今日は、麻郷公民館祭りです。同日、東田布施公民館もお祭りでした。しかしながら、私は郷土館に勤務のためお祭りには行けません。しかし、1時間ほど勤務を交代していただき麻郷公民館祭りに行ってきました。交代ありがとうございました。最初、補導委員会が出している焼芋のお店に行きました。先日掘ったサツマイモが役に立っているようで、とても嬉しく思いました。私が行ったのは午前中でしたので、出足はまだまだのようでした。焼芋二つを購入しました。
美味しそうな焼芋を売っている補導委員の方々
滞在時間が1時間位しかないので、手短に歩き回りました。麻郷公民館内に入ると、いろいろな展示会が開催されていました。1Fでは千草会による野草の盆栽が展示してありました。その隣はサポートたぶせのコーナーです。そして、うどんメニューが中心の食堂がありました。食堂や調理場の方々は、共に忙しそうにしておられました。
サポートたぶせのコーナー 忙しそうな調理場の方々 小学生や園児達の作品展示
2Fに行くと、各種団体の作品展示コーナーがありました。パッチワーク,絵手紙,習字,絵画,生け花,俳句,カバンなどの作品が展示してありました。できれば、もう少しゆっくりと鑑賞したかったです。続いて、外の会場に出ました。最初、麻郷ふるさと会のポップコーンと綿菓子コーナーに行きました。そして、ポップコーンを2カップ購入しました。
綿菓子とポップコーン 演台ではダンスを披露中 品々が並ぶフリーマーケット
その頃、演台で小学高学年生達がダンスをしていました。いわゆるブレイクダンスのような踊りです。最近はこの踊りが授業にも取り入れられているそうです。私が子供の頃は、ダンスと言えばオクラホマミキサーやマイムマイムのようなフォークダンスでした。やれやれ、世の中変わったものです。こんなダンスはとても踊れません。続いて、焼きそば,フリーマーケット,輪投げ,たこ焼き,焼き鳥,焼きトウモロコシ,フランクフルトなどの出店をを見て歩きました。
楽しそうな輪投げコーナー、何か当たるのでしょうか?
1時間位後、焼芋とポップコーンを持って郷土館に戻りました。そして、焼芋とコンビニ弁当を食べました。ところで、今日の郷土館は、午後1時半から紙芝居スタンプラリーです。椅子を並べたり看板を郷土館前に設営したりと、会場作りのお手伝いをしました。今回は子供を含めて、のべ13人の鑑賞者が来られました。腹話術やくじ引きもある楽しい紙芝居でした。私はお手伝いをして立ち聞きしただけなのですが、くじ引きでタブンクマが当たりました。ありがとうございました。
紙芝居の案内表示 紙芝居を鑑賞中の方々 休憩中の楽しいくじ引き
紙芝居が終わって1時間後頃、入れ替わりに今度はおおばのフォトクラブの方々が見えました。今月1ヶ月間展示する写真をパネルに掲示するためです。各人思い思い、撮影した写真をパネルに掲示しておられました。おおばのフォトクラブの方々が帰られた直後の17時頃、1名の方がこの写真展を見学に来られました。東田布施公民館祭りでこの展示会のことを聞いたとのこと。・・・・郷土館を閉めたのは18時頃でした。今日も忙しい1日でした。
フォトクラブの写真展案内 パネルに写真を掲示中 写真掲示が終了
田布施町 麻郷公民館祭り,紙芝居スタンプラリー,おおばのフォトクラブ写真展
憲政会館と国会議事堂を見学、そして皇居外苑ウォーキング(1/3)
11月初め、東京の我家に行った時に永田町の憲政会館に行きました。理由は、田布施町郷土館が保管している吉田茂から岸信介宛ての書簡が展示されているからです。「戦後復興の道のり 吉田茂・鳩山一郎 特別展」(11/4~11/27)で、どのように展示されているのか興味がありました。そこで、実際に憲政会館に行って見学しました。
東京メトロ永田駅 横を歩いた国会図書館 吉田茂・鳩山一郎 特別展
憲政会館は、永田町の国会議事堂や国会図書館の近くにあります。東京メトロの永田町駅で降りて憲政会館に向かいました。この周辺の街は、さすがに官庁街らしい雰囲気があります。道は街路樹が囲まれとても綺麗に整備されています。重要な官庁が立ち並んでいるためでしょう、ところどころに警官が配置されていました。国会図書館横を通り過ぎて横断歩道を渡ると、すぐそこに憲政会館がありました。
「戦後復興の道のり 吉田茂・鳩山一郎 特別展」開催中の憲政会館
憲政会館の中に入ると、さっそく「戦後復興の道のり 吉田茂・鳩山一郎 特別展」を見学しました。内容は敗戦後から昭和20年代の政治史を彩る展示会で、吉田茂や鳩山一郎を中心とした政治史が展示されていました。昭和20年代前半、岸信介はA級戦犯で巣鴨プリズンに入っていました。弟の佐藤栄作などが慰問に来ていたそうです。おそらく、政界の話題も話していたことでしょう。なお展示会場は撮影禁止でした
憲政会館の中ほどにある池 2F展示会場への階段 〇:伊藤公史料館の案内
展示はほぼ年代順に並べられていました。そのためか、吉田茂から岸信介宛ての書簡は順路の終わりころに展示されていました。吉田茂の次世代である岸信介へのバトンタッチとの意味合いで、終わりころに展示されたのでしょう。憲政会館を出ると、議員会館や国会議事堂方面に行ってみました。
今回歩いた、憲政会館,皇居外苑~秋葉原ルート
小麦の種まき準備をするも雨、タマネギ苗の移植
そろそろ麦の種まきをしなければなりません。そのための準備として畑を耕運機で丁寧に耕しました。先日サツマイモを掘った畑も耕しました。しかしながら、このところ天候が不順です。せっかく耕して麦の種まきの準備が整っても、雨が降っては種まきできません。晴れるまで気長に待つしかありません。11月下旬、もうすぐに冬になる季節です。早く麦の種まきをしなければと、気はせくばかりです。
サツマイモ畑を含め丁寧に耕し、麦の種まき準備
