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Channel: 東京里山農業日誌
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刈り取りが少し遅れた紫大麦

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 秋に種まきをした紫大麦の収穫をしました。本来ならば、小麦よりも先に収穫しなければなりません。今年は仕事が忙しくて後回しになってしまいました。小麦よりも少量しか作っていませんので、食べるよりも来年用の種にします。今は、食べることよりも、より紫色のものを選別することに力を注いでいます。

          穂,長いのぎ(トゲ),そして茎が紫色の大麦


 ところで、刈り取り方法は小麦と同じです。稲刈機を使って刈り取ります。量が少ないため、農作業小屋で干しています。大麦は特にのぎ(トゲ)が長いので、服の間に入り込むとチクチクと刺してかゆくてたまりません。ビニール製の合羽を着て作業すると、のぎが入り込むことが少ないようです。

 稲刈機で刈り取り          紫色の穂         紫色の茎
  


子供達、羊の原毛を毛糸にする体験

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 郷土館には時々子供達が遊びにやってきます。何度か来ていると仲良しになります。今回やってきた子供達に、先日田布施農工高校でいただいた羊の原毛を毛糸にする体験をしてもらいました。初めて羊の毛を見たのでしょうか、最初は綿だと思ったようです。なお、使った原毛は洗浄済みのものです。
 最初、カードを使って原毛を柔らかくふかふかにする体験です。子供は一度興味を示すと覚えるのが早いものです。原毛を何度も裏返ししながら漉くと、最初はごわごわしていた原毛がだんだんふかふかになります。

            カードを使って原毛をふかふかに


 ふかふかにした原毛を今度は、スピンドル(紡錘車)と呼ばれるクルクル回るコマのような器具を使って毛糸にします。これまた、子供達は面白そうに回しながら毛糸にする体験をしました。一定の太さの毛糸にするのはなかなか年季がいります。しかし、今回は体験なので、途中で糸が切れたり、太さがバラバラになるのはかまいません。「夏休みの宿題としてやってみたら?」と言うと、まんざらでもなさそうでした。とにかく興味を持ってもらったのは良かったと思います。

    カードでふかふかにした原毛、これをスピンドル(紡錘車)で毛糸に


 とかく郷土館や資料館は古いものを展示してあるだけのことが多いものです。しかし、今回のように古い手仕事を町民に体験してもらうことも大切な仕事だと思います。去年行った亥の子や石臼体験もその一環です。
 なお、スピンドル(紡錘車)は古代の遺物として田布施町内でも時々発見されます。それほどに古代では一般的な道具でした。スピンドル(紡錘車)を使ってみることは、古代田布施の手仕事を体験することと同じだと思います。スピンドル(紡錘車)は、日本では糸車の発明によりすたれてしまいました。しかし、今なお世界中で使われてます。

        スピンドル(紡錘車)を使って、ふかふかの原毛を毛糸に

上関町 戸津(へつ)の戸津八幡宮を散策

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 今回、上関町戸津(へつ)地区の戸津八幡宮に行きました。2月末の上関桜まつりに行った時に白井田地区に行きましたが、その時に行き損ねた八幡宮です。とても気になっていたため、今回この八幡宮に来てみました。

           北西側にお寺が見える戸津地区の街並み


 最初戸津八幡宮は普通の神社ではないかと思っていましたが、意外に変わった神社でした。まず、後宮が新たな屋根や柱で囲まれていることです。その工法は、平群島の早田八幡宮後宮と同じ工法ではないかと思われます。

  戸津八幡宮と石鳥居      戸津八幡宮       後宮を囲む屋根と柱
  

 もっと驚いたのは、拝殿の構造です。普通の神社はほとんどが神殿作りです。しかし、この戸津八幡宮の拝殿は、茅葺屋根と同じように屋根裏が見えるのです。屋根の中央に何本もの柱が集まるような構造なのです。今は無くなってしまった茅葺屋根を彷彿させる珍しい作りでした。

           茅葺屋根を彷彿させる戸津八幡宮の拝殿


 さらに、屋根は茅葺構造ですが、屋根の側面は土壁のしっくい構造なのです。普通の神社の拝殿ももともとはこのような構造で、天井を設けて神殿作りにしたのかも知れません。こんな所で茅葺構造を見るとは思いませんでした。日本の建築技術の特徴の一つは、木の曲がりを生かすことです。この戸津八幡宮拝殿を作った宮大工は、いい仕事をしたと思いました。

