真夏の8月初旬にカラカラに乾いた畑に種をまき、その後草取りをした枝豆と小豆がようやく収穫時期を迎えました。皆さんとワイワイ談笑しながら楽しく枝豆を収穫しました。畑の北側は比較的よく育って美味しそうな枝豆をたくさん収穫しました。収穫時、各自が持って帰りやすいように、数本の茎を束ねて根本を結びました。
秋晴れの中、談笑しながら枝豆を収穫
この枝豆の品種は鞍掛豆です。豆の表面の一部が黒くなります。そのため、丸々と太ったさやを割ってみると、豆の表面の一部が黒く浮き出ていました。来年の種まき用として数株は残しておきました。11月にカラカラに乾いたさやを収穫します。なお、カラカラに乾いた豆を水で浸してふやかし食べてもかまいません。その場合、酢醤油をつけて食べると美味しいです。別名「浸し豆」とも言われる枝豆の品種です。
葉を落とし、数本を束ねて根本を結束 小豆はさやだけを手でもぐ
枝豆を収穫すると、次に小豆を収穫しました。まだ小豆は収穫できないかと思っていると、一部のさやは茶色になってカラカラに乾いていたため収穫できました。小豆は枝豆と違って、さやだけを収穫します。11月に入ればすべてのさやが乾きます。そうなれば、根ごと抜いて茎ごと天日乾燥します。そして、くるり棒で叩いて風選し豆を取り出します。11月にサツマイモ掘りをするので、その時に時間があれば小豆のさやを外そうと思います。
カラカラに乾いた小豆のさやだけを、手でもいで収穫
昼前に枝豆と小豆の収穫が終わりました。続いて枝豆の調理です。待ち帰る枝豆を別に取っおき、今回食べる枝豆を茎から取り外します。そして、予め沸かしておいた熱湯の中に入れました。そして、8分位後に熱湯から取り出しました。美味しそう。
食べる枝豆だけ茎から外す 熱湯の中に枝豆を 美味しそうな枝豆できあがり
今回は枝豆パーティーなのですが、皆さん差し入れの具材で料理もしました。美味しかった汁物,焼肉,サツマイモコロッケ.おにぎりなど、おおご馳走でした。最初、枝豆を主菜としたささやかな昼食を予定していましたが、皆さんのおかげで豪華な昼食となりました。ありがとうございました。
美味しかった汁物 いい匂いが漂う焼肉 たくさんの料理、おおご馳走
これまではブルーシートを敷いて食事をしていましたが、今回からはキャンプ用の6人テーブルを使いました。地べたに座るよりも椅子の方が、移動が楽で動きやすいのでいいですね。
今回収穫しなかった未成熟の小豆は、11月のサツマイモ掘り頃までにすべて収穫します。そして同じ頃、小麦も並行して種まきします。あと1ヶ月は忙しい畑仕事が続きます。12月になると一度麦踏みをして、シイタケ用の原木を伐採するだけの作業しかありません。
ご馳走のできあがりです、さあ皆さん召し上がれ!
我家の畑で、枝豆と小豆の収穫パーティー
京都市 幕末・明治維新に思いをはせる旅(8/8) 佐久間象山遭難碑
訪れた京都市内の幕末・明治維新に関わる史跡などです。それぞれをクリックしてください。
1.寺田屋,伏見他 2.三十三間堂,南禅寺他 3.水路閣,吉田松陰詩碑他
4.池田屋,近江屋他 5.壬生屯所跡,蛤御門他 6.京都霊山護国神社他
7.霊山歴史館他 8.佐久間象山遭難碑他
しばらく歩くと、祇園新橋に出ました。橋のたもとに人力車が停まっていました。そして、人力車を引く女性がいました。人力車はけっこう体力がいるので、これまで若い男性向きの仕事とばかり思っていました。体力に自信がある方なのでしょう。写真を撮られたり、話かけられていました。この付近は海外からの旅行客が多く、あちこちで写真を取っていました。
京都で景観条例が一番厳しい祇園新橋
少し行くと、江戸時代の風情が残った街並みが続いていました。景観条例が非常に厳しいらしく、人工物である電信柱や配電板はみんな黒色に塗られていました。江戸時代そのまま建物ですが、住んでいる方はどんな暮らしをしているのでしょうか。けっこう不便なようにも思えます。例えば、住民が使うであろう車の駐車場はどこにあるのでしょうか。
木陰で少し休憩 ゆったと鴨川の流れ 京都先斗町界隈
江戸情緒あふれる街並みを過ぎて、鴨川に出ました。橋を渡った後、狭い通路を歩きました。ここは、歌にある京都先斗町(きょうとぽんとちょう)です。こんな字を書くのですね。初めて知りました。とても狭い通路ですが、距離が長いのでいろいろなお店がありました。比較的飲食店が多いようでした。
豊臣秀次の墓地 高瀬川沿いの喫茶店 有形文化財の幾松
京都先斗町の北端近くに豊臣秀次のお墓がありました。豊臣秀次は豊臣秀吉に処罰されたのですが、秀頼の跡継ぎ問題を危惧した秀吉による謀略だとの説があります。豊臣秀吉は庶民に人気がありますが、豊臣政権の終わり頃、朝鮮に出兵したり、この豊臣秀次の処罰など、いったいどうしたのかと思うような晩年でした。秀次はよしとしても、その家族である子供や女性などほぼ全員が処罰対象になるなど異常です。この事件は、その後の豊臣政権を危うくした原因の一つだと思います。豊臣政権の終焉を暗示させる事件ではないでしょうか。
並んで建つ佐久間象山と大村益次郎の遭難の碑
