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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施町 麻郷 高塔 祇園牛頭天王社祭典 ポン菓子作り

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  田布施町 麻郷 高塔地区の春のお祭りである、祇園牛頭天王社祭典の準備を手伝いました。この祭典、2012年2013年と参加しましたが、一昨年と去年は郷土館の仕事のため参加できませんでした。日曜日だったならば参加できなかったかも知れませんが、今年は祝日だったため参加できました。午後15時頃に高塔公会堂に行くと、祭典で配るポン菓子作りがすでにが始まっていました。遅れて参加してすみませんでした。

              爆音が鳴り響き、白煙を上げるポン菓子製造機


 最初手伝ったのは、出来上がったポン菓子を袋詰めする仕事です。袋詰めが終ると、次のポン菓子が出来上がるのを待ちます。爆音がして出来上がったポン菓子が金網に炸裂すると、そのポン菓子を大きめのざるに移します。そして、そのポン菓子に蜜をかけて混ぜ合わせます。しばらく混ぜていると、ポン菓子の温度が下がり、さらさらになります。そのポン菓子を袋に詰めるのです。
 ポン菓子を作っていると、ある方が「祭典準備をスムーズに行うためのマニュアルのようなものがあるといいのでは。」とのこと。祭典が終わって一年後、その細かな手順や方法を少し忘れてしまうことがあるのだと思います。頭の中に入れた記憶だけでは、どうしても少し漏れがありますので。

              できあがったポン菓子の袋詰め作業


 今回の機会を利用して、祭典準備の手順をマニュアル状にしたものでも作ってみようかと思います。そのため、各手順などを写真や映像に残すことから始めようと思います。そして、お祭り当日も時間の流れと作業の様子を記録してみようかと思います。100年も経てば、これらの資料は立派な記憶遺産になると思います。

 下校中の子供にポン菓子   袋詰めされた袋を封印    ポン菓子が終わると掃除
  

 ところで私が子供の頃、ポン菓子業者が高塔にやってきていました。ある日、広場におもむろにポン菓子の機械を据え付け始めます。すると、近所の子供達がお米を持って集まるのです。少しばかりのお金を渡すと、持ってきたお米をポン菓子にしてくれるのです。
 お菓子が無かった時代、ポン菓子のような素朴なものをよく食べていました。今普通にあるお菓子の一つであるチョコレートはその当時、板チョコしかなく年に2度ほどしか食べることができませんでした。銀紙に包まれた板チョコは最高に美味しかったものです。
 祭典の準備をされた方々、お疲れさまでした。

  バケツリレー式にお菓子を         明日のお祭りで配るお菓子袋
  袋詰めしている子供会の方々  
 


田布施町 麻郷 高塔 祇園牛頭天王社祭典 2016

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 昨日は、祇園牛頭天王社祭典の準備をしました。今朝は祭典当日です。早朝会場である祇園牛頭天王社に、昨日準備したものを運び上げました。夕方雨が降ったため、祠までの山道は少しばかりぬかるんでいました。そのため、滑らないように気を付けながら、運びました。私は主に運び屋さんでしたが、他の担当の方々は会場作りをしました。例えば、紅白の天幕を張ったり、お供え物を飾ったり、お汁粉の準備などです。

   荷物を運んだ軽トラ    紅白の天幕を張る方々     祠前に飾られたお供物
  

 会場の準備が終わり祭典が始まる直前に、高松八幡宮の宮司さんがお見えになりました。少しして、厳かに神事が始まりました。今年の新1年生は8人(1人欠席)です。出席した7人は、宮司さんの後ろに控えて大人しく座っていました。神事が進行すると共に、宮司さんから新一年生,自治会長,総代,そして参加された全員にお浄めがありました。

            高松八幡宮宮司さんの後ろに行儀よく坐った新一年生達


 そして、自治会長,総代さんなどによる玉串奉納がありました。神事が終わると、総代より乾杯の儀があり参加者全員が乾杯しました。続いて、平生町竪ヶ浜出身のひらお町民ムさんによる余興がありました。自分の口だけを使って演奏する音楽や歌などです。全国的なイベントなどにも出演している方とのことでした。

  総代による玉串奉納    ひらお町民サムさんの余興    新一年生による植樹
  

 余興が終わると、新1年生による恒例の植樹がありました。植樹された木を見ていると、私が子供の頃に親戚と山に行って植樹したことを思い出しました。「木が大きくなった30年後頃に伐採して、家を建てる木材にするとよい。」と言い聞かされました。しかしその後、植樹した山は人手にわたりました。私の植えた木はその後どうなったのでしょう。、

      抽選をしている方々            お汁粉を配膳している方々
 

 続いて、いろいろなイベントが開催されました。まず、祠前では抽選が行われました。私も抽選してみました。すると50番でした。景品はアラレにビールでした。ありがとうございました。祠より少し下がった場所にある会場では、お汁粉を配膳したり、綿菓子を作っていました。自分で作ることができる綿菓子が、子供達に人気のようでした。たくさんの子供達が並んでいました。

               子供達に大人気の綿菓子製造機


 お昼頃に祭典は終了しました。役員の方々は祭典の後始末をしました。運び込んだ、椅子,綿菓子製造機,発電機,天幕,お汁粉を作るためのコンロ,プロパンガス,神事に使ったものなどなどです。いったん山の麓に降ろして、後は軽トラックで高塔公会堂に運び込みました。そして、綿菓子製造機などを丁寧にお湯で洗いました。綺麗にした綿菓子製造機などを再び軽トラックに乗せて、社協の倉庫まで運んで返却しました。

祭典に使った用具を降ろす    綿菓子製造機を綺麗に    社協の倉庫に返却 
  

 祭典すべての後始末が終わると、役員などの方々は高塔公会堂に集まりました。そして、昼食休憩を取りながら、今回の祭典を振り返りながら慰労しました。最後にお酒や余ったあんこなどを、抽選で分け合うことになりました。私は、あんこをいただきました。ありがとうございました。家で、お汁粉か羊羹にして食べようと思います。

 ところで、同日麻里府では住吉神社のお祭りが行われていました。お神輿が練り歩いて賑やかだったそうです。麻里府独特の、神輿同士をぶつけ合う暴れ神輿があったのではないでしょうか。田布施町にはいろいろな場所で地域に根差したお祭りがあります。各お祭りにできるだけ参加して記録を取ろうと思います。一種の記憶遺産として残したいので。