   柱が屋根中央に集まる屋根構造          屋根側面は土壁
 

乗ったのは何年ぶりだろうか、寝台列車

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 何年ぶりのことでしょう寝台列車に乗ったのは。仕事が終わった次の8日早朝、寝台列車は横浜に着きました。そして、9日に山口県にトンボ帰りして、10日に山口市に出張です。やれやれ忙しい日々です。定年退職後のんびり生活が待っていたはずなのに、このせわしなさは、いったいなんでしょう。

          久しぶりに乗った寝台列車 列車名「サンライズ瀬戸」


 私が知っている寝台列車は10年位前?に廃止された富士やあさかぜです。いらゆるブルートレインです。あさかぜは窮屈でしたので、富士が私のお気に入りでした。いったい何度寝台列車に乗ったことでしょう。40年位前のある日、寝台列車の食堂である出会いがありました。心がちくりと痛む思い出です.
 今回乗ったサンライズ瀬戸、ずいぶんと進化したものです。とても寝やすくて、揺れる列車がゆりかごのようでした。ぐっすりと寝てしまいました。朝7時頃に横浜で下車しました。駅構内でモーニングサービスを朝食としました。

   寝間着付きの部屋       寝台列車の車窓       モーニングサービス
  

秋葉原、散策がてら電子部品を購入

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 久しぶりに秋葉原に行ってきました。昔はひなびたラジオ部品街だったのが、今ではフィギュア,パソコン,萌え喫茶などが謳歌しています。やれやれ、私が散策する範囲が毎年のように狭まっています。私が一番好きだった秋葉原は、まだ鉄道博物館があった頃でした。鉄道博物館で売っている駅弁を食べながら休憩することが癒しでした。

        レトロな鉄人28号、なんだか周りの景色から浮いている


 最初行ったのは秋葉神社です。江戸の昔からあったそうで、お社が数年前に建て直しされました。お社前の銅版に由来が刻まれていました。秋葉神社を過ぎると、お決まりの秋月電子に行きました。今回は、この秋に子供達に工作してもらう予定のICラジオの部品をいくつか購入しました。いろいろな部品棚に入った部品を選んで、買い物かごに入れました。40年前と比較すると、部品の種類が増えかつ量も増えました。秋月電子は、昔も今も電子工作が好きな方々の殿堂です。

  建て直した秋葉神社      秋月電子入口         たくさんの部品棚
  

 さて、今回私が購入した部品はICラジオ工作のためです。まずは、低価格で制作しなければならないため、とにかく安い部品を探しました。例えば、コンデンサや抵抗は袋入りのものを購入しまた。例えば、100kΩは100本入りが100円です。つまり、1個1円です。コンデンサ0.1μFは10個100円です。つまり1個10円です。一番重要なAMラジオ用ICは4個100円です。つまり1個25円です。また、バーアンテナはそのまま買えば、1個200円位します。しかし、子供達にフェライトコアに線を捲かせれば60円で済みます。安い部品を求めて秋葉原中を歩き回り、疲れました。

            今回購入した、AMラジオを試作するための部品


 お昼過ぎ、御茶ノ水のあるレストランに入ってチキンのグリル焼きを頼みました。その料理を食べている時のことです。隣の席を片付けていた給仕さんが、誤ってコップを倒し水や氷がこぼれてしまいました。私はとっさに「お昼過ぎて、疲れがピークだよね。お疲れ!」などと彼女を慰めました。少しびっくりした様子でしたが、照れ笑いしながら少し嬉しそうに「すいません」と小さく会釈してくれました。
 私はこれまで、事務,組み立て,音楽演奏,家庭教師などのバイト、そして設計,部品試作,営業,販売,ホームヘルプ,深夜介護などの仕事をしてきました。仕事や子育てなどに一生懸命な人を見ると、何か自分の過去に重なるものを見ます。そして、いつも応援したくなるのです。
 食事を済ませると、八王子の我家に向かいました。

  秋葉原ラジオデパート      秋葉原ラジオセンター       JR秋葉原駅
  

暗唱劇(太宰治原作:走れメロス)を鑑賞

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 本来ならば郷土館1日勤務でしたが、同級生N君演じる暗唱劇(太宰治原作:走れメロス)を鑑賞するため、午後は勤務を交代してもらいました。場所は田布施町図書館の2階会議室です。一昨年の1人芝居講演会は鑑賞できましたが、去年12月の朗読会は発掘調査現地説明会の方に行ったため行けませんでした。そのため、今回は入念に勤務計画を立てて鑑賞できるようにしました。

   走れメロスのパンフ       受付を済ませる       会場に来られた方々
  

 今回鑑賞したのは、太宰治原作:走れメロスを題材にした暗唱劇です。本番前に3ヶ月をかけて暗唱したり練習したりしたそうです。衣装は古代ローマの装束を取り入れていました。ところで、暗唱劇が終わった後に聞いたのですが、昨日よりも今回の方が良かったそうです。その昔、走れメロスは国語の時間か何かで学んだように記憶しています。しかし、当時はこの小説の訴えている内容を理解しようとしませんでした。