次に高瀬川沿いに上流に向かいました。すると、川向かいに佐久間象山と大村益次郎の遭難の碑が並んでありました。佐久間象山は、幕末の志士達に絶大な影響を与えました。新しい日本を目指す当時の若者は、必ず象山の元を訪ねたようです。ですが、遭難に逢った後は、不当な扱いを受けます。当時の上層部は、象山の偉大さがむしろ脅威に思えたのでしょう。幕末は老害のきわみだったのかも知れません。
有形文化財幾松への通路 各藩名を冠した料理 のんびり流れる高瀬川
近くに有形文化財の料理旅館「幾松」がありました。予約していなかったので中には入りませんでした。桂小五郎の妻となった幾松と何か関係がある旅館なのでしょうか。文化財とのことですので、江戸時代から続く旅館なのでしょう。なお。料理名に長州御膳,薩摩御膳などに加え幾松御膳がありました。いったいどんな料理なのでしょう。
これで今回の旅は終りです。京都駅に着くと靴やお土産を購入しました。そして、新幹線に載って我家に帰りました。京都の幕末・明治維新に思いをはせる旅行でしたが、家族とも楽しく散策することができました。また来てみたいと思いました。
今回訪れた京都の町並みとコース
田布施町 第4回史跡探訪 地方史研究会(2/2)
小野太市の石碑を見終わると、小行司から麻郷に行きました。そして、西円寺に行きました。西円寺は先日の田布施町ウォーキング大会と去年の麻郷ウォーキング以来です。ウォーキング大会では急いでいたため本堂を見学することができませんでした。しかし、今回はじっくりと見学することができました。
麻郷の西円寺に到着 西円寺の由来などの説明 おみ足洗いの蓮如様掛軸
西円寺に到着すると、本堂に上らせていただきました。そして、西円寺の由来などの説明がありました。そして、ここで紙芝居「おみ足洗いの蓮如様」の上演がありました。西円寺に飾られている蓮如の掛軸に関わる紙芝居です。その掛軸が盗まれた時のお話を紙芝居にしたものです。その掛軸をじっくり拝見させていただきましたが、確かに掛軸の下部が水で濡れたようなしみがわずかにありました。
西円寺の本堂で上演された紙芝居「おみ足洗いの蓮如様」
紙芝居の上演後、お茶をいただきました。ありがとうございました。西円寺を出ると、高松八幡宮に行きました。私は、麻郷ふるさと会で9月の秋祭りに行って以来です。深い鎮守の森を抜け石階段を登ると高松八幡宮の本殿があります。ここで、この神社の由来などについて、宮司様に伺いました。宮司様には、浮島神社の夏祭り,大岩のお祓い,田布施地方史研究会総会などでお話しを伺うことがありました。
高松八幡宮の境内 本殿前で由来など説明 江良碧松の句碑
高松八幡宮を出ると、近くにある江良碧松の句碑に行きました。この句碑の前で、紙芝居の上演がありました。題目は「江良碧松物語」です。私が子供の頃、江良碧松は存命でした。この井神地区にも何度も遊びに来たことがありますが、江良碧松については全く知りませんでした。私の父親は碧松の息子さんと森林組合でよく逢っていたそうです。しかし、父親から碧松のことは聞いたことがありませんでした。今思えば残念です。江良碧松句絵手紙展のお手伝いをしたり、江良碧松のお墓詣りをしたり、周防三羽ガラス展で5男さんやお孫さんとお話しをしたのが救いです。
江良碧松の句碑前で上演された紙芝居「江良碧松物語」
紙芝居の上演が終わると、江良碧松の生家に行きました。立派なイチョウの木が目立ちます。今は誰も住んでいないようですが、お孫さんが家を綺麗に管理しているようです。道から垣根越しに生家を眺めました。ちょうどその時、年輪ピックから帰ってきたご近所の方に逢いました。私の同級生のお兄さんです。江良碧松生家を望んだ後、今回の史跡探訪出発地点の中央公民館に戻りました。秋晴れで楽しい田布施町の史跡探訪でした。参加された方々、お疲れ様でした。
立派なイチョウと生家 江良碧松の生家 中央公民館に無事戻る
田布施町 少年少女発明クラブ 楽しかった釘とビー玉の工作(2/2)
2週間前に釘とビー玉の工作をしましたが、今回はその2回目で、工作を完成させました。ほとんどの子供達は、釘の調整をしたり,絵を書いたり,またはビー玉が面白く動く工夫をしたりしていました。前回来れなかった子供の工作を手伝う子供もいました。
絵を仕上げる子供達 他の子供の工作を手伝う どんな工夫をしようかな
前回は、ビー玉が転がるようにしただけでした。今回は、それをどのように工夫するか絵を書くかなど、個人の違いや学年の違いが出たように思います。工作が好きな6年生特に男の子は、より良いものができたように思います。ビー玉がどのように動くか、何度も工夫しては試していました。低学年生は、まだまだビー玉の動きが連想できにくいようでした。
楽しそうにビー玉の動きを見入ったり、工夫している子供達
最初はビー玉が落ち続ける滞空時間を計測しようかと思いましたがが、二人ずつで対戦する方式にしました。長い時間ビー玉がころがり続けたた方を勝ちとしました。また、途中でビー玉が止まったり、板から弾け飛ぶと負けとしました。最初に練習をしてからスタートです。
2人ずつで1回戦 どっちがよく転がるかな 1回戦の次に、2回戦目です
