何度も下見が延期になった柳井市の余田・新庄の史跡巡りウォーキング、予定通り実施することができました。当日の午前6時頃は大雨で、9時頃小雨になりました。天気予報では10時頃から晴れるとの予報で、ウォーキングを実施することに決めました。予想は当たりました。スタートした頃は小雨が降っていましたが、11時頃にはすっかり晴れました。晴れて良かった。
スタートした頃は小雨 流れ恵比寿を説明 極楽寺跡を見学
小雨の中、最初に訪れたのは灸川傍の流れ恵比寿です。柳井市の古い写真集には余田の流れ恵比寿として掲載されています。田布施の大波野かと思っていました?次に余田の極楽寺跡に行きました。このお寺は50年位前に廃寺になりました。どこのお寺も経営が難しいのでしょう。
極楽寺跡のお堂 岩国竪ヶ浜往還道碑 中村林道入口の地蔵様
極楽寺が廃寺になる時に作られたのでしょうか、すぐ上のお堂があります。古いお地蔵様が安置されていました。続いて、岩国~竪ヶ浜往還道の石碑を見学しました。江戸時代、竪ヶ浜は最も南の岩国藩領でした。次に、中村林道に入りましたが、その入口傍にあるお地蔵様を見ました。往還道を見守るために安置されたお地蔵様ではないかと思います。
竹藪に囲まれ、木漏れ日が降り注ぐ中村林道
中村林道は余田の中村地区から荒木に続く林道です。昭和50年に作られたと、中村林道石碑に刻まれています。中村林道は、竹藪に囲まれた、湿っぽく、木漏れ日が降り注ぐ静かな林道でした。30分位歩くと、中村地区に着きました。中村林道石碑を見た後、やや傾いたお堂を見ました。江戸の昔、お乳が出ない母親のために安置されたお地蔵様のようです。そのことが板に書かれていました。続いて、明顕寺に向かいました。
中村林道石碑 お乳のお地蔵様 明顕寺に向かう
柳井市 楽しかった余田・新庄の史跡巡りウォーキング(1/3)
アサギマダラが蜜を吸うフジバカマの苗を畑に移植
先日フジバカマの苗を、たくさんいただきました。フジバカマは、蝶のアサギマダラが吸蜜する花です。アサギマダラは渡りをする珍しい蝶で、日本と台湾などの間を渡るそうです。渡り鳥ならよく聞きますが、蝶が渡りをするのは珍しいと思います。
アサギマダラが蜜を吸うフジバカマの苗
この苗は、泊団地でTさん達が挿し木をして増やしたそうです。その苗をA君がもらい受け、我家にやって来たのです。元々、Tさんに苗をもらいたいと言っていました。フジバカマがどんな植物か分からないため、私流に植える事にしました。
雑草を刈り取る 耕耘機で耕耘 畝幅を計測しマーク
何も作っていない空いた畑を最初、草刈機で雑草をきれいに刈りました。そして、耕耘機で丁寧に耕しました。今日から梅雨明けとのことで、猛暑の中での作業です。汗が次から次へと流れてきました。
フジバカマの苗を50cm間隔で移植
育て方が全く分からないため、畝幅を勝手に1.2mとしました。1.2mに決めた理由は、もし雑草が生えてきても除草が楽だからです。また、蝶の観察がしやすいためです。畝幅のマーキングを済ませると、巻き尺を畝に張りました。そして、50cm間隔で苗を植えていきました。
苗を一つ一つ移植 根が出た苗 最後に水をかける
五つの畝にそれぞれ14本の苗を植えました。つまり、70本の苗を植えたことになります。植えた後、ジョロで水をかけておきました。フジバカマは元々雑草とのことですので、旺盛に活着すると思います。今年は花は咲かないと思いますが、来年は花が咲いてアサギマダラが来て欲しいと思います。アサギマダラは、八島で見たのが最後です。
去年の10月18日、小行司で見たアサギマダラ
柳井市 楽しかった余田・新庄の史跡巡りウォーキング(2/3)
暑い中、山道をもくもくと歩き続けると明顕寺に着きました。ご住職にご挨拶して本堂内を見学させていただきました。ありがとうございました。このお寺は江戸時代初期に建立されたとのことです。親鸞聖人の銅像がありました。山門がとても立派なお寺ですが、山門には鐘がありません。その理由をお聞きすると、戦時中に供出したためとのことでした。
明顕寺に到着 本堂内を見学 境内の休憩用ベンチ
明顕寺に着いたのは正午少し前です。明顕寺でお昼休憩をとることにしました。各自、好きな場所で座って楽しく休憩しました。30分位後、境内のあちこちを見学しました。手水石がとても立派なことに気が付きました。手水石と言うよりも、屋根付き手水所と言った方がいいでしょうか。明顕寺を出ると、ため池脇のお地蔵様と祠を見学後、大祖地区に入りました。そして、丘の上のお堂を見学しました。この頃になると、太陽が真上になり直射日光の暑いこと。