       走れメロスを一生懸命演じるN君、田布施町図書館2Fの会議室


 当時の私は、走れメロスのような訓話めいた話はあまり好きではありませんでした。そして、親,学校,先生,政治家など、いわゆる権威あるものを疑っていました。立派な話には裏があるのではないか、立派な話に心を汚染されるのではないかと、自ら遠ざけていたように思います。今思えば、偏屈な青年だったのですね。

    暗唱劇の終了        会場の後片付け        設備などは図書館外に
  

 N君の暗唱劇が終わると、みんなで後片付けをしました。片付け完了後、いったん解散して、午後6時頃喫茶スイートメモリーに集まりました。そして、今回の暗唱劇の反省を含めて、ご苦労さん会を開きました。美味しいサラダや手料理などに舌鼓をうちながら楽しく談笑しました。ほとんどの方が同級生です。小中高校の頃に戻って、思い出話などに花を咲かせました。

               暗唱劇(走れメロス)、ご苦労さん会

だいぶ遅くなった硬質トウモロコシの種まき

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 このところ何やかやで、トウモロコシの種まきがすっかり遅れてしまいました。去年は5月末に種まきしましたが、いくらなんでも6月中旬までには種まきをしなければなりません。種まきの基準の一つに夏至があります。夏至を過ぎると日中の時間が短くなり夜の時間が長くなります。植物はそれが分かるようで、7月を過ぎた頃に一斉に花を咲かせて種を付け始めます。例えば稲がそうです。

         草が生えた畑をトラクターで耕し、トウモロコシ畑に


 最初、低い雑草が生えた畑をトラクターで一気に耕してトウモロコシ畑にしました。耕耘機で丁寧に時間をかけて耕したいところですが時間がありません。効率良く耕せるトラクターを使いました。トウモロコシ畑が出来上がると、去年採種したトウモロコシの穂から種を取り出しました。手で強く握るようにして種をボロボロと外しました。
 次に、畝幅が1mになるように巻き尺を引きました。そして、30cm間隔で一つの穴に2,3個の種をまきました。背をかがめての種まきなので、そのうち腰が痛くなりました。1週間後頃には芽が出ると思います。

  種をボロボロと外す     かがんで丁寧に播種    一つの穴に2,3個の種
  

 私が毎年種をまくのは硬質トウモロコシです。いわゆる昔よく食べた硬いトウモロコシです。種がよく出回っているスイートコーンではありません。硬質トウモロコシは、あまり美味しいとは言えませんが、焼いて食べるか、粉にしてコーンスープにして食べると美味しいです。
 私は、トウモロコシに肥料は与えますが、農薬はいっさい使いません。そのため、毎年のようにトウモロコシの害虫であるアワノメイガに食害されます。それでも何とか一定量を収穫できています。去年は11月上旬に収穫しましたが、今年はちゃんと育って収穫できるでしょうか。

          種をまき終わった硬質トウモロコシ、腰が痛い!

子供に制作してもらう予定のICラジオ試作(1/x)

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この秋に、子供達に作ってもらおうと思っているICラジオの試作をしています。ラジオの一番重要な回路が同調回路です。同調回路は同調コイルとバリコンから構成されます。まずは基板は高価なため使いません。板に打った銅釘に電子部品を取り付けました。次々に電子部品を取り付け、同調コイルとして安価な200μHのコイルを取り付けました。しかし、これは失敗でした。

   銅釘に半田メッキ      バリコンなどを取り付け     各電子部品を取り付け
  

 同調コイルはバーアンテナではないため、電磁波を拾いません。そのため、アンテナ線を取り付けてみました。すると、Signal Generatorからの1MHzの電波をかすかに拾いました。しかし、選択度がさっぱりです。今後は、小型バーアンテナで試作しようと思います。
 今回のことで、安価にラジオを作ることはなかなか大変なことだと分かりました。今回のラジオは、電池BOX 30円,IC 25円,0.1μF 10円,0.01μF 10円,220μH 10円,1kΩ 1円,100kΩ 1円,セラミックイヤホン 180円,バリコン 240円,ダイヤル 60円です。セラミックイヤホンとバリコン関連だけで460円もかかります。同調回路をμ同調にすればバリコンは不要になりますが、難しいところです。 

             今回試作してみた安価なICラジオ


2回目藍の植え付け、オートミールの刈り取り

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 先月植え付けた藍の苗が順調に育っています。とは言え、苗の半分ほどは虫に食べられて枯れてしまいました。そして、こうなることを予想して再度種をまいて苗を育て、その苗を今回畑に植え付けました。