麦の種まき準備が終わると、タマネギ苗の植え付けをしました。先日早生タマネギの苗を植え付けをしましたが、今回は中晩生タマネギの植え付けです。タマネギの品種はネオアースです。同じ品種の苗床を猫のリンちゃんが台無しにしたため、やむなく購入した同じ品種のタマネギ苗です。
タマネギ苗を1穴に1本植え付け 1本1本、丁寧に苗を植える
1時間位程度かけて、丁寧にタマネギ苗を植え付けしました。同じ畝に植え付けていたニンニクはすでに5cm位芽を伸ばしていました。来春は美味しいタマネギとニンニクが収穫できそうです。
タマネギ苗を植え付けた隣りの畝にはのらぼう菜を植えています。葉はすでに食べることができる大きさに育ちました。害虫や病気に強い世話いらずの野菜です。ちょっと苦みがある、私が大好きな野菜の一つです。
手前は今回植え付けたタマネギ、向こう側はのらぼう菜
憲政会館と国会議事堂を見学、そして皇居外苑ウォーキング(2/3)
憲政会館から国会議事堂に向かうと、議事堂西向い側に何棟かの議員会館がありました。その議員会館前の道を通り過ぎてUターンし、国会議事堂の裏側(西側)に出ました。すると、一般人が見学できる入口がありました。守衛の方に聞くと、ラッキーなことに見学できる日でした。午後13時から見学できるとのことで、さっそく並んで見学時間まで待ちました。
何棟かの議員会館 国会議事堂地下に降りる 議場を見下ろす小学生達
時間になると、守衛の方が差し出す紙に名前や住所などを記入しました。記入し終わると、国家議事堂の地下に降りました。椅子に座って待機していると、小学生などの団体が次々にやって来ました。修学旅行か社会科の勉強のようです。しばらくすると、飛行機に搭乗するときのようなチェックがありました。金属などを身につけているとアラームが鳴るようです。その時、香港空港でアラームが鳴ったことを思い出しました。その時は、デジカメを身につけていたためのアラームでした。
国会が開催されていないため、静かな国会議事堂の議場
チェックが終わると。守衛の方に先導されて議事堂内を見学して回りました。全国の石灰岩を集めて建設された国会議事堂はとても見事でした。唯一国産でないものは、吹き抜けの天上板だそうです。ところで、一緒に回った小学生達は群馬県から来たとのこと。そこで大河ドラマ「花燃ゆ」の話を聞きましたが知らないようでした。今「花燃ゆ」は群馬県がテーマなのですが、小学生にはまだ早いのでしょう。
議事堂内を見学後、外に出て見た国会議事堂正面
議場内の一般席に着くと、国会議事堂の歴史などを説明する放送がありました。大正年間に建築がはじまり、完成まで17年かかったそうです。今の時代からすると、かかりすぎのように思います。国会議事堂は、奈良時代の大仏殿,平安時代の平等院鳳凰堂に匹敵するような国家シンボルとして建設されたのではないでしょうか。今までにない全く新しい設計で作られたため、17年間もの時間がかかったのではないかと思います。
皇居を取り囲む掘り 外苑をマラソンする人々 皇居から見た国会議事堂
国会議事堂内を見学すると、外に出て議事堂正面に案内されました。正面の庭には、各県の樹木が植林されていました。山口県の樹木として、あかまつが植えられていました。正面で解散となり、みなさんパチパチ写真を撮っていました。私は、ある母娘さんを撮ってあげました。そして、代わりに私を撮ってもらいました。見ず知らずの母娘さん、ありがとうございました。
国会議事堂を出ると、皇居外苑をウォーキング
ものものしい警戒の国会議事堂正面玄関を出ると、皇居に向かいました。時間があるため、秋葉原までの数kmをウォーキングすることにしました。皇居を取り囲む掘りに沿って歩いていると、マラソンやウォーキングする方々とすれ違いました。真っ青な空を時々見上げながら、皇居外苑を日比谷公園に向かって歩きました。清々しい秋空でした。
今回歩いた、憲政会館,皇居外苑~秋葉原ルート
憲政会館と国会議事堂を見学、そして皇居外苑ウォーキング(3/3)
皇居外苑をしばらく歩いていると、日比谷公園に入りました。日比谷公園は私が高校生時代に修学旅行で来たことがあります。近くにある日比谷野外音楽堂には、コンサートや組合活動などで3,4回来たことがあります。共に懐かしい場所です。
日比谷公園の入口 広々とした日比谷公園 皇居を取り囲む掘
日比谷公園に入ると、広々とした玉砂利をザクザクと歩きました。平日だったためか歩いている人はあまりいませんでした。中国からのたくさんの観光客でしょうか、二重橋を見ながら歓声をあげてバチバチ写真を撮っていました。通称メガネ橋とも言います。しかしながら水面が波打っていたせいか、光線の具合が悪いのか、今回はメガネのようには見えませんでした。
タイミングが良いとメガネ状に見える皇居の二重橋
広々とした日比谷公園の玉砂利をしばらく歩くと、ビル街に入りました。この付近は40年ぐらい前によく来ましたが、すっかり光景が変わっていました。ビルが、より高く近代的になっていました。私が入社試験や面接を受けた新丸ビルはこの近くにあったはずです。確か国立劇場も近くにあったはずです。また、東京駅や映画館も近くにあったはずです。何処にあったか、すぐには思い出せません。
ビル街に向かう歩道 掘の傍に立つビル 久しぶりに来たビル街
ビル街をどんどん秋葉原に向かって歩いていると、神田橋が見えてきました。神田橋の上に覆いかぶさるように道路が通っています。橋から下を見下ろすと、どす黒い水面が見えました。道路がさえぎっているため日が当たりません。生物が住んでいるようには見えない川です。この川、定期的に船でも走っているのでしょうか。
道路下の神田橋 万世橋の高架 秋葉原総武線高架
神田橋を過ぎるとビル街の様子ががらりと変わります。道をどんどん進むと、小川町近くに来ました。そこから道を右へ曲がりました。そして、どんどん歩くと、万世橋の高架橋が見えてきました。ここまで来ると、秋葉原はすぐそこです。夕暮れ時になったためか、空が暗くなりかけてきました。万世橋の高架橋下をくぐると、そこは秋葉原でした。