1回戦で12人のうち6人が勝ち残り、2回戦で3人が勝ち残り、そして3回戦で3人が同時対戦して1位,2位,3位を決めました。一方で、デザインが良かったものも選びました。釘の模様や背景の絵などを総合的に判断して選びました。
最後の対戦で1位,2位,3位を決定 デザインが良かった三人
今回で、田布施西小学校で行われた少年少女発明クラブの工作は終わりです。来月からは、田布施中学校や田布施農業工業高校での工作が始まります。来月からは中学校や高校の先生やお兄さん達に工作を指導していただきます。今月までより、少しばかり高度な工作になります。例えば、半田付けするような電子工作などがあります。
各人が作った釘とビー玉の工作
田布施町 楽しかった城南石ノ口方面ウォーキング(1/x)
先月下見した城南石ノ口方面ウォーキングに行ってきました。今日はあちこちでイベントがあったようで、朝から花火の音が空に響いていました。どこかでお祭りでもあったのでしょう。今日も最高の天気でした。城南公民館に10時に集まって、光市との境に近い石ノ口方面を歩いてみました。
城南公民館近くのお地蔵様 了法寺に向かって歩く お地蔵様二体を拝む
城南公民館を出ると、すぐの所で橋を渡り了法寺に向かって歩きました。途中にあるお地蔵様にウォーキングの無事を祈りました。秋晴れの中、談笑しながら歩きました。石ノ口公会堂の少し手前で、お地蔵様二体を拝みました。傍にたくさんの墓石が安置されていました。とても古い墓石ばかりでした。
了法寺に到着 本堂内で拝仏 お接待に感謝
二体のお地蔵様を拝むと、石ノ口公会堂前を通って了法寺に行きました。本堂前でご挨拶すると、下見の時にお話を伺った方が来られました。そこで、本堂に上らさせていただくようお願いすると快諾いただきました。ありがとうございました。
本堂に上がって仏様を拝んでいると、お接待を持ってこられました。お接待ありがとうございました。お接待をいただいている間、このお寺に関わるお話を聞かせていただきました。その時、このお寺近くに埋まっていた、とても小さな地蔵を見せていただきました。
了法寺に関わるお話をお聞かせいただく
了法寺を出ると、埋蔵物発掘現場に向かいました。土日曜日は発掘していないとのことで、誰も現場にはいませんでした。圃場整備で田んぼの土を掘っている機械も止まっていました。
最初、現場の一番上の田んぼに皆さんを案内して、その地下構造(硬盤など)を最初に説明しました。この地下構造を知っていると発掘に役立つので。
埋蔵物発掘現場に到着 圃場整備用機械はお休み 田んぼの地下構造を説明
実は、私は前日にこの埋蔵物発掘現場をを訪れました。そして、大学で埋蔵物を研究している方にお話を予め伺ってきたのです。この発掘現場は古墳時代の竪穴住居の痕跡があり、さらに鎌倉時代、そして江戸時代にかけての田んぼ跡だとのこと。これらの話を皆さんに説明しました。
石ノ口の埋蔵物発掘現場
研究員の方のお話では、後井古墳など壮大な古墳群を作った王様か族長の住居跡がどこかにあるのではないかとのことでした。そして、団地,学校,工場を作るときに埋蔵遺跡を壊しているのはとても残念だとの話も伺いました。遺跡が出ると納期が狂うため、工事会社は遺跡を嫌がるそうです。善良な工事会社なら良いのですが、破壊してしまう工事会社もあるのだそうです。
今回ウォーキングした城南石ノ口ルート
田布施町 楽しかった城南石ノ口方面ウォーキング(2/3)
埋蔵物発掘現場の見学が終わると、円満寺に行きました。楼門前に来ると、下見の時にお会いしたお寺の方と偶然出会いました。野菜か何かを収穫して、円満寺に戻るところだったようです。ところで、今回ウォーキングに参加した方のうち二人が、この円満寺がかつて経営していた幼稚園の卒園生でした。56年ぶりの円満寺とのこと。懐かしそうに円満寺内を眺めていました。
円満寺に向けて緩い坂道 円満寺に到着 懐かしい幼稚園跡
円満寺に着くと、お寺のご厚意で本堂に上らせていただきました。仏様を拝みながら、お寺の方と談笑しました。お昼前でしたので、本堂内で昼食を取らせていただきました。ありがとうございました。なお、この円満寺の旧城南幼稚園の卒園生達は、お昼を食べるのを忘れて古い資料に目を通していました。
涼しい風が吹き通る円満寺本堂で昼食休憩
円満寺に別れを告げると、一路八幡寺に向かいました。途中、私の中学生時代の同級生Kさんに逢いました。中学2年の時に同じクラスでした。その時の写真を見せると、懐かしそうに見ていました。その写真は差し上げました。お互い年はとりましたが、中学生時代そのまま彼女でした。近々Kさんのお母様に会って、八幡寺の故事について教えていただく予定です。
八幡寺に到着 八幡寺内の仏様群 石ノ口八幡宮内忠魂碑
Kさんの家からすぐの所に八幡寺があります。中に入って拝みました。たくさんの仏様が安置されていました。これら数々の仏様の云われは何なのでしょうか。お大師講か何かの名残なのでしょうか。八幡寺の名前の云われの理由はなんなのでしょうか。
長い石段を登りきって石ノ口八幡宮に到着