           先日植え付けた藍の苗、だいぶ大きく成長


 私はあまり農薬を使わないので、野菜にしろ花にしろ虫によく食べられます。虫に食べられるとがっかりすると同時に、怒りの気持ちが沸き上がってきます。しかし、私は農家ではありません。3割程度は虫や小鳥に食べさせてあげるという優しい気持ちになると、あまり怒りもおきません。それが農薬を使わない精神的なこつだと思います。

  再度育てた藍の苗       苗を数束引き抜く      苗1本ずつを移植
  

 さて、前回と同じように、藍の苗を1本ずつ畑に移植しました。巻き尺を利用して、30cm等間隔で植え付けました。このうち、数本は虫に食べられて枯れてしまうでしょうが、残りは元気に育ってくれると思います。7月から10月にかけての、4ヶ月で葉がだいぶ茂ると思います。その葉を収穫して生藍染めにしようと考えています。そして、冬の間に来年用の種を取っておこうと思います。

   30cm等間隔で植え付けた藍の苗      植え付け後、ジョロで水やり
 

 ところで、小麦や大麦は刈り取り済みですが、オートミール(裸性燕麦)はまだ刈り取りしていませんでした。麦の中で熟すのが一番遅いため、毎年この時期に刈り取りをしています。雨が降りそうな天気になったため、今回は稲刈機を使って手早く刈り取りをしました。刈り取った穂は、農作業小屋に干しました。

    雨が降りそうな天候のため、稲刈機で手早く刈り取りしたオートミール

元麦畑を耕耘、大豆・小豆畑に

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 先日小麦の刈り取りをしましたが、7月末にこの畑に大豆(枝豆)と小豆の種をまく予定でいます。小麦刈り取り後、だんだん雑草が生い茂ってきました。この雑草がより繁茂しないようにトラクターで耕耘しました。1度の耕耘で耕せるかと思っていたところ、ロータリーに負荷がかかり1度目は浅く軽くしか耕すことができませんでした。

   正面を向いてトラクターを進める       畑を耕すロータリー
 

 小麦の種をまいてから約半年、耕さなかった為に土が硬くなっていました。1度目は軽く大ざっぱに耕耘し、2度目に深く耕耘しました。大豆(枝豆)と小豆の種をまくのは、天日乾燥中の小麦の脱穀、そしてジャガイモの収穫が終わってからです。天候が不順でかつ仕事が忙しいため、なかなか農作業が進みません。草刈りも思うようにできず、全体的に遅れが出ています。

         2度目は深く耕耘、元小麦畑から大豆小豆畑に

今年も、美味しいスモモを収穫

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 6月も中旬になり、今年もスモモを収穫する季節になりました。毎年のことですが、スモモを収穫すると夏が来た事を実感します。スモモは桃に比べて小型で甘みが劣りますが、色だけは負けていません。熟し始めると真っ赤になり、早く食べてね!と私にアピールします。

            枝に鈴なりのスモモ、一つ一つ丁寧に収穫


 今回は初物のスモモを収穫しましたが、6月末には食べきれないほどスモモが枝に成ります。スモモをそのままにしておくと甘みが増すのでしょう、どこからともなく虫たちがやってきます。そして、スモモの実に穴をあけながら汁を吸います。虫たちに食べられたスモモは、最後にはポロリンと地面に落下するのです。

    美味しそうなスモモの赤        果肉は黄色、スモモ固有の甘み
 

 鈴なりのスモモのうち、赤みが濃い実を選んで収穫しました。その実を一つ食べてみました。とてもジューシーで、一年ぶりのスモモの果肉を楽しむことができました。まだ甘みが足りない気がしましたが、初物なので美味しく感じました。
 スモモはツルンとした艶があります。その綺麗な色を見ているだけで幸せな気持ちになります。果物をふんだんに時給できることは、お金では得られない贅沢ではないかと思います。そう言えば、スモモの隣のビワもそろそろ食べ頃です。

         今回収穫した初物のスモモ、見ているだけでも幸せ気分

原毛を紡いで、ようやくスピンドル1巻分の毛糸に

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 カードを使って原毛を柔らかくふわふわにした後、スピンドルを使って紡いで毛糸にする手作業を少しずつしています。疲れた時のわずかな時間つぶしに糸紡ぎをしているのです。素人なのですんなりと紡げませんが、それでも毛糸の長さが長くなるとうれしいものです。先日、郷土館に来た子供達にもちょいと体験してもらいました。