万世橋高架橋下近くから見た秋葉原
せっかく秋葉原に来たので、電子部品を売っているお店を巡りました。私の学生時代、秋葉原はラジオやテレビの電子部品を中心に売っていました。30年位前からパソコン販売店が増え、20年位前からフィギュアを売る店が増えてきました。10年位前でしょうか、メイド喫茶が増えました。2年前初めてメイド喫茶に入店しましたが驚くことばかりでした。この40年の間、どんどん変わってきた秋葉原です。秋葉原をあちこち見回った後、八王子の我家に帰りました。
今回歩いた、憲政会館,皇居外苑~秋葉原ルート
下関市長府 功山寺,毛利邸,乃木神社などをウォーキング(1/4)
去年の今頃、友人と萩市の史跡などを訪問しました。今年は、下関市の長府を訪れることになりました。長州藩幕末史に興味がある者として、長府の功山寺は絶対に外せません。今回、この功山寺を中心に長府の街並みを友人達と一緒に楽しく散策しました。私は初めての長府でした。
車を停めた長府観光会館 長府藩侍屋敷長屋 笑山寺入口の雑貨店
前日、功山寺義挙前後の長州藩の歴史を年表にまとめ、人数分コピーしておきました。田布施町交流館に朝8:00集合です。9人が車二台に分乗して長府に向けて出発しました。途中、高速道路の美東SAで休憩しました。長府に着くと、長府観光会館の駐車場に車を停めました。これから長府の史跡散策の開始です。
功山寺に行く途中にある石階段、これを登ると笑山寺
長府観光会館を出ると、すぐ傍を流れる川を上流に向かって歩きました。この川のほとりを歩きながら川の流れを見ていると、やたら鴨が多いことに気が付きました。野生の鴨のようにも見えますがとても数が多いのです。餌をやっているのか、とても体が大きな鴨達でした。最初に着いた史跡は長府藩侍屋敷長屋でした。その後、さらに川を上流に向かうと笑山寺です。
高杉晋作回天義挙の碑 林の中の功山寺楼門 観光客多い功山寺
笑山寺では十三重石塔などを見学しました。そして、石階段下の雑賀店内に入ってみました。次に、功山寺に向かいました。川の上流に向かってどんどん歩くと、高杉晋作の回天義挙の石碑が見えてきました。さらに、静かな林の向こうに功山寺の楼門が見えてきました。静かな木立を抜けて、立派な楼門をくぐると功山寺です。
功山寺鐘突き堂と高杉晋作回天義挙之の銅像
功山寺前の広場に着くと、功山寺義挙前後の長州藩年表をみなさんに渡しました。そして、高杉晋作の回天義挙の歴史的意義などについて説明しました。そして、高杉晋作らと意見が分かれたがゆえに、悲劇の志士となってしまった当時の奇兵隊総監赤根武人についても説明しました。回天義挙銅像を見終わると、次に長府藩毛利邸に向かいました。
今回ウォーキングした下関市長府の史跡探訪ルート
手押し式種まき機による小麦の種まき、小豆の脱穀
遅れていた小麦の種まきをしました。まず最初に種をまく位置決めをしました。耕運機などで除草しやすいように巻き幅を90cmにしました。そのため、畑の南側と北側に90cmごとにマーキングして、南北にひもを張りました。そして、そのひもに沿って種まき機を手で押しながら種まきをしました。
90cmごとにマーキング 手押し式種まき機 種まき後の土寄せ
しかしながら、一昨日降った雨のため畑は思った以上にぬかるんでいました。種まきは良かったのですが、そのあとの土寄せが思いのほか大変でした。最初、足で土を寄せていたのですが、土が靴に粘土のように付いたりして思うように土を寄せることができません。やむなく、中腰で手グワや手を使いました。少々疲れました。
種をまいた場所を、中腰になって土寄せ
土寄せがやっと終わると、腰などが少々疲れました。そのため、少しの間休憩しました。私が持ってきた柿を分けて食べたり、Etさんが持ってきたミカンを食べたり、お茶を飲みました。やれやれとんだ麦の種まき作業となりました。去年のように私一人が種まきすれば、3倍や4倍もの時間がかかったことでしょう。今回手伝ったくれたM君,Etさん,Emさん、本当にありがとうございました。助かりました。
小麦の種まきで疲れた後、休憩中
休憩を終わると、先日刈取りして天日干ししていた小豆を脱穀しました。乾いた小豆を置いて、くるり棒を使って何度も叩きました。すると、はぜるように小豆がさやから外れました。外れた小豆は紙袋に入れました。これらの小豆は再度乾かして、今度は唐箕でゴミを取ります。
小麦の種まきや小豆の脱穀が終わったのは、12時を過ぎていました。皆さんと別れて、すぐに麻里府に向かいました。明後日の麻里府ウォーキングに備えて再度の下見です。その麻里府の再度下見から帰ると、野菜の収穫が待っています。今日も忙しい一日です。
くりる棒を使うEtさん 小豆とゴミを網で分離 豆を紙袋に収納
田布施町 麻里府 中郷周辺ウォーキングの再下見
田布施町 麻里府 中郷周辺ウォーキングを控えて、地元の方から麻里府にはまだ遺跡や史跡があるとの情報をいただきました。その情報を確認するため、再度下見をしました。確認した場所は4か所です。最初に行ったのは尾津西の立石墓地と旧麻里府小学校の間にある山の頂上にある祠です。立石墓地へ向かう道から、道なき道を藪をかき分けながら頂上に向かいました。すると、聞いたとおり、その祠はありました。しかし、倒壊して見る影もありませんでした。
立石墓地近くの倒壊した祠 麻里府招魂場 中郷の畑中央の地蔵
続いて、招魂場がある山に登りました。そして、招魂場から伸びる尾根道を歩きました。その尾根道の十字路に石仏があるはずなのですが、見つけることができません。城山尾根を超える高峰峠方面に向かう古道を、石仏を探して歩きましたが途中で引き返しました。他にも何ヵ所か引き返しました。
明楽寺にご挨拶した後、明楽寺裏の尾根にある竈の神様を探しました。しかし、ぼろぼろに倒壊していました。後で分かったのですが、倒壊していたのは籠部屋跡でした。竈の神様は、その15m位先にあるとのこと。残念!
