寺を訪問してご住職の方にお聞きしようと思います。龍泉寺を出ると、竜泉寺案内の石柱を左に曲がって奥じょうに行きました。田舎好きの私は、趣があるこの奥じょうの集落がとても好きです。奥じょうを通って観音堂に行きました。
観音様の新しいお住まい 新しいお住まいの中の観音様
北緯 33°55'56.37
東経 132°00'37.91
先日、この観音堂のはす向かいに建立された小さなお堂に、観音様が引っ越ししていることを知りました。今回、その中に安置された観音様を拝ませていただきました。このご時勢、建物を維持するのは大変です。竹尾奥じょうの観音様は、安置するお堂が狭くなったとは言え地元に残ることができました。観音様をお寺に戻すなど、地域から手放さざるを得ない地域もあるのです。中には、皆が知らない所に撤去されたお地蔵様もあるのです。
土台に「法界」と刻まれたお地蔵様 大城峠に安置されたお地蔵様
北緯 33°55'56.31 北緯 33°55'30.38
東経 132°00'37.88 東経 132°00'13.03
新しいお住まいの左隣りに、以前からあるお地蔵様があります。背が高くなかなか立派なお地蔵様です。この場所は、国木,麻里府,麻郷の人々が普賢様のお祭りに行くために大城峠を越えて岩屋に行く時に必ず通る場所です。かつてたくさんの人々が、このお地蔵様に旅の安全を祈願したに違いありません。このお地蔵様の土台には、大きく「法界」と刻まれています。
大城峠に行く途中、ふり返って見た竹尾地区
竹尾の観音様を拝むと、大城峠に向かいました。この峠は十字路になっています。この峠から東に降りると竹尾方面に,南に向かうとコバルトラインを通って峰尾峠や五軒屋方面に,西に降りると岩屋に,そして北に向かうと大峰峠に行きます。かつては千坊山尾根の中で大峰峠に次ぐ重要な峠でした。そのため、お地蔵様が安置されているのではないかと思います。竹尾にはまだまだ知らない山道があります。まだ知らないお地蔵様などの史跡が眠っていると思います。そもそも大城峠付近に、古代高地性集落が確認されています。古代から交通の要所だったのではないかと思われます。そもそも、何故「大城」と呼ぶのでしょうか。
竹尾地区を上から見た図(航空写真)
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田布施町 竹尾地区のお地蔵様などを調査(3/3)
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