明顕寺本堂前で、今回の史跡巡りウォーキング参加者
大祖のお堂を見学後、いったん道を降りました。そして、再び積蔵寺に向かう上り坂を歩きました。この上り坂が今回の史跡巡りウォーキング最後の上りです。最上部の峠に登り、少し降りるとそこに積蔵寺があります。積蔵寺に着くと、ご住職が待っておられました。下見時に、ウォーキング時に再訪することをお伝えしていたので待っておられたのでしょう。
猛暑の中をひたすら歩く 大祖の丘上のお堂 積蔵寺に到着
積蔵寺の本堂内を見学させていただいた後、冷たいお茶をいただきました。ありがとうございました。続いて、ご住職より、このお寺の由来や、このお寺を訪れた著名人の紹介がありました。野口雨情,司馬遼太郎,小沢昭一,種田山頭火,先日亡くなった永六輔,そして江良碧松などです。30年位前に無くなったご住職のお兄さんは、こうした著名人と交流していたとのことでした。いろいろ、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
お寺の由来などを話されるご住職 ご住職のお話を拝聴
最も簡単な藍染め、藍の葉を使って直接布を染める
先日、虫が食害されて落ちた藍の葉を使って生藍染めをしてみました。その結果は、あまり思わしくありませんでした。染めたはずなのですが、発色が弱いのです。そこで、染まりやすいと言われる絹布を使って、今度は葉を直接当てて染めてみることにしました。
新鮮な藍の葉 藍の葉と絹布 金づちで布と葉を叩く
厚い板の上に、摘みたての新鮮な藍の葉を置いて、その上に布を敷きます。そして、その上から金槌で叩くのです。あまり強く叩くと布が傷みます。優しく弱く叩きます。金槌より木槌の方が良いと思います。布に葉の汁が浸み出るよう叩けばOKです。
布に染み出た藍の葉の汁、一部は青く染まり始める
ところで、一つ失敗しました。葉から浸み出た汁は板にも付きました。そのため、板の上に染まったような葉の跡が残りました。そのため次に、葉と布をサランラップで挟んで金槌で叩いてみました。アルミ箔でも包んで良いかも知れません。このようにすれば、布以外に汁が浸み込むことがありません。
葉と布をサランラップで挟んで金槌で叩く
汁が布に浸みてから1時間程度放置すると、少しずつ青みがかってきます。八王子に住む家内に聞くと、汁が布に浸みた時に灰汁かミョウバン水を吹き付けると、発色が良くなるのでないかとのこと。次の機会に試してみようと思います。
葉の形に染まった板 水で緑の色素を取る 洗剤で布を強く洗う
今回試したのは、最も簡単にできる藍染めです。濃い青色は出ませんが、うっすらと葉の形に染まりました。10月頃、田布施西小学校の放課後学習「西の寺子屋」で、子供達にこの藍染めを体験してもらう予定です。とにかく、薄い青ですが染まることが確認できたので、一安心しました。
ところで、竹尾の龍泉寺近くの山陰に、山藍と呼ばれる雑草が生えています。昔、この山藍を染料にしたとの話があります。いつか山藍を採集して、本当に染めることができるかどうか試してみようと思っています。
葉の形にうっすらと青く染まった布
柳井市 楽しかった余田・新庄の史跡巡りウォーキング(3/3)
江戸の昔、文字が書ける職業は三つありました。一つ目は武士、二つ目は商人、そしてお寺です。ただ、武士の中には数字は商人が扱うものだからと数字を卑下する人もいたとか。その点、多くのお寺は江戸時代に寺子屋を開くなどしていました。そのため、世界的に見て当時の日本は文盲率が低くかったのです。それが明治以降の近代化を受け入れる下地となりました。
積蔵寺のご住職のお話を拝聴
積蔵寺でご住職のお話をお聞きしたため、少しばかり出発が遅れました。積蔵寺を出ると、大祖荒神社を見学しました。大祖荒神社は大祖公会堂前の小高い丘の上に鎮座しています。この荒神社が最後の上り下りでした。続いて、新庄の田んぼの中を歩きました。
積蔵寺の三十三地蔵 大祖荒神社に向かう 大祖荒神社
新庄の広い田んぼを渡ると、セブンイレブンに向かいました。到着すると、私は冷たいアイスコーヒーを買いました。他の方々は、アイスクリームや氷菓子を買っていました。セブンイレブンで少しばかり休憩すると、広大な新庄~余田の田んぼの真ん中を歩きました。2km位歩いたでしょうか。日差しを遮るものが何もない田んぼの畔をもくもくと歩きました。
新庄~余田の田んぼを歩き、流れ恵比寿前の橋に到着