八幡寺を出ると、近くにある石ノ口八幡宮に向かって長い石段を登りました。坂の途中に小屋があり、前回の御式年祭(2007年4月)で使ったと思われる神輿と鯛の張子が置かれていました。さらに石段を登ると右手に、大正時代に内閣総理大臣になった寺内正毅書の忠魂碑があります。忠魂碑を見学し終わると、ようやく石ノ口八幡宮に到着です。石ノ口八幡宮に着くと、石ノ口八幡宮の由来を説明しました。そして、、かつて城南に鎮座していた多くのお社が合祀された荒神社を説明しました。
今回ウォーキングした城南石ノ口ルート
田布施町 西の寺子屋 土器作り体験の下準備
どう言うわけか、田布施町 西の寺子屋で子供達に土器作りを教えることになりました。だいぶ前、ボーイスカウトで粘土を使って素焼きの土器作りを教えたことがあります。その経験を思い出して下準備をしました。と言っても、教える時に見せる実物を試作するだけなのですが。
今回使った紙粘土 長い紐を手で回して制作 コップの丸い底を制作
土器は粘土で形成し、乾かし、焼いて作ります。しかし、今回は時間がないため紙粘土で土器を形成する工程だけを教えます。このため、正確には土器ではなく紙器でしょうか。
粘土でも紙粘土でも、作った後に乾かすのは同じです。紙の場合は焼く工程はありません。子供達が家に持って帰り、乾いたところで色や模様を書けば完成となります。ただ、紙ですので水のような液体を入れる事はできませんが、小物入れなどとして使えます。
紐を巻きつけるようにすることが土器作りの基本
今回ろくろのような器具を使わず、板の上で土器を作ります。そのため、縄文式土器作りを真似た土器作り体験とします。最初、手で粘土を転がして長いひもを作ります。そして、土器の底となる円盤の周囲にその長いひもを巻きつけていきます。最後に取っ手を付けます。さかづき程度の小型土器は、直接粘土を形成します。
紐を巻き付け終わる 取っ手を側面を取り付け 直接形成した小型土器
縄文時代の土器は、火炎状の模様と縄状の模様が特徴的です。火炎状の模様は、土器の縁に炎のように盛り上げる模様です。縄状の模様は、土器の側面に縄などを強く押し付けて付けます。たまたま我家に縄があったため、縄状模様を付けてみました。
紙粘土ではありますが、子供達はどんな独創的な土器を作ってくれるでしょうか。
下準備として作った紙粘土製土器と、模様付けに使用した縄
田布施町 楽しかった城南石ノ口方面ウォーキング(3/3)
石ノ口八幡宮を出ると、光市に向かう道をどんどん進みました。そして、途中から旧吉井村に繋がる道に入りました。緩い下り坂が続きます。車がほとんど通らない道をのんびりと歩きました。旧吉井村は昔は人口が多かったようですが、今は閑散としています。草木に覆われた廃家が所々に見受けられました。
旧吉井村に繋がる道 昔は人が多かっただろう山村 吉水集会所近くを歩く
しばらく緩い下り坂を歩いていると、大和中学校や石城苑に繋がる道路に出ました。そして、出たところに吉水集会所がありました。その集会所を過ぎて、城南公民館に向かって歩きを早めました。そして、しばらくするとハゼの大木が見えてきました。ここまでくれば、城南公民館はすぐそこです。
ハゼの大木の根元にあるお地蔵様前で
ハゼの大木の根本で、江戸時代の長州藩の防長四白政策の話をしました。その四白のうちの一つが、ハゼの実を抽出してつくる和ロウソクなのです。このハゼの木の下で小休止しました。
ハゼの大木に分かれを告げると、下見の時に出会った不思議な石を見ました。近所の方のお話によって、やはり御旅所であることが判明しました。今でも、石ノ口八幡宮のお祭り時にここで神輿がお休みになるようです。
御旅所と判明した岩 錦鯉の養魚場を見学 美郷キャンプ場入口
石の御旅所を過ぎると、一緒にウォーキングしたk君の紹介で錦鯉の養魚場を見学しました。深い水槽内に大きな錦鯉がたくさん泳いでいました。続いて美郷キャンプ場入口に来ました。そして、メタセコイアの巨木を見上げました。近くに生えているトチの木も見学しました。地面を探すと、トチの実が少し落ちていました。
平和七十七ヶ所霊場 旧城南郵便局 城南公民館に戻る
最後の史跡は平和七十七ヶ所霊場のお大師堂です。道から見ると、ただの作業小屋にしか見えません。しかし、ドアを開けて中を見ると、石板に刻まれた立派な仏様が安置されています。ここまで来ると、城南公民館が見えてきました。旧城南郵便局舎を見学して、スタート地点の城南公民館に付きました。今回参加された方々、お疲れ様でした。
今回ウォーキングした城南石ノ口ルート
田布施町 西の寺子屋 田んぼの大切さ、土器作り体験
先日、田布施町郷土館で西の寺子屋があり石臼や亥の子の体験をしました。今回は、田布施西小学校で田んぼの大切さを勉強し、土器作りを体験しました。最初、圃場整備をしている方々から田んぼの大切さについて子供達に説明がありました。田んぼの大切さとは、食べ物であるお米を作る,洪水を防止,生き物を育てる,美しい景観を守る,伝統文化を守る,土砂災害を護る,洪水を起こさないです。ただ、小学低学年生にはちょっと難しかったようです。少しもじもじ落ち着かない様子でした。
西の寺子屋開催の挨拶 田んぼの大切さの説明 土器についての紙芝居