倒壊していた籠部屋跡、土壁がぼろぼろに崩れる
疲れが溜まったためでBerry Berryで休憩しました。すると、夕方に篠笛とフルートの演奏会があるとのこと、演奏者が練習を始めるところでした。帰る途中同級生のI君に、続いて郷土館でお逢いしたKさんに出会いました。嬉しいことに、見つけることができなかった石仏をI君が案内してくれました。I君、案内ありがとうございました。
尾根道の十字路にあった石仏 山の陰にある清明様の祠
石仏を確認した後、最後の史跡である清明様を探しました。清明様の祠の確認が終わった頃、すでに午後5時を過ぎていました。家に帰ると、薄暗い中をキャベツなどの野菜を収穫して段ボールに収納しました。収穫した野菜は、早朝持って行くことにしました。やれやれ、麦の種まき,小豆の収穫.麻里府の再下見,そして野菜の収穫で疲れた一日でした。
麻里府中郷周辺の再下見のために歩いたコース
田布施町 楽しかった麻里府中郷周辺ウォーキング(1/3)
先日の下見と再下見を経て、田布施町麻里府の尾津西と中郷周辺の史跡を巡るウォーキングをすることができました。今回は、何度も山を登り降りしたり藪の中を歩くような、ややアドベンチャーなウォーキングでした。しかし、最後に疲れた体をBerry Berryで癒すことができました。数日前から天気が悪くなる予想でしたが、晴れ男や晴れ女が参加したためか、晴天に恵まれた一日でした。雨が降ったのは夜でした。とてもラッキーな天候でした。
麻里府公民館10時集合 無記名の謎の石柱 幕末加徳丸事件史跡
さて最初に、麻里府公民館前広場にある水田のぶほと国木田独歩の詩句を説明しました。次に、尾津西の旧道を歩いて現国道188号線に入り、梶取岬方面に向けて歩きました。そして、無記名の不思議な石柱を見学しました。開道記念碑なのか事故碑なのかなど、知っている人は今の麻里府にはいないようです。続いて、立石墓地に行きました。墓地奥には、幕末に起きた加徳丸事件で亡くなった薩摩藩士のお墓があるのです。
江戸時代に建立された、地元麻里府の住吉神社
立石墓地を戻ると、麻里府小学校跡裏にある井戸持ち地蔵に向かいました。ここにある井戸は、かつて清水が湧いていたそうです。水道の普及によって、井戸を使うことがなくなり蓋がされたそうです。海岸が迫っていた時代、真水が湧いていた貴重な場所だったのではないでしょうか。
続いて、桜川(かつては潮入川と呼ぶ)沿いの山に鎮座する住吉神社に行きました。住吉神社はかつて明神様と呼ばれていましたが、江戸時代に大阪の住吉神社の分身を祀りました。以来、住吉神社と呼ばれるようになったとのこと。
黄色が見事な皇帝ヒマワリ 戦没者を祀る招魂場 招魂場からの尾根道
住吉神社を降りると、麻里府地区の戦没者を祀る招魂場に行きました。山の上にあるため、上り坂を登らなくてはなりません。登っている途中体が熱くなってきたため、上着を1枚脱ぎました。招魂場の説明を終えお祈りしました。続いて、招魂場から続く尾根道を進みました。竹藪の林を抜けて古道の十字路に出ました。中郷,戎ヶ下方面,麻郷蓮輪,井佐里峠を結ぶ十字路とのこと。この十字路に見下ろすようにある石仏を見学しました。
古道の十字路 中郷の田園を進む 明楽寺到着後、昼休憩
石仏を見学すると、中郷の田園を抜けて明楽寺に向かいました。言い伝えによると、かつての寺田家屋敷に寺を建立したことが始まりとの事。当初念仏寺だったそうで、その道場が中郷の十心庵と上郷の九里庵だったそうです。そして、明楽寺に向かう長い坂を念仏坂と呼んでいたとのこと。その後、万治3年(1660年)に本願寺で得度をつんだ方が、明楽寺を継いで開祖となったそうです。
麻里府中郷の明楽寺前にて
明楽寺のご家族にご挨拶として、本堂を見学させていただきました。そして、ここで30分程度お昼休憩させていただきました。休憩が終わると、再度お礼のご挨拶してから次の史跡に向かいました。明楽寺のご住職と奥様、ありがとうございました。
今回ウォーキングした麻里府中郷と尾津西周辺ルート
長府 功山寺,毛利邸,乃木神社などをウォーキング(2/4)
功山寺の見学が終わると、近くの長府毛利邸に行きました。とても趣のある館でした。長府藩がいつ頃できたのかは知りませんが、本庁の毛利に次ぐ面積を治めていたようです。ところで、長州藩と岩国藩の関係が面白いのです。戦国時代のことです。毛利元就の次男である元春が、養子に入って吉川を乗っ取りしました。その孫である広家が実質的な岩国藩の藩祖です。そのため長府藩よりも古く格がある藩と言うことになります。
長府毛利邸に向かう道 長府毛利邸の建屋 長府毛利邸の内部
岩国藩は長府藩などの支藩とは別に見られていました。それは、関ヶ原での毛利に対する裏切り行為のためだそうです。関が原の戦いでの配置を見ると、吉川は徳川家康の背後を襲える絶好の位置にありました。裏切りがなければ家康必敗だったはずです。そうなれば西軍の大将であった毛利は、日本の盟主になれたはずなのです。しかし、結果は毛利方西軍の惨敗。徳川家康は恩のある吉川を残し、毛利を取り潰したかったようです。紆余曲折後、幕府からみて吉川を毛利と同格の外様大名扱いにしたようで、それがさらに江戸期の毛利と吉川の複雑な関係を作ったようです。
長府毛利邸の縁側から、素敵な庭を見ながら
幕末の長州征伐で再び裏切りが起きないよう、毛利本庁は岩国藩にとても気を使ったとか。南奇兵隊は、本陣を室積からわざわざ不便な石城山に移して第二奇兵隊に正規化しました。そして、万が一にも裏切りしないように、石城山から岩国藩に心理的圧迫をかけていたとの話を読んだことがあります。岩国にやや近い石城山に本陣を置いたのも、そんな意味があったのかも知れません。その後、第二次長州征伐で岩国藩が幕府と戦う覚悟を決めたため、石城山から専福寺に本陣を移し周防大島に出陣したのだとか。
長府毛利邸から長府観光会館への戻り道、古江小路