    原毛をカードでふわふわに漉く      ふわふわになった原毛、これを毛糸に
の 

 私は原毛を紡いで毛糸にすることに関しては全くの素人です。東京にいた頃、原毛から織りまでを教える先生をしている知人がいました。10年位前、田んぼで米作りを教えていた高校生をその知人に紹介して、原毛からマフラーを織るまでの体験を一緒にしました。その時は、スピンドルを使わないで足踏みの紡ぎ機を使いました。その時の高校生の一人、今では4人のお母さんになっています。うれしい事です。

  毛糸の終端に取り付け   引き出すように糸をつなぐ   スピンドルを使い紡ぐ
  

 この1ヶ月位かけてのんびり紡いで作った毛糸が、スピンドル一巻分いっぱいになりました。このままでは紡げません。巻き付けた毛糸をいったんほどいて、束にしなければなりません。
 私が子供の頃祖母に教えられて、毛糸を両腕でリズミカルに受け止めながら束にしたことがあります。しかし、この方法は二人いないとできません。来週この作業をEさんに手伝ってもらおうと思います。束にしたら、次は玉ねぎの皮か何かを使って染色をします。手仕事はめんどうなものですが、自分で作り上げる実感があるのはうれしいものです。

    素人の私が紡いだ、太さがバラバラなスピンドル1巻分の変な毛糸

小雨の中、裏山の下草刈り

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 ウォーキングをしようと計画していた日曜日、雨のため中止としました。朝8時頃に会員の方々に電話をかけました。来週の日曜日は私は勤務のため、勤務を交代できなければ再来週の日曜日となる見込みです。梅雨時期の今、雨で延期となるのは致したかありません。なお、電話が行き届かなかった場合を想定して、集合場所の交流館に9:30に行きました。しかし、誰も来なかったので安心しました。このように、年に1,2度雨で中止となります。

           最初、裏山への登り口から草刈りを開始


 さて、雨だからと家に引きこもってばかりはいられません。雨が収まった頃を見計らって、裏山の下草刈りをしました。主に笹ばかりの下草です。途中で雨が降ってきましたが、一度作業に火がついたら止めるわけにはいきません。小雨に濡れながらの草刈り作業となりました。

   胸の高さまで伸びていた雑草        通り道を優先して草刈り
 

 一日で裏山すべての下草を刈ることはできません。今回は、通り道を優先して草刈りしました。草刈りしていると、どこからか蚊が飛んできます。その防御のため長袖シャツを着るのですが、雨降りの日特有の湿度が高い日のため、しばらく作業していると汗が滝のように落ちてきます。それでも休んだのは、ガソリンを給油した時だけです。少々疲れました。
 今回は、次回から作業しやすいように、裏山の通り道の雑草をすべて刈り取りました。通り道をきれいにしておくと、次回から裏山全体の下草刈りがしやすくなりますので。

   笹が生い茂った通り道           笹を刈り取った通り道
 

雑草に埋もれ、忘れていたタマネギの収穫

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 この春から仕事などが急に忙しくなったため、農作業が遅れ気味です。遅れたのならまだしも、忘れてしまうことがあります。例えばタマネギです。収穫をすっかり忘れていました。去年の9月に種まきをし、11月に苗を移植し、雑草をとるなどの世話をしたのに、収穫をすっかり忘れていたのです。雨の中、たまたま畑の隅を回っていて、雑草に覆われたタマネギ畑を通りかかり思い出したのです。

           雑草をかき分けると、小さ目のタマネギがざくざく!


 本来ならば、茎がまだ残っているうちに収穫して軒下にぶら下げて保存します。しかし、収穫し忘れたタマネギは茎がすっかり枯れ腐っていました。そのため、ぶら下げるのではなく、筵か新聞紙の上に置いて自然乾燥・保存するしかありません。運が良いことに、タマネギ畑は雑草に覆われて日陰になっていました。雑草が生えていなかったら、直射日光に熱っせられて腐るところでした。

     収穫したタマネギの一つ      皮を取ると美味しそうなタマネギ
 

 収穫したタマネギの一つを朝食で食べてみました。私は調理はダメだし味覚も凡人なので美味かどうかは分かりません。しかし、自分で作ったタマネギのためか美味しく感じました。収穫したばかりなので、水分が多くシャキシャキしていました。計算上200個位のタマネギを作ったはずですので、次々に収穫して腐らないようしなければもったいないことです。今月中にはすべてのタマネギを収穫しようと思います。