 今回の、高塔 祇園牛頭天王社祭典に参加された方々、役員の方々、お疲れさまでした。

     祭典の後始末を終え、ほっとしながら昼食休憩をしている役員などの方々
あ゛

毛刈りした羊の原毛を脱脂して、いよいよ毛糸作り

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 先日、田布施農工高校で羊の毛刈りを見学させていただきました。この時、毛刈りした羊の原毛をいただきました。今回、いただいた原毛を加工して毛糸にする作業を始めることにしました。まず最初に、原毛は油分が付いているため脱脂することから開始します。脱脂するために、洗面器にお湯を入れて、その中に中性洗剤を混ぜ合わせました。その中に、必要分の原毛を浸します。この時の注意事項として、絶対に揉んではいけません。一時間程度浸していると汚れや油分が溶け出します。汚れた水をいったん流します。そしてもう一度、同じように石鹸水を作って、原毛を浸します。

 中性洗剤をお湯に溶かす     汚れを洗い流す      風通しよい場所で乾燥
  

 再度汚れを捨てると、原毛に付いた石鹸水を水で完全に洗い流します。その後、滴り落ちるまま濡れた原毛を乾燥します。この時も、力任せに絞ってはいけません。風が当たるように乾かすと良いでしょう。また、乾燥中に時々ほぐすようにしながら上下を入れ替えると良いでしょう。約一日で自然に乾燥します。ドライヤーなどで強制的に乾かすと原毛を痛めます。
 乾燥が終わると、見違えるように原毛は綺麗になっています。所々に付着したゴミなどは手で取り除くか、ハサミ切り離します。汚れが落ちていないようであれば、再度洗浄を繰り返すと良いでしょう。

             乾燥し、見違えるように綺麗になった原毛


 乾燥させた原毛は毛が互いに絡みついています。その毛をまっすぐにして、さらにフカフカにします。綿は弓のようなもので弾いてフカフカにしますが、羊の原毛はカードと呼ばれる針がたくさん付いたブラシですきます。カードには手で持って使うものや、手で回す方式のものがあります。手で使うものが、安価で使いやすいです。プロ向けには、手回し式や電動式のものがあるようです。

    カードですいて原毛をフカフカに       紡錘車(スピンドル)に巻きつけ
 

 カードを使って原毛をフカフカにすると、いよいよ原毛を糸にします。この時、紡錘車(スピンドル)を使います。原毛を少しずつ繰り出すようにしながら、原毛をよじるように紡錘車を回すのです。気長な仕事ですが、のんびりやれば帽子かマフラーを作ることができる量の毛糸ができると思います。郷土館で仕事をしている時、気分転換に時々紡錘車を使って毛糸を作ってみようと思います。久しぶりの糸繰り作業のため、紡ぎ方などをだいぶ忘れてしまいました。思い出すのが大変です。
 この紡錘車、世界各地(主に低開発国)で今でも使われています。実は、古代の田布施町でも使われていました。去年、中心に穴が空いた丸いせんべいのような石が発掘されました。この石は、中心の穴に棒を差し込んで使う紡錘車だったのです。その後、日本では紡ぎ車が発明されたため紡錘車は廃れてしまいました。
 なお、郷土館に展示されている通称「タヌキの糸車」は、糸紡ぎのための骨董具(紡ぎ車)です。紡錘車よりはるかに効率的に糸を紡ぐことができます。そのうち、この紡ぎ車か、似たようなものを作って使ってみようと思います。

      原毛を少しずつ繰り出しつつ、かつ紡錘車を回しながら毛糸にする

宿根ヒマワリの苗を移植

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  突然、宿根ヒマワリの苗が我家に到着しました。この1月か2月に注文していたのでしょう。すっかり忘れていました。ヒマワリと言うと、真夏に顔以上の大きさの花が咲きます。ヒマワリは夏を代表する花です。そのヒマワリに宿根性のものがあるとは知りませんでした。カタログを読むと、キク科のロドンゴールドと呼ばれる品種です。

   届いた三つの苗         植穴に苗を移植          水をたっぷりかける
  

 この宿根ヒマワリ、これまで育てたことがありません。成長後の高さや、花の大きさ、種ができるかなど、さっぱり分かりません。なぜ、この苗を注文したのか忘れてしまいました。せっかくなので、日当たりの良い花壇に苗を植えてみました。どんな花が咲くのか楽しみです。

              届いた宿根性ヒマワリの苗を三つ並べて移植

萌黄色の新緑の季節、虫たちの羽音

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 5月初日、我家の周りは新緑で一杯です。林の中に足を踏み入れてみました。冬の間は日光が地面まで差し込んでいましたが、今は少し暗くなりました。その理由は、木々の頂上に芽生えた若葉が日光を遮り始めたからです。これから少なくなるであろう木漏れ日を感じながら林の中に分け入りました。

             木漏れ日を感じながら、明るい林の中を散策


 林を抜けて我家の庭の隅を歩いていると、柿の若葉がすっかり出そろっていました。葉はまだまだ幼いようで、下から見上げると太陽が少し透けて見えます。これから、どんどん葉は固くなります。去年の秋、美味しい柿の実を採集することができました。隔年収穫の柿は、今年は実がならないと思います。我家の柿は種なしの美味しい柿ですが、なっても数個ではないでしょうか。

    若葉が生えそろった柿          透けてみえるユウゼンケヤキの若葉
 

 倉庫の近くを歩いていると、ある木の周りで何匹ものハチのブンブン言う羽音が聞こえてきました。その木はユウゼンケヤキです。この木は幹から蜜が出るのでしょうか、虫がたくさん集まります。これから夏にかけて、もっとたくさんの虫が集まります。幹の穴の周りに、ハエ,カナブン,カブトムシ,クワガタ,ハチ,チョウチョ,アリなどが集まります。さながら、虫たちの酒場のようです。集まった虫たちで、たいへんな賑わいとなります。

             何匹ものハチの羽音が聞こえていたユウゼンケヤキ

オシロスコープの切れた電源ランプを取り替え

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 ラジオの修理に欠かせないオシロスコープの電源ランプが切れてしまいました。切れたからと使えないわけではないのですが、電源を入れているのか切っているのか分かりません。朝から大雨でしたので農作業はできません。そのため、家に籠って修理することにしました。最初、オシロスコープの外側筐体(ケース)を外しました。二つのネジを外すと、スルリとケースが外れました。こうして、オシロスコープの本体とケースを分離しました。