長府毛利邸は、当然のことながら純和風建築です。ほとんどの部屋は畳が敷かれていました。庭も立派で雨が降る梅雨時は苔が見事ではないかと思います。庭に出られるようにサンダルが置いてありました。さっそくサンダルを借りて、庭のすみずみを堪能しました。
そして、お昼前に毛利邸を出て車を駐車している長府観光会館に戻りました。その道すがら、とても素敵で趣のある古江小路を通りました。
創作料理店ひろなか ご馳走の数々 次々に出る料理を堪能
長府観光会館に戻ると、A君が予約していた料理店に車で向かいました。車で15分位の場所にある創作料理四季の味ひろなかです。座敷に通されて、出てくる和風料理を待ちました。しばらくすると、美味しそうな料理が次々に出てきました。史跡巡りも楽しいですが、その土地の美味しい料理を堪能するのも楽しみです。A君予約ありがとう、とても美味しかったです。
今回ウォーキングした下関市長府の史跡探訪ルート
田布施町 楽しかった麻里府中郷周辺ウォーキング(2/3)
明楽寺を出ると、中郷のあつまんだ地蔵尊に行きました。このお地蔵様はかつて、西側の古道にありました。江戸時代、亡くなった庄屋の息子を弔うため安置されと言い伝えられています。時代は移り変わり昭和の時代になって、車を通すためにその古道の道路幅を拡張した時、今の場所に移動とのことです。
中郷の坂道を登る 里山Kからの景観 里山Kの展望台
このお地蔵様は「あつまんだ地蔵」と言うそうですが、かつてこの場所一体を八幡田と言いました。なまって「あつまんだ」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。そのお地蔵様はかつては南平和10番ヶ所霊場でした。打ちつけられた板に、そのことがかすかに読み取れます。巡礼は途絶えましたが、今でも8月にはお祭りが催されています。
素晴らしい中郷の眺めを、里山K展望台から望む
あつまんだ地蔵尊を見学すると、すぐ近くの北側の山道を登りました。しばらく急な坂を登ると、里山Kと書かれた板がありました。Kの意味は、計画,公園.又は作った人の名前とのことです。里山K内にある展望台をめざして、さらに急な道を登りました。展望台から見下ろす中郷の景色は素晴らしものです。ここで、しばし休憩をしました。
籠部屋跡 〇は籠の背負い棒 村の境界を表す石碑 やっと見つけた竈の神様
続いて、展望台の上にある籠部屋跡まで行き、念願の竈の神様を探しました。籠部屋跡から藪の中を進みました。そして、山の頂上にたどり付くと面白いものを見つけました。石碑のようが横たわっていたのです。その石碑には「マリフ村境界」と刻んでありました。明治22年の麻里府村の開村時、麻郷村との境界の印として置いたのでしょう。
竈の神様を見た後、下山 Kさんが置いた地蔵 雨乞い岩へ向かう
この石碑はあきらかに竈の神様ではありません。最初、その石碑の東側の藪の中を探しましたが、何も見つかりません。次に、西側の藪の中を探してみました。すると藪の20m位先に黒っぽい塊が見えました。もしやと思って近づくと、竈の神様(火の神様)の祠です。大声でみんなを呼びました。祠は傾いており、中には文字も何も読めないほど朽ちた板片がありました。この祠、数十年前に忘れ去られたようです。お年寄りが登ることができないほど高い場所に祠はあります。そのため、御神体を中郷公民館に降ろして、今は地鎮様として祀っているとのこと。
雨乞い岩の前で説明を聞く
竈の神様を発見すると、山を下りました。しばらく歩いて、住吉神社の前身である明神様跡を遠望しました。この明神様跡は、来年の上郷ウォーキング時に訪れる予定です。次に明楽寺の前身と言い伝えがある十心庵前を通りました。そして、雨乞い岩がある山に登りました。これまた急な上り坂ですので、数名の方は下で待ちました。
今回ウォーキングした麻里府中郷と尾津西周辺ルート
長府 功山寺,毛利邸,乃木神社などをウォーキング(3/4)
美味しい料理を食べると、今度は忌宮(いみのみや)神社に行きました。駐車場に車を置いて、広い境内を散策しながらもう一台を待ちました。しばらくすると、たくさんの鳩の群れに囲まれました。ここに住んでいる鳩はとても人慣れしているようです。餌をやるわけでもないのに、足元にやって来るのです。しばらくした後、鳩が群れて足元にやってくる理由が分かりました。
広い境内から見上げた忌宮神社
境内の広場にみんなが集合すると、忌宮神社をお詣りしました。私もお詣りして、家内安全,健康長寿などをお祈りしました。忌宮神社のお詣りを済ませて、次に乃木神社に行くことにしました。相撲史料館があったのですが、次回訪れることにしました。忌宮神社を出る頃、一人の方が鳩に餌をやっていました。餌を持った手に乗っている鳩もいました。手乗り鳩がいるようです。鳩の餌を売っているようです。餌を欲しさに、鳩が群れて寄ってくるのです。
足元に寄ってくる鳩 手を洗ってお詣り 拝殿前でお祈り
忌宮神社を出たところに、明治時代に忌宮神社に合祀された八坂神社などがありました。少し歩くと、巨大な石碑があり「繭種渡来の地」と刻まれていました。ただ、渡来した年が古すぎるように思います。続いて、保育園の横を通って乃木神社に向かいました。
「繭種渡来の地」の石碑 乃木神社の鳥居 宝物館内を兼学
乃木神社の鳥居をくぐると、最初に宝物館に行きました。乃木大将の生い立ちや遺品などが数多く陳列されていました。宝物館を出ると、乃木神社をお詣りしました。私は、乃木大将と言うと、日露戦争での203高地を思い出します。この高地をなかなか落とせず、自分の息子もここで戦死しました。日露戦争の帰趨を決めた戦いでした。
静かなたたずまいの乃木神社