暑い中をもくもくと歩きましたが、仲間と冗談などを交わしながら歩いていると、じきに農協のライスセンターに着き、さらにあっという間に流れ恵比寿に着きました。流れ恵比寿脇を流れる灸川の橋を渡ると、もうすぐ終点です。
灸川から振り返った新庄・余田の田んぼ 終点の東田布施公民館
灸川の言われの一つに牛の灸があります。田植えが終わるころ、「さばら」と呼ばれる牛を大切にする期間があります。代かきなどで働いた牛を川に連れ出して、丁寧に水で洗うのです。その頃、たくさんの牛が今の灸川に集まったとか。その機会を利用して、牛の健康のために背中に灸をしたそうです。それが灸川の由来だそうです。波野地区は江戸時代、穀倉地帯でした。牛もたくさんいたに違いありません。
流れ恵比寿を過ぎると、山陽本線を横切り、さらに東田布施小学校の横を通って、終点の東田布施公民館に着きました。猛暑でしたが、楽しい史跡巡りウォーキングだったと思います。参加された方々、お疲れ様でした。8月はウォーキングはお休みです。9月に再開します。今後も楽しい史跡巡りウォーキングを予定しています。よろしくお願いいたします。
今回ウォーキングした、柳井市余田・新庄の史跡コース
秋冬キャベツ苗の植え付け作業(1/2)
猛暑の時期ですが、そろそろ秋冬野菜の準備をしなければなりません。今回はキャベツの苗を植え付けました。猛暑の今は、園芸店ではまだ苗を売っていません。先日ポットに植え替えをしたキャベツの苗を畑に植え付けました。まずは、苗を植え付ける畑を耕しました。
耕耘機で畑を耕耘 元肥料を畝に撒く 畝を鞍型に整形
この春までネギなどを植えていた畑を、丁寧に耕耘機で耕しました。そして、真ん中に肥料を施しました。そして、その真ん中を一度耕耘機で耕した後、クワを使って畝が鞍型になるように盛り上げました。そして、レーキを使ってきれいな鞍型になるよう丁寧に整形しました。
レーキを使って、畝がきれいな鞍型になるよう整形
畝をきれいに整形すると、黒マルチを張りました。そして、黒マルチの脇に土を置いて固定しました。我家ではそれほど多くのキャベツを消費しないので、12個のキャベツ苗を育てることにしました。やや大きくなるキャベツのため、余裕をもって株間を1mにしました。
黒マルチを張る 黒マルチの脇を固定 1m間隔で穴あけ
巻き尺を黒マルチに引いて、苗を植える穴を1m間隔で開けました。これらの作業は午後4時頃になってしたのですが、それでも猛暑のため暑くてたまりません。苗は明日夕方涼しくなってから植え付けることにしました。穴あけ、U字支柱を刺して、キャベツ苗の植え付け作業は終わりとしました。続いて、やり残した草刈りをしました。夏の草刈りは汗だくで疲れます。30分位で草刈りを切り上げました。
穴あけ後にU字支柱を刺して、今日の作業は終わり
秋冬キャベツ苗の植え付け作業(2/2)
次の日の夕方、キャベツの苗を植え付けました。ところが、苗の状況が思わしくありません。いつの間にか虫がついたようで、葉のあちこちに穴が空いていました。さらに、水やりを一度やり忘れてしまい、葉が縮んで枯れたようになっていました。私の手落ちです。
キャベツの苗を次々に移植
苗の中で比較的状態の良いものを移植しました。12個の苗を移植しました。植え幅間隔を1mではなく80cm位にすれば、もう2,3本多く植えることができました。しかし、我家は二人だけですので、12個のうち8個位しか育たなくても十分すぎるほどです。
虫に食われ縮れたキャベツの苗 白の寒冷紗を被覆
苗の植え付けが終わると、白い寒冷紗を畝に被せました。そして、その上を覆うように黒い寒冷紗を被せました。黒い寒冷紗を被せたのは、植えたばかりの苗を直射日光から守るためです。また、キャベツは夏の暑さに弱いので、畝を涼しく保つためでもあります。遮光率50パーセントですので、周りより涼しいはずです。
横に土を載せて白い寒冷紗を畝に固定
8月も終わりになり、気候が涼しくなれば黒い寒冷紗は取り外します。白い寒冷紗は、農薬を使わないための防除のためです。虫がいなくなる11月末に外します。そして、その頃に美味しいキャベツの玉が収穫できるはずなのですが、うまく育ってくれるでしょうか。今は、苗が夏の暑さに耐えて、しっかりと根が張ってくれればと思います。
白い寒冷紗の上に黒い寒冷紗を被覆 黒い寒冷紗が外れないようレンガを置く
田布施町 地域協力隊員による藍染め体験のお手伝い
この秋に、田布施西小学校の西の寺子屋で子供達に生藍染めを体験させる計画を立てています。そのために藍を育てているのですが、今年田布施にやってきた地域協力隊員のK君がある日郷土館にやってきました。