            今回収穫した、一部のタマネギ

アメリカフヨウの苗を花壇に移植

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 私が好きな花の一つにフヨウがあります。特に、アメリカフヨウはハイビスカスの花を一回り大きくしたような花です。一昨年、そのアメリカフヨウの種を撒いたのですが、雑草に負けて枯れてしまいました。宿根性なので一度根付けば毎年花が咲くのですが、種から育てる時はなかなか育たないようです。八王子の我家に毎年ピンク色に咲くアメリカフヨウがあったのですが、家の建て替え時に無くなってしまいました。お気に入りの花でした。

           植木鉢で育てた大小二つのアメリカフヨウの苗


 一昨年の失敗に懲りて、去年アメリカフヨウの種を再度捲こうと思いました。ところが、種屋さんを探しても売っていなかったのです。そのため、去年は種を撒けませんでした。そして今年、やはり種を探しましたがありませんでした。そこで、インターネットで探すことにしました。今や、希少な種はインターネットの通販で探すに限るようです。

  苗を鉢から取り出す     植穴に苗を置く      土寄せして水をやる
  

 種は8粒位植木鉢に撒いたのですが、苗として育ったのは3本でした。その3本を丁寧に雨で降れた畑に植え付けました。今年は花を咲かせなくてよいので、ちゃんと根付いて冬越しして欲しいと思います。種袋を見ると、花色は赤,白,ピンクがあるようです。私の好きなピンク色があるといいのですが。

               植え付け終わったアメリカフヨウの苗


紡いだ毛糸をほどいて束に

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 羊の原毛をスピンドル(紡錘車)で紡いでいます。スピンドルいっぱいに紡いだので、いったんほどいて束にしなければなりません。ほどかないと、スピンドルが次の紡ぎに使えないからです。ところが、私はほどいて束にする経験がありません。そこでE姉妹に郷土館に来ていただいて、手ほどきしてもらいました。姉妹は子供の頃に手伝ったことがあるそうです。

   スピンドルから毛糸端を取り出す      腕を使って毛糸を束ね始める
 

 E姉妹を見ていると、ロープを束にする動作とほぼ同じでした。私はボーイスカウトにいた頃、いろいろなロープワークを子供達に教えたことがあります。その一つによく似ていました。今では、ほとんどのロープワークは忘れてしまいました。使わないと忘れてしまうものです。
 E姉妹は毛糸をほどいて束にする手作業をよく覚えていたものです。関心しました。自転車と同じで、子供の頃に体で覚えた経験は忘れないのでしょう。

    スピンドルいっぱいに巻いた毛糸を、ほどいて束にしているE姉妹


 記憶には大きく2種類あります。一つは読み書きなどの学習で覚える知識を中心とした記憶です。そしてもう一つは、手足などの体を使って覚える動作記憶です。前者は、年を重ねるにつれて、特に認知症などでどんどん忘れます。ところが、後者は忘れることが少ないのです。覚えていると言うよりも、体の反射として記憶されるようです。
 時々、自分は何から忘れていくのだろうかと思います。すでに忘れていることに気が付かない何かがあるのでしょうか。さて、私を含めて60歳以上の方々は、自分の終わりはどうなのだろうと時に不安を覚えることがあると思います。しかし、こればかりは自分の努力ではどうにもなりません。黙って天運に任せるほかはありません。でも、ひきこもって黙っていてはただ時が進むだけです。自分しだいでまだまだ充実した生活ができるような気がしています。例えば、たくさんの友を持つことや夢を持ち実行することも自分しだです。

  毛糸を束ねるEmさん     毛糸をほどくEtさん     気の合ったE姉妹
  

 私はかつて認知症専門病棟に勤務していたことがあります。その時、自分の子供や夫を忘れてしまったような認知症の方が何人も、器用に包丁を使ったりリンゴの皮をむいていました。知識,理性,知性,その人らしさなどを失っても、体で覚えた手仕事の記憶はいくつになっても忘れないようです。記憶のメカニズムが違うのでしょう。

          毛糸を束ねる作業もそろそろ終了


 E姉妹のおかげで、紡いだ毛糸を束にすることができました。ありがとうございました。この束ねた毛糸、量的にまだ少ないと思われます。そのため、あと1,2ヶ月かけてスピンドルでもう一巻き紡ごうと思います。それが終わったら、タマネギの皮か何か自然の素材で茶色か黄色に染める工程に入ろうと思います。藍を栽培しているので、青色もいいかも知れません。
 すべてが素人づくしの毛糸作りです。編めるところまで持ち込めるか心配です。

         束ね終わった毛糸、もう一束紡いで、次は染色

田布施町 城南川西地区の史跡を一部調査

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 秋に城南川西地区の史跡をめぐるウォーキングを計画しています。元々は去年の城南石ノ口方面史跡巡りウォーキング時に巡る予定でした。しかし、思っていた以上に宿井地域や石ノ口地域が広かっため、川西地区は今年に伸ばしました。最初柳井市余田方面に行こうかと思っていましたが、川西地区のまだ行ったことがない史跡をバイクで回ってみました。