日露戦争は、続く第一次、第二次世界大戦の先駆となる近代戦でした。特に日露戦争で使われて機関銃は画期的でした。この銃のため、何万もの人が亡くなりました。さらに、それまでの戦いで有効だった騎馬が無効であることが分かったのです。第一次世界大戦以降、騎馬の代わりに戦車が登場しました。騎馬は以後、儀仗のような飾りとなりました。大量殺りくの近代戦の幕開けが、日露戦争だったのです。
今回ウォーキングした下関市長府の史跡探訪ルート
田布施町 楽しかった麻里府中郷周辺ウォーキング(3/3)
雨乞い岩で、本当に雨乞いをしていたのか今となっては分かりません。ただ、田布施町の各地では、70年位前まで山の上で火を焚く杵崎さんのお祭りが行われていました。この火を焚くお祭りは、五穀豊穣を願うための雨乞いの名残りです。当時、田布施のあちこちで煙が上がっていたようです。雨乞い岩は、中郷地区の杵崎さんのお祭りの名残ではないでしょうか。なお、麻郷三宅の毘沙門堂では、今でも杵崎さまのお祭りと称して火を焚いています
不思議な雨乞い岩を囲んで
雨乞い岩に、江戸時代の通貨が置かれていたとのこと。岩の前は広場になっているため、江戸時代ここに人が集まって火を焚くなど何らかの儀式が行われていたのでしょう。雨乞い岩は、周辺の石とは明らかに違います。他から持ちこまれた岩です。この岩のことを知っている古老は、もう麻里府にはいません。今となっては不思議な遺跡です。なお上郷地区では、楠峠の元焼場があった山で火を焚いていたそうです。
Berry Berrtyに着いて休憩 麻里府の史跡談議中
雨乞い岩から、滑るようにして山を下りました。そして、すぐ近くにあるBerry Berryに急ぎました。昼間たくさんの車が駐車していたため、混んでいるかと思いきや空いていました。オーナーのお話では、我々が来る頃に空き始めたとのこと。ラッキーでした。14人で三つの席に座り、疲れた体を癒しました。
コーヒー,ミックスジュースを飲みながら歓談
30分位Berry Berryに休憩したでしょうか。体の疲れが抜けると、さっそく出発地点まで歩き始めました。休憩したためか、皆さんかろやかな足取りでした。途中、清明様の祠に寄りました。その昔、ある方が建立したそうです。しかし、今は誰も世話をする方がいないとのことでした。次に、お地蔵様にも寄りました。このお地蔵様は尾津西の方が大切にされていることがよく分かります。綺麗なべべを来て、花も飾ってありました。
山陰の清明様の祠 大切にされている地蔵様 麻里府の砂浜を散策
お地蔵様に別れを告げると、国道188号線をまたいで砂浜に出ました。この砂浜一帯はかつて、麻里府海水浴場として賑やかでした。私が小学生だった頃、この海岸で臨海学校が開かれていました。泳ぎが得意でなかった私は、よく海水を飲んでは咳をしていました。
麻里府港を見渡して公民館に戻る
麻里府海水浴場、今はその影すらありません。かつて飛び込み台があったり、海の家があったように記憶しています。しかし、田布施町内にプールが完備されるようになって以降、この海水浴場は衰退したのではないでしょう。昔の海水浴場を思い出しながら、砂浜の波打ぎわを歩きました。麻里府港を見渡しながら歩き、麻里府公民館に向かいました。参加された方々、お疲れさまでした。
今回ウォーキングした麻里府中郷と尾津西周辺ルート
ルーラル田布施フェスタ,猫のお宿ほか
今日も一日中、田布施町内を走り回りました。早朝から畑を耕したり春野菜の種まきをしました。そして、10時になると田布施交流館で開催中のルーラル田布施フェスタ、続いて田川邸で行われている猫のお宿祭に行きました。午後は麻郷や麻里府を訪れました。夕方は般若寺90代目ご住職による熊毛王関連の講和を聞きました。とても忙しい一日でしたが、ある意味充実した一日でした。
田布施町交流館で開催中のルーラル田布施フェスタ
朝の農作業が終わると、ルーラル田布施フェスタ開催中の田布施町交流館に行きました。たくさんの人が集まっていました。私は、並んで豚汁をいただきました。具だくさんの美味しい豚汁でした。満席でしたので、立ったまま周りのイベントを見学しながら食べました。アジ釣り,風船釣り,金魚釣り,綿菓子など、たくさんのイベントがありました。
美味しかった豚汁 風船釣りのたらい 金魚釣りに夢中
豚汁を食べ終わると、いろいろなお店をまわりました。最後に、百姓木村さんのお米コーナーに行きました。200円を出すと、サイコロを転がすことができるのです。すると、サイコロの目の数だけの米をすくってもらうことでできます。私がサイコロを振ると、目は4でした。4杯のお米をいただきました。明日の夕飯、このお米を食べてみようと思います。
アジを釣る方々 綿菓子などのコーナー 百姓木村のお米コーナー
ルーラル田布施フェスタ会場を出ると、西田布施の田川邸で行われている去年も行った猫のお宿祭に行きました。田川邸に着くと、去年よりもたくさんの方が来ていました。田川さんに挨拶をして展示を見学させていただきました。私が一番気にいったのは猫そっくりの柔らか置物です。作者の方にいろいろとお話を伺いました。
猫のお宿案内 たくさんの訪問者 猫そっくりの柔らか置物
展示を見学中、田川さんに田布施町の名木の一つであるモミの木について伺いました。すると、このモミの木はお父さんが生まれた時に植樹した木とのことでした。植樹してから100年経っているとのこと。お父さんは、私が小学生時代の校長先生でした。当時、あるトラブルで校長室に呼ばれたことを思い出しました。
田川邸内に展示されている作品を見学している方々
猫のお宿では、バザーで出されていたハサミを購入しました。100円ショップより安かったためです。田川邸からいったん我家に帰ると、次に麻郷や麻里府の古老を訪ねました。そして、大泉寺のご住職に逢ったり、上郷のひとまる様の祠などを探して藪の中に入りました。
夕方になると、先日訪れた般若寺のご住職の講演を聞くため西田布施公民館に行きました。般若寺を中心とした神仏に関わる興味あるお話でした。講演が終わると、寒い夜空の中をバイクを飛ばして我家に帰りました。そして、ゆったりと暖かなお風呂につかりながら疲れを取りました。一日が過ぎるのは早いものです。