   光らない電源ランプ   ケースの二つのネジを外す   本体とケースを分離
  

 本体内部を見ると、オシロスコープの構造が良く分かります。上部にある細長い管はブラウン管です。テレビのブラウン管は薄くするため電磁力線で電子を偏向しています。しかし、オシロスコープのブラウン管は電気力線で電子を偏向しています。そのため、細長い構造をしています。なお、ブラウン管は真空管の一種です。

            細長いブラウン管とフィラメントが切れた電源ランプ


 本体を露わにしたついでに回路をチェックしてみました。すると、真空管とトランジスタの両方を使用したハイブリッドな構成でした。確か、私が高校生の頃に購入したオシロスコープです。回路には懐かしいトランジスタが使われています。それは、東芝製のNPN型トランジスタ型番2SC372です。今標準的に使われているのは2SC1815ですが、当時は2SC372だったのです。私も良く使いました。トランジスタ以外に、これまた懐かしい真空管6AQ8(双三極管)が使われていました。

        懐かしいNPN型トランジスタ2SC372と真空管6AQ8(双三極管)


 ところで、電源ランプはフィラメントが光る6.3Vタイプのいわゆる電球です。しかし、特殊タイプの口金でした。そのため、私が持っている電球の口金は合いません。
 やむなく、雨の中をこの電球を買いに行きました。しかし、同じ規格の電球はありませんでした。そこで、同じ口金の電球を売っているカー用品コーナーに行ってみました。しかし、同じ規格の電球はありませんでしたが、同じ口金で12Vの電球がありました。電圧が違うので弱くしか光りませんが、これしかないためこの電球を購入しました。

 フィラメントが切れた電球   下:故障電球,上:私の手持ち    購入した12V電球 
  

 電圧が違うため、光るかどうか心配でした。しかし、弱いながらも光ってくれました。この程度光ってくれたら十分です。この電球を取り付けました。ケースを本体に取り付け、電源スイッチを入れるとやんわりと赤く光りました。この次に電球が切れた場合、LEDランプに取り替えようと思います。
 このオシロスコープは、私が青春時代の頃から使っている大切な一品です。その後現れたシンクロスコープは測定周波数に同期してくれますが、このオシロスコープは手動で同期しなければなりません。そのため使いずらいのですが、まだまだラジオ修理などに現役で活躍しています。

       光ってくれた新しい電球            やんわりと赤く光る
 

クリーン作戦に備えて、我家の側溝際を草刈り

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 かつて「道普請」と呼んでいた一斉の近隣大掃除は、今「クリーン作戦」と名前を変えています。このクリーン作戦に備えてでしょう、このところ草刈りする人が目立ちます。そのため、クリーン作戦当日はほとんど草が刈られており、めぼしい草を刈るだけです。私も、草刈りする音に背中を押されて、我家に隣接する際を草刈りしました。

     草が生えた我家の側溝際           草刈り後の我家の側溝際
 

 今回は、一番刈りにくい側溝際の草を刈りました。側溝の深さは1.5m以上あります。しかも、コンクリート製のため落ちたら大変です。足を踏ん張るようにしながらの草刈りです。昔はタナゴや貝が住む清流だったのに、どうしてこんな汚く危険なドブ側溝にしてしまったのでしょうか。昔を知る私としては残念でたまりません。

     側溝横に繁茂した草              草刈りを終えた側溝横
 

 側溝際の草刈りをしていると、側溝向かいの畑で近所の方が種まきをしていました。草刈機のガソリンが切れた時、休憩ついでにその近所の方と側溝を挟んで雑談しました。ところで、今は亡き父親は木を植えるのが好きで、この側溝際に五月やツツジなどをたくさん植えました。植えたのは良いのですが、今では育ち過ぎて草刈りの邪魔になっていました。それで・・・・

               今回草刈りをした側溝際、西日が当たる


 ある時、近所の方に側溝際の五月やツツジなどを伐採することを伝えました。ところが思いがけないことに、その五月やツツジなどの花が咲くのを楽しみにしているとのこと。そのため、伐採することを止めました。我家からは見えないツツジなどの花、近隣の方から大切に思われているのですね。

         伐採しようとして止めたツツジ、たしかに綺麗ではあるが

草刈り後、ピーマンの苗を植える

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 この連休は、ほとんど毎日が草刈りです。昨日は側溝際を中心に草刈りしましたが、今回は家から西側にある畑や斜面を草刈りしました。刈った草屑が当たらないように防護メガネをしているのですが、頭やほほに当たることがあります。特に枝端が顔に当たると、とても痛いので困ります。それでも午前中に斜面周辺を綺麗に刈り取ることができました。

             綺麗に雑草を刈り取った我家西側の斜面


 午後はあちこちを散策後、我家に戻って夏野菜であるピーマンの苗を植え付けました。今年は、黒マルチをして植え付けることにしました。真夏に雑草に覆われることが多かったため、今年は雑草対策として黒マルチを使ってみました。まずは、いつものように耕運機で耕した後、肥料を入れ、クワとレーキを使って鞍型に畝を整形します。そして、その上に黒マルチを張りました。

   耕耘機で畝を耕す    クワとレーキで畝を整形     黒マルチを被覆
  

 ピーマンの苗は近くのDIYのお店で購入しました。たくさんの品種があるので悩みましたが、ニューエースと呼ばれる品種にしました。40g位の実が成る品種だそうです。作りやすいとの触れ込みで買ってみました。張った黒マルチに、やや広幅に穴を開けて植え付けました。

 黒マルチの両脇を土寄せ    購入したピーマン苗     丁寧に苗を植え付け
  

 去年は種を蒔いて育苗しました。しかし、今年は忙しくて育苗する時間がありませんでした。そのため苗を購入したのです。55円/苗でした、種を購入するよりは割高ですが、育苗にかける時間と手間を考えればこんものかなと思います。来年は、例年のように種をまいて育苗しようと思います。明日は雨との天気予報ですので、移植後にジョロで水をまきませんでした。今後は、支柱を立てたり摘果したり害虫を取ったりする世話が待っています。