藍染めの方法を説明しているk君と、それを聞いている参加者の方々
彼は麻里府小学校跡地で藍染めを計画しているとのこと。私が藍染めをしていることをどこかで聞いたようで、彼の藍染めに協力することになりました。私は藍染め当日に、植物としての藍の解説や藍の葉を使って直接染める生藍染めの話をすることになりました。
持ってきた布を、楽しそうに藍染めする参加者の方々
藍染め当日の最初、k君は大きめのタライに水を入れ、続いて藍の染料が入っている袋を開けてタライに入れ始めました。入れるとさっと水が青く染まります。すべてのタライに藍の染料を入れ終わると、k君は藍染めの方法を参加者に説明し始めました。その時、私の紹介もありました。
最初、布を水洗い 藍が入ったタライに浸ける 最後に水洗いして乾燥
参加者には私の知った方々が多くいました。そのため、藍染めを見ながら談笑しました。私の見る限り、大人よりも子供達の方が興味津々で染めていました。藍は繊維を染色するのですが、気を付けないと飛び散った染料が皮膚も青く染めてしまいます。しかしながら、特に男の子は手袋をするのが面倒なのか、皮膚が青くなることが気にならないのか、しばらくすると手袋を脱ぎ捨てて染色に夢中になっていました。数日間手足が青いままとなりますが、毒ではありません。楽しい体験になったのではないでしょうか。
大人よりも子供達の方が藍染めに夢中、なんだか楽しそう!
藍染めが一区切りついた時、私は植物としての藍について解説しました。その説明のため、今育てている藍一株を植木鉢に入れて持ってきました。そして、タデ科であることや、葉が枯れるとやはり青くなること、タデ科固有の地味な花が咲き、種が取れることなどを説明しました。もし来年、種から藍を育てたい方には、この秋に私が種を採種して差し上げることにしました。持ってきた藍一株は参加者の一人に差し上げました。
男の子達も楽しそう お母さんと一緒に藍染め お母さんと娘達も
今回の藍染めは、染めることが中心で絞り染めなどはあまりしませんでした。しかし京都などで行われている本格的な藍染めでは、切り絵と糊を使って見事な模様を付けたりします。次回藍染めをするときは、絞り染めに加えて、蝋を使って模様を付けるなどするとさらに良いと思います。あるいは、藍以外の自然の染料を使ってみるのも良いかと知れません。子供達の夏休みの課題に染物を取り入れても良いかも知れません。
参加された方々全員が藍染めを楽しんでいました。暑い中、企画したk君も参加した皆さんもお疲れ様でした。
皆さんが藍染めした、乾燥中の布や服の数々
すこし早めの、秋ジャガイモの植え付け
この前、秋冬キャベツの苗を植えましたが、今度は秋ジャガイモの種芋を植え付けました。たまたま園芸店に行くと、種芋を売っていたので思い出しました。そろそろジャガイモを植える時期なのです。去年は8月末に植え付けましたが、今年は1ヶ月早い7月末の植え付けです。春にのらぼう菜を育てていた畝を、秋ジャガイモ用に転換しました。
雑草畑を草刈り 耕耘機で畑を耕耘 畝中央に肥料
春に植えるジャガイモは、種芋を適度な大きさに切断します。しかし、秋ジャガイモは切断しません。夏のため、切断口からバイ菌が入ってすぐに腐るからです。売っている種芋は小粒の種芋ばかりです。購入したジャガイモの品種は「出島」です。秋用のジャガイモです。私が好きな品種である「農林1号」は売っていませんでした。ちなみに去年は「おきな」を植え付けました。
肥料を畝に混ぜ込むため、耕耘機で畝の中央を耕耘
元々のらぼう菜の畝だった畑は雑草だらけでした。そこで、最初に草刈機で雑草を刈り取り、続いて耕耘機で丁寧に耕しました。そして、肥料をまいてから、再度畝の中央を耕して肥料を畝に混ぜ込みました。次に、畝の端から端へ巻き尺を引きました。
畝に巻き尺を引く 秋ジャガイモ「出島」 種芋を一粒ずつ置く
種芋を手に取って、30cm間隔で種芋を畝の中央に置いていきました。そして、最後にレーキを使って土寄せするように種芋の上に土を被せました。被せた土の暑さは5cm位です。お盆頃に芽が出るのではないかと思いますが、芽が伸びたころを見計らって土寄せしようと思います。そして、霜が降りる頃にジャガイモを収穫するつもりです。秋ジャガイモは育つ期間が短いので、あまり大きなジャガイモは望めません。ですが、冬の貴重な収穫物です。今年の冬も、美味しいジャガイモが収穫できるでしょうか。
レーキを使って、土寄せするように種芋の上に土を被覆