バザー品を選ぶ 簡単な工作をしている方々 田布施の名木、モミの木
絹さやエンドウ豆,スナップエンドウ,グリーンピース,そしてソラマメの種まき
遅れましたが、やっと春野菜であるソラマメや各種エンドウ豆の種をまきました。11月中旬に種まきすれば良かったのですが、いろいろ忙しくて今日になってしまいました。ただ、冬越しする野菜は、晩秋までに成長しすぎると傷みます。そのため、早くまくよりは遅れた方が良いようです。最近の暖冬化でそう思います。
今回種をまいた春野菜 耕運機で畑を耕す 多めの4粒/株
今回種をまいのは、絹さやエンドウ,スナップエンドウ,グリーンピース,そしてソラマメです。これらは畝一直線に種まきしました。各豆の間が混雑しないよう1m位間を開けました。私が一番好きな絹さやエンドウは、多く種をまきました。
畝一直線上に、各エンドウ豆の種をまく
いつものことですが、種をまく前に耕運機で畑を耕しました。そして、畝を作りました。鞍型に畝を作ると、株間は標準の30~40cmにしました。発芽後の間引きを考えて、1株あたり3~4粒の種をまきました。急に寒さが厳しくなったため、2週間後頃になんとか発芽すると思います。そして、春になって葉や茎が伸びれば竹枝をさして絡ませます。来年も美味しい、絹さやエンドウ豆やグリーンピースなどを収穫できることでしょう。
株間は標準の30~40cmで、1株あたり3~4粒の種をまく
サトウキビ2種の収穫、茎をかじって甘い汁を堪能
春,夏,秋と育てていたサトウキビ2種を収穫しました。まず最初に収穫したのは、周防地域の瀬戸内海側でサトウキビと呼ばれていた作物です。正確にはサトウモロコシです。種が茶色に実る今頃に収穫します。収穫するのは穂と茎です。高さ3m以上に育ったサトウキビの根本をバッサリ切って、押し切りで30cm位の等間隔に切断します。
サトウキビの穂 茎を30cm等間隔に切断 収穫した何本もの茎
収穫した穂は束ねます。束ねた穂はしばらく天日乾燥させます。山梨県棡原村では、近種のタカキビを斜面の畑にたくさん作っていました。その穂を収穫した後、天日干しして脱穀します。精白してから団子を作るのです。私が八王子に住んでいた頃、その穂を脱穀して、さらに精白して食べてみました。ぼそぼそして美味しくはありませんでした。調理方法を工夫すれば、美味しく食べることができるのではないでしょうか。
サトウモロコシ茎の表皮を歯でこじるようにして剥ぐ
収穫した茎は、芯の甘い汁を吸います。汁の吸い方ですが、最初茎の表皮を歯でごじるようにして引き剥します。そして、芯の部分を歯が咬みながら、甘い汁を吸うのです。今の時期が一番甘く、コーヒーやジュースのシロップとしても使えます。さらに、煮詰めると水飴状の砂糖を作ることができます。
取り出した茎内の芯 汁を吸った後のカス 収穫した穂
次に、正真正銘のサトウキビの収穫をしました。今年は、成育が思わしくありませんでした。肥料が足りなかったのか、害虫の芯食虫にやられたからかも知れません。同じように茎を根元から切りました。そして、押し切りで30cm位の等間隔に茎を切断しました。
今年は、成長が思わしくなかったサトウキビ
同じように茎の表皮を剥いで、かじってみました。すると、今年は甘みがやや足りないです。ただ、表皮が柔らかいことと、水分が多くジューシーなことです。煮詰めれば黒砂糖になります。来年はたくさん栽培して、黒砂糖を作ってみたいと思います。
柔らかい茎の表皮 茎の芯の部分 糖分を吸った後のカス
長府 功山寺,毛利邸,乃木神社などをウォーキング(4/4)
乃木神社を出ると、次に覚苑寺に向かいました。覚苑寺への軽い登坂の参道を歩きました。途中、長門国の国分寺跡を見ました。今は石が残っているだけでしたが、かつては荘厳な古代の建物が建っていたのでしょう。ここは九州と本州を結ぶ大切な場所です。古墳も多く、古代においては重要な場所だったのではないでしょうか。
長門国の国分寺跡 覚苑寺の石階段 覚苑寺前の広場
長門国は、本州の入口にあたります。中国や朝鮮から渡来した人は、九州か長門国に到着したようです。渡来した人々は、ここから各地に散らばって行ったのではないでしょうか。数十年前、朝鮮半島からの密航船が日本海側でよく見つかります。それだけ、大陸に近い場所なのです。繭の渡来石碑が建っているように、大陸文化導入が盛んだった地域だったと思います。さらにその昔、弥生時代も先進地域の一つだったと思います。
赤く紅葉し始めた覚苑寺の西側
ところで、覚苑寺は面白いお寺です。建物の作りが独特で、例えば孔子廟の模様を思わせる窓が南側にあるのです。仏教以外にも儒学も教えていたのではないかと思います。ところで、本格的な紅葉はまだでした。覚苑寺を散策中、テレビの撮影をしていました。その夜、我々が歩いている姿が放映されたそうです。私は残念ながら、その放送を見損ないました。
トトロの家のよう 忌宮神社に戻る道すがら SAで少しばかり休憩
覚苑寺を見終わると、車を駐車している忌宮神社に戻りました。そして、田布施に向かって帰りました。途中、高速道路SAに立ち寄ってコーヒーを飲んで休憩しました。運転をしたN君とY君、お疲れ様でした。
今回ウォーキングした下関市長府の史跡探訪ルート
遅れた紫大麦とオートミールの種まき
小麦は先月種まきをしましたが、紫大麦とオートミールの種まきが遅れてしまいました。これらの麦はそれほど多くは栽培しておらず、いわぎ種継ぎの目的で毎年種をまいています。まずは紫大麦ですが、これはもち性の大麦です。通常だんご麦と言って、すこしばかり粘りがあります。今年は、去年栽培した中から紫の色が強いものを選抜して種まきしました。
紫麦を種まきをする畝作り 去年選抜した紫色が濃い麦