                 植え付けたピーマン(ニューエース)の苗

 6月から秋にかけて、美味しいピーマンを収穫できそうで楽しみです。今後は、ナスやトマトの苗も購入して植え付ける予定です。さらに、残りの草刈り,夏野菜.里芋,サツマイモ,桃の袋がけなどの農作業がメジロ押しです。サツマイモは8日頃に苗が到着予定です。10日頃にサツマイモの植え付けをしようと思っています。ジャガイモの草取りや土寄せ作業もありますし、小麦畑に防鳥網をかける作業もあります。農作業が多く、優先順位をつけるのが困るほどです。
 ところで、ピーマンはよく味わうとわずかに苦みがあります。この苦みが子供の頃は苦手でした。私が思うに、ピーマンを美味しく食べることができるようになった時、人は子供を卒業するのではないでしょうか。子供舌から大人舌へ。

           黒マルチに穴を開けてピーマンの苗を次々に移植


田布施町 国木の西迫,真殿,畑方面の史跡調査(1/2)

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 このところ、仕事などが忙しくてなかなか自分の時間が取れませんでした。今回久しぶりに史跡調査に出向きました。出向いた場所は田布施町の国木方面です。最初に行ったのは西迫と呼ばれる地域です。今西田布施納所にある浄泉寺は、今から450年位前(戦国時代)は西迫にあったのです。八尋石八幡宮もかつては西迫にあったとのこと。その跡を探しに石迫に行ったのです。
 たまたま、西迫の峠に近い場所を歩いていると、風化した古いお地蔵様や墓石などがたくさん置かれた場所を見つけました。道の傍にあるのですが、これまで気が付きませんでした。

    風化したお地蔵様や石柱         門でしょうか、二つの石柱
 

 面白いのは、門のような石柱が二つあるのです。その門から入った場所にお堂のようにも見える建物がありました。地区の集会場のようにも見えます。鍵がかかっているようで、玄関は固く閉まっていました。近くに誰もいなかったので、これらの地蔵墓石群や建物について聞くことができませんでした。
 これまでの史跡調査経験から江戸時代以降の痕跡はなんとか残っていることが多いのですが、浄泉寺のように戦国時代の痕跡を探すのはとても困難です。なお、お地蔵様がたくさん安置されているため、八尋石八幡宮の痕跡ではなさそうです。

                二つの石柱近くに、お地蔵様群


 続いて、蓮華寺近くのお堂に行きました。車が行きかう峠にお堂はあります。そのお堂の中には、お地蔵様が安置されていました。どうも大師堂にように思えます。ですが、これまた近所に誰もいなかったため正式なお堂の名前を聞くことができませんでした。

 蓮華寺近くのお大師堂?     不思議で小さな石室    地蔵様が置かれた石室内?
  

 そのお堂の近くに、小さな階段があり道が上に向かっていました。その階段を登ってみることにしました。このような無人の階段上によく祠があります。その階段を上に行くと、草が茂った山道が上に続いていました。そのうち竹が茂って道が分からなくなりました。とにかく、山の上に向かって200m位どんどん藪をこいで進みました。

          山の頂上付近に、静かに鎮座していた祠または神社


 すると、壊れた石室があちこちに見つかるのです。最初、小さな古墳の石室かなと思いましたが、あまりにも小さすぎます。その石室内を覗くと、お地蔵様が安置されていたのでしょうか、石の台のようなものがありました。これらの石室は何なのでしょうか?

        このような石室が次々に現れる、いったい何の石室


 壊れたたくさんの石室を見ていると、はたと思い出しました。それは、近くにある蓮華寺の入口に安置されているたくさんのお地蔵様の言われです。これらのお地蔵様はその昔、西国三十三観世音菩薩として近くの山に祀ってあったそうです。その山が荒れてお地蔵様が埋もれてしまったため、15年位前に、そのお地蔵様を蓮華寺に移したとのことです。壊れた石室内に、このお地蔵様は安置されていたのではないでしょうか。

 このような石室が山のあちこちに         蓮華寺の小さなお地蔵様群
 

 とは言え、これらの壊れた石室内にお地蔵様が安置されていたことが事実かどうか分かりません。これらの石室はかつて巡礼かお詣りの対象だったのかもしれません。高齢化に伴い山にお詣りできない人が増えて、荒れ果ててしまったのでしょう。でも、祠や神社は神道です。なぜお地蔵様なのかが分かりません。近日中に蓮華寺か近隣の方々に確認しようと思います。

             今回史跡調査のため散策した国木周辺

田布施町 国木の西迫,真殿,畑方面の史跡調査(2/2)

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 続いて真殿地区に行きましたが、真殿に来たのは初めのことです。集落の上の方に、薬師堂があるとのことで、どんどん坂道を登りました。すると、お堂のような、集会所のような建物がありました。一見しただけでは、屋根瓦が綺麗な普通の平屋にも見えます。そこで、近くで花の手入れをしている方にお聞きすると、やはり真殿の薬師堂とのことでした。屋根が綺麗なのは、去年瓦をやりかえたからとのことでした。屋根が朽ちているお堂が少なくない昨今、この薬師堂は地域の方々に大切にされていることが分かります。

              去年屋根をやりかえた真殿の薬師堂


 ガラス越しに中を見学させていただきました。すると、向かって左側に薬師如来でしょうか小さな仏像が安置されていました。そして、向かって右側には神棚が二つ飾ってありました。お話しを伺うと、荒神様と地鎮様のようです。真殿では今でも、荒神様と地鎮様が、一年に一度それぞれ当屋が順番に回っているとのこと。そして、3月に当屋の交代時にこの薬師堂でお祭りをするそうです。また、かつては蓮華寺のご住職様がこの薬師堂に説法をしに来ていたそうです。しかし、去年ご住職が亡くなってからは説法が無くなったそうです。詳しく聞く時間がなかったため、後日再訪してお聞きしようと思います。

 石垣の上方に薬師堂       安置された薬師像      神棚に荒神様と地鎮様
   

 真殿薬師堂から急坂を降りると、これまた初めての畑地区に行きました。最初、峠近くの山道から入ろうとしましたが通れません。そこで、ラブホテルが並ぶ通りを下った場所で畑地区に入りました。田んぼ跡がたくさんありました。その道を行くと、小さなお地蔵様が一体、少し行くと二体のお地蔵様が道傍に安置されていました。

