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Channel: 東京里山農業日誌
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平生町 曽根,田名方面ウォーキングの下見(1/3)

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 来年1月に平生町の曽根や田名などをウォーキングする予定です。いつかウォーキングすることを予想して、2年位前に1人で事前調査したことがあります。今回、ほぼ同じコースを3人で歩きました。スタートしたのは、同じ曽根公民館でした。計測した全歩程は12kmでしたが、寄り道が多かったため本番ウォーキングでは10km位になると思います。

   水場の金毘羅社   平生町と佐賀村の境界石   水場と戎ヶ下を結んだ埠頭跡
  

 曽根公民館を10時にスタートすると、水場地区を歩きました。江戸から明治にかけて、水場は水運で栄えました。水場の方に、遊郭の跡地を教えていただきました。幕末、「石城山に駐屯していた奇兵隊員が水場までくりだした。」と記録にあったように記憶しています。若くて血気盛んな若者達が、男ばかりの石城山から水場の遊郭まで遊びに行ったのでしょう。

           華やかしころの趣がわずかに残る水場の古道



 今は海岸に沿って幅が広い道路がありますが、その裏には趣がわずかに残る古道があります。水場の古道です。その古道をしばらく歩いていると、海岸側に埠頭跡があります。これは、対岸の麻郷戎ヶ下とを結んでいた渡船場跡です。戎ヶ下側には跡はありませんが、水場側にはこうして跡が残っています。

          海に突き出た百済部神社、太鼓橋を歩いて渡る


 次に、教相寺を訪れました。ご住職はおられませんでしたが、来年1月のウォーキング時に訪れることをお伝えしました。本堂前にイチョウの大木があります。本堂に向かい合うように立つ親鸞聖人の足元が、黄色の落ち葉で染まっていました。

   黄色のイチョウで染まった親鸞聖人の足元、その背後にイチョウの大木


 その次に百済部神社と浜明神に行きました。海に突き出た百済部神社は、この百済部神社を合祀した神社です。合祀しても、こうして元の百済部神社のお社が残されているのは不思議なことです。明治初期の一斉合祀後、お参りしやすい今の場所に再度分神して再興されたのでしょうか。そのいきさつを知りたいものです。

   教相寺の本堂     合祀される前の百済部神社  百済部神社傍の浜明神
  


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