フジバカマと雑穀の生育が順調
仕事から帰ると、毎日1時間程度農作業をしています。今回は、最初に藍の除草と土寄せをしました。藍の周りを耕耘機を使って除草し、クワを使って土を藍の根元に寄せました。こうすることによって、今後大雨や台風がやってきても倒れることが少なくなります。
土寄せをしている藍 耕耘機を使って除草中
次に、1週間ほど前に苗を植えたフジバカマの除草をしました。植え付け後、一滴の雨も降っていないに元気です。葉がしおれたり枯れたりする様子が見えません。さすがに、雑草だけあって強いのでしょう。よく見ると、新しい芽が出ています。このまま、大きくなって、来年はぜひ花を咲かせて欲しいものです。そして、アソギマダラが蜜を吸いに来て欲しいものです。
新しい芽が出てきたフジバカマ
フジバカマの除草が終わると、種継ぎ用に植えていた雑穀の除草をしました。稗,シコクビエ,そしてアマランサスです。私が育てている稗は、田んぼに生えている雑草稗ではなく、江戸時代の田布施でもわずかに栽培されていた食用稗です。晩秋に採種しようと思っています。シコクビエは四国,中部,東北などの山地で栽培されていました。田布施では、栽培されていた記録がありません。アマランサスは、明治になってから日本に入ってきた比較的新しい雑穀です。
育っている食用稗 シコクビエ 種が極小のアマランサス
害虫アワノメイガに食害されるトウモロコシ、やれやれ!
6月中旬に種を撒いたトウモロコシ、雑草がだいぶ茂ってきたため除草しました。肥料をほとんどやっていないため、残肥料によるのでしょうか育ちに違いがでていました。それと、地面が湿っている畝は比較的育ちが良いのですが、乾き気味の畝は育ちが良くありません。不思議なことに、湿っている畝は日当たりが悪く、乾き気味の畝は日当たりが良いのです。
耕耘機で除草中のトウモロコシ畑
トウモロコシを除草しながら気が付いたのは、害虫であるアワノメイガが大発生していることです。この虫は、小さいときは葉の髄に入り込み、大きくなると芯の食い込むことです。今は葉の髄に入っているのですが、そのうち芯に食い込むと思います。芯を食い尽くすと、茎がポキリと折れるのです。この害虫はトウモロコシの髄や芯の中で育つため、農薬がほとんど効きません。とても困った害虫なのです。
アワノメイガに食われて穴だらけ 葉の髄から出たアワノメイガの糞
試しに、アワノメイガが食い込んだ葉の髄を割ってみると、小さなアワノメイガが出てきました。トウモロコシの栽培が難しいのは、ひとえのこの虫が発生するからです。農家のように畝全体を網で囲めば防ぐことができます。自給程度しか栽培しない私のような者にとって、それはとても負担です。今年のトウモロコシ収穫は、とても悲惨ではないかと予想しています。やれやれ!
葉の髄を折ると、出てきた憎っくきアワノメイガた
とても疲れる真夏の草刈り(1/x)
猛暑の中では人の動きは鈍くなります。涼しい風が吹く場所でのんびりするか、クーラーの入った部屋でごろごろしたくなります。しかし、雑草はここぞとばかり元気に成長します。先日、小麦の刈り取りをした畑は、見渡す限りの雑草畑になっていました。これでも、1ヶ月前にサツマイモの雑草を取った時に畑全体を草刈りしたのです。しかし、いつの間にか雑草王国になってしまいました。
どこを見ても雑草ばかり この雑草を刈り取り途中
近いうちに小麦の脱穀を計画しています。そして、ジャガイモの掘り上げもしなければなりません。また、枝豆と小豆の種まきもしなければなりません。これらの農作業をするためには、とにかく生い茂った雑草を少しでも刈り取ろうと思いました。そこで、これからの毎日夕方に草刈りを始めました。
小麦を育てていた畑の2/3を草刈り
夕方は日が傾いて少しは涼しいのですが、2時間程度しか作業できません。今回は、ジャガイモ畑と小麦畑を草刈りをしました。1日経つと、刈った草はからからに乾きます。この乾いた畑をトラクターで耕耘しようと思います。とにかく、草刈機を使うとは言え、猛暑の中での作業はきついです。
綺麗に刈り取った小麦畑、今後トラクターで耕耘予定
天日干ししている小麦を調べました。すると、すみっこに干した小麦はハトなどに少しばかり食べられていました。しかし、大きく減っていなかったので安心しました。ただ、天日干し時間が長かったので、虫に入られていると思います。脱穀後、脱酸素や天日熱で駆虫しようと思います。とにかく、なんとかこの一週間内にめどをつけようと思います。疲れる!疲れる!