私が栽培している紫大麦は大麦の一種類です。裸麦は脱禾しやすくて良いのですが、私が栽培している紫大麦は脱禾が面倒です。大麦の精白機を使えば精白できますが、精白率を上げると玄麦部分が小さくなるのが欠点です。いつか、紫大麦をたくさん栽培して、団子にして食べてみたいと思っています。
紫大麦の穂をほぐして、今年の種まきに使用
去年に続いて、オートミールの種まきをしました。この麦は裸性の燕麦です。裸性のため脱禾が容易なのですが、実が小さいため大規模に栽培しないと収穫が難しい種類の麦です。さらに、スズメなどの小鳥の食害被害が多いのも栽培を困難にさせる原因の一つです。ただし、病気に強いのと茎葉がたくさん獲れるのは長所です。牛や山羊に食べさせる餌には良いかも知れません。
穂から種を採集 取り出したオートミール 種まき中の麦
田布施町 交流館~才賀川~楠峠~竹尾ウォーキングの下見(1/2)
来年1月のウォーキングルートの下見をしました。田布施町交流館からスタートして、竹尾龍泉寺までの史跡を巡りながら歩くコースです。田布施町役場,真光寺,そして岸邸の横を通り、最初に長田の聖観世音菩薩堂を訪れました。3年前まで、千坊さんが竹尾などの方々を集めて巡礼していた、平和一日巡拝のスタート地点です。その聖観世音菩薩堂から長田を横切り、才賀川に出ました。
3年前の巡拝案内 長田の聖観世音菩薩堂 誰もおられない宝樹寺
才賀川に着く直前、長田の地蔵さんを拝みました。才賀川の堤防を上流に向かって歩いていると、川にたくさんのオオバンと鴨がいました。近づくと一斉に飛んで逃げてしまいました。新馬殿橋を過ぎた頃、西の寺子屋でお世話になっているMさんに偶然に出会いました。これから田布施西小学校に行くところとのこと。少しの間、談笑しました。その後、才賀川を歩いて宝樹寺に向かいました。
西田布施公民館 静かな太子庵 太子庵となりの荒神様
宝樹寺の見学を済ませると、いったん西田布施公民館でトイレ休憩をしました。休憩を済ませると、道路向かいにある太子庵とその隣の荒神様の祠に行きました。近所の方にお聞きすると、太子庵は1/21と8/21にお祭りをするそうです。1月のお祭りにはぜひ行ってみたいと思います。才賀川に戻ると松尾の瑞松庵に行きました。
松尾瑞松庵に安置された仏様を見学後、お昼休憩
瑞松庵の鍵を、今月はたまたま議員のSさんの家で管理しているとのこと。瑞松庵を快く見学させていただきありがとうございました。なお、議員の奥様は私の中高時代の同級生とのこと。同じクラスになったことが無かったためか、あまり覚えていませんでした。帰宅後アルバムを開いて見ると思い出しました。瑞松庵を出ると、植物試験地横を通り広域農道に出ました。斎場がある楠峠の道を越えるなど、しばらく歩き続けました。
麻里府上郷大泉寺 道端の地蔵尊 竹尾バス停跡の地蔵尊
楠峠には麻里府上郷の焼場がありました。私が高校時代に亡くなった同級生のI君。彼はスポーツマンで明るく優しい、本当に惜しい男でした。樽に入った彼と一緒に、この焼場まで行きました。ところで、楠峠のテクノセブン社長をしている同級生のM君を訪ねましたがいませんでした。テクノセブンから300m位道を歩いて大泉寺に着き、ご住職にご挨拶をしました。本堂を快く見学させていただき、ありがとうございました。
交流館~才賀川~楠峠~竹尾のコース
田布施町 交流館~才賀川堤防~楠峠~竹尾ウォーキングの下見(2/2)
大泉寺を出ると、元来た道を引き返して竹尾に向かいました。牧場横を通ってしばらく歩くと、右手にお地蔵様がありました。さらに進むと、竹尾の旧バス停に着きました。面白いことに、旧バス停待合室にお地蔵様が安置されているのです。元々は峠にお地蔵様だけがあったようです。その場所に、バス停待合室を作った時に地蔵様を取り込んだのではないでしょうか。そのいきさつを知っている方はいないようでした。
竹尾小学校跡地少し手前のお地蔵様、となりに小さな7丁地蔵様
続いて、竹尾小学校跡地に向かいました。その跡地の少し前に石垣に併設された立派なお地蔵様がありました。今でも竹尾の方々に大切にされているようでした。そのお地蔵様のすぐ隣に小さな7丁地蔵様が安置されていました。次に、竹尾小学校跡地に行きました。この小学校は昭和36年、国木小学校と同時に今の田布施西小学校に統合されたようです。運動場跡に炭焼釜などがありました。
竹尾小学校跡運動場 龍泉寺に向け山道を進む 倒れた3丁地蔵様
竹尾小学校跡を出ると、山道に入りました。この山道には6~2丁のお地蔵様が約100mごとに安置されています。ところが、3丁地蔵でしょうか道端に落ちて倒れていました。小さなお地蔵様とはいえ重いので元に位置に戻せません。せめて、ふせた状態で倒れたものを仰向けに起こしておきました。猪のしわざではないかとことでした。1年前に調査に来た時は倒れていませんでした。この1,2週間内に倒れたようです。
2丁地蔵の上方に龍泉寺 楼門の階段前に到着 階段途中の1丁地蔵
以前、この山道を歩いた時は草があちこちに生えていました。しかし、今回は綺麗に草が刈り取りされていました。人がめったに通らないにもかかわらず、地元の方々が今もなお草刈りの奉仕を続けているのだと思います。ありがたいことです。2丁地蔵を過ぎると、落ち葉に埋もれたような階段が見えてきました。その階段を登りきると、楼門前の石階段が目の前に現れました。この階段を登りきると終点の龍泉寺です。
龍泉寺楼門前の石階段を登る、階段折り返し場所に1丁地蔵
龍泉寺に到着すると、ご住職様にご挨拶をしました。快く本堂を見せていてありがとうございました。長八海の虎の襖絵を見せていただいたり、楼門の向きなどについてご住職と奥様と談笑しました。
龍泉寺を出ると、駐車場にあらかじめ停めていた車で出発地点である田布施交流館に戻りました。下見にした方々、お疲れ様でした。
交流館~才賀川~楠峠~竹尾のコース