次に、田んぼから発掘される古代の土器について、担当の方から紙芝居がありました。その紙芝居が終わると、いよいよ紙粘土での土器作り体験です。私が土器について少し解説した後、見本を見せつつ作り方を紙粘土を使って解説しました。そして、子供達に土器作りを体験してもらいました。
粘土を使って土器作り体験、どんな器ができるのかな
基本的な土器作りは、私がやって見せたような、紐状にした紙粘土を器の縁に沿ってくるくる巻き上げる方法です。子供達を見ていると、教えた以外の方法で器を作っている子がいました。例えば、板にして縁を持ち上げる方法です。いろいろな方法を試すことは良いことです。
出来た器は理科準備室で乾燥させ、後日子供達に配ります。さて、次回は郷土館で古墳について説明した後、後井古墳に行って実物を体験してもらう予定です。
取っ手が付いた器 面白い縁の器 お盆のような器
小豆を引き抜いて天日乾燥
先日枝豆収穫バーティーをした畑、今回同じ畑の小豆を抜いて天日乾燥させる作業をしました。小豆は、全ての実が一度に実らずだらだらと成熟します。そのため、最後の実が成熟するまで待つと11月末になってしまいます。11月末だと麦の種をまく時期を逃してしまいます。そのため、今実っている小豆だけを収穫することにしました。
小豆を一株ずつ抜く 根ごと株を引き抜く 抜いた小豆を集める
最初に、すべての小豆を根ごと抜きました。そして、抜いた小豆を一ヶ所に集めました。この時、根に付いた泥を軽く振るようにして取り除きます。その根をよく見ると、たくさんの根粒菌が付いていることが分かります。この畑は痩せているにも関わらず、根粒菌が窒素をはじめとする栄養を作るためか比較的豆類がよく育ちます。
集めた小豆を、一ヶ所に山のように積み上げる
次に、集めた小豆6株位を束ねて紐で結束しました。結束した理由は、小豆を棒に架けて天日乾燥させるためです。すべての小豆の結束が終わると、棒に次々に架けました。雨が降らず快晴が続けば4日程度で乾燥します。
集めた小豆を数株束ねて紐で結束 小豆を棒に架けて天日乾燥
ところで枝豆も引き抜きました。この枝豆は、鞍掛豆と呼ばれる私が好きな枝豆の一品種です。今回引き抜いた枝豆は、来年の種まき用として使います。乾燥させた後、豆を鞘から取り外して来年まで保存します。カラカラ干した小豆や枝豆は、来月初旬に鞘から種を取りはずします。
棒にかけ終わって天日乾燥中の小豆や枝豆の茎葉
サトウキビ2種の仮収穫、茎をかじると甘い汁
二種類のサトウキビを作っています。田布施町など瀬戸内海で昔からサトウキビと呼ばれていたサトウモロコシ。そして、もう一つはサトウキビです。サトウモロコシは、背が伸びてなんと3m以上になりました。穂がだんだん茶色になる頃、茎が甘くなります。一本だけ刈り取って甘さを確認しました。
天高く3m以上に育ったサトウモロコシ
サトウキビの方は、今年は育ちが良くありません。肥料が足りなかったのかも知れません。去年はずいぶんと大きくなったのですが、今年は低いままです。もう一つの原因は、去年出なかった害虫にやられたことです。ずいぶんとメイチュウにやられました。茎内に入られて幼芽が次々に枯れたのです。
上:サトウモロコシ, かじったサトウモロコシの茎 かじったサトウキビの茎
下:サトウキビ
さて食味ですが、時期が少し早かったようです。サトウモロコシはまだ甘さがたりません。サトウキビはさらに甘みが足りませんでした。共に11月末頃に収穫した方がよさそうです。
面白い事に気が付きました。見た目はサトウキビの方が茎が細くて硬そうなのですが、サトウモロコシよりもジューシーなのです。霜が降りる直前に、収穫すれば甘い茎を楽しめそうです。そして、多くの汁を採取できれば砂糖を作ることができるかも知れません。
メイチュウの害で、背があまり伸びなかったサトウキビ
タマネギ用畝を作り、早生タマネギの苗を植え付け
たまたま園芸店に寄ると、早生タマネギの苗を売っていました。普通の晩生タマネギはまだ植えるのは先ですが、早生は植えても良いころです。早生タマネギは保存はあまりできませんが、早くに収穫できるタマネギです。今回、早生タマネギの苗を購入して植える事にしました。
耕運機でタマネギ畝耕耘 三本クワで畝を作る マルチを張りやすいよう整地
いつもの黒マルチを張る要領でタマネギ用の畝を作りました。最初に畑に堆肥などの肥料をまいて、耕運機で耕しました。そして、三本クワで畝を盛り上げ、レーキで畝を鞍型に整地しました。この整地が綺麗でないと、うまくマルチが張れません。
整地したタマネギ用畝に黒マルチを被覆
張った黒マルチは、横に五個の穴があらかじめ開いた黒いマルチです。黒マルチを張ると、マルチが風などで飛んでいかないように、両脇を土寄せしました。これで、タマネギの苗を植え付ける準備ができました。最初、購入した早生タマネギの苗を植え付けました。
購入した早生タマネギ苗 種から育てたタマネギ苗 種から育てた苗20本
このさい、9月に種をまいて育てたタマネギ苗も植え付けることにしました。猫のリンちゃんのおかげで20本位しか苗が成育していませんでしたが、仕方がありません。後日、晩生タマネギの苗を購入して植え付けるつもりです。なお、春に収穫して乾燥して保存しておいたニンニクも植えつけておきました。