草刈り前のジャガイモ畑 草刈り後のジャガイモ畑
とても疲れる真夏の草刈り(2/x)
今日も仕事から帰った後、草刈りをしました。今回は、サツマイモ畑の除草を中心に作業しました。サツマイモは茎が雑草の間に伸びているため、そのまま除草するとサツマイモの葉も雑草と一緒に刈ってしまいます。そのため、草刈りする前にサツマイモの茎を雑草から離しておきます。そして、雑草だけを刈り取るのです。
雑草に埋まったサツマイモ サツマイモの茎を避けながら除草
サツマイモの茎を避けている時、サツマイモの植穴から伸びている雑草は手で引いて取りました。サツマイモはあまり肥料をやりすぎると、葉ばかり茂って芋ができません。そのため、肥料を与えていません。それでも、雑草が生えていると少ない肥料分をサツマイモから奪ってしまいます。そのため、雑草はすべて取り除きます。
除草前のサツマイモの畝 サツマイモ畝の南側を除草
このところ一滴の雨も降りません。雑草は硬くしまっており、紐式の草刈機ではなかなか切れません。そのため、二段から三段で刈り取りしています。つまり、草の上の方を刈り取り、次に中断の茎を刈り取り、最後に根っこに近い部分を刈り取りしています。なかなか能率が上がらないのですが、熱中症にならないよう休み休み、着実に草刈りを進めています。
綺麗に雑草を刈り取ったサツマイモの畝
郷土館 「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展の準備
田布施町郷土館では8月1日~31日の1ヶ月間、「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展を開催します。その展示会の準備をしています。まずは2日前、郷土館入口に看板を二枚建てました。そして、今回、郷土館内にたくさんの展示物を掲示しました。展示会の準備が完了すると、災害に関係すると思われる消防団、災害に関心があると思われる議員さんなどに資料をお渡ししました。
「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展の準備が終わった郷土館
災害と言うと、今の人は台風,土砂崩れ,地震などを思い浮かべます。しかし、江戸時代はそんなものでは済まされない、生きるか死ぬかの災害が日常茶飯事でした。食料であった稲の不作が毎年のようにありました。また、天然痘などの疫病も絶えずありました。例えば、享保年間の大飢饉では、ほぼ1/3の人たちが飢えて亡くなりました。生きる残ることが奇跡な時代だったようにも思えます。
郷土館前に建てた看板 展示物のパネル配置計画図
江戸時代は子供の死亡率がとても高く、7歳まで育つことが困難だったようです。そのため、七五三の催しが切実だったことが分かります。平生町佐賀の、とあるお大師堂には「たくさんの子供が亡くなったため建立された。」との言い伝えがあります。飢饉や疫病が発生すると、最初に子供が犠牲となったのでしょう。
左は約400年前の田布施の地形 右は田布施町の合併・分離の歴史
江戸時代は今から150年~400年位前のことで、現在の人には想像もつかない時代だと思います。当時を理解していただく一つとして、今の田布施川が無かった400年位前の地形図を展示しました(※田布施川は人工の川で、400年位前には存在しない)。そして、今の田布施町は昭和30年に合併してできましたが、それまでの400年間の合併・分離の歴史も図示して分かりやすく説明しました。
さて、何人位の方が郷土館に来館されるでしょうか?
「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展の準備をする郷土館職員
田布施町 夏のおいでえ フリーマーケット&ワークショップ
前回の「おいでえ フリーマーケット&ワークショップ」は、仕事で参加することができませんでした。今回はたまたま仕事が休みで、史跡巡りなどの用事もなかったため、参加することにしました。ただ参加するだけでは退屈のため、郷土館で続けている羊の毛を紡いて毛糸にするデモをすることにしました。最初、私一人が寂しくデモするつもりでいました。ところが、たまたま友達がやってきたため一緒にデモを楽しみました。
おいでえの会場入口 おうちえんコーナー おうちえん工作コーナー
私はジュース販売コーナーの隅っこで紡ぎのデモをしましたが、周りのフリーマーケット&ワークショップに時々出かけては見学しました。みなさん、いろいろな物を販売したり、作ったりして楽しんでいました。私が東京に住んでいた頃、地域のフリーマーケットで出店したり企画したことを思い出しました。ユギファームの収穫祭や八王子市のフラワーフェスティバルなどです。
いろいろなお店で賑やかな、フリーマーケット&ワークショップ
今から16年前位に企画した収穫祭は、ユギファーマーズクラブと呼ばれる農業を支援する団体が催しする大規模なお祭でした。私はサンマを焼いたり、写真を撮影したり、子牛の世話をしたり、忙しく走り回っていたように記憶しています。また、ボーイスカウトで、団員募集兼何かのイベントをしました。会場にいる子供達を集めて、何かゲームをしたように思います。また、竹を使って即席工作をしたように思います。今となっては、懐かしい思い出です。