             畑地区、たくさんの田んぼ跡と民家が数軒


 お地蔵様二体の道傍にある家の方に、お話しをお聞きしました。すると、常時畑地区に在住する方は二軒だけとのことでした。そして連休の時だけ帰宅している方がいるとのこと。
 ところで古い地図によると、畑から西千坊山に登る古道があります。その古道についてもお聞きしました。すると、今はもう草木が茂って登れないだろうとのことでした。かつては、この道を通って室津方面へ行ったそうです。その古道の道端に、あと二個所にお地蔵様があるそうです。谷筋の山道を登りつめると、西千坊山駐車場の横に出るとのことです。

  一ヶ所目のお地蔵様      二ヶ所目のお絵地蔵様    橋を過ぎた所のお地蔵様
  

 そこで、古道を進んでみました。小さな橋があり、その橋の手前に最奥部の民家が1軒ありました。その橋を渡って進むと、二体のお地蔵様がありました。向かって右のお地蔵様は首がありませんでした。さらに進むと、谷筋に古道が延々と続いていました。その古道の途中に、もう一ヶ所お地蔵様があるはずです。しかし、草木がだいぶ繁茂していたため、今回はここで止めました。
 畑地区を出ると、西千坊山尾根筋にある駐車場に行ってみました。この駐車場近くのどこかに畑から続く古道があるはずです。しかし、尾根側からは古道の出口を見つけることができませんでした。この冬にでも再度畑の古道に来てみようと思います。

               今回史跡調査のため散策した国木周辺

絹さやエンドウ豆とスナップエンドウが収穫時期を迎える

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 先月支柱を立てた絹さやエンドウ豆,スナップエンドウ豆,そしてグリーンピース。前者二つは収穫時期を迎えました。これからは、次々に豆が成るため毎日のように収穫しないといけません。2.3日収穫しないでいると、例えば、絹さやエンドウ豆の場合は豆が大きくなりすぎて筋っぽくなり食べることができなくなるのです。

         左から、グリーンピース,絹さやエンドウ豆,スナップエンドウ


 ところで、絹さやエンドウ豆とスナップエンドウ豆を収穫しながら、花も楽しみました。面白いのは、グリーンピースとスナップエンドウ豆は花がとてもよく似ています。それに対して、絹さやエンドウ豆は花がとても綺麗なことです。スイトピーとそん色ないと思います。

 グリーンピース豆の花     絹さやエンドウ豆の花    スナップエンドウの花 
  

 毎年収穫していて失敗するのは、絹さやエンドウ豆です。収穫時期が狭いのです。ちょっと収穫が遅れてしまうと豆が大きくなります。スナップエンドウもやや収穫が遅れないようにします。少しでも遅れると、鞘が硬く筋っぽくなるのです。一方、グリーンピースは豆だけを食べるので少しぐらい遅れても大丈夫です。
 なお、、絹さやエンドウ豆もスナップエンドウ豆も収穫が明らかに遅れたからと言ってがっかりする必要はありません。グリーンピースのように、豆だけを収穫して食べる手があるのです。

   収穫中の絹さやエンドウ豆            収穫中のスナップエンドウ豆
 

雨の中、濡れ咲いているジャーマンアイリスなどの花

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  今の季節は花の端境期のため、花の種類は多くありません。今の時期は、春の花は散っていますし、夏の花はまだ咲いていないのです。雨の中、少ないだろうとはいえどんな花が咲いているか、我家の周りを探してみました。
 まず、一番元気に咲いていたのはジャーマンアイリスです。ジャーマンアイリスにはいろいろな花色があるようですが、我家には3種類程度しかありません。そのジャーマンアイリス、大粒の滴が花びらにたくさん付いていました。重そうな滴でした。

            大粒の滴がたくさん付いた、ジャーマンアイリスの花


 次に、梅雨の時期によく咲くムラサキツユクサです。一輪だけ紫色の花が咲いていました。中学生の頃だったでしょうか、花粉管内の細胞の動きをよく観察した花です。ハナショウブともカキツバタとも言われるアヤメも綺麗に咲いていました。実はアヤメ,ハナショウブ,そしてカキツバタの違いをよく知りません。5月、菖蒲湯として葉をお風呂に浮かべます。子供が小さいころ、菖蒲の葉を浮かべたお風呂に入ったものでした。そして、庭の隅で、雨に打たれながらナデシコの花が咲いていました。

   ムラサキツユクサ        アヤメ             ナデシコ
  

 雨音を聴きながら花壇を歩きました。すると、3月に苗を植えけたジギタリスが1株だけ花を咲かせていました。ホタルブクロによく似たピンク色の花びらです。雨の滴がたくさん付いていました。黄色の花を咲かせようとしている株もありました。残りのジキタリス、どんな花を咲かせてくれるのでしょうか。楽しみです。ただ、今年は株を養生しようと思うので、少ししたら花柄を切除しようと思います。たっぷりと根に栄養を蓄えて欲しいので。

           ホタルブクロに似た、ジキタリスのピンク色の花びら

田布施川 麻郷高塔と人島を結んだ幻の人島橋

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 田布施町と平生町の境にある田布施川、かつて人島橋と呼ばれる幻の橋があったことを知る人が少なくなりました。昭和50年(1975年)頃の写真を整理していると、私が写した人島橋の写真がありました。昭和30年代はまだ渡ることができた人島橋、昭和50年頃は朽ち果てて橋脚だけが川に残っていました。その橋脚だけになった姿が、写真に残っていたのです。

          かつて田布施川に架かっていた、幻の人島橋の位置


 この人島橋の名前は、平生町側の人島地区に由来します。今の人島地区は平野ですが、江戸時代以前には島だったのです。つまり、高塔と竪ヶ浜の間は煌々たる海で、その海の中に人島と呼ばれる島がありました。江戸時代を通じて、開作のため人島は崩されてしまいました。開作がほぼ完了した文化9年1812年に橋が架かりました。その頃、八海橋はまだ無く渡船場の船で行き来していました。

            橋脚だけとなった人島橋、〇は壊れた船(昭和50年頃)


 人島橋近くの田布施川の中州には悲しい歴史があります。それは、戊辰戦争で活躍した奇兵隊が反乱を起こし、捕まった隊士が処刑された場所なのです。私の祖母の言い伝えでは、この中州で行われた処刑を、祖母の母、つまり私の曾祖母が見ていたのです。もしかして、この橋の上から見たのかも知れません。別の言い伝えでは、処刑直後、夜な夜な、首がない我が子の遺体を背負って帰る母親がいたとのこと。田布施に住んでいる方ならば、家に幕末に関わる言い伝えが少なからず一つ二つあると思います。
 昭和30年代、田布施川の堤防沿いに茅がたくさん植えられていました。夜に堤防沿いを通ると、茅が風に揺れて不気味でした。私が子供の頃、中州近くの堤防道を歩くとき、息を止めて早く通り過ぎるように言われました。それは、悲しい刑場話の名残だったのかも知れません。