植え付けしている早生タマネギの苗
白菜やキャベツなどが順調に生育中
9月に種をまいた白菜が順調に育っています。そろそめ巻き始めました。12月にはお漬物用の美味しい白菜が収穫できそうです。発芽した頃に害虫にやられた白菜は、種をまき直したためやや生育が遅れています。小さ目の白菜になりそうです。
巻き始めた白菜、12月には白菜漬け用として収穫可
10月初めに冬用野菜として種をまいたチンゲンサイ,大根葉,ホウレンソウ,小松菜は小さいながらも順調に育っています。このところの寒さで育ちが鈍っていますが、12月~2月の貴重な野菜になることでしょう。
まだ小さいチンゲンサイ 育っている大根葉 ホウレンソウも生育中
ところで、9月初旬に苗を植え付けたキャベツが収穫適期を迎えています。寒冷紗を外すと、綺麗な緑色をしたキャベツが現れました。ちゃんと玉になっているので、いつでも収穫できます。
3日から東京の我家に行きます。とある幕末志士の調査,以前勤めていた会社の同窓会,ハイキングなどに行きます。そして、9日に田布施に帰ってきます。そしたら、このキャベツを収穫して食べてみようと思っています。炒めても良し、千切りにしてサラダにしても美味しそうなキャベツになりました。
炒めても良いし千切りにしてサラダにしても良い、美味しそうなキャベツ
種食いカボチャから食用種を収穫
先日収穫した種食いカボチャの種を取り出しました。普通のカボチャはとても固いため、包丁ではなかなか容易には割れません。しかし、このカボチャは包丁を強く当てて回すようにすると簡単に割れます。中を見ると、パンなどに入っているおなじみの種が見えました。ただ、思っていたより種が少ないです。種の収穫量が少ないカボチャだと分かりました。
包丁で二つに割った種食いカボチャ、種が見えるものの少ない
半分に割ったカボチャの中に手を入れ、すくうようにして種を取り出しました。種には筋などがたくさん付着しています。その筋を取るため、水を入れたボールに種を入れました。種をすべてボールに取り出すと、ボール内の水をかき回すようにして種に付着した筋を取り除きました。
カボチャから種を取り出す 種に付着した筋を取る カボチャ1個分の種
カボチャの種に付いた筋を取るため、試しに砂を使ってみました。すると大失敗でした。この種は表皮がとても薄いため傷が付くのです。割れた種が1粒、皮が剥げた種が10粒位ありました。強い力で筋を取らない方が良いようです。
その後、筋を取った種を天日乾燥させました。ですが、薄い膜のようなものが種に付いたままでした。しかし、種を乾燥させた後、手で揉むと薄膜は簡単に取れました。残りのカボチャも来春までにすべて採種しようと思います。
天日乾燥中の種、薄い膜は乾くと容易に取れる
枯れた枝や伐採した木々を焼却
風がない夕方に時々、枯れた枝や伐採した木を焼却しています。今回主に焼いたのは、今年1月に伐採したヒノキです。伐採後しばらく乾かしていたため良く燃えました。ただ、太い幹はすぐには燃えません。そのため、最初は小さな火種から燃やし、だんだん太い枝へと燃やしました。そして、最後に太い幹を入れて燃やしました。
最初は小さな火種から燃やし始め、だんだん太い枝を燃やす
燃やし始めは、小さな葉や枝が多いので火種が飛ぶことがあります。その時の用心のため、周りに水を用意したり、あらかじめ周辺に水をまいて濡らしておきました。
この季節は日が照ると日中まだまだ暖かいため、火を燃やすと熱くてたまりません。鉄棒を差し込んでは火の大きさを調節します。来年の3月までは、こうして伐採した木々を焼却します。燃え盛る炎を見ながらぼーっとしていると時間を忘れます。
だんだん大きくなる炎 だんだん大きな木を 暗くなっても焼却
秋の楽しみ サツマイモ収穫パーティー
5月上旬に苗を植え付けたサツマイモ(安納芋)を収穫しました。植え付け後、炎天下の草刈りやツル直しなど、ちゃんと世話をしたためか美味しそうなサツマイモがたくさん収穫できました。去年は一人で収穫しましたが、時間もかかりとても疲れました。しかし、今年は9人が収穫を手伝ってくれました。ありがとうございました。
サツマイモの葉茎を撤去中 黒マルチを外す さあ、芋の収穫開始
最初、サツマイモの茎,葉,そして蔓を、鎌を使って刈取って撤去しました。綺麗に撤去すると、三本クワを使って剥ぎ取るようにして黒マルチを外しました。黒マルチは、それほど傷んでいなかったため、来年も使えそうです。
黒マルチを外して、ようやくサツマイモを掘り上げることができるようになりました。
掘り上げたたくさんのサツマイモを、重さや形別に選別
サツマイモの収穫時に気を付けることがあります。それは、芋を傷つけないことです。用心しながらクワを振り下ろします。サツマイモの茎元の地が緩むと、茎を掴んで上に引っ張ります。すると、サツマイモがぶら下がるようにして出てきます。傷ついた個所には真っ白な液がしみ出てきます。この液がたっぷり出る芋は、健康で美味しいサツマイモです。こうして数百個のサツマイモを収穫しました。
サツマイモの収穫が終わると、楽しいパーティーです