お菓子やパンのコーナー 飲み物販売コーナー 藍染めとアイスコーナー
室内でもフリーマーケット&ワークショップが開催されていました。小物売り場、お菓子販売、パステル画、ミニ多肉植物、焼きブラック飯などです。また、ミニ喫茶室もあり、座ってくつろいでいる方々が何人かいました。室内のためクーラーがきていおり、過ごしやすい空間になっていました。
にこにこの観光協会の方々 小物販売コーナー パステル画コーナー
室内を見学すると、自分の紡ぎデモに戻りました。たまたま紡ぎを手伝ってもらったEmさん、私よりはるかに上手に毛糸を紡ぐのにはびっくりしました。雑な私の紡ぎより上手です。紡ぎは女性に向いているのでしょうね。
いろいろなアクセサリー工作やミニ多肉植物のコーナー
お昼は、販売しているビザを購入した食べました。野菜タップリのビザでした。ご馳走様でした。そうこう楽しく紡ぎの実演や歓談しているうちに、お昼が過ぎました。午後2時位だったでしょうか、夏のおいでえ フリーマーケット&ワークショップの終わりです。椅子やテーブルを片付けたり、テントを片付けました。とても楽しいフリーマーケット&ワークショップでした。関係者の方々、猛暑の中をお疲れ様でした。
猛暑の中、おいでえ テントの片付け 最後にゴミの片付け
田布施町 消えゆく杵崎さまの火祭り
31日田布施町麻郷三宅地区の毘沙門様に行きました。去年仕事で行くことができなかった杵崎さまの火祭りを見学するためです。このお祭りは、少なくとも80年くらい前には、田布施町のあちこちで盛んに催されていました。とても古く言われのある、一見たき火にしか見えない質素な火祭りなのです。しかし、今ではこの三宅の毘沙門様でしか催されていない貴重な火祭りです。
三宅の毘沙門様 毘沙門様から見た石城山 バケツに防火水を用意
火祭りの由来をお聞きすると、虫送り,雨ごいなど,五穀豊穣とのこと。さらにお聞きすると、今の人はこのようなことを知らない。今後この火祭りは絶えるだろうとのこと。この火祭りは今も、31日の光市室積の杵崎神社のお祭りに合わせて行い、6日に毘沙門様のお祭りをするとのこと。6日の毘沙門様のお祭りでは、綱を張り、提灯を並べ、高松八幡宮の宮司さんに来ていただくとのことです。
杵崎さまの火祭りを見守る三宅萩尾班の方々、後ろは毘沙門堂
この杵崎さまの火祭りは、三宅地区の萩尾班の10軒位の方が催しているとのこと。現在は班長が火祭りをして、当屋が6日のお祭りを担当するとのことです。かつては、6日のお祭り時にこの毘沙門様で盆踊りをしていたそうで、嵯峨音頭を踊っていたそうです。しかし、高齢化に伴い子供も少なくなり盆踊りはしなくなったとのこと。盆踊りに使っていた櫓が、毘沙門様の壁にぶら下げてあります。
杵崎さまの火祭りに集まってきた方々6人し
杵崎さまの火祭りは、飢饉や干ばつが多かった江戸時代に、この火祭りが伝わったのではないかと思います。虫送り,雨ごいなどの言葉がこの火祭りの由来として伝わっていることからその古さが分かります。この三宅の火祭りが、田布施の最後の火祭りになるのではないかと思います。三宅萩尾班の方々も、この催しを伝える意義について悩んでいるように見えます。今この火祭りをしている方々がいなくなる時、この火祭りは消えゆく運命にあるようです。そもそも大元の杵崎神社でも31日にお祭りをしているのでしょうか。
静かに消えゆく火 最後に水をかけて鎮火
も
山口県 少年少女発明クラブ交流会 2016に参加
この猛暑の中、山口市へ行ってきました。山口県内の少年少女発明クラブの交流会のためです。数年前までは電車で行ったそうですが、今回は田布施町中央公民館からバスで行きました。クラブ員,保護者,そして指導員が行きました。私は去年は参加しませんでしたが、どういう訳か今年は主任指導員となってしまったため、不参加と言う訳にはいきません。どんな雰囲気なのを知るためにも行ってみました。
山口県児童センターに到着 会場に早めに着き受付 交流会開催の辞
会場に着くと受付を済ませました。そして、子供達は指定の席に着きました。交流会らしく、各市や町の子供達が混ざるように配置されていました。子供達は、今は知らない同志でも、将来高校や大学で出会うかも知れません。
午前中は、それほど難しくない水陸両用車の組み立て
午前中は、水陸両用車の組み立てです。基本的にはめ込み式なのですが、よーく説明書を読まないといけません。先入観で組み立てると失敗します。今回の組み立てで、一番難しかったのは、モーター軸とピニオンギヤを接続するゴムチューブの切断です。ちゃんと半分に切らないといけません。目分量で切断したため、動かなかった子供が何人かいました。。
保護者の見守りの中 ちょっと難しかったかな ちゃくちゃくと組み立て
去年の工作は確かカブトムシでした。先頭の角が当たると向きを変えるのですが、少しばかり難しかったそうです。そのため、午後になっても、帰るころになっても、出来上がらなかった子供がいたそうです。しかし、今年は容易で、昼までには全員が組み立てを終えることができました。たくさんの子供達が、組み立てた水陸両用車をステージで動かしていました。
昼休み、遊具広場で一緒に遊びましたが猛暑で汗だく!