  疫神社の案内板       疫神社の祠       寂しげな石の鳥居跡
  

 田布施町役場で用事を済ませた後、最初は川西の大田に行く途中に青い案内板がある疫神社に行きました。ここを訪れた理由は、その昔疫病が流行ったことに関わる神社ではないかと思ったからです。行ってみると、その通りでした。神社の説明版によると、寛政四年にこの地方に疫病が流行り死者が多く出たそうです。それらを救うため、この神社を建てたとのこと。

          城南川西地区の最北西端の薬師堂、薬師如来を祀る


 郷土館では八月、田布施町の江戸~昭和の自然災害について展示しようと思っています。この疫神社、展示にいただきです。江戸時代は飢饉が最大の自然災害でしたが、疫病はそれに続く災害だったようです。国木に天然痘が発生した記録があります。去年展示した「富永有隣」も、子供時代に天然痘にかかって片目が不自由になりました。当時、天然痘は恐ろしい疫病だったことでしょう。
 ところで、天然痘には、人だけにうつる人天然痘と牛だけにうつる牛天然痘があります。牛飼いの娘が一度軽い牛天然痘にかかると、人天然痘にかからなかったそうです。それをジェンナーが発見して種痘にしました。江戸時代の長州藩で使われた種痘はヨーロッパから伝わった牛痘だったようです。ところが、この牛痘は生きている菌のため、当時の医学では取り扱いがとても難しかったのです。一方で、天然痘は人にしかうつらなく、しかも中間宿主がいないため他の伝染病より根絶が容易です。そのため確か、天然痘は根絶されているとWHOが発表しています。

  倒木の古道に迷う       城南道端のお地蔵様    何かの道場かお堂
  

 疫神社を出ると、西山地区に行ってひっかり観音を見上げました。そして、田布施町の最北西にある地区の薬師如来を祀る薬師堂に行きました。川西地区にあるのですがとても離れているため、ウォーキングでは行けそうもありません。薬師堂に書かれた内容を見ると、かつて四国八十八箇所に行った方がおられて、その第六十七番大興寺の薬師如来像をいただいてきてここに祀ったのではないかと思われます。その後、使われていない古い道に迷ったすえ、光市を経由して城南に戻りました。

          森に溶け込むように静かな粟島神社

 城南に戻ると、線路を跨いで再び川西地区に戻りました。蓮成寺前の道を通って、ある建物に行きました。すでに廃止されている道場かお堂でした。建物内のお地蔵様などがすべて撤去されて空っぽでした。すぐ隣に滝行場更衣室の小さな建物がありました。滝の行をする場所があったのでしょうか。地元が方がおられなかったため確認できませんでした。続いて、その近くにある粟島神社に行きました。

             瀬戸地区のお地蔵様


 次に、瀬戸地区に入りました。最初瀬戸地区のお地蔵様を見学しました。瀬戸地区は城南を行き来する時に必ず通る地区です。気にしながらもいつも通り過ぎている祠について、近所に住むKさんにインタビューしました。すると、道端の祠は恵比寿様とのこと。祖父がずっとお世話をしていたとのことで、今は瀬戸地区の班長がお世話をしているそうです。八尋石八幡宮のお祭り時に、ここに宮司さんが立ち寄るとのこと。八尋石八幡宮のお祭り時、ぜひ来たいものです。

     瀬戸から見た東漸寺             瀬戸の恵比寿様
 

 Kさんと話をしていると、後井古墳の秋葉神社が話題に出ました。秋葉神社は竹部地区ではなく、上瀬戸と下瀬戸が一年交代でお世話しているとのこと。面白いのは、くじ引きで当たった人の家でご神体を一年間お守りするそうです。ところで、なぜ竹部地区ではなく、瀬戸地区が世話をしているのか分からないそうです。今回まで、私はてっきり竹部地区の方々がお世話しているとばかり思っていました。まだまだ田布施は知らない事ばかりです。

                                      今回散策した城南川西地区

冬越ししたサトウキビの生育状況

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 冬越ししたサトウキビ、今年も元気に育っています。ただ、相変わらず冬越し率が悪く2割位です。つまり、10本のうち2本程度しか冬越しできません。まだまだ失敗の繰り返しです。私自身、冬越しする良いノウハウを見つけることができていません。この秋にも、今年育ったサトウキビを冬越ししようと思います。

          冬越したサトウキビ3本、元気に生育中


 今生育中のサトウキビは分げつを始めています。次々に分げつして1株8本位に増えます。そのうちの6本程度の茎を収穫して甘みを楽しんでいます。残りの茎は知人の子供達に楽しんもらいます。収穫量がもっと多くなれば、沖縄のように抽出して黒砂糖を作ってみたいと思います。田布施産の黒砂糖、なんてGoodかも知れません。かつて、砂糖もろこしで水飴状の砂糖を作ったことがあります。トロリとして甘かったです。

            去年8月のサトウキビの生育状況


 私の母親の話では、昭和一桁時代(今から80年位前)に子供達は、自分用のわずかな畑をもらってサトウキビ※を作っていたそうです。そして、それをおやつにしたり、さらに売ったりしておこずかいの足しにしていたそうです。自分で作ったサトウキビを20cm位に切って、お祭りなどで売ったのです。大人もそれを承知の上で、路上で買っていたとのこと。わずかなおこずかいになったのでしょう。そのお金で、当時の子供達は何を購入していたのでしょうか。※母親の実家があった柳井市伊保庄では昔、砂糖もろこしのことをサトウキビと呼んでいました。

        分げつし3本になったサトウキビ、今後もっと分げつ


 サトウキビは冬、田布施では冬越しできないはずです。2年前に畑での冬越しを試みました。その方法は、畑のサトウキビの株のまわりに籾殻を積み、その上に土を盛り、さらにその上に雨が降らないように波トタンで覆いました。しかし、失敗しました。
 ところで今年、思わぬサトウキビが現れました。去年育てたサトウキビの株跡の一つから芽が出ていたのです。籾殻,土,そしてトタンで保護していないにも関わらずです。この変わった株を育てて、新たな冬越しにチャレンジしてみようと思います。

        去年の株から芽が出たサトウキビ、〇は去年の枯れた株

秋の種まきに備え、のらぼう菜の種子を採集

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 早春に葉や花柄を収穫したのらぼう菜、6月になりすっかり姿を変えました。葉はすべて落ち、茎とさやだけの異様な姿に変貌しました。今回、この秋に種まきするための種を採取しました。乾いたさやを取ってきて乾燥,そして種を取ります。

        のらぼう菜、伸びきった茎とカラカラに乾いたさや


 のらぼう菜の種には栄養があるのでしょうか、スズメや鳩がやってきて食べています。特にスズメは茎に止まることができるため多くやってきます。小さな種をついばんでいます。スズメはお米や麦を食べているイメージですが、実はいろいろな物を食べています。雑食なのです。ちいさな虫も食べています。

    さやを割るとたくさんの種         さやが付く枝を切る
 

 さやがたくさん付いた枝を選びながら枝ばさみで切りました。そして、集めた枝をビニール袋に入れました。今は雨が多くて天日干しできません。室内で自然乾燥させようと思います。そして、カラカラに乾いたさやから種を取り出します。その種を保存しておいて、秋に種をまいて苗を作り、畑に移植しようと思います。そして、来年もまた美味しい葉や花柄を食べようと思います。

        切り取ったのらぼう菜のさや、種粒が透かして見える
  

 のらぼう菜と菜種は同じ菜っ葉の種類なのでしょう、とてもよく似ています。私が子供だった昭和30年代、田畑ではたくさんの菜種が作られていました。春になるとどこの田畑も黄色に染まっていました。そして、今頃になるとその乾いたさやが集められていました。筵に置かれた乾いたさやを叩くと、筵の上にたくさんの種がこぼれました。その種をかき集めて出荷していたのです。その労働は春の風物詩でした。出荷した種は、製油所で蒸して油を抽出していました。菜種油です。

         集めたのらぼう菜の枝、カラカラに乾燥後叩いて採種

子供工作用の小型ICラジオの試作(3/x)

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 その後、ICラジオの部品や配置を変えながら、一番良い構成を検討し続けています。まず、選択性の改善として、バーアンテナのコイルから中間タップを取り、ICの入力側に接続するのです。すると、だいぶ放送局が分離して聞こえるようになりました。受信範囲をSGで測定してみました。すると、低い方は510kHzで問題ありません。ところが、高い方は2MHzでした。

   中間タップをICに    低い方、510kHz       高い方、2MHz
  

 さらに、出力側のコンデンサ0.1μFは0.15~0.2μFにした方が発信が少なく安定することが分かりました。なお、音質は良好ですが、音声出力が小さいためセラミックイヤホンでは、小さな音でしか聞こえません。1石追加して増幅した方が良さそうです。このICラジオ、ストレートのため電波の強弱がそのままです。まだまだ改善点があります。

        選択性が改善されたICラジオ、まだまだ改善要

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