収穫したサツマイモはすぐに、大きさや形別に選別しました。さらにその中から、この日曜日の麻郷公民館祭りで焼芋にする百個のサツマイモを選びました。
サツマイモの収穫が終わると、テーブルなどを組み立てて畑の木陰に置きました。そして、各人持ち寄ったご馳走を出し合ってパーティーの用意をしました。私は東京から持って帰ったお土産をや野菜などを出しました。用意が済むと、談笑しながらの楽しい会食の始まりです。ご馳走持ち寄りありがとうございました。とても美味しかったです。
来週、このサツマイモ畑の一部を含めて耕し、麦の種まきをします。来年の6月まで、この畑は一面の麦畑に変身します。
焼きそば,サラダなど、ご馳走の数々 綺麗に収穫されたサツマイモ畑
八王子市街から浅川沿いをウォーキング(1/2)
11月3日、所要があって東京八王子の我家に行きました。アキレス腱の調子が良くないため、空いていた次の日に整形外科に行ってみました。すると病名がすぐに分かりました。アキレス腱付着部症とのこと。年齢を重ねると多くなる足首の病気だそうです。原因は①足の使い過ぎ、②靴が合わない、③体が硬い(特に足首)などだそうです。ひどい場合は手術するとのこと。やれやれ。
八王子市街の通路 たこさん公園のたこ 市内を流れる浅川
私が思い当たる原因は、②と③です。特に②について、農作業時にぶかぶかの長靴を履いていますが良くないようです。八王子には一週間滞在するため、滞在中に②の対策として良い靴を買うことにしました。パソコンの価格は14万円近くしますが、この際パソコンを諦めて靴を購入することにしました。
整形外科を出ると、市内を流れる浅川沿いに我家の向かってウォーキングしました。懐かしい場所ばかりを選んで歩きました。
浅川の河川敷に沿って作られた、サイクリング兼ウォーキング専用ロード
最初に行ったのは、たこさん公園です。巨大なたこの滑り台がある公園です。昔、子供達とよく遊んだ公園です。小学校が下校になる時刻なのでしょう、お母さん方が雑談していました。たこさん公園を過ぎると、浅川をまたぐ大和田橋に行きました。この橋から、河川敷に作られたサイクリング兼ウォーキング専用道路をのんびり歩きました。
ゴミの焼却熱を利用した、銭湯などがある「あったかホール」
河川敷をしばらく歩くと、「あったかホール」の建物が見えてきました。八王子市内から集められたゴミを焼却した時に出る余熱で沸かした銭湯や温水プールなどあります。この施設と近くの駅の間を、バスが循環しています。この日も、お年寄りが6人位バスから降りていました。銭湯か温水プールに行くのでしょう。お祭り,フリーマーケット.健康教室などのイベントもあります。
静かな北野公園 閉まっていた北野球場 浅川に沿う堤防の道
あったかホール脇を通り抜けると、北野公園に向かいました。歩いていると、晴天のため体が熱くなりました。そこで、コンビニに立ち寄りアイスを購入しました。そして、北野公園の木陰のベンチに座って食べました。
食べ終わり体を休まると、隣りの北野球場に行きました。息子が中学生時代に入っていた野球部が、八王子市内優勝した球場です。優勝した時のことを思い出しました。平日の球場はとても静かでした。目を細めて北野球場を見守った後、再び浅川沿いのサイクリング兼ウォーキング専用道路に戻り歩き続けました。
今回歩いた、八王子市街を流れる浅川沿いルート
キャベツの収穫開始、鞍掛豆の採種、皇帝ダリヤ開花
9月初め、苗を植え付けたキャベツが収穫時期を迎えました。苗と苗の間隔は広くとったつもりでしたが、キャベツは狭そうに並んでいました。このキャベツの品種(おきな)は玉が大き目のようです。葉には害虫による穴があいていません。苗の移植時、寒冷紗で被覆して虫が入らないようにしたのが良かったようです。ただ一個だけ、夜盗虫にやられて穴があいていました。
我家ではとても食べきれない量です。このままでは食べきれず廃棄するキャベツが出そうです。そのため、友達や職場の方に差し上げることにしました。
狭そうに並んだキャベツ スコップを使って収穫
いつもは包丁で収穫するのですが、ことのほか大きく育ったので根元が見えません。スコップであたりをつけて、エィ!っと掘るようにして茎を切りました。そして、両手で持ち上げるようにして収穫しました。毎朝、私は野菜の炒めものを食べています。白菜が収穫できるまでは、このキャベツを中心にした炒めものが続きそうです。以前、これよりもっと大きな玉になるキャベツを栽培したことがあります。そのキャベツは、炒めるよりも千切りサラダに向いているキャベツでした。
大きめのキャベツ、虫に食われず美味しそう
キャベツの収穫後、来年の種まき用の鞍掛豆の採種をしました。先日、枝豆として収穫した大豆です。この枝豆は、見た目から一般にはパンダ豆とも言われているようです。普通の枝豆よりも固めです。そして、乾燥した豆を水に浸して膨らんだものに酢醤油をかけ、爪楊枝で一粒ずつ食べても美味しいです。このような食べ方から「浸し豆」とも言います。
乾燥した茎とさや 手でさやを押し開く 出てきた鞍掛豆