昼休み、工作をしたテーブルでお昼ご飯です。配られたお弁当をいただきました。ご馳走様でした。昼食後少しばかり時間が空いたため、子供達が遊んでいる遊具広場に行ってみました。日光が容赦なく降り注ぐため汗が噴き出してきました。それにもかかわらず、子供達は元気に走り回っていました。うらやましいほどの元気さでした。
溶解熱の実験 注意深く温度を測る 丁寧に水を混ぜる
午後は科学の実験です。食塩,尿素,塩化カルシウムが水に溶ける時の熱の発生・吸収を体験します。いわゆる溶解熱の実験です。最初、食塩で実験開始です。食塩を水に溶かすと水が冷える実験です。思い起こすと、私が子供の頃に似たような事をしていました。試験管にジュースを入れ、塩をまぶした氷でアイスキャンデーを作っていました。
ビニール袋に水を 水が漏れないようにシール 尿素を袋に入れる
そして最後に、水を密封した袋と尿素を、別のビニール袋に入れて作る瞬間冷却材の工作です。ビニール袋に入った水入りの袋を破ると、水と尿素が混ざって冷えるのです。できた瞬間冷却材を家に持って帰る子供がたくさんいました。家で、お父さんかお母さんに見せるのでしょう。
この猛暑の中、参加した子供も保護者も指導員も元気に工作や実験を楽しむことができました。この交流会の準備・あと片付けをしていただいた関係者の方々、本当にありがとうございました。
交流会が終わり、会場前に揃った田布施少年少女発明クラブの子供達他
種まきして育てたアメリカフヨウが開花
春に種をまいて育て、この6月に移植したアメリカフヨウが、花を咲かせているのに気が付きました。今咲いているのは二番目の花のようで、最初に咲いた花はすでにしおれていました。最初に咲いた花に気が付きませんでした。
ピンク色の花を想像していましたが、赤に近い鮮やかな大柄な花でした。移植したのは3本なので、残りのアメリカフヨウはどんな色の花を咲かせてくれるのか楽しみです。宿根性なので、これから毎年花を咲かせて楽しませてくれることでしょう。
アメリカフヨウの大柄で鮮やかな赤色の花
とても疲れる真夏の草刈り(3/3)
このところの猛暑で、草刈りがいっこうにはかどりません。しかし、秋に備えて少しでも草刈りを進めています。今回は、草刈機を使った草刈りではなく、トラクターを使った草刈りをしました。草刈りと言うよりも、土ごと雑草を耕します。そして、直射日光で雑草を根,茎,そして葉ごと乾かして枯らします。
トラクターで耕耘 雑草を土から剥がす ほぼ耕し終わる
次の作業は、6月に刈り取りした小麦の脱穀です。確か、去年も同じ頃に脱穀しました。真夏の脱穀は大変です。ところで、毎年小麦を作っていますが、思ったほど小麦を食べません。そのため、来年は小麦を栽培しても、脱穀するのは止めて畑にすき込むようにしようと思います。
今年は、郷土館、子供の工作指導などいろいろと仕事が忙しくなりました。何かを捨てなければ、とてもやりきれません。
このまま放置すれと、根ごと耕された雑草が乾いて枯死
不揃いのピーマンをたくさん収穫
5月初めに苗を植え付けたピーマン、この猛暑にもかかわらず収穫しています。世話をしておらず半ば放置して育てているため、とても不揃いな形のピーマンばかりです。大きさもまちまちで、中には赤いピーマンも一つ混ざっていました。ミニパプリカのように見えるピーマンです。
枝になるピーマン ハサミで切って収穫 赤いピーマン、パプリカみたい
ピーマンの不揃いの理由を考えました。一つは、猛暑と日照りです。この2週間ほど、全く雨が降りません。そのため、水分不足で形が不揃いになったと思います。もう一つの理由は、農薬をいっさい散布しないため、カメムシが発生していました。カメムシはピーマンの茎や葉から汁を吸います。実からも汁を吸うようです。そのために実の形が不揃いになったと思います。形は不揃いですが、綺麗な緑色をしています。とても美味しいピーマンぱかりです。
形も大きさも不揃いのピーマン、でも美味しそう!