    刑場があった中洲(昭和50年頃)      八海近くに放置された船(昭和50年頃)
 

 なお、人島橋跡の高塔側に一体のお地蔵様が安置されています。向かって左側に人島橋架橋(文化9年)の石碑が建っています。右側には再架橋(昭和2年)の石碑が建っています。不思議なことに、お地蔵様には何の文字が何も刻まれていないです。言い伝えでは、処刑された隊士を弔うためとのこと。しかし、犯罪人として処罰された隊士を公に弔うことができません。そのため、無記名のまま有志が安置したのではないでしょうか。

       今では、石碑だけにしか痕跡が残されていない人島橋(昭和50年頃)

たそがれリンちゃん、ナスの苗を植え付け

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 夕方、夕日が我家に差し込んでいました。ふとを見ると、猫のリンちゃんが夕日の中でたそがれていました。大都会の東京で生まれ、4年前に山口県の田布施に移住してきたリンちゃんは、田舎暮らしを満喫しているようです。トカゲ、モグラ、小鳥、バッタなどをよく捕まえます。
 ところで、猫は物思いにふけることなどあるのでしょうか。リンちゃんは老猫(13歳)です。子猫の頃などを思い出す事などあるのでしょうか。自分と言う概念はあるのでしょうか。過去や未来の概念がないだろう猫って、自分の生き方をどう思っているのでしょうか。ふと自分がリンちゃんだったならば、と思ってしまいました。

            夕日に当たりながら、たそがれているリンちゃん


 ところで、午前中草刈りをして、午後は城南犬田にある犬田大師堂などについていろいろ調査をしました。これから調査報告を書かなければなりません。情報量があるので、書き上げるにはしばらくかかりそうです。
 ところで、数日前にナスの苗を購入していました。しかし、このところの雨で作業が延期していました。今回ようやく晴れたため、城南犬田から帰るとナスの苗を植え付しました。なお、去年は種から苗を育てて植え付けしました。そのため去年は、植え付けが5/末に遅れてしまいました。

  三本クワで畝を耕す      黒マルチで畝を被覆       今年ナスを育てる畝
  

 事前に耕運機で耕していた畝ですが、雨で柔らかくなっていました。その畝を三本グワで起こすように耕しました。そして、肥料をまき,鞍型になるように盛り上げ,レーキでなだらかに整形し,黒マルチで被覆しました。続いて、黒マルチの両サイドを土寄せして固定しました。最後にナスの苗を植え付ける穴を開けました。、

           数日前に購入したナスの苗、雨で植え付けが遅れる


 黒マルチに穴を開け終ると、いよいよ苗を植え付けました。ボットから苗を取り出すと、黒マルチの穴に窪みをつけます。その窪みにナスの苗を押し込むようにして入れます。苗の株元には土寄せをしました。さらに、黒マルチの穴に隙間がないように土を被せました。昨日の雨でだいぶ土が湿っていたため水はやりませんでした。今後はナスの世話が欠かせません。例えば、追肥をしたり倒れないように支柱が立てることなどです。

 ポットから苗を取り出す     黒マルチの穴に植え付け    植え付けが終わった畝
  

桃などの果樹を中心に下草刈り

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 すべての敷地を草刈りするには日数がかかります。農家ではないため、一日中草刈りする時間はありません。今回は我家の北側にある果樹園(桃,ビワ,スモモ,ブルーベリー,ザクロ,渋柿)を中心に草刈りをしました。その中で桃は、つい1ヶ月前は花が満開で、樹木全体がピンク色に染まっていました。しかし今、花は散り樹木の下は雑草が繁茂しています。

                雑草が繁茂した桃、足の踏み場がない


 この桃の近くには、3年前にいただいたブルーベリーが植えてあります。あまり肥料を与えておらず野放しのため、育ちが良くありません。そのため、すっかり雑草の中に埋没しています。ブルーベリーを傷めないように注意しながら草を刈り取りました。一昨年、誤って一本のブルーベリーを刈取ってしまい、枯れてしまいました。ものぐさな私には、育ちが遅いブルーベリーは合わないようです。

   雑草だらけで地面が見えない桃の下         刈取りが終わった桃の下
た 

 桃の枝を良く見ると、実が少しばかり大きくなっていました。もうそろそろ袋掛けをしなければなりません。袋掛けをしなくても実は育つのですが、小鳥や虫に食べられてしまいます。特に、熟す頃には桃特有の甘い匂いが虫を呼びます。カブトムシ,カナブン,そしてスズメバチなどが来ます。ちゃんとした桃を収穫したいならば、袋掛けは必須です。なお、隣りに植えてあるスモモは、甘い匂いをあまり出さないためか虫はほとんど来ません。ザクロも虫がやってきません。

                草を刈取り後、すっきりした桃


 果樹園の周辺も草刈りしました。里芋が育つ畑周り、我家から作業小屋に降りる小道、シイタケの圃場まで行く小道などです。我家の周りをほとんどを草刈りしましたが、山は手付かずです。せめて、夏に一度は尾根道だけでも下草刈りしようと思います。できれば、笹も刈り取るとよいです。郷土館や発明クラブなどの仕事が増えたため、農作業とのバランスが今年は難しくなりそうです。

    ザクロ周りの草刈り完了              作業小屋までの小道
 


清々しい日差しの中、桃の袋掛け

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 予約していたサツマイモの苗が届いたため、その苗を植え付けすることにしました。ところが、植え付け予定の畑に行ってみると、一昨日降った雨のため畑はじくじくでした。そのため、2日ばかり延期することにしました。その代りに、桃の袋掛けをすることにしました。サツマイモ畑から我家の果樹園に移動しました。

              桃の袋掛けをしているEさん姉妹


 サツマイモ苗の移植作業を手伝ってもらう予定だったEさん姉妹とNちゃんに、桃の袋掛けを手伝ってもらうことにしました。最初に私から、桃の袋掛けの要領を説明しました。
 まずは桃の枝を見てもらいました。1つの枝に1つの桃がなるように袋掛けすることを説明しました。つまり、1つの枝の中で1番良さそうな実を一つ選びます。そして、残りの実は全て摘果するのです。そして、選んだ1粒の実だけに袋を掛けるのです。

   実を袋で包む        袋の口をねじる         袋掛け完成
  

 袋を掛ける時、最初袋で実を包むように覆います。次に、袋の口には針金が入っているのですが、この針金をねじり込むようにして口を固定します。針金のねじり込みが弱いと、ちょっとした風で袋が外れてしまいます。良い実を選んで他の実を摘果することと、袋の口をしっかりとねじり込み固定することが、桃の袋掛けの大切なポイントです。

  枝の余分な実を摘果     最初は低い枝から袋掛け    摘果した桃の実
  

 その昔、桃を包む袋は新聞紙で作りました。不要になった新聞紙を袋にするのです。袋にする方法は、新聞紙を適度な大きさにハサミで切ります。そして、のりしろ部分にご飯を溶かして作った糊を塗るのです。最後に糊を塗った新聞紙を折り込んで袋にするのです。
 高塔地区にはかつて、桃の生産組合がありました。今の時期、高塔のどの山でも袋掛けをしていました。我家では、親戚を集めて袋掛け作業をしていました。そして昼になると、桃の下で輪になり重箱を開いて楽しく食べたものです。

     高い所は脚立を利用              桃の木陰で休憩
 

 毎年、初夏になると桃を出荷していました。形や色が良い桃を選んで、木の箱に入れて柳井の市場に出荷していました。虫の食い跡があったり、形がいびつな桃は包丁で切って砂糖水で煮ていました。缶詰にするためです。缶詰めに入ってる桃は、実は2級品であることが多いのです。そのため、私はあまり桃の缶詰は買いません。桃に限らず、梨,リンゴ,ミカンなど、実のままでは売れない2級品又は大量に余ったものを缶詰にすることが多いのです。
 桃を栽培していたのは昭和40年頃までです。桃だけでは収益が不安定でした。そのため、昭和40年頃桃を止めて、酪農を営むようになりました。

         我家が営んでいた広大な桃園、ただをこねている子供は私


 さて、Eさん姉妹とNちゃんのおかげで、ほんどの桃に袋を被せることができました。ありがとうございました。7月初めには美味しい桃を収穫できると思います。手伝っていただいた方々には、お礼の意味も込めて何個か差し上げて美味しく食べていただこうと思っています。
 今栽培しているのは、早生と晩生の品種です。前者は、小ぶりですが早く収穫できます。後者は、収穫時期はやや遅いものの大きくて甘い白桃です。今年はどんな美味しい桃が収穫できるか、とても楽しみです。

             桃の緑と空の青に映える、白い桃袋

2日延期、サツマイモ苗の植え付け

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 2日延期した今日、サツマイモ苗の移植作業をしました。サツマイモの品種は安納芋です。この芋はやや作りにくく、例えば天候が悪かったりすると収量がとても少なくなります。しかし、焼芋にすると、透けるような黄色に焼け、しかもとても甘いのです。私はサツマイモの1級品だと思います。この安納芋以外にも、蜜芋と呼ばれる品種も甘いです。蜜芋は8年前に栽培したことがあります。今では、毎年のように安納芋を主に作り続けています。

  畑の最南端の畝に黒マルチを被覆        40cm間隔で黒マルチに穴開け
 

 さて、今年は畑の最南端の一角(東西方向)をサツマイモ用の畑にしました。これまで、雑草が生えほうだいの無管理だった一角です。しかし、日当たりが最高に良い場所です。サツマイモ栽培に向いているのではないかと思い、今年になってから耕耘機で何度も耕して畝にしました。三本グワで土を盛り、レーキで鞍型に整形しました。そして、黒マルチを張り、巻尺を使って正確に40cm間隔で穴を開けました。

  畑の南北方向の畝      三本クワで土を盛る     黒マルチ両サイドを固定
  

 次に、畑の南北方向の畝の一つを、今年もサツマイモ栽培用にしました。耕耘機で耕し、三本グワで土を盛り、レーキで鞍型に整形し、黒マルチを張りました。そして、正確に40cm間隔で穴を開けました。
 黒マルチは草が生えないためのものですが、唯一欠点は植え付け直後、まだ根付かない苗が熱で干からびることがあります。移植後の苗を守るため、刈取った草で遮光します。苗が根付いた後、草は早期に取り除きます。

               サツマイモの苗を次々に移植


 いよいよサツマイモの苗の植え付けです。私は次のように植え付けています。穴に棒を斜め横下に20cm位差し込んで穴を開けます。その穴に苗を差し入れます。差し入れ終わると、穴をつぶすように押さえて穴の周りに土を寄せます。さらに、黒マルチの穴全体にも土を盛ります。特に黒マルチ内の熱風が出ないように隙間なく盛ります。最後に、サツマイモ苗を草で覆い遮光します。

  左は草で遮光済、右は植えた苗       苗を植え付けつつ、草で覆い遮光
 

 今回は40本の苗を植え付けました。植え付け完了後、木陰にシートを敷いて休憩をとりました。麻郷公民館祭りで売るサツマイモは100本です。一つの苗から3本以上の芋が収穫できれば、100本の芋を十分調達できます。この秋、去年のような楽しいサツマイモ収穫パーティーができればと思います。今回、サツマイモの苗を植え付ける作業を手伝ってくれた、Eさん,Nちゃん,A君ありがとうございました。

           最後の苗を植え付け完了、このあと木陰で休憩

上関町 楽しかった八島ウォーキング(1/4)

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 いつものように、今回は楽しく八島の史跡を巡るウォーキングをすることができました。午後から天気が悪くなるとの天気予報でしたが、思ったより良い天気でした。雨が降り始めたのは夕方でした。歩いたコースは、先月の下見ウォーキングとほぼ同じコースです。

  かみのせき丸に乗船      波を立てて進む船      30分後八島に到着
  

 上関町室積港に9:50に集合しました。今回参加したのは14名です。10:05発のかみのせき丸に乗船して八島に向かいました。今回は、下見時より波が静かでした。私は船尾に坐って、船から出る白波を見ながらのんびり坐っていました。30分位して八島港に着きました。最初、片道4kmある道を歩いて、八島の北にある八島神社に向かいました。途中、ヘビ,ムカデ,死出虫などを見ました。珍しいことにアサギマダラも見ました。良く観察すると、キツネノボタンの花に止まって蜜を吸っていました。

   八島神社に向かう       途中で水分補給      八島神社に到着
  

 八島神社に向かうためには山越えをしなければなりません。下見の時よりも季節が暑くなっています。そのため、山越えの途中で水分補給のための休憩をとりました。山を越えると、下り坂になります。その下り坂の途中に、八島神社への分かれ道があります。その分かれ道を50m位進むと一ヶ月ぶりに来る八島神社です。八島神社本殿前で、八島,八島神社,そして古浦の歴史などについて皆さんに説明しました。

          与島や長島などを見ながら、古浦港跡の岸壁で楽しい昼食


 下見時は八島神社の祭礼がありましたが、今回は静かな誰もいない神社でした。本殿は閉まっていました。本殿回りを散策後、参道跡を降りて古浦の砂浜に出ました。この頃になると、お腹がすいてきました。そのため、今回は古浦港跡の岸壁に腰をおろして昼食をとりました。昼食を取りながら、眼前に広がる与島や長島を遠望しました。昼食後は古浦の砂浜を歩いて、与島の突端に行きました。

   古浦の岸壁を歩く      古浦の砂浜に出る      砂浜の向こうに与島
  

上関町 楽しかった八島ウォーキング(2/4)

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 元々の予定では、与島を少しでも歩いてみることにしていました。しかし、昼食時間が楽しかったため、少しばかり時間オーバーしてしまいました。そのため、与島の突端ではあまり時間を過ごすことができませんでした。与島の崖を見上げたり、東にみえる平郡島を見ながらわずかな時間を過ごしました。そして、八島港に戻ることにしました。

             平郡島をバックに、与島突端東側小石の浜で


 古浦海岸は八島一番の景色だと思います。特に与島に通じる砂浜は、浄土浜を思わせるような景色のように思います。夏休み、ここにキャンプ場があったのが納得できます。綺麗な砂浜を見ながらのキャンプや海水浴は素晴らしいと思います。ここ数年、キャンプ場を閉鎖しているでしょうか、砂浜にたくさんの漂着物が残っているのだけは残念なことです。

               浄土浜を思わせるような、素晴らしい古浦の砂浜


 与島を後にすると、砂州のお地蔵様群に向かって戻りました。山を越える道をどんどん歩くと、自然に汗が出ます。山の中腹で、立ったまま休憩し水分補給をしました。初夏に近い季節なので半袖にしないと暑くてたまりません。このような時、楽しい話題で談笑しながら歩くに限ります。一時間しないうちに砂州に到着しました。

    汗ばみながら山道を歩く          山の中腹で、立ったまま休憩
 

 砂州に戻ると、最初にお大師堂に行きました。扉を開けて、安置されているお地蔵様を拝みました。いつ頃この大師堂は建てられたのでしょうか。砂州に並んでいる八十八のお地蔵群はこのお大師堂を一番にしています。お地蔵群が安置された昭和三年でしょうか、それともそれ以前でしょうか。いろいろ聞きましたが、知っている方はこの八島にはもうおられないようでした。さらに、一番のお地蔵様はどれなのか知っている方もおられないようでした。

   砂州のお大師堂      お大師堂内のお地蔵様     並んだお地蔵様群
  

 お大師堂を出ると、みんなで八十八のお地蔵様群の並びに沿って歩きました。下見時には草が繁茂していましたが、今回綺麗に刈取りしてありました。しかも、刈られた草が外側に出されていました。後で分かったのですが、今回私たちが来ることが分かっていたためか、高校時代の同級生S(旧姓)さんのお兄さんが事前に草を刈り取ったとのこと。芝生のように綺麗に刈られて、とても素晴らしく手入れされていたお地蔵様群でした。このお地蔵様群のように、地元の大切な史跡が守られているととても嬉しくなります。同級生S(旧姓)さんのお兄さん、ありがとうございました。お地蔵様達もきっと喜んでいると思います。

      草が芝生のように綺麗に刈られ、より素晴らしくなっていた地蔵様群

上関町 楽しかった八島ウォーキング(3/4)

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 砂州のお地蔵様群を見た後、港に戻ることにしました。途中、広く長い湾に出てみました。今回は波が静かだったので、油石が波に洗われてゴロゴロ言う音が全く聞こえてきませんでした。耳を澄ませると、引き潮でコロコロ言う音がかすかに聞こえました。やはり、大波でないと音が大きく聞こえないようです。

              西に港を見ながら、油石がぎっしりの湾を散策


 八島に来ることはもう無いかもしれません。そのため、油石の中から一番平らで丸い石を選んで持ち帰ることにしました。海岸には丸い石がごろごろと無数にあるので、簡単に目的の石が見つかるかと思いました。しかし、なかなか見つかりません。しばらく探して一つ見つけました。丸くすべすべした触り心地の良い丸石です。八島の思い出が詰まったその丸石を、リュックの中に仕舞い込みました。

  今回は静かな湾        港近くの蛭子神社      旧八島漁場組合の建物
  

 今回は波が小さいため静かな海岸。その静かな海岸の堤防に沿って港に向かいました。港に付くと、トイレ休憩しました。そして、蛭子神社,旧八島漁業組合,八島唯一のお店などを経由して八島ふれあいセンターに向かいました。歩きながら、家のあちこちに描かれた漫画絵を鑑賞しました。

    壁に書かれた鮮やかな漫画絵        八島唯一のお店で買物
 

 八島ふれあいセンターの手前で、川口健二ミニ絵画館に寄りました。しかし、畳を入れ替えている職人さんだけが忙しそうに働いていました。管理人さんがいないため、ふれあいセンターからすぐに浄慶寺に向かいました。途中、曲がりくねった道に迷ってしまいました。その時、港でお話をした方に運良く出会い、道を教えていただきました。感謝!

           瀬戸内海でよく見られる石垣の道を浄慶寺に向かう

 瀬戸内海沿岸の多くの家は、潮風から家を守るため高い石垣に囲まれています。3月に探訪した上関町白井田なども狭い道と石垣に囲まれています。八島も同様に、先祖が組み上げた石垣がここかしこにありました。何百年もの時をかけて石垣を組み上げてきたのでしょう。その昔、各島には専門の石垣職人がいたそうです。八島にも、家を作るための石垣,棚田を作るための石垣,ため池を作るための石垣,港湾の石垣などを作る石垣職人がいたのではないでしょうか。

          1ヶ月ぶりの浄慶寺、挨拶をした後本堂に上らせていただく

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