一時間ほどかけて全てのさやから豆を取り出しました。そして、箕に広げて天日で乾燥しました。採種した豆をよく見ると虫が食った跡があるものがありました。そのような豆は外しました。もう二,三度天日乾燥させて、来年の種まきの時期まで保存します。山口県では見ることがない枝豆なので、毎年種を保存しながら大切に育てようと思います。
箕に広げて天日乾燥中の鞍掛豆(通称:パンダ豆)
5月、近所に住むEさんから苗をいただいた皇帝ダリヤ。いつ花が咲くのだろうかと思っていたら、11月になって咲きました。ずいぶんと開花が遅いダリヤなのですね。このダリヤ、気が付くとあちこちで見かけます。背が高いので目立つのです。普通のダリヤは初夏から11月まで途切れなく咲きますが、皇帝ダリヤはずいぶんと思わせぶりに開花が遅れます。とにかく背が高いのには驚きます。3mはあるでしょうか。下から見上げるようにして花を鑑賞するようです。
ようやく開花した皇帝ダリヤとたくさんのつぼみ
八王子市街から浅川沿いをウォーキング(2/2)
浅川沿いのサイクリング兼ウォーキング専用道路をしばらく歩いていると、浅川と湯殿川との合流地点に到着しました。ここから、湯殿川の上流に向かって100m位歩き、栄橋を渡って再び浅川に沿う道に戻りました。そして、浅川をまたぐ長沼橋を渡ってみました。橋の袂から浅川の流れを見下ろすと、たくさんの鯉がゆうゆうと泳いでしました。
浅川と湯殿川との合流地点 夕暮れの京王長沼駅 長沼公園の神社(六社寓)
長沼橋を渡らずUターンして戻りました。そして、京王長沼駅まで歩きました。この駅は、私が八王子に住んでいた頃によく使った駅です。駅前が開発されていないため、とても静かな駅です。ただ、夜になると人通りがパタリと絶え怖いくらいです。
都立長沼公園山裾の、静かな苔むした小道
長沼駅からしばらく歩いて、長沼公園入口にある神社(六社寓)に寄りました。私がボランティアでボーイスカウト活動をしていた頃、よく使わせてもらいました。その神社の広場を抜け、長沼公園の山裾に向かって歩きました。
長沼公園の尾根を繋ぐ木道
都立長沼公園はほとんどが山の北斜面です。斜面に沿う苔むした山道を尾根に向かって歩きました。いつもはリスや野ウサギを見かけるのですが、今回は見かけませんでした。風に擦れる木々の音だけがぶきみに聞こえました。30分位歩くと尾根に着きます。尾根の頂上に着くと、展望台に立ってこれまで歩いてきた浅川や八王子市街を振り返って眺めました。
長沼公園展望台からの眺め 尾根道の笹斜面 北楽公園のイチョウ
長沼公園尾根の木道をどんどん歩いて南陽台に降りました。そして、北楽公園の長椅子で休憩しました。休憩していると、広場で大勢の子供達が遊んでいるのが見えました。公園の周りを見渡すと、イチョウが黄色く染まっており、時々風にあおられて葉がちらちら落ちてきました。晩秋なのですねえ。しばらく公園で休んだ後、我家に戻りました。
今回歩いた、八王子市街を流れる浅川沿いルート
田布施町 今年も麻郷公民館祭りの準備
今年も麻郷公民館祭りの季節がやって来ました。私は残念なことに、去年と同様に仕事のためお祭りに参加できません。しかし、去年もそうでしたが、準備作業にだけは参加しました。そのため、早朝に先日収穫したサツマイモを運び込みました。一昨年の麻郷公民館祭りの準備では焼芋の看板作りなどを担当しました。
ところで朝から天候が不順で雨が降ったり止んだりです。外の会場の設営作業は雨のため一端中止となり、午後2時から再開となりました。
早朝から会場の設営作業 雨のため作業中止、誰もいない会場
サツマイモを麻郷公民館に届けると、先日一緒にサツマイモを掘ったEさんが待っていました。私からサツマイモを受け取ると、何人かで綺麗に洗い始めました。その中に、私が高校時代に同級生だった、平生から麻郷に嫁いだFさん(旧姓Uさん)がいました。最初どうしても思い出せませんでしたが、何時間か経った頃にようやく思い出しました。メガネをかけていたので、すぐには思い出せなかったようです。サツマイモを綺麗に洗っていただき、ありがとうございました。明日のお祭り時、なんとか時間を見てお祭り中の焼芋を買いに行きたいものです。
サツマイモを綺麗に洗っている御婦人方
サツマイモを届けた後、私は麻郷ふるさと会の方々と一緒に会場の設営を手伝いました。最初外の会場を手伝いましたが、雨が降り始めたため午後2時からの設営になりました。そこで室内の設営の手伝いに切り替え、1Fで写真などを飾る衝立を設営しました。先日郷土館で開催した「富永有隣と明治維新に関わる人達」展で、この衝立を麻郷公民館から多く借用しました。
ボップコーンの試作 とても甘く美味しい ボップコーンを袋詰め
続いて、麻郷ふるさと会のポップコーン作りを手伝いました。キャラメル味の甘い匂いが食欲をそそるボップコーンです。うまくできたため、ボップコーンをさらにたくさん作り、100袋以上も作り置きしました。明日の祭り本番では、作り置きを売るかたわら、ボップコーンを追加で作ります。
今回、昼食として明日売るうどんをいただきました。とても美味しかったです。昼からは各団体が次々に来て、出展の準備をしていました。天気予報では明日は晴れるようですので、とても賑やかなお祭りになるのではないかと思います。
うどんを作っている方々 麻郷公民館の活動写真 泊団地